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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



映画の中で苦手な作品は「誰かが死ぬ」というもの。

子供の頃に見た山口百恵の「絶唱」なんかはその代表作。
主人公がやがて死んでしまうなんて悲劇は見ていてちっとも楽しくないし、悲しいだけなのだ。
「父ちゃんのポーが聞こえる」なんかは学校で何度も観賞させられ病院のベッドの横に吊るされている緊急ボタンを見るたびに未だにこの映画の最後のシーンを思い出すのだ。

洋画では主人公の死んでしまう映画に「明日に向って撃て」や「俺たちに明日はない」「ザ・ラストシューティスト」なんて作品があったものの、これらはアメリカの映画だったからそんなにジメジメしたものではなく、「明日に向って撃て」なんかは未だに大好きな映画でビデオでも何度も繰り返して観賞している作品だ。

そんなカラッとしている筈のアメリカ映画がこのところ湿っぽい。
昨年公開の「さよなら。いつかわかること」や今年公開の「グラン・トリノ」。
どちらもクリント・イーストウッドの映画だが非常に湿っぽいのが特徴だった。

昨日から公開されているキャメロン・ディアスと「リトル・ミス・サンシャイン」のアビゲイル・ブレスリン。
配役からするとコメディのような感じがするのだが、ジメジメのお涙ちょうだい映画なのであった。
白血病にかかった姉への臓器提供を拒否し、両親を裁判に訴える11歳の娘。
「姉は死んでも良いのか?」
という臓器提供を強要する母。
なんとも重いテーマで見ていると悲しくなると同時に疲れてくるのだ。

なぜこのような映画を見たのかというと、たまたま試写会の券が手に入ったから劇場に足を運んだのであった。
臓器を提供してもやがて死が訪れる姉を少しでも長生きさせたいと考えている母。
臓器を提供したら一生後遺症が残るかも知れない妹。
この映画のテーマは「死」をどのようにとらえるのかという一人一人が持っている価値観に対するひとつの回答なのだろう。

人はいずれ死ぬ、ということを普段人は意識しない。
とりわけ現代人は死が身近なものではなくなっているだけに「死」は遠い存在だ。
そんな社会の中でこの映画は「あなたは死についてどう考えていますか」という問いかけをしているのだと私は思う。
キリスト教の人、仏教の人、無宗教の人。
人はそれぞれの文化や宗教の中で死についての価値観を学び、自分のものにしている。
無宗教と言われる日本人も根本的には仏教の哲学でものの価値を判断していることが多いわけだから、この映画は平凡な出来ながら日本人と対比し今のアメリカ人がどのような考えをもているのか、その一例を知ることができて興味深い。

ともかく、仕事や私生活に悩みを持っている人が「スッキリしたいぜ」と見に行く映画でないことは間違いない。お涙ちょうだいの好きな方には是非。

~「私の中のあなた」原題:My Sister's Keeper(2009年作)ギャガ・コミュニケーション配給~

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その昔。
親の運転する車で大阪から岡山の爺ちゃん婆ちゃんの家に向う途中、できたばかりの阪神高速道路神戸線を走っていると、自動車の車窓から無数の黒い船が浮かんでいるのが目に留まった。

なんやろあれ?

黒い色をした船は艀の群れであった。
そのどす暗い景色は子供の目には何か怖いものという印象があったことは否めない。
なんとなく不安感を覚えたことを今も鮮明に記憶している。
昭和40年代。
つまりあのころは神戸にも艀が沢山残っていたというわけだ。
今はその艀を見ることは殆ど無く、艀に代わって広大なコンテナターミナルが広がっている。

マルク・レビンソン著「コンテナ物語」はタイトルの通りコンテナがもたらした劇的な流通革命の物語だ。
規格化された海上コンテナが国内国際を問わず海運というもののあり方を劇的に変化させた結果、私たちは現在、オーストラリアの美味しいビーフ、北海でとれた美味しい塩さば、カナダで水揚げされた美味しい数の子、タイで養殖された美味しいブラックタイガー、中国で栽培された美味しい毒物劇物混入野菜などを安価で入手することができる。

