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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



一人旅をしていると困るのが「食事」と「トイレ」。
つまり入れる方と出す方。

とりわけ食事問題は深刻で、食の分野に限って言えば旅の楽しさがグループ旅行に比べて半減してしまうことがある。

国内でも国外でも一人旅をしているとどこで食べることが問題になる。
レストランというものは不思議なサービスで単身のお客には不適当なようにできている。
店の作り、メニュー、価格。
いずれをとっても一人客には不親切だ。

一人で困るのは色々な味を楽しむことができないということだ。
あれを味わってみたい、これを味わってみたい、という場合、数人で食事をすると複数の料理を注文して少しづつ楽しむことができる。
ところが一人だとそうは行かない。
一人でそうするととてつもなく高くついたり、大量に残すことになったりして悔いや迷惑を残すことになる。

タイのホアヒンに滞在していた時のこと。
ナイトバザールで美味しそうなシーフード屋台を見つけたので、鯛に似た魚の餡かけ料理を注文した。
ビールを頼んで出された料理を食べると、これが美味い。
料金も日本円にして400円程度だったので、財布の気分も悪くない。
ホアヒンは上品なリゾート地なのでボッタクリに遭うこともない。
いい気分になって、ご飯系が食べたくなってチャーハンを注文したが、この国に限らず東南アジアの国々は一品の料理の量が多い。
満腹で食べきれずに、作ってくれた店の人に悪い思いをして出たことがあった。

ともかく一人旅だとどうしても料理が一品限りになってしまい、食のバリエーションに乏しくなってしまう。
国内だとファーストフードで我慢してしまうこともあり、こうなると最悪である。

「トイレ」は言わずもがな、荷物を持っていると物騒で一人旅の時の困りもの。
空港で荷物を預けているときなら問題はないけれども、大きな荷物を複数持って歩いているときに大きいほうを催してきたら、ちょっとした危機でもある。
トイレの外に荷物を置いておくと置き引きに遭う可能性が高いし、中に持ってはいるのはトイレブースのスペースの問題がある。
それになんとなく汚い。
それでもとりわけ海外では盗難を恐れて荷物を持って入れる場所を探すんのだが、まず見つからないと言っていい。

先週のベトナムへの旅は家族での旅ということもあり、これらに困ることはまったくなかった。
家族旅行はいいもんだ。
と、柄にもなくホンワカとした気分で思ってしまったのであった。

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久々に1週間ほどの旅に出ます。

夏休みも最終週を迎えての旅です。
尤も、私のような中年のオッサンにとっては夏休みも何も関係なく、できれば10月ぐらいに出かけたいのですが、今回は特別な事情で仕事が超忙しいにも関わらずの出発です。

ということで、出発が午前の便ですので、これにて失礼。
旅の模様はいずれブログで。


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つづき

私の旅先は主に東南アジア。
タイのバンコクとミャンマーのヤンゴンが一番多い。

タイのバンコクは10年ほど前にスカイトレインという3両編成の高架電車が走り始め、数年前には地下鉄も走り始めたからシンガポールを除き他の都市と比較すると各段に都市交通は便利だ。
それでも、圧倒的に電車ではカバーされいない地域の方が多いので、そういう場所を訪れる時はバスを利用することになる。

このバンコク都内のバスが、オモロイのだ。

バンコクのバスを利用するには、まず東京堂書店や紀伊国屋書店を訪れて「バンコクバスマップ」を購入する。
これは日本語で書かれたバンコクのバスガイドで、じつに優れものだ。
路線と主な観光及びショッピングゾーンが記されており、これさえ持っていればバンコクのバスの乗り降りなんか簡単さ、という錯覚に陥ることができる。

実際にこのガイドブックに従ってバスに乗ってみると、自分がこの錯覚のために迷子になってしまうかもしれないという事実にすぐ気がつくことになるのだ。
だいたい、片言のタイ語しかできない私は目的地を車掌に上手に伝えることができない。
この時点で路線バスの旅は危機的状況に陥る。
そしてバンコクでは、同じ番号のバスであっても目的違い、目的地まで行かないバス、まったく関係ないバズなど様々で、走り始めた途端ミステリートレインならぬミステリーバスになることも少なくない。

