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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



今からちょうど30年前の1975年4月30日。南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン市)に南ベトナム解放戦線と北ベトナム軍が侵攻してきて、長い戦乱の歴史にピリオドが打たれた。

ベトナム戦争は人類史上初めてテレビカメラや新聞といったマスメディアが直接戦地を取材し、現場の生々しい状況を伝えた戦争だったと言っていい。
アメリカは北ベトナム(現ベトナム政府)の執拗なゲリラ戦法に敗れたというよりも、この報道によって沸騰した世論によって敗北したといっても過言ではない。

戦争を取材したジャーナリストは数多い。
初期の、まだインドシナ紛争と言われていた頃に地雷を踏んで死亡したロバート・キャパが最も知られているが、日本人ジャーナリストも少なくない。
沢田教一、岡村昭彦といったカメラマンや産経新聞の近藤紘一、作家の開高鍵などが有名だ。
彼らの写した写真やレポートが日本だけでなく世界に大きな影響を与えたことは、今ではあまり知る人はいないようだ。

日本人にとってベトナム戦争は本来、とても重要な歴史なのである。
今日、多くの歴史学者が指摘するようにベトナム戦争は第二次世界大戦から継続した戦争であったという説が強くなってきている。
戦争当時、確かに米ソによる共産主義と自由主義のイデオロギーの代理戦争という側面もあったが、30年間経った現在から見ると、ベトナム戦争は明らかな独立戦争であったことが認められる。

日本人がフランスの親独ヴィシー政権と手をにぎり仏印を統治した1941年から45年まで、ベトナム人は日本人の強烈な力に圧せられながらも、アジアの手本として日本人を見つめていた。
そして日本人と同席すると、彼らは秘かに日本人と手を合わせ「同じ色、同じアジア、独立です」と言っていたのだ。
日本が敗戦してホーチミンが独立を宣言すると、荒廃した自国に再び富をもたらすためにフランス人が帰ってきた。
そして「独立ほど尊いものはない」と語ったホーチミンの言葉通り、彼らは独立を勝ち取るために30年にわたる闘争に突入していたのだった。

今日、たくさんのベトナム戦争終結30周年記念のテレビ番組が放送されるのだろうとてっきり思っていたら、NHK-BSの1番組を除き、まったく放送されることはなかった。
日本の報道機関というのはアジアといえば中国か南北朝鮮で、東南アジアや南アジアは関係ないと考えているようだ。そのために間違った知識や情報の不足から多くの誤解が生じ、国民に不利益が生じていることに気づかない。
たとえばベトナムには寿会という日本人会がある。かつて一兵士としてベトナム戦争に従軍した元帝国日本兵たちの会である。ベトナムには祖国を離れ、異国の独立のために闘った勇敢な日本人がいることを私たちは知らない。
また、ベトナム戦争後、多くの難民が現出したが、彼らを容易に我が国へ受け入れなかったことを非難する人たちがいた。これも情報がきっちりと伝わればなぜ日本政府が難民受け入れを拒んだか理解できる。難民のほとんどは華僑という中国人であったのだ。

今日、解放記念日の報道や新聞紙面、番組作りを見ていると、日本のジャーナリズムはなにが重要で、何がそうでないか、30年経っても理解できていないことを改めて知り、呆然とするのだった。

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昨年映画館で観賞して、瞬時にお気に入り映画の仲間入りした「スウィングカールズ」関連のDVDあいついで発売された。
まずは映画が発売されて、昨年末に行なわれたファースト&ラストコンサートのDVDが発売された。

今日、そのコンサートのビデオを観賞していて、キーボードを弾いている中村拓雄役の平岡祐太の指を見ていると、その細さに感動した。
改めて、キーボードの類いを弾くには細く長い指が必要なことを確認した。

高校生の時、友人に頼まれてバンドのキーボード奏者を務めたことがある。
今考えると、私に「キーボードを頼むで」などと言ってきた奴らは、八百屋に「肝臓移植の手術をしてくれますか」と頼むようなものだとつくづく思う。が、頼まれた私も引き受けたところから、若いということは即怖いもの知らずに結びつくものであると、これまたつくづく思うのだ。

たまたま少しばかりキーボードを弾くことができたのが、何が原因だったか忘れたが周知とされることになり、暇をもてあそんでいた(当時私は東京のN大学を目指して受験勉強に勤しんでおり、ほんとは暇ではなかったが)私にキーボード奏者の役が回ってきたのだ。

ところで、私はキーボードを弾けるといってもよく間違える。
その原因の一つは指が太く短いことにある。
キーボード奏者とかピアニストというよりも、どちらかというと相撲取りや人足仕事の方が向いているゴッツイ手なのだ。
従ってキーをたたくと二つ同時に弾くことが少なくなく、「指一本で和音が弾ける」とわけの分からない自慢をしていたことがある。
当時「僕にも弾ける」などとジャイアント馬場がCMしていた鍵盤の小さなヤマハのポータサウンドなどは論外で、「指サックつけやんと、弾けんやん。」などとマヌケなことを言っていたものだ。

だから細く長い指には憧れがある。
そう言えば、昨年末に間近で拝見させていただいた谷村(有美)のピアノを弾く指も細く長く美しかった。

先月、東京ビックサイトで会社の携帯電話を紛失した。
いろいろ探してみたが出てこなかったので始末書を書いて提出したら、先日新しい電話機が手渡された。
M社製のとても小さな持ち運びに便利な機種だった。
しかし、ここで問題が発生した。
ボタンが小さい。
小さ過ぎて、自分の意志とは異なるボタンを押してしまう。

電話をかけると、何回かに一度は知らない人が電話口に出てくるようになったのだ。

電話の小型化は結構だが、私のような人の指の大きさも考慮していただきたい。
平岡祐太の指を見ていて、そんなことをふと思った。

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演出する報道番組

ここ数日。ニュースのトップといえばJR宝塚線の脱線事故だ。今日はついに死者が100名を越えて国鉄時代も含めて5例しかなかった100名越えの大人災に発展した。

ところで、この事故を伝えるニュース番組が少し変なのだ。
ニュースといえば報道で、事実を伝え、どのような原因で列車が脱線し、鉄道会社がとりうるべき行動や地域社会に及ぼす影響を報道するのがニュース番組の使命のはず。
ところが、今のニュース番組は事実を伝えるよりも、被害者やその家族の感情を伝えることに終始して、なかなか肝心な部分が報道されることはない。

ある番組では、被害者家族の一日の動きを追って短いドキュメンタリーをニュースの中で放送していた。また他の報道番組では、視聴者を泣かそう泣かそうと努めていた。
これらなどワイドショーやバラエティーでやればいいもので、視聴者が知りたい情報ではない。

犠牲者の人たちと家族には申し訳ないが、多くの人は事故で被害を受けたその人たちの感情よりも、ともかく、いつ、どこで、だれが、なにを、どうして、を知りたくて報道番組を見ているのだ。

阪神大震災の時もそうだったが、妙に暗いBGMを流して、見ているものに不必要な感情を抱かせる「演出」をする報道番組が見られた。
「演出」は事実ではないことを、また事実に似たことを創作し、誇張する技術だ。
日本は中国や韓国のように報道番組を演出しなければならないような品位の低い国ではないはずだ。

演出を省き、客観的で、できる限り事実に近い報道をするだけで、人々は事件の重大さや悲惨さを、そして被害にあった人々の無念さを理解しようと務めるだろう。
それとも報道機関は一般民衆にはそのような知性は備わっていないと思っているのだろうか。

今回のJRの悲惨な事故は、JRの危機管理に注目が集まるように、報道体制にも注目が集まる。
そんな事件に違いない。

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大阪府柏原市国分から奈良県王寺町に向かう道は大和川に沿って作られており。なかなか景観がよろしい。
川と道路とJR大和路線が錯綜し、実に絵になる場所なのだ。
途中「亀の瀬」と呼ばれている場所は川が急流になっている場所で、古の時代から大和の都から難波の津へ抜ける難所であったという。

ここ亀の瀬の近く。道路沿いに十数年前まで大きな砕石場があった。
錆びついたコンベアベルトやプレハブ作業所、粉砕設備がアブストラクトのように山に沿って聳え立ち、ガがガガガという機械音が独特の暗さと、独特の生命感を与えてくれていた。

ハウルの城は、そんな砕石場を思い出させる奇抜で生命感に溢れた鉄の造形物だった。

昨年公開されて今もなお上映が続いている宮崎駿の「ハウルの動く城」を、やっと観賞してきた。
さすがに宮崎アニメだけに色彩は豊かで美しく、まるで色つきの夢を見ているような感がスクリーンから漂っていた。
危惧された木村拓哉演ずるハウルの声も違和感なく聞き取ることができたし、倍賞千恵子のソフィーの声もなかなか力演であった。
相変わらずの無国籍調のデザインは芸術の域に達しており、見ているだけでまったく飽きることのない絵作りだった。
CGカットさえ、CGを感じさせないできなのだ。
ローレライのスタッフに見せてやりたい。

しかし、物語となると絵とは正反対。
はっきり言って、宮崎駿もネタ切れか、と思ってしまう内容だったのだ。
荒れ地の魔女は前作「千と千尋の神隠し」の或るキャラクターの焼き直しのようであるし、案山子はトトロの動きを踏襲しているような感じがする。
魔法、についてはなんとなく「魔女の宅急便」に軍配を上げたくなるし、雪をいただいた高い峰々からはハイジの呼び声とオンジとヨーゼフが出てきそうな感じまでした。

これまで宮崎作品には反戦や自然保護のテーマがなんとなく盛り込まれていたが、今回はあからさまに反戦を謳っているので、見ているこっちは瞬間的に興ざめしてしまうのだ。

とにもかくにも物語はどうでもよくて、ともかく宮崎アニメの視覚マジックを堪能したい人にはピッタリな映画だ。


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1982年2月9日。日本航空DC8型機が羽田空港へ着陸する寸前に墜落した。操縦していた機長が飛行中にエンジンを逆噴射させたのが原因だった。
「機長!なにするんですか!」
と副操縦士が叫び声を発したとが新聞テレビで盛んに報道されて印象に残っている。
結局日航の機長は精神疾患を患っていて、それが高じて操縦中に信じられない衝動的な行動をとったいう結論に達した。
死者24名。100名以上の重軽傷者を出した。

昨日、JR宝塚線の大阪方面行きの快速電車が尼崎駅へアプローチしていくカーブの入り口で脱線転覆した。しかも死傷者が500名を越える大惨事となった。いったい何人の犠牲者が出ているのか、今現在も電車内に閉じこめられて救出されない人たちがいるだけにまったく分からない。

報道によると、脱線した電車は伊丹駅を1分30秒遅れで発車したということだが、その遅れの原因の一つが伊丹駅に停車するときオーバーランをしたというのだ。
伊丹駅のホームで止まりきれず7メートル行き過ぎて停止した。(実際は40メートルであったらしい)
運転していたのはキャリア11ヶ月の若葉マークの運転手。
この23歳の運転手は過去になんどか職務上の問題を起こし、処分されている経歴を持っていることが明らかになっている。
車掌勤務であったころ、勤務中に居眠りしているところを乗客に指摘され処分を受けたり、数カ月前にも大きなオーバーランを起こしてしまい処分されている。
今回も脱線を起こす直前の指令センターからの呼びかけにまったく応じなかったという。

これらの報道を整理すると、精神疾患を抱えていた運転手だったのではないかと思われてきたのだ。
そこで思い出したのが20年前の日航機事故というわけだ。

心身症。
当時はそう呼んでいた。

この事故をきっかけにパイロットのメンタルケアが重視されだした。
飛行機はパイロットが乗客の生命を握るリスクの高い乗り物だからだ。
鉄道にはそこまで意識が回らなかったのか、それとも回っていたが、見つけることが難しかったのか分からない。
制限速度70km/hのカーブに100km/h以上で突っ込んだのだから、やはり運転手に何かあったのだろう。
ともかく今回の事故での死者は現在74名。列車の中には生命反応のない十数名の乗客とみられる人たちが確認されている。

すくなくとも20年前の航空機事故は鉄道事業には活かされていなかったのが残念だ。


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毎週新聞に発表される「店頭販売の書籍ベストセラー」を疑え、などというのは、今さら何?というところだろう。しかし読書人口が減っているとワイワイ騒ぐ活字で飯食うマスコミおよび出版社に私は一言いいたい。

首都圏や大阪などの大都市の主な書店のベストテンが毎週末にいくつかの新聞紙上で発表されている。
だいたい人気作家の作品や芥川賞や直木賞、ミステリー大賞なんて文学賞を受賞したての作品がリストアップされていて、ブームに乗ったハウツー本やビジネス本がそれに続く。

このコラムでも紹介した「問題な日本語」もいくつかの書店では第一位を獲得していて、巷に溢れる日本語ブーム(なぜこれを国語ブームと言えないのか、私は不満を感じている)を代表する一冊になっている。
新書も変わらず好調のようで、その代表本である「バカの壁」も初版が発行されてからかなり経つのに未だにベストテンに登場している。

読書人口が減ったとはいえ、やはり日本文化の基礎は活字文化。
世界で最も長い自国文学の歴史を持つ国の一つとしてそう簡単に書籍から遠ざかることはできないだろう。

しかし、このベストテン。いやベストセラー。納得できない書籍が必ず数冊ランクインしているのだ。
もちろん買う人が多いからランクインしているのだろうけど、買う人イコール読む人なんてとても断言することなどできないのだ。
この納得できない本はどういうものかというと、新興宗教やカルトに関係している「トンデモ本」だ。
この新興宗教の指導者が執筆した生活指南書、生き方本の類いは、数ヶ月に一冊の割合で新刊が発行されている。
人気絶頂の売れっ子作家でも数ヶ月に一冊なんてとても書けないに決まっている。
絵本や「もしも世界が100人の村だったら」のような、活字が大きくて使用している紙質が厚いものなら短期間で出版できるかも知れない。しかしそれとて企画から出版まで半年はかかるはずだ。

はっきり言って、教団内のゴーストライターが教祖の名前で大量執筆した内輪の満足本など、書籍の「ベストテン」にも「ベストセラー」にも書き加えて欲しくない。
この種の本の内容はどういうものか、申し訳ないが読んだこともないし、読みたいとも思わないのでまったく知らない。
胡散臭い連中が教団の売名のために自ら書いて自ら買っている自慰のようなトンデモ書籍を、一般人の目に触れる本当の書籍ランクに入れないでもらいたくない。

活字媒体に触れる人を増やしたいのなら、活字媒体の信頼度を上げるためにも特定書店で大量買い込みされるような組織買いの対象書籍は売れ筋書籍のリストから除外せよ。

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私の同僚で数年前、家を新築した男がいる。土地そのものは、親がずっと以前に購入していたのだが、10年前の地震で古い家が15センチほど傾いたり、子供が学校へ通い出したことをきっかけに、サラリーに見合わない無理なローンを組んで家を新築したのだ。

家を建てるまで、お隣さんに問題のある家族が住んでいるとは思わなかった。
家を建てて引っ越したとたんに、嫌がらせを受けるようになったのだ。
たとえば、洗濯物に水をかけられたり、駐車していた車にタバコの吸い殻を投げつけられたり、困ったことばかりされる。
この困った家族たちは、こういうことに慣れているのか、家人が在宅している間は決してイタズラはしないのだけれど、少し目を離すとすぐにイタズラを実行する。
「最近変なゴミや、嫌がらせをする人がいるんですけど、どこのどいつですかね?」
と本人の前で話したら、それから暫く悪戯は止んだ。

甲子園という野球の聖地があるような閑静な住宅街で、なかなか性質の悪い住民がいるものだ。

ご近所と上手く付き合うのが難しいのは、なにも住居に限ったものではない。
国と国との間にもある厄介な問題なのだ。

我が国日本と中韓との関係がまさにそれ。
日本に覚えが無くても、いつまでたっても文句をつけて、騒ぎ立てるのは、千葉にある空港反対派と同じぐらいに性質がわるい。
昔ちょっと悪さをしたことを半世紀以上経ってもゴチャゴチャ言う様は、はっきり言って精神異常。
どこか良い病院を紹介したくなるくらいだ。

国家間の近所付き合いのトラブルは日本と中韓だけかと思うとそうではない。
ドイツとフランス。
トルコとギリシャ。
スペインとポルトガル。
タイとミャンマー。
中国とベトナム。

先週、私が英会話を習っているニュージーランド人の先生と、近隣トラブルを話していたら、ニュージーランドとオーストラリアの話になった。
日本人の大好きなこの二つの国も豪州などといってひと括りにしているが、実はとても仲が悪い。
オーストラリア人はニュージーランド人のことを「キーウィー」と呼んで、
ニュージーランド人はオーストラリア人のいことを「オージー」と呼んで差別するらしい。
「おい、今その席でキーウィーが酒飲んでたぜ。」
「なんだって?」
「ばばっちいから、別のところに座りな。」
なんて田舎英語な会話が、パブの片隅でこそこそと交わされているらしい。
でも「そんなことを言ってはいけないよ。私たちオーストラリア人は犯罪者の末裔で、ニュージーランド人は違うから。」
などと、自分を卑下するオーストラリアンはいないそうだ。
な、わかっとるかね? コイズミ君。

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週末というのに仕事だった。これで連続二ヶ月間、土曜日の休みをとれずにいる。おかげで代休が一杯貯まっているが、どうすることもできずにイライラしている。
ここのところ毎年GW前には年度末に貯めた代休を利用して海外旅行をしている。今年もいつものようにGW一ヶ月前に航空券を申し込んだのだが、今回のGWの連続休暇が一般に長いためか、ついに帰国便の予約が確保できずに、旅行を諦める事態になってしまった。
悲しい。

従って、今日のような休日出勤は、かなりモチベーションが低いのであったが、どういうわけか直前に「楽しく休日出勤を過ごす方法」を思いつき、迷わず実行したのだった。

今日の仕事は和歌山県田辺市での納品立ち合い。
工事を見守るだけで、トラブルでも発生しない限りとりわけやらなければならないこと(詫びること、工場に文句を言うこと、客から叱られること、など)がない。
納品工事が完了するまでの数時間、ボンヤリして過ごすのは、なかなか苦痛なのだ。

ところで、和歌山の紀伊田辺といえば温泉で全国的に有名な白浜町のすぐ近くだ。
白浜だけでなく、和歌山には多くの温泉が点在する。
近畿の秘境和歌山県。
熊野とクジラと高野山、南方熊楠に武蔵坊弁慶といった、どちらかというと地味な名物しか見当たらない和歌山だが、こと温泉となると、その数はきっと近畿一だろう。

私が今日仕事をした田辺市には大阪方面から市街に入る直前に南部町という梅で有名な町がある。この南部町と田辺町の境に「国民宿舎みなべ」というのがあったのを思い出したのだ。
この国民宿舎には天然温泉があり、日帰り湯を楽しむことができる。
そういうことで、なにかと理由をつけて工事屋さんに仕事を任せ、納品が完了するまでの数時間、この国民宿舎みなべで過ごすことに決めたのだ。

国民宿舎というのは昼間は客が少ないようで、駐車場は団体のバスが2台ほど停っていただけで、個人客はほとんどいなかった。
フロントで入浴料500円を支払い、地下一階の大浴場へ行くと、なんと客は私以外に二人だけ。
地下とはいいながら、海岸沿いの絶壁に建てられているので、浴室からは紀伊水道の大海原が眺められる。
広い浴室。
遥かに広がる大海原。
そしてがら空きの天然温泉。
幸せ一杯のひとときを過ごしたのであった。

風呂から上がると、なんと親切なことに畳敷きの休息室があり、ビールを買ってしばしボンヤリ。一時間をほど居眠りをして、マッサージチェアで15分ほどマッサージをしていたら、ちょうど工事屋さんから「そろそろ工事終るけど、どこにいてるん?」と携帯電話に連絡が入った。
「近くにおるから。ん、すぐ行くわ。」
「........風呂、行ってるんちゃうでしょな。」

つき合いが長いだけに油断ならない工事屋さんであった。

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とりがら書評

1944年8月。
ドイツ占領下のフランスの首都パリは、まもなく到着してくるであろう連合国軍を今か今かと待ち受けていた。
解放の希望を抱くフランス国民と、決戦に臨まなければならないというドイツ軍のそれぞれの人間模様と生き様、そして死に様を、詳細な取材から収集した膨大な証言や資料をもとに描き出したノンフィクションの傑作である。

パリを制するものはフランスを制す。
ヨーロッパの珠玉パリという街を死守するためにアドルフ・ヒトラーは自軍に対し、「あらゆる手段を用いてパリを保持せよ」と指示をだした。
しかし、もし万一ドイツ軍が劣勢となり、パリからの撤退を余儀なくされたとき、パリの街を焼き払いポーランドの首都ワルシャワのように廃虚と化すまで徹底的に叩き潰すことをも同時に指示したのだった。

「パリは燃えているか?」
これは連合国軍のパリ入場が伝えられたときにヒトラーが側近に発した質問の言葉である。

実のところ、私は本書がノンフィクションであることも、パリ解放を詳細に取材した著名なドキュメンタリーであることもまったく知らなかった。
無知というものは恐ろしいもので「パリ」だから、ヨーロッパを舞台にした軟弱な恋愛小説かなんかかと勝手に思い込んでいたのだ。
早川書房から今回、ノンフィクション・マスターピースシリーズとして復刊したものが書店で平積みされているのを見つけたのをきっかけに購読することになった。

本書を読んで一番心に残ったのは、現代の世界情勢の中でのアメリカという国の地位が、この第二次世界大戦を通じて確固としたものになっていく様が、部分的にせよ明確に描かれていることだった。
多くのパリ市民が、入場してくる白い星印をつけたアメリカ軍の装甲車や戦車に群がり米兵に感謝をささげたのだ。史上これほどまで喜びを持って歓迎された軍隊はこのときのアメリカ軍以外にないであろうというくらい熱烈に迎え入れられたのだ。
そして、読者である私自身もここではアメリカ軍がフランスを解放する正義の軍であることを素直に受け入れることができるのだった。
しかしパリ解放の殊勲者としてのアメリカの姿は、そのまま半世紀後のバグダッド解放の殊勲者として受け入れることのできない複雑さを私たちにもたらしている。
パリ解放という美酒がアメリカという国を心地よく酔わせたものの、あまりに飲み過ぎたため、かなり悪酔いをしてしまったのではないか、とも思えてくのだった。
現在の世界情勢は、そのパリでの酔い心地が今もなお二日酔い以上のものとして残っているのではないかとの疑問を与えてくれている。

本書はパリ解放を描いているのだが、その後の歴史について、読者のイマジネーションを限りなく刺激してくる時空的にも途方もない広がりを与えてくれる、素晴らしいノンフィクションなのだ。

「パリは燃えているか? 上巻・下巻」ラリー・コリンズ&ドミニク・ラピール著 志摩隆訳(早川書房)

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数週間前から冷たい水やちょっと濃いめのアルコール飲料が歯に染みるので、チェックしてもらいに歯科医を訪ねた。
「ん~~~~~、ブラッシングちゃんとしてね。」
と注意された。

私はどちらかというと神経質な性格なので、毎日歯磨きは欠かさず行っている。
歯磨き粉も歯槽膿漏や歯周病に配慮した有名メーカーの商品を選んで買っている。したがって歯には自信があったので、歯科医の注意はいささかショックだった。
「ここ染みるでしょ?」
「ヒミルフョ」
「なんか、昔治療したあとの詰め物が外れて、そこが虫歯になっているわ」
彼が言うには月に何度か来て治療をして欲しいという。しかも神経を抜くなどと恐ろしいことも言うのだ。
この若い歯科医。実のところ私は子供の頃から知っており、よちよち歩きの時は、よくお守りをして遊んでやったものだ。
ただこっちも子供だったので多少の意地悪をしてやったこともある。
まさか30年後に歯科医になるとは予想しなかったし、まさか私自身がそのヨチヨチ歩きに診察してもらうことになるとは思わなかったので、もう少し大切に優しく遊んであげれば「神経を抜く」などという脅迫をしてくることもなかったのではないかと思われたのである。

ところで、ブラッシングの不備を指摘された私は、早速その欠点を埋め合わせるために電動歯ブラシを購入することに決めた。
もともと私は電動歯ブラシなど「玩具の一種でしかない」という固定観念を持っていて、まったく信用していなかったのだが、人に聞けば「これほどいいものはない」ということなので、歯の保護のために思いきって買うことにしたのだった。

件の歯科医殿に相談すると「安モンの首をウニュウニュ振るだけのヤツはアカンで」言われ、少々高めでもブランドメーカーの良品を買うように薦められたのであった。
それにしても歯科医のくせに「ウニュウニュ」だとか「安モン」だとか言って、なんて語彙に乏しい男なんだ。ほんとに歯科医大を卒業しているのか疑ってみる必要があるのかも知れない。

で、さっそく家電量販店を訪問すると、あるはあるは。ブラウンやフィリップスといった舶来品から東レにセイコーなんていう一見家電と関係ないようなメーカーの商品まである。
どれがいのかカタログを見たり店員に質問したりしているうちに、電動歯ブラシ購入に際しての重要なポイントを教わった。
それは交換ブラシの価格だった。
舶来品は高性能で効果抜群らしいのだが、交換ブラシは千円札数枚を要するものもありとても手が出ない。
色々検討してみた結果、国産の松下社製のものを購入した。
超音波振動でブラッシングするという機能に感動して購入したのだが、それよりも交換はブラシが三百円少々なのが最も魅力的だった。
そして実際に使用してみると、ブウィ~ンと響いてて、音だけなのかなと思っていたら、これまで手磨きではなかなかとれなかった汚れまで掻き落としてしまう、優れものであることがすぐに分かった。

「電動歯ブラシを買ったから、お前さん(私の歯科医)の世話にはならないよ」とまで言えないことだけが残念だ。


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