そればかりではなく、中国で製造されたタイヤとタイで製造されたランプ、マレーシアで縫製されたクッション、日本で生産されたエンジン、などを北米の工場で組み立てて完成品の自動車に仕上げることなんてこともできるようになっているのだ。

この、ワールドワイドでグローバルなネットワークを築いたのがコンテナなのだという。

コンテナの登場で沖仲仕と艀が姿を消し、巨大なガントリークレーンが登場。
従来であれば人力で荷卸しと荷積みが行われた海運の世界が、完全機械化になった。
まさしくコンテナは人件費を削減し海のレーンをコンベアベルトに変えたわけだ。

本書を読んで最も驚いたのは、この規格化された海上コンテナが登場するまで、海上輸送の方法は古代となんら変わらなかったことに気がついたことだ。
確かに船積みに使用するパレットやそれを運搬するフォークリフトなどは20世紀に入ってから開発されたものには違いないが、荷物の積み方や運び入れ、運び出しの方法は大航海時代となんら変わりなかった。

コンテナの登場により船、トラック、鉄道での輸送がシームレスに繋がり現在の流通文化がある。

よくよく考えてみると、阪神高速道路から艀の群れを眺めた頃を境にして、舶来品という言葉が無くなったような気がする。
舶来品はイコール高級品という意味でもあった。
その舶来品が単なる輸入品になったのはコンテナの威力があったことは間違いない。

~「コンテナ物語」マルク・レビンソン著 村井章子訳 日経BP社刊~


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サンダンス映画際の1回目。
主催した俳優で監督でプロデューサーのロバート・レッドフォードにちょっと変わったプレゼントが届けられた。

「ロバート・レッドフォードの似顔絵が印刷されたトイレットペーパー」

贈り主はポール・ニューマンだった。

そのポール・ニューマンが亡くなった。
享年82歳。

私にとってはポール・ニューマンは生まれて初めてファンになったアメリカ映画の俳優だった。

高校時代は私が映画に目覚める時代だった。
時代は1970年代の終わり。
スターウォーズの大ヒットに始まるSFブームで映画館は大盛り上がり。
毎月のように封切られる超大作にワクワクして劇場に足を運んだものだ。
同じ映画を観ることも少なくなく、その最多数はスターウォーズの13回。
夏休みを利用して一週間に何度も繰り返し見に行った。
当時はビデオもDVDもなかったのから映画館で見なければ、次はいつ見られるのかわからなかったからでもある。

でも、実際に沢山見たのはスターウォーズではなかったかもしれない。
スターウォーズは日本では1978年の夏の上映だったが、スターウィーズほど派手ではなかったが名画座で繰り返し上映されていた映画があった。

それがポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが主演した「スティング」や「明日に向って撃て!」だった。

とりわけ「スティング」は映画はSFだけじゃないことを若い私に教えてくれた名作だった。
ストーリーは秀逸だし、音楽は粋だし、ファッションもお洒落だった。
そして何よりも、ベテラン詐欺師役のポール・ニューマンが格好良かった。

とりわけロバート・ショー演じるギャングのボスをだまくらかすニューヨークからシカゴへ向う列車の中のポーカーのシーンが忘れられない。
相手のイカサマのイカサマをし、相手が4のフォーカードを出そうとしたら、なんと観客までだまくらかす手をポール・ニューマンは繰り出した。
誰もがニューマンは負けたと思ったその緊張感溢れるシーン。
ニューマンはカードをテーブルに広げる。
そのセリフが度肝を抜く。

「Four Jack」

静かで粋でカッコいい男、そしてユーモア溢れるセンスの持ち主、ポール・ニューマン。
他の多くのスターがそうであるように彼も永遠にスクリーンと私たちファンの心に生き続けることだろう。




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「ピンポーン♪」(※)

