私のかすかな心配は杞憂に終った。
というのも、「仲間の一味では?」と思ったタクシーの運転手は、おかしな方向に走ることなく、もとのスクンビット通りに戻ってきてBTSのプラカノン駅のコンコースへ上がる階段前で停車した。
メーターのゴマカシもなかった。
ちなみに私はチップは払わなかった。
私はいたって冷静であった。
ただしその冷静さはタクシーを降りると同時に急速に萎えて行った。
そしてそれとは逆にタクシーの走り去るのを見送ってから、急速に不安感が生じてきた。
もしかすると私は今さっき、エライ大変な経験をしたのではないか。
サイアムまでの切符を購入し改札口をくぐり、電車を待っている間も、その感覚はますます高まり鼓動が速くなってきて、血圧も上がってきているみたいだった。
もともと血圧が高いので、あまり上がると危ない。
トランプ詐欺で金を巻き上げられることはなかったが、その後の不安感で血管がぶち切れして死んでしまったということになると、笑えない。
笑えるのは私の友人たちだ。
死んでしまった私が笑えないのは当たり前だが、そんなこんなで私が死んだことが後々私の友人たちに知られることになると、忘年会などの飲み会でその都度話題にのぼり、その宴会の席を大いに盛り上げる「ネタ」になってしまうのは、なんとなく悔しい。
なかでもその席に死んだ私が同席して一緒にドンチャンできないのが一番悔しい。
しかし、その不安感も冷房がガンガンに効いた電車に乗って、プラスチック製の椅子に座ると気分が落ち着いてきた。
私は何事もなかったかのように平常心を取り戻し、「妙竹林な夢を見た」という感覚で、ボンヤリと沿線の景色を見つめていたのだった。
その夜、いつもなら落ち着いてシーロムにある居酒屋で飲んでいるところなのであったが、なんとなく落ち着かなく、ルンピニーナイトバザール内の無料ライブが楽しめるフード&ドリンクコートでポークの照焼きなどを酒の肴にビール大ジョッキ1リットルを飲んでいたのであった。
結局、どこにいても飲んでいることに変りはなかったが、居酒屋で一人、カウンターの女の子やタイ人の板さんと話をして高い料金(日本で飲むよりはメチャ安い)を払うよりも、少々騒々しくても賑やかな場所で飲みたいというのが、私のその時の心理状態だったのだ。
つまり不安感が寂しさに変化していたのかも知れなかった。
以後、MBKショッピングセンターでもサイアム東急百貨店でも、ジョジョらしい姿を見かけたことは一度もない。
しかし、観光地で、あるいはショッピングセンターで、あるいはレストランやバザールで声を掛けられるたびに、ジョジョの一家(一味とも言う)のことを思い出すようになった。
一度だけ東急百貨店とBTS国立競技場前駅を結ぶ歩道橋の上で見知らぬタイ人女性から声を掛けられたことがある。
その時私はブラックキャニオンコーヒーと言う名前のカフェでアイスコーヒーを買い求め、ボンヤリと人の流れを眺めながら休んでいたのであった。
「あなた、日本人?」
とそのオバハンは英語で言った。
「そうだよ」
と私。
「私の従姉が今日本に住んでいるの」
「.......そう」
「東京だったかな。あなたも東京?」
「違うよ」
「誰か待っているの?」
「そう、友達を待っているんだ」
と私はウソをついた。
オバハンはまだまだ話足りなそうだったが、「友達を待っている」の一言で、どこかへ消えてしまった。
彼女もまたカモを探し出そうと、街中を歩いている詐欺師の一味なのかな、と考えたりもしたのだった。
実際のところ、タイでは私も人の親切に接して、心が和らぐことが少なくない。
とりわけ田舎へ行くと見ず知らずの人から、
「どこ行くの?」
と「たどたどしい英語」で訊ねられ、
「○○まで行こうと思ってるんですが」
と答えると、
「遠いし、暑いし、危ないよ。私の後ろに乗りなさい。」
と自分のバイクやトラックに乗せてもらったことも一度や二度ではなく、「微笑みの国」は確かに存在し、異国に住む者同士が心豊かに接するという経験に、タイがますます好きになってくることも、また確かだ。
もちろん、彼らは謝礼を要求することはないし、何かお礼にあげようとしても決して受取らないのだ。
ちょっとした油断が犯罪のドツボにはまってしまう。
ジョジョの一味との遭遇は、そんなタイの裏社会をかいま見た、貴重な一瞬だったと、今では思い込むことにしている。
「バンコクのトランプ詐欺 完」
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