幸いなことに、タイの人たちは外国人に親切な人たちが多い。
外国人である私に車掌さんや、時には他の乗客が親切に但しバスを教えてくれるのだ。
何番のバスに乗れ。
このバスは違うので乗り換えのできる○○というところで下車しろ。
運賃はいいよ。
といったものだ、と思う。

数字や遠い、近いそして地名ぐらいは聞き取れるのでなんとか教えてくれているのだろう、ということは分かるのだが、詳細まではわからない。
もしかするとからかわれているのかも知れなかったが、みんなの笑顔を見ていると「さすが微笑みの国だ」。タイを目一杯感じるのだった、

そんなこんなで目的地に着いた時は、なんだか大冒険をしたような気分になり、下手に日本でTDLやUSJに遊びに行ったり、冒険企画ツアーに参加するよりも安上がりだし充実感は小さくない。
また町中を走る路線バスからの眺めは観光ではない、ローカルな人の営みを感じ取れる生きた面白さもあってなかなかいい。
そんなこんなでバスの旅に面白さを見いだしたのだった。

以来、地元大阪やひっきりなしに出張している東京では好んでバスを利用するようにしている。
とりわけ天保山へ遊びに行く時は、難波駅前から乗る市バスでの45分間の旅が一番気に入っている。
なんといっても地下鉄なら片道270円が、バスなら200円。
車窓を存分に楽しんで往復140円得した気分は、この世知辛い世の中、小さくないお得感をくれるのであった。

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旅の楽しみのひとつに「バス」がある。

大阪や東京で生活していると交通手段は鉄道がメインになる。
どこに住んでいても徒歩あるいは自転車で行くことのできる鉄道の駅があるからだ。
鉄道だと目的地までの時間が読めるし、都会だと運行本数も多くて1本ぐらい見逃しても10分待てば次の列車がやってくる。
それに他の交通機関と比べて運賃が安い。
例えばタクシーに片道20kmぐらい乗ったとしたら平気で8000円ぐらいは請求してくる。
これに高速道路何ぞを使うとさらに700円、800円と請求されるのだ。

しかし電車だと20kmぐらいの移動なら300円か400円といったところだ。

新幹線のエネルギー消費は航空機の10分の1なのだそうだが、タクシーと比べたほうがもっと説得力があるかも知れない。

終電車があるという欠点を除けば電車にはメリットは数多い。
これで終夜運転してくれていたら宴会の終了時間を気にしなくて済むのだが、一方において、終電車があるおかげで嫌なヤツとのつきあい酒も、
「あ、終電の時間や。ほなサイナラ。」
と逃げることもできる。

これとよく似たものにバスがある。
ところがバスは電車と違って人気がない。
都心部に住んでいる人でバスを利用する人は少ないはずだ。
大阪市バスを例に取れば老人パスを持っていて無料で乗れる高齢市民を除くと、若いヤツは乗りたがらない傾向にある。
せっかく座った座席を老人の集団に譲らなければならないからかも知れない。

私もバスでの移動があまり好きではなかった。
渋滞はする。
座れない。
もちろん時間通り走ってくれない。
さらに、その路線のバスがどこを走っているのかわからないのだ。

○○○町というバス停へ行きたいのだが、そのバスがどういうバスで何番のバスであるのか、知ることはほとんど不可能に近い。
ミャンマーのビザを取るために大阪のミャンマー領事館へ行ったのだが、桜宮近くのOAPにあったはずの領事館最寄りのバス停には、ついにバスではたどり着けなかったことは随分昔にここに書いた。

バスは安いけれども面倒な乗り物なのだ。

そんな便利の悪いバスが好きになったのは、やはり海外旅行で現地の路線バスに乗る機会が増えたからかも知れない。

つづく

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海外旅行の楽しみのひとつに外貨両替がある。
普段は使うこともない外国の通貨でお買い物をするのは、まるでタカラの人生ゲームを生で楽しんでいるような面白さがあるのだ。

私の初めての外貨はUSドル。
初めての海外旅行の行き先がアメリカに住んでいる日系人の親戚のところだったこともあり、USドルが初めての外国通貨になった。

当時は1ドル180円。
学生だったこともあり、そんなに沢山両替できなかったが(今はもっと出来ない)初めて手にしたドル紙幣を見て、
「おおおお、オモチャのお金やんけ」
と思ったものだ。
この時、本当にオモチャのお金を渡されても分からないほど興奮していたのだ。