日本映画を観てこれほど「楽しい」と思ったことは実に30数年ぶり。
かの東映アニメの金字塔「長靴をはいた猫」(※※)を見た時以来だった。

「ピンポーン♪」

映画が始まった冒頭の5分間ほどは、
「なんて『濃い』映画なんだ」
と甘すぎるバニラシェイクを飲んだ時のような感覚に陥った。
この時の「濃い」はもちろん「内容が濃い」という意味ではない。
「あのホテルの社長のオバサン、化粧濃い~~~~」
とか、
「あの歌手、声奇麗やのに、顔むさくて濃い~~~~~」
とかいう感覚の『濃い』さなのだった。

「ピンポーン♪」

泣き笑い映画。
しかも休みなし。
息つく暇なく物語が展開していき、大人も子供も時間を忘れて食い入ってしまう。
で、なんとなんと、エンドクレジットが流れる中で立ち去る人は一人もなし。
みんな映像の不思議さと、演技派俳優たちの爆笑演技に毒気を抜かれて放心状態。
劇場を出る時は思わず、

「ピンポーン♪」

と叫んでいる自分に気付いて苦笑してしまう。
ほんとにほんと、凄いエンタテーメント作品だった。

「ピンポーン♪」

テレビ東京と東京宝塚が作った映画「パコと魔法の絵本」は最近のハリウッド作品ではお目にかかることのできなくなってしまった極彩色のエンタテーメント映画だった。
一ヶ月ほど前に予告編を見た時は、
「どうせお子様向けの低次元映画さ」
とバカにしていたのだが、実際見てみたら「お子様向け」と思い込んでいた自分自身を「バカッ!」としかりつけたくなるくらい手放しで素晴らしい。
対象年齢オール世代という信じられないような楽しい映画なのであった。

この映画の監督・中島哲也氏はCM出身の演出家とのことだが、もうそのレベルは同じCM出身のО監督やアメリカCM界SFXの伝説の巨匠R・Eも凌駕している。
脚本は上手いし、演技も凄い、セットもなかなかだ。
さらにさらに、カメラワーク、編集とセリフのタイミングが秀逸だった。

ということで、実生活で辛いことがあったり、「オレって、もしかして鬱?」なんて思っている人は、是非この映画を観に行こう。
で、一緒に叫ぼう、

「ピンポーン♪」

と。

~「パコと魔法の絵本」テレビ東京 東宝配給 2008年作日本映画~

※ピンポーン♪と叫ぶ理由は映画を観たらわかります。
※※「長靴をはいた猫」は伝説の名作アニメ。製作は東映。昭和30年代40年代生まれのオッサン、オバハンにこの映画を知らぬものは無し。ひょっこりひょうたん島の井上ひさしと山元護久が脚本を書き、若き日の宮崎駿がスタッフに加わっている。21世紀の今日もなお私は「びっくりした」と話すと、続いて「ニャッ」と言ってしまうほど影響力が大きい映画だ。

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映画が始まりと同時に、なにやら無数にひらひらと海中を漂っているものがあった。

「なんじゃい、ピンクと白のパンティか?」

と、子供用映画でありながら私は翔んだイメージを勘違いしてしまっていたのだった。
ヒラヒラと舞っているピンクと白の物体は女性用パンティではなく「クラゲ」なのであった。

そのクラゲに囲まれながら水中でボンベもつけずに作業している気色の悪いオッサンがいた。
「なんじゃい、この映画は」
始まって、数分ですでに映画は分けのわからない雰囲気に包まれ始めていたのだった。

「崖の上のポニョ」

ぽーにょ、ぽにょ、ぽにょ♪
の歌だけが耳について離れない宮崎駿監督の最新作をやっと見てきた。
見てきたが世間一般の評判通り、なにがんやら分からんような映画なのであった。

もしかすると、
1.素晴らしい動きのある
2.色彩豊かな
3.秀でたアイデア
4.ジブリ哲学のイマジネーション
といった2次元アニメのテクニックを見せつけるための作品だったのかも分からない。

ちょうどスピルバーグが特撮テクニックを見せつけるだけのような作品「宇宙戦争」を作ったような作品だったのだ。

確かに見ごたえは十分で、人魚姫の話をモチーフにした筋立ても面白くないことはない。
しかし、中身は矛盾だらけで説明不足。
ストーリー何ぞどうでもよろしい、見ているうちに頭が痛くなってくる映画なのであった。

とりわけ海の水がだんだんと上昇してきて街もなにもか飲み込んでしまうところなど、イマジネーションを通り越し、安心して見ていることさえできなくなる。
きっとインドネシアスマトラ島の皆さんや、タイ・プーケット、ピピ島の人びとにはとてもじゃないが気持ちよく見ることのできる代物ではないだろう。
街がみんな沈んだのに、あれだけ大きな波が起こっていたのに、
人びとは皆、めちゃ陽気なのだ。
正直、狂気さえ感じる。

で、浮かんだ感想はちょっとお遊びが過ぎるのではないか、ということだった。

映画そのものは確かに凄い。
しかし、それがどうなの?
と思えるところにこれまでの宮崎作品とは違った「?」が灯っている。

エンディングに流れる、
「ポニョの歌」
を聞くと、ジブリ作品の多くは宣伝の上手さなのかな、とついつい昔の角川作品を思い出してしまったのだ。

ま、一回は見ておいても良いのでは。

~「崖の上のポニョ」2008年 スタジオ・ジブリ作品~

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北京五輪開会式での少女の歌吹替えが問題になっているが、半年ほど前に吹替えでそんなショボイ北京五輪の吹替え事件な物の数に入らないくらい大問題になった吹替え事件があった。
海外テレビファンならご記憶の筈。

「ザ・シンプソンズMOVIE劇場版 吹替え事件」

あの、超人気びシンプソンズの劇場版の吹替えをオリジナル声優陣に演じさせず、「テレビでお馴染の人気タレント」に演じさせた大事件だ。

シンプソンズファンの私としては昨年からappleのHPで見ることの出来た予告編を観賞しては楽しみにしていたのだったが、結果的に「劇場版吹替え陣」を知るにおよび、怒りと失望が沸いてきたのだった。
それはちょうどベッドでことに及ぼうとしている直前に相手が女ではなくオカマだったという(そんな経験は実際にはありませんが)シチュエーションと同じくらい衝撃的だったのだ。

そんなこんなで結局劇場に足を向けることなくついに見なかったのだった。

その「ザ・シンプソンズMOVIE」のDVDが発売されていた。
しかもテレビシリーズのオリジナル声優陣による「再吹替え」で。

これぞ正当なる吹替えだ。

今週は近所のTSUTAYAでレンタルして「シンプソンズ」の週末だ!

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その昔、と言っても第二次世界大戦前後の頃。
阪急電車宝塚線の豊中駅を下車すると一面田んぼで遥か彼方に広大な伊丹空港の敷地が広がっていたのだという。
つまり阪急の駅から空港を一望できるような田舎に大阪空港はあったわけで、それから僅か十数年で周辺は住宅密集地へと変わり、空港そのものも国際空港へと変貌を遂げ今日に至っている。

「関西空港が開港したら大阪空港は廃止する」

というのは確か関空建設時に大阪空港周辺自治体が嬉々として締結した約束だった。
大阪空港を廃止したら騒音問題も解決。
土地の価格は値上がりし、跡地は様々な用途に応用できる。
なんて思っていたのに違いない。

ところが関空が開港した頃の日本はバブル崩壊後の未曾有の不況で、空港を閉鎖どころか、無くなってしまったら商売上がったりで補助金もなくなるから慌て出したというわけだ。
で、現在もなお大阪空港は存続し、補助金はばらまき放題。

「空港との共存を」
などとぬけしゃあしゃあ宣言したのは空港反対派だったはずの地元商工会。
うるさいと言う理由で4発ジャンボも離着陸させず、午後9時から午前6時までは飛行禁止。
そんな空港を存続させてなんの意味があるというのだろう。

そんな空港の廃止論をやんちゃな大阪府の橋下知事が蒸し返した。
「大阪空港を閉鎖して関西空港に集中する。関空が活性化しないと関西経済も活性化しない。」

ほんとうに活性化しないかどうかは不明だが、中途半端な大阪空港の閉鎖には賛成だ。

でもかつての空港反対派は空港廃止反対派にくら替えし、早くも橋下知事に向って筵旗を立てている。

乱暴な言い方になるが、こういうご都合主義的な人びとは大阪空港でB777あたりの大型機が離着陸に失敗し、ダイハツの工場に突っ込んだり、蛍池辺りの住宅地を火の海にでもしない限り、「大阪空港存続!」を叫び続けるに違いない。

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ドタバタコメディかと思って見に行ったら、かなり真面目なコメディだった。

映画「近距離恋愛」を見てきた。
世の中「インディー・ジョーンズ」や「マジック・アワー」や「崖の上のポニョ」だとか話題作品で目白押しになると、どうしても私の大好きな中小作品は上映されにくくなってしまう。
あちらこちらにシネコンが林立しても、上映内容はほぼ同じ。
系列が違っても似たり寄ったりのメニューなので映画ファンを満足させることはちと難しいのが現在の映画館事情だ。

この映画もそんな大作話題作に圧されて一館上映。
しかも小さなシネコンでの上映だったが、客の入りは悪くは無かった。

ムービーウォーカーのサイトで確認したときは説明をよく読んでいなかったのでテッキリ「好きな人の結婚を阻止しようとあの手この手を繰り出すドジな男のドタバタ喜劇」という予想を持ってでかけてしまった。
が、この映画、いわゆる一般的なラブ・コメディなのであった。

ラブ・コメディといえば私はニール・サイモンの作品が大好きで、ちょいと古いが「裸足で散歩」や「グッバイガール」などは、秀逸すぎる作品だと思っている。
とりわけ「グッバイガール」で展開されたリチャード・ドレイファスとマーシャ・メイスンの掛け合いは忘れがたい。(ドレイファスはこの作品でアカデミー主演男優賞受賞)

それらと比べると「近距離恋愛」は平均的なラブ・コメディだったといえる。
それはそれでよかったのだが、ドタバタを期待していた私にはちょっとばかし物足りなさを感じさせる筋書きだった。
欲を言えば、もう少し捻りが欲しかった映画だったのだ。

~「近距離恋愛 Made of Honor」コロンビア映画 2008年作~

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「ずいぶん古い映画を」と思った、あなた。
あなたは正しい。

近所のTSUTAYAで「3枚買うと3000円」というポップに釣られて愚かな私は「がんばれ!ベアーズ」「フォレストガンプ」そして「007私を愛したスパイ」を購入した。

このクラシックなアクション映画は007シリーズの中でも最もお気に入りの作品のひとつで、公開当時中学生だった私は、夢中になって2回も映画館に足を運んだのであった。

この「007私を愛したスパイ」の特長は、当時世界で目立ち始めた日本製品が続々と登場してくることだった。
映画紹介番組でもそのことはよく語られていた。
例えば、オープニングでジェームズ・ボンドが登場するシーン。
カタカタカタカタと指令が印字されたテープの出てくる「デジタル腕時計」はセイコー製。
当時のセイコーのCMで「007も愛用の」というのがキャッチコピーだった。

で、デジタル時計が珍しい時代。
私は親にせがんで電子計算機付きのデジタル腕時計を高校入学時に買ってもらったが、これが使いにくい。
電卓のボタンはケシ粒ほどの大きさで、押すには専用の爪楊枝みたいなものが必要だった。
しかも計算内容は加減乗除でルートやサインコサインは付いてなかった。
正直、電卓が付いている、ということだけがものすごく、ほかに取り柄はなんにもない腕時計だった。

で、他に登場したのが悪の拠点で使われていたモニターテレビ。
そのブラウン管の下には「ソニー」の文字が。

1977年当時はユナイテッドの映画にも「ソニー」製品が登場していたというのが隔世の感がある。
今なら「そんな、ソニーピクチャーズの親会社の製品を映せるか」といったことになり、メーカー名不詳のテレビモニターが使われたりするのだろう。
それからわずか10数年でソニーがコロンビアを買収して、今や世界一の映画会社になるなんて誰も想像してなかった。

ジョーズの金属歯も懐かしく、カーリー・サイモンが歌う主題歌も懐かしい。
水中を航行するスーパーカーのロータスエスプリも忘れ難いし、Q(スタートレックのではない)が考えた数々のアホらしい殺人兵器も懐かしい。

また英語に弱かった私が関係代名詞「who」の使い方を理解した映画でもあった。
(原題 The spy who loved me)

ともかく、ロジャー・ムーア主演の007シリーズとしては一番面白い作品で、次作のムーンレイカーがあまりにつまらなかったのも今では併せて思い出になっている。
なお、DVDではロジャー・ムーアの吹き替えは広川太一郎。
こういうところは心憎い作り方だ。

~「私を愛したスパイ」1977年イギリス映画 ユナイテッドアーツ~



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「人気シリーズの主人公を演じた役者が10年以上経過して同じ役柄で登場したら思いっきり失望した」という経験は誰にとっても少なくない。
その最大の原因は実年齢が高いにも関わらず過去の若い役柄を演じるために無理が生じることにある。
で、見る側としては失望感に加えて痛々しさも感じてしまい「こりゃ見ちゃおれんわい」となってしまう。
例えば継続されたシリーズでも「男はつらいよ」は初期の作品は渥美清が若かったから良かったものの、晩年の作品は「この人、おじいちゃんになってもフーテンなの?」と笑えない痛々しさを誘っていた。
また、NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」の篤姫も悲惨だった。
今放送中の大河ドラマでは主人公の篤姫を若くて容姿の整った宮崎あおいが演じていて「姫」と言う感じがして好感が持てる。ただ、あまりに現代的なお姫さまのため番組がコメディに見えてしまい少しく問題だ。
この宮崎あおいが演じている篤姫を「翔ぶが如く」では当時実年齢45歳の富司純子が演じており、好感どころか悪寒を感じたのであった。
例えば加山雄三演じる島津斉彬との別れのシーン。45歳の富司純子演じる17歳篤姫は無理を通り越し、視聴者に吐き気さえ感じさせ、ドラマの全てをぶち壊していたのであった。

そういう意味では「インディージョーンズ クリスタル・スカルの王国」で19年ぶりに主役を演じたハリソン・フォードはルーカスのアイデアとスピルバーグの演出により見事に同じキャラクターをン時切ったと言えるだろう。

時は以前の冒険から20年以上が経過した1950年代。
憎きライバルは第三帝国ナチス・ドイツから社会主義の覇者ソビエト連邦に代わっていた。
インディは考古学者だが、アメリカ中央情報局CIAのエージェントでもあり、その身分がなんとも自然。
ストーリーもさることながら、原点回帰というか雰囲気は終盤が若干違うものの一作目「レイダース」を踏襲しているようで、かなりアナログ。
これまた魅力的だった。

産経新聞に、
「今回の作品はフィルムで撮影しました」
というルーカスのインタビューが掲載されていて、作品を見てなるほどと思った。
ルーカスやスピルバーグの作品に限らず最近のアメリカ映画の大作はパナソニックやソニーの映画用デジタルハイビジョンシステムで撮影されていることが多い(スターウォーズエピソード1~3など)のだが、やはり活劇としてのインディ・ジョーンズの雰囲気を大切にするためにフィルム撮影したのだろう。

ともかく、色々と見ごたえのあるシーンの多い今作品。
私の最もお気に入りなシーンは1950年代のシカゴのシーン。
年代物のアメ車が走り回り、街をゆく人びとの独特のファッションが「凄い!」と観客に認識させるのは、「アメリカン・グラフィティ」のルーカスの遊び心か。

そういえば、前作でインディの父を演じたショーン・コネリーも10年以上のブランクを置いて同じ役柄を見事に演じたことがある。
「ネバーセイ・ネバーアゲイン」
やっぱりジェームズ・ボンドはコネリーや!、と認識させる傑作だった。

今作ではコネリーの姿を写真以外に見ることはできなかったが、ハリソンとコネリー。
面白い共通点ができたものだ。

~「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」2008年作 パラマウント映画~

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