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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



キリンとサントリーの統合が取りやめになった。

考えてみれば、随分の無理な統合話だったように思われてならない。

一方は東京が本社の上場ビール会社。
もう一方は大阪が本社の非上場ウィスキー会社。
いわば野球に例えると阪神タイガースと読売ジャイアンツが統合されるようなもの。
根本的な文化の違いは双方かなりの障壁になったはずだ。

このニュースを耳にして一番ホッとしたのはもしかしたらCMファンかも分からない。
私もその1人だ。

キリンのCMはあまり記憶に残るものが少ないが、サントリーのそれは他社の印象を圧倒している。
子供の頃から日曜洋画劇場などで見たCMを思い浮かべると限りがない。
「サミー・デービスJrのCM」
「トリスおじさん」
「松田聖子の歌をバックに"Don't kiss me baby~"なペンギンアニメのCM」
「ウィスキ~はお好きでしょ♪」
「み~んな悩んで大きくなった」
「モルツモルツモルツモルツのCM」
「バンバンバババ~バシュビドゥバ♪、といった思いトーンのオールドのCM」
などなど

なかでも「トリス犬」のCMは尊敬する宮川一夫先生のキャメラによる撮影で、今も強烈に印象に残っていて、自分の動画に対する基礎教材のひとつになっている。

このように、他社には類を見ないセンス溢れるサントリーのCMがキリンとの経営統合で、
「サントリーミュージアム天保山のように、もしかすると消えてしまうのでは」
と恐れていた。
ところが破談で一転。
ある意味、話が破綻して「サントリー」イコール「日本の、そして大阪の企業文化」が残ったような安心感を感じさえするのだ。

ということで、週末は流行のハイボールを角瓶で。


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CNNのニュースサイトがテレビシリーズ「マッシュ」の脚本家ラリー・ゲルバートの死を伝えていた。
享年81歳。
癌だったということだ。

マッシュは一時期関西テレビで舗装されていたことがあった。
当時私は海外テレビシーズ、とりわけアメリカ製のテレビ番組に凝っており「マッシュ」もお気に入りの番組だった。
1話30分という手軽さと、大人でないとわからないようなギャグが沢山有り、高校生から大学生へとなる頃の私には、非常に面白い粋な、それでいてブラックなドラマであったように記憶する。

マッシュという作品は朝鮮戦争を舞台にした珍しいテレビドラマだった。
これは朝鮮戦争という一時代前の戦争を舞台にすることにより、ベトナム戦争を批判する、という政治的風刺を含んでいたわけで、そういう見方が大人になりかけの子供の私には欠けていて、成長してから部分的に思い出しては、
「おお、そういうことやったんか」
となってくすることも少なくない。

あれから20年以上の歳月が流れたが、未だ一度も同番組の再放送を目にしたことがない。
CSのスーパードラマTVなんかでは、よく昔のドラマが放送されたりして思わずチャンネルを合わせ、あるいはビデオ予約することがあるが「マッシュ」についてはCSでさえお目にかかることはない。

折しも先日は世界の歴史の流れを変えた9.11の日。
あれからアメリカは愚なことにまたまた戦争の時代へと突入してしまったわけだから、ある意味「マッシュ」の再放送にはぴったりの社会的環境が整ったということもいえるだろう。
ブラックな笑いは、ストレートな政治批判にも勝るものがあるからだ。
にも関わらず、日本では再放送、あるいは未放送分がオンエアされる兆しはみじんもない。

相変わらず伝説のテレビシリーズ「マッシュ M*A*S*H」であり続けているというわけだ。

ところで、亡くなったラリー・ゲルバートは映画の世界に於てもダスティン・ホフマンの「トッツイー」やジョン・デンバーとジョージ・バーンズの「オー!ゴッド」などの秀作の脚本を担当していたということを今回の黒枠記事で初めて知った。

センスのいい、脚本家だったんだなと改めて残念に思った。

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俳優の山城新伍といえば白馬童子。
私はそんなに年配でもないので怪傑ライオン丸や仮面の忍者赤影は知っていても、未だに白馬童子はビデオでもひとつのエピソードを通しで見たことはない。

その白馬童子を終生自分の代表キャラクターとして俳優業に勤しんでいたのが山城新伍。
その山城新伍が70歳の若さで亡くなった。

私には山城新伍といえばすぐに思い出すのは「噂のチャンネル」というバラエティーショー。
和田アキ子やせんだみつおなどが出演していた大人向けの番組で、面白いからとチャンネルを合わせて見ていると親に叱られる番組だった。
この噂のチャンネルに出ていたのが山城新伍。

「この人、奥さんお姫さま役で有名な人なんやで」

と教えてくれたのは母だったが、その時に山城新伍は花園ひろみの旦那さん、だから有名な俳優さんという印象がすり込まれてしまい、以来俳優さんではなく往年の東映時代劇女優の花園ひろみの旦那さんという認識でこれまでに至っている。

事実、山城新伍という俳優さんはお世辞にも上手な俳優さんではなかった。
私は「噂のチャンネル」以外にも時代劇ドラマ「半七捕物帳」などで山城新伍の姿を見かけたが、やはりいまいちであって、バラエティーショーの賑やかしという印象が強かった。

とはいえ、性格俳優・タレントとしてはなかなかな人ではなかったのか、と思う。
そして死してもなお、あのサングラス姿、下手くそな映画解説などを思い出すだけ個性が深く、記憶に残る人であったことは間違いない。

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NHK朝ドラ 視聴率だんだん低迷 関心薄れ脚本力も低下?(産経新聞) - goo ニュース


NHKの朝の連続テレビ小説が視聴率低迷を理由に終焉を迎えようとしている。

これって、少し鈍感すぎやしないか?
それとも、権威主義にこだわりすぎたのか?

朝の「連続テレビ小説」に匹敵する人気を誇っていた(と、私は思っている)銀河ドラマや金曜ドラマなど、テレビ史に残るような数々の名作を生み出したNHKの夜のドラマシリーズはとっくの昔に終焉を迎えていることは、誰も知っている。
大河ドラマも一時は衰退をしてしまい、とりわけ「山河燃ゆ」から数年続いた現代劇は大河ドラマにかなりの傷跡を残した。

しかし渡辺謙が主演した「独眼竜政宗」以来、好評を続けており、とりわけ今年放送の「篤姫」は嘘八百の歴史検証にも関わらず大人気だ。

一方朝ドラの方は衰退し、内容もイマイチのものが多いと聞く。
この秋からは満を持してヒット作「二人っ子」の三倉茉奈・三倉佳奈の双子女優を起用。
しかし思うように視聴率は伸びていない。
正直、この双子は関西圏では出過ぎのため、ちょっとばかし食傷気味な部分もあるのだろう。

そもそも朝ドラの衰退はドラマの中身にあるのではないことは間違いない。

「おはなはん」が始まった頃、世の成人女性の多くは専業主婦かそれに類する人びとなのであった。
そこで子供や旦那が出かけた直後の朝8:15はテレビで一時を過ごすことのできる時間帯だった。
だからNHKの連続テレビ小説は絶好の娯楽番組で、まさに消費者のニーズにぴったりと合致していたと言える。

ところが40年以上も経過すればライフスタイルが変わのも当たり前で、ドラマの視聴対象の女性達は今やワーキングウーマン。
8:15なんて時間帯には間違いなくオフィスで一日の準備をしているか、会社へ向う電車に揺られているということになる。
だから、朝の連続テレビ小説は見たくても見ることのできない存在になってしまった。
正直言って、この時間帯のドラマが視聴率15%以上取れることは誇りにしてもいいと思う。
20%以上などというのは、おこがましいと言えるだろう。

ということで、朝の連続テレビ小説の衰退の原因はNHKの市場把握の無さにある、というのが真実といったところか。

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次のNHK朝の連続テレビ小説が発表された。
タイトル「つばさ」。
もしかすると、そのつぎは「こまち」で、そのまた次は「やまびこ」「はやて」と続くのかも知れない。

私たちは一般に読売テレビで放送されている「笑点」を「おおいなるマンネリ」なんて呼んでいるが、NHKの朝の連続テレビ小説も「おおいなるマンネリ」であることに代わりはない。

すでにドラマとしての魅力は薄れ、すっかり新人女優の登竜門のみ、という意味合いに陥っている。
さらに人々の生活様式も激変しており、仕事を持つ女性が朝の8:15からテレビドラマを見ることはない。
にも関わらず、「●●な女性が成長していく過程が描かれています」などと宣伝されるものだから、
「ナンセンスだ」
とも叫びたくなってくるのだ。

「紅白歌合戦」も「大河ドラマ」も「のど自慢」もマンネリしていることに気付かないNHK。
かと言って、新しい番組を作ってみたら「コメディお江戸でござる」のようにスタートした時点ですでにマンネリしているものまで登場させた。
ある意味、マンネリについてNHKの右に出る放送局はない。

ところで、働く女性を主人公にNHK朝の連続テレビ小説を製作するのなら絶好の職業がここにある。
それは、
「NHKの受信料集金人」。

「このドラマは、地方から出てきた主人公が、マンションやアパートに住む受信料支払い拒否者に対して、心を込めて受信料がどのように使われているのか、コンプライアンスはいかにしっかりしているかの説明を通じ、地域の人たちから愛と友情で受信料を徴収する涙と汗の物語です。」
てなドラマを作ったら、意外にヒットするかも分からない。

あ、このドラマ「サラリーマンNEO」でやってもいいと思いますけどね。

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「イラクの子供たちは、小学1年生から英語を習っています。(二コッ)」
と言ったのはNHKの「海外ネットワーク」の女性キャスター。
でもって、イラクの子供たちが教室で英語を習っている風景が、さも美談のように流れ始めた。

私はイラクがアメリカの植民地になることを目指しているとは知らなかった。
そして、NHKはそれを「正しいこと」と思っているとも知らなかった。

自国語をきっちりと話すことが未だできない子供に対して「英語、すなわち外国語を教えること」は果たして善なのか?

日本でも一時、というかつい最近まで外国語にとっても弱い団塊の世代の人たちが「子供には小学校から英語を教えよう」などと分けの分からないことを主張して、実際小学校から英語を教えるようになった。
子供時代に英語を学習したら習得するのも早んじゃないか、という浅はかな考え方からのスタートだろう。

おかげで、イチビって片言の英語(実用に供さない)を話せる子供は増えたかも知れないが、簡単な漢字も「読めない」「書けない」子供が激増。
ついでながら挨拶もできない、礼儀も知らない子供も激増した。
ちゃんとした自国語を学ぶことは、すなわち自国のアイデンティティを確立さすことにも繋がる。
外国語である英語は将来の道具でしかない。
大人になってからでも十分に学ぶことができるのだ。

英語を学ぶイラクの子供たち。
中身なんかどうでもいい、いかにもNHKなレポートだった。

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最近はインターネットのおかげでとっても便利になってパソコン画面で検索すれば即懐かしの海外テレビドラマを見ることができる。
「ハッピーデイズ」に「Aチーム」「白バイ野郎ジョン&パンチ」に「かわいい魔女ジェニー」。
どれもこれも懐かしい。
でもYouTubeやニコニコ動画などの動画投稿サイトではこれらのコンテンツが無料で見放題だから「著作権料は大丈夫か?」とちょっとばかし心配になってくる。
ところが不思議なことに気付くのだ。

アメリカのテレビ番組の方が数多くアップされていて、日本のテレビ番組はアップされてもすぐに削除。
大好きだった日本のあの番組やこの番組なんて見ることはできないのだ。

本来著作権に関する管理は米国の方が日本よりもやかましい、というのが私たち一般人の印象だ。
というのも、「今度の○○監督の映画は完全極秘主義でスタッフやキャストにも箝口令をしているとか。もし漏らしたりした巨額のペナルティを払わないといけないらしい。」といったうわさ話や、「アメリカの中国許さんの姿勢は日本とは比べ物にならないよね。海賊版DVDを何百万枚も中国政府に押収させて焼き払うんだもん」なんてニュースが駆け巡っているからだろう。

ところが無料の動画投稿サイトにはアメリカのテレビ番組の断片が溢れていて、日本のそれはほとんどない。
これっていったい何なのさ?

よくよく考えてみると、これは日米のビジネスに関するスタンスの違い。
どれだけ宣伝にお金をかけ、さらにどれだけ安くその宣伝費を浮かせるのか、というのが双方の頭脳の違いに表れているというわけだ。

つまりアメリカは投稿サイトに番組のオープニングや有名シーンなどを投稿させ、それを無償で視聴者に見せることにより、その番組関連のグッズを買わせるという戦略をとっているのだろう。
一方、日本は目先の利益だけを考えて「映像はダメ」とばかりに投稿されたドラマの一部は即削除という行動に至っているのだ。
これ、どっちが賢いのか。

この動画投稿サイトに関わる姿勢の違いは市販DVDの価格の違いにも現れている。

アメリカ映画のDVDは初めは4980円とか3980円なんて高い金額で売り出されるが、半年も経つとパッケージをやりかえて一枚1800円とか、二枚で2500円なんて廉価版を出してくる。
一方、邦画の方はと言えば人気作品であろうとなかろうと一枚4500円以上もして、以後安くなる気配はみじんも見せない。

動画投稿サイト。
アメリカ商売、もといユダヤの商売と日本の石頭な中途半端に真面目な商売。
ここにも商いに対するどん欲さの違いが垣間見えて日本人がんばらんかい!と叫びたくなるのだ。

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「NHK職員がインサイダー取引」

先週の新聞に躍った見出しがまたもや視聴者を怒らせた。

バブル以来、世の中は金、金、金。
金に執着するあまりすっかり魅力のない社会になってしまった。
金がものをいう世界は大抵の場合モラルが崩壊しており、人間社会の基本が機能しなくなっている。

お隣の国、中国や韓国がそういう国になっているのは仕方がない。
しかし当の私たちの国がそうなっていては話にならない。

マスメディアは一個の権力として本来であればモラルを徹底し、社会に悪影響を及ばさないよう、また社会に利益をもたらすよう努力するのが義務でもあるはず。
ところが、国営放送からしてこのざまだから、国内社会がおかしくなるのも当然だ。

また、民放は民放で見苦しいバラエティ番組を放送し、そこに転がり込むスポンサー収益にあぐらをかいている。
その代表格がスピリチュアル。
霊媒師なんていう詐欺師とオカマのオッサンをゴールデンタイムに登場させ、テレビの画面を見せ物小屋にさせている。
展開される内容はモラルのかけらもまったくない。

報道番組を放送すれば情報を偏向させて悪用し。
バラエティーを流せば低俗で。
ドキュメンタリーを作れば創作だ。

こんな放送局に免許なんているのだろうか?

あ、ちなみにテレビコマーシャルによる市場経済効果ももはや不要。
テレビCMを流さなくても商品が売れることは、奇しくもパナソニックが証明済み。
ファンヒーターの注意CMしか流さなかった、その時に、プラズマテレビなどがジャンジャン売れたのが何よりの証拠だ。

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私は旅が大好きだ。
ということを今更ここに書き記す必要はまったくないと思うのだが、私のような旅好きがやってはいけない旅のルールが一つある。
それは、
「昔の旅をなぞらないこと」

いくら思い出深い出来事があった旅でもそれを再現することは不可能だ。
旅で起きた出会いや事件、そして作り上がった思い出は決して再び繰り返されることはないのだ。
もし「あの時の体験をもう一度」という気持ちで同じ旅をしようとしたら必ず失敗する。
「こんな筈ではなかった」
という結論しか出てこないことになるだろう。

今日放送されたアニメ番組「ヤッターマン」まさにそういう「こんな筈ではなかった」という番組だ。
少なくとも私はそう思う。
竜の子プロの代表作の『ヤッターマン」にはファンが少なくない。それも30代40代のオッサン、オバハンに少なくない筈だ。
今日、新しいシリーズが放送されると知って、
「これ見てみや。絶対に面白いから」
と自分の子供に言い聞かせてテレビの前に陣取ったご仁もいるだろう。

その「絶対面白い」との幻想に幻滅した人たちは決して少なくない筈だ。

私は「ヤッターマン」のファンではない。
しかし、現在のアニメ手法を存分に盛り込んだ新作「ヤッターマン」がどうも旧作とはかなり雰囲気の違うものになっていたことは理解できる。

同じものを求めても仕方がない。

つまりやってしまったのだろう。
ヤッターマンは同じ旅を繰り返したのかも分からない。

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褒めるだけでは能がない。
ということで、今日はNHKの報道番組についてひと言苦言を呈そう。

昨日の夕方放送のNHK海外ネットワークはいささか「出来損ない番組」の気が、なきにしもあらずであった。

アメリカ大統領選挙報道はともかくパキスタン情勢については何を取材しているんだか、さっぱりわからない。
「選挙の延期は仕方がない」
「今回はムシャラフを支持しない」
「良い息子だった」
などなど。
ブット元首相暗殺に絡むゴタゴタの取材だが、私が一番知りたいところがまったく取材されていない。
いや、取材されていないどころかひと言も「問題」に言及されていないのが気に入らない。

「北朝鮮の『なんちゃって核兵器』と違いますよ。パキスタンのは」
と評論家の勝谷誠彦は民放のテレビ番組で主張したいたらしいが、NHKは核兵器の管理よりも選挙のほうが気になるらしい。
先日ここにも書いたが、これはもはやビョーキである。
まともな選挙もできずに暴徒が街に溢れるあの国で、核兵器がきちんと管理できているのか疑問である。
国土の北部はすでに政府の統治も及ばない無法地帯になっているという。
誘拐された日本人大学生も行方不明のままだ。

「ニューヨークで先ほど核攻撃と思われる爆発がありました。現在ニューヨークの支局との連絡がつきません。ニューアーク国際空港で取材中の○○さん。遠めにご覧になってニューヨーク上空にキノコ雲が見えますか?」
「ここニューアークも大混乱です。放射性の塵、つまり死の灰をよけるため多くの人びとがターミナルビルに逃げ込んできています。私もいつまで報道をつづけ.......」

なんてことになるかも知れないのに、なにが選挙だ、NHK。
お粗末なのにも程がある。

昔ニュースを読むのに声が震える中川某という女性アナウンサーがBKにいたけど、番組キャスターが吃ったり、カンペを読めなかったりするのはもしかすると最近のNHKにできた伝統だろうか。

もちろんそういう素人的な部分は気に入らないが、報道すべき焦点がずれていることが最も納得できない。

ダイジョブか?
日本のジャーナリズム。

ま、核兵器の管理をどうしているのか知りたいのは私と勝谷誠彦だけかも知れませんが..........。

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