USドル。
日本人には馴染のない単位の紙幣や貨幣が存在し、若干使いにくかった。
つまり20ドル紙幣とクオーターコインが使いにくかった。
20ドル紙幣は日本の2000円札と同じであまり意味がないように思う。
暗算が苦手な米国人が多いにも関わらずクオーターコインもいかがかと思うのであった。
但し、クオーターコインのおかげで「クオーターは4分の1の意味」と分かるようになった。
英語の苦手な私に知っている単語がひとつ増えて得をしたような気がした。

なお、2000円札と同じようにクオーターを真似て25円硬貨なんか出すと、日本では暴動が起こるだろう。

次に利用したのがシンガポールドル。
1ドル70円という中途半端なレートの為に計算しにくく、おまけにまったく馴染のない通貨だったのでUSドルにも増してオモチャのお金の雰囲気が漂い、滞在中、終始飲んで酔っぱらっていたため、金銭感覚もなくなってしまい無駄遣いをしてしまった。
シンガポールの物価は高い。
でも、私は友人と飲み続けていたのだ。

未だにシンガポールドルを見るとタイガービールと場末のパブの奥の座席で酔っ払ってくだを巻いていたインド人のおっさんを思い出し、グウェッとなる。

最もビックリしたのはベトナムのドン。
初めてベトナムを訪れた時、サイゴンのタンソンニャット国際空港で当座の資金にと10000円を両替した。
すると窓口のオバチャンはおもむろに札束を取り出し、パラパラと数え、数束を鷲掴みにすると、私の前にドシンと置いたのであった。
まさに札束の山。
その額、1200000ドン。(20004年当時。ベトナムは急速な経済発展に伴うインフレの為、今ならたぶん200万ドン)
一挙に大金持ちになったような錯覚に陥った。

私は海外を歩く時はいつも日本円用のサイフと、滞在している国用のサイフを持ち歩いているのだが、この時、サイフは意味がなかった。
そんなちっぽけな入れ物にはとても入りきらないので、札束の収納先に困惑したのであった。

札束持って暫くボーッとしていたが、そのまま立ち尽くしていても仕方がないので他の人に見られないように壁の隅に行って、ごそごそとバックパックの奥に札束をしまい込んだ。
札束でバックパックが重くなったように感じ、
「おれってお金持ちや。面堂終太郎や。」
と私の左右に黒子はいなかったが、分けのわからない快感に浸っていたのであった。

この10000円両替のベトナムドンは滞在した5日間、もし土産物を買わなかったら余っていたかも知れないくらい価値があったのであった。
但し、こういう通貨には問題がないこともない。

有名なマジェスティックホテルの屋上にあるスカイブリーズバーでカクテル2杯とおつまみ1つを頼んで支払いをしようとした私は請求額を見て一瞬ビックリした。
なんと165000ドンと書かれているではないか。
瞬間、それが165000円に見えた為、東京新宿のぼったくりバーで友人二人がぼったくられた話しを思い出し(ビール2本で150000円ほど取られたという)一時的に血の気が引いた。
ところが冷静に考えてみると、これはドンなのであって、日本円になおすと1500円程度にしかならず、外国人が主な顧客であるこの高級バーにしては随分と安い金額であることに気がついたのであった。

ちなみにそれ以外は屋台や地元の皆さんご利用の安食堂で食べていたのだ。

このベトナムドンと同じような経験はミャンマーでも得ることができる。
但し、ミャンマーはベトナムとは比べ物にならないくらい経済基盤が脆弱で、政治も腐敗しているため自国通貨が通じず、支払いの際はタイバーツやUSドルの方が喜ばれるという、情けないところもある。
まったくもってお気の毒だ。

ということで、外貨両替はとっても楽しい旅の要素だ。

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外国へ行くとき、必ず通過するのが日本と訪れる側の国の入国審査場。

だいたいにおいて、旅程の中でここが一番私たち旅行者をイライラさせる場所なのではないだろうか。

日本を出国するときや日本に帰国するときは、スピーディに処理してもらえ、並ぶことはほとんどない。(平日の関西空港の場合)
並んだとしても10分ぐらい。
よく待っても30分ぐらいだ。(成田空港の場合。二度と使わんぞ、こんな空港)

このように日本の空港ではイライラをすることは通常の体調では考えられない。(下痢ピーの時は考えられる。)
しかし、外国の入国審査場となると特別の場合を除いて、す~~~~~~~っと通れたことは例外を除き一度もない。

今は国内線に特化してしまっているバンコクのドンムアン空港でのこと。
到着したヒコーキから降りた私は一目散に入国審査場に向かった。
バンコクの入国審査場は各国から到着してくる無数のヒコーキの乗客で大変混雑する。
関西空港とはえらい違いだ。
最も多いのは近隣諸国からの便で、ついでたぶん日本からの便になると思う。

従ってカウンターが多くてもいつも混雑しており、一度だけ「Thai Passport」と書かれているところに知らずに並んで円滑に入国できたとき以外は、だいたい待たされている。

このカウンター。
どういう人が前に並んでいるのかで待つ時間が大きく異なる。

列が日本人ばかりだと、かなり円滑だ。
東京や大阪のランチタイムを見ればわかるのだが日本人は列を作るのが旨い。
そして耐える。
秩序があるので(言い方を変えればメンドウはご免なので)スムーズに事が運ぶ。
これがタイ人になればさらに円滑に流れるみたいだ。

で、これとは反対なのが、中東風の顔つきのやインド風の顔つきの人たちが集団で並んでいる列に並んだときだ。
これは気が遠くなるほど時間がかかるのだ。
別に差別とうわけではないが、タイへの入国には中東やイスラム色(インドネシアやマレーシアの温和な回教の国ではない人たち)が濃いと、審査が慎重に行われるのかものすごく待たされるのだ。
一人単独で並んでいる場合は、そんなに時間がかからないがファミリーや出稼ぎ労働者風の人たちが並んでいると、たとえあなたが日本人であっても「Thai Passport」か「ASEAN」のカウンターに並んだほうがイライラせずに済む(あっちへ行け、とぞんざいに扱われる可能性はある)可能性が高い。

アメリカの入国審査はそんなに経験はないが、一昨年、シカゴに行ったときは乗客のほとんどが日本人で審査場に並んでいたのも大半が日本人であるにもかかわらず、結構待たされた。
カウンターが三つしかなかったのだ。
アメリカ政府にはオヘア空港のJAL到着ターミナルの入国審査カウンターにもっと人を雇用するよう要請したいところだ。
失業対策として。

で、最もスピーディだったのミャンマーのミンガラドン国際空港(ヤンゴン)での入国審査であった。
ミャンマーは短期観光でもビザがないと入国できない数少ない国のひとつだが、このとき、私はアライバルビザをお願いしていた。
アライバルビザは入国審査場のてまえにあるロビーの掘っ立て小屋(当時、今は日本のODAで建設されたメチャ綺麗なターミナルビルが完成している)で発行された。
驚いたのはそれからで、列に並ぼうとした私を入管係員のお姉さんが、
「もう、並ばなくていいからこっちから出てって」
と指示されたときで、このときは並びもしなければ審査官の質問も受けなかった。

後でよく見たらアライバルビザのスタンプにすでに入国スタンプが押されていたのであった。

ということで、海外旅行の入国審査場。
地球で一番忍耐力の必要なところだ。

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お盆休みが始まった。

例年のごとくテレビや新聞は、
「今日の成田空港や関西空港はお盆休みや夏休みを利用した海外出国組みで大変な混雑です」
と伝えている。

若干いつもと違うのは、酒井法子の逃避行(これも一種の旅行といえなくもない)が前面に伝えられているので、成田や関空のニュースが少しばかり小さくなっていることだろう。
相変わらずの内容のないニュースであふれている。

ご存知の通り、私も旅は大好きだ。
国内国外を問わず知らない場所、知っている場でも遠いところを訪れるのはものすごく魅力的だ。

そんなわけで、この十年間だけでも訪れた国は、結構ある。

タイ、ミャンマー、ベトナム、ラオス、シンガポール、台湾、米国と言った具合だ。
米国以外が近場なのは遠くに行く時間がないからなのと、遠くに行くお金がないことが複合して原因している。
米国は遠くてもいけたのは出張だったからだ。

ともかくこの中で一回しか訪れなかったのは台湾、ベトナムと米国だが、米国も約10年おきに3回行っていることを思えば初めてではない。

で、外国を訪れるといつも困るのが土地の言葉。
そこで話すことの出来ない外国語を何とかしようと安直に考え、購入してしまうのが「トラベル会話帳」の書籍類。
これさえ買えば短期の旅行中はなんとかなると考え、買ってみるのだが、結果は喜劇である。

試しに会話本を持って街に繰り出したとしよう。

まず、したい質問のページを捜すのが一苦労だ。
道を聞きたいのか、店の場所を聞きたいのか、キップを買いたいのか、腹が痛いのか、カテゴリーで分けられているものの、ターゲットの文を探すのは並大抵ではない。
知らない人を呼び止めてから質問するまで時間がかかると私のようなおっさんの場合は迷惑がられるのが関の山だ。

で、やっと見つけて話しかけようとすると、そこに書かれているのは読むことも出来ない文字(タイ語やミャンマー語など)と発音を示す「カタカナ文字」。
で読めない文字をスキップしてカタカナで書かれているように言ってみても、発音の微妙なところやイントネーションが異なるので、まず最初は通じない。
何度か繰り返しているうちに、こっちの表情が壮絶になるため、相手は次第に恐れをなして離れていくか、運がよければ気の毒がってトラベル本を覗き込もうとする。
覗き込まれたら、こっちのもの。
そこに書かれているこっちには読めない文字、でも向こうには親しみのある文字が初めて機能するのだ。

「あああ」
と言った具合に相手は速攻で理解。
大抵の場合、ニコッと笑って質問に答えてくれる。

で、ここで新たな問題が発生する。
質問が「イエス」「ノー」形式であればそう複雑なことはないのだが簡単、そうでない場合は、また新たな戦いが始まってしまう。

つまり親切に応えてくれている相手の回答が理解できないのだ。
端的に言って、何を言っているのか理解できない。

当然のことながら話すことも読むことも出来ない外国語。
聞き取ることなんかできるわけがない。

そこで、回答に相当するページを探すことになるのだが、これが一苦労になる。
またまた相手に凄い時間を取らせてしまい、こっちもまたまた苦渋に満ちた必死の形相に変化するのだ。

そんなわけで結局、トラベル会話本は以後使われなくなり「地球の歩き方」や「わがまま歩き」「ブルーバックス」などがメインになるのだ。
それでも心配だから、
「いざと言うとき使えるかも」
と考えてお荷物になるだけのトラベル会話帳をバックパックに詰め込んで歩くことになる。
本当にご苦労さんだ。

結局、海外旅行では下手にトラベル会話帳なんぞに頼らず、わからなければ日本語か知っている英単語をつないで大阪のおばちゃんのように大きな声でしゃべるほうが効果がある。
不思議なことだが、人間同士、わからない言葉でわめいていたら、なぜか意味が伝わるようなのだ。

タイ然り、
ミャンマー然り、
ベトナム然り、

台湾なんぞは英語と日本語で話していたら、
「すいません、日本語でお願いします。私、英語だめなんです」
と流暢な日本語で言われてびっくりしたくらいだった。

なお、会話帳で唯一役に立ちそうなのが「指さし会話帳」。

でもこれとて他のトラベル本と変わるところはほとんどない。
しかし他のと違うのは絵が豊富で漫画として楽しめるところに実用性があるといえるだろう。

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昨夜、大阪岸和田市で開かれた花火大会に行ってきた。
「岸和田港まつり花火大会」
というのが正式名称だそうで、雑踏の苦手な私は行くつもりがまったくなかったのだが、家族に引っ張られて蒸し暑い中を会場に向ったのであった。

私はてっきり花火はベイサイドモールカンカンというショッピングモール前の湾を使ってやるものだとばかり思っていたのだが、違っていた。
花火大会はベイサイドモールの遥か南西。
埋め立て工業地で行われ、カンカンは単に「そこから見える便利な場所」ということで人だかりできていたのだった。

なお、カンカンという名称は懐かしの上野のパンダさんの名前からではなく地場の祭「岸和田だんじり祭」に由来しているので、念のため。

花火を見て思い出すのが、
「ミャンマー連邦タウンジー市の気球祭」
「ヒロヤマガタの版画」
「隅田川の花火大会」
「PL教団の大花火芸術」
の4つ。

このうち最もポジティブに思い出深いのはミャンマーのそれである。
このタウンジーの気球祭は現地の秋祭りなのだが、祭当日は数十万人が集うというビッグイベントで、打ち上げ花火ではなく気球に仕掛けられた花火が「どどどどどどどどっどど~~~~ん!」と炸裂し、美しい花びらを咲かせる姿はやけに印象的なのであった。

すっかり姿を消してしまったヒロヤマガタの花火の版画。
大学を卒業したばかりのころ、神戸JR元町駅近くのギャラリーで100万円以上もするヒロヤマガタの版画を売りつけられそうになり、かろうじてその場から脱出することに成功した、という記憶でその絵を覚えているのだ。

で、隅田川の花火は東京名物ということで一度見てみたいものがあるのだが、今年も残念ながら見落としてしまった。
なぜなら、今年の隅田川の花火大会は昨日の岸和田と同じ日だからであった。
なお、本当に見たいという理由は、
「たまや~~~~」
と叫んでいるオッサンが本当にいるのかどうか見てみたいだけなのが本心だ。

最後にPLの花火芸術。
私の生まれ育った大阪南部では同教団の高校野球と共に名物である。
実際、見たことは1度しかなく、それも引っ越したばかりの我がマンションの屋上からであった。
以後も以前も、毎年大阪の夜空にとどろく巨大な爆音と、見に行った人の「エライ混雑やった。帰ってきたら朝やった」という愚痴のみを聴くに留まっているのだ。

ということで花火大会。

見れば面白いこともないが、できれば冷房の効いた涼しい場所で見てみたいところだ。

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なぜ京都鴨川の河原にたたずむカップルの距離は「等間隔なのか?」。

これは私が学生の頃から持ち続けている疑問なのだが、どういうわけか京都の四条大橋から三条大橋にかけての鴨川川岸では現在もなお、カップルが等間隔に並び、愛を語らっているのだ。(写真は先週土曜日撮影)
正直、川に突き落としてみたいという衝動に駆られるのは私だけではないだろう。

すっかり京都ではお馴染の景色といえるのかも知れないが、この種の話題がテレビやラジオで語られることは殆どない。
書籍もない。
世界的観光地でありながら「Lonely Planet」の「Kyoto版」にも書かれていない。

知られざる有名な光景だ。

ところで、ベトナのサイゴンを訪れた時も同様の光景を目撃したことがある。

マジェスティックホテルの向かい側。
夕刻サイゴン川に面した公園に散歩に出かけると、そこは数多くの恋人達のたまり場になっていたのであった。
そしてその恋人達もまた、京都鴨川の恋人達と同じように「等間隔」にサイゴン川に向って並んでいたのであった。
京都との違いはベトナムの恋人達は愛車であるホンダのカブを駐車してその上で愛を語らっていたことだった。

京都鴨川のイチャツキ重力均衡の法則。

世界中で通用しそうな法則である。



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ここ2年ほど、海外旅行に出かけようと航空券を購入したら、
「燃料チャージ申し受けます」
と航空券と同じぐらいの金額を徴収された。

ちなみに昨年の1月(ということはほとんど一昨年)に貯めたマイルで大阪から台湾の台北まで飛んだら、予約したときに、

「あの~~~、燃料費が別途18000円必要になりますが、よろしいでしょうか?」

とオペレータのお姉さんに請求されてしまったのだった。
ただ、遠慮しいしい言われたのがせめてもの救いだった。

ミャンマーへ行くとサーチャージが5万円近くもかかってしまうし、その燃料サーチャージもジリジリと上昇して、ついには海外に行く気が失せてしまう非常事態に発展した。

さて、その燃料高騰も今は昔。

原油価格がついに最高値時の3分の1に下落した。
最高値の頃に先物買いした人たちは、今ごろどこでなにをしているