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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



世の中は落語ブームだそうだ。

落語会などへ足を向けると当日券が売り切れの場合が多く、「落語風情に前売りかいな」といささか庶民の芸とは離れたところに向かいそうだ。

NHK朝のテレビ小説も「ちりとてちん」という題名の女流落語家誕生の話のようで、落語ブームの底力を垣間見た瞬間だ。

落語がブームになるのには理由があるだろう。
その最大の理由は「若手お笑い芸人のつまらない一発ギャグに飽きてしまった」というのが一番大きいのではないかと私は思っている。

若手芸人の中には見ているこっちが恥ずかしくなるような芸もすくなくなく、これで金をとるとは言語道断だ、と怒る人もいるに違いない。

落語の面白さは伝統芸能というよりも、話の中で展開されるワンダーランドを頭の中で想像するという楽しさにあるのだと思う。
というのも、落語は噺家が高座に上って上半身の所作だけで演ずる芸能で、具体的な視覚的表現は無いと言っても過言ではない。
その所作が聞くもののの想像力を増幅し、聞き手の個々が持つその世界に一番ふさわしいイメージが展開されるので、脳の活性化も手伝って非常に面白く感じるのだと確信する。

落語にはそういったチョッピリ知的な楽しさがあるのだろう。

で、テレビや映画、マンガでは表現できない話の代表作が「さくらんぼ」。

「さくらんぼ」と聞くと10台20代の人は大塚愛の歌を思い出すかもしれないが、落語の「さくらんぼ」は奇想天外。
さくらんぼの種ごと食べたら頭から桜の木が生えてきて、そこで近所の人々が集まってお花見をする、なんてお話だ。

落語ブームの次はもしかすると読書ブームが来るのかもわからないな、と思っている今日このごろでございます。

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ビデオで録画しておいた「やしきたかじんプロデュース雀々十八番」を昨夕観た。
夕食のひととき。
落語を見ながらリラックスタイムを満喫しようと思ったのだ。

しかし、その目論見は見事に潰えた。
というのも、雀々の演目のひとつに私は笑うと言うよりも、むしろ緊張してしまったのだ。
私はその勇気ある演目選びに感動して、同時に「なんて無謀なことするんや」と批判もした。

その演目は「代書」だった。

「代書」または「代書屋」とも呼ぶ演目は雀々の師匠故桂枝雀が得意中の得意としていた演目だ。
その代書の主人公「松本留五郎」と言えば、上方落語ファンでは知らぬものはいないほど有名で、
「大阪市浪速区日本橋三丁目二四番地、となりが風呂屋で向かいが駄菓子屋」
と主人公の住所まで諳んじている人も少なくない。

枝雀演じる「代書」は上方落語の金字塔、伝説に残る一番だった。

その「代書」を弟子が演じる。
これは「見物」であると同時に、失敗すれば「目もあてられない」事態に発展する。

私はこれまで八人居る枝雀の弟子が「代書」を演じるのを観たことがなかった。
きっと弟子たちには師匠の十八番を超える自身がなかったのに違いない。

そういう題目だけに「雀々の代書?」
と私は「面白そう」と思う前に、「失敗するに違いない」と緊張したのだった。

結果は最後まで見る勇気が出ず、停止のボタンを押してしまったというのが、本心というところ。

勇気は認める。
しかし、師匠の芸には遥かに及ばない。
それは師匠の枝雀が米朝の得意とする「百年目」などの演目をあまり演じなかったことにも言えるだろう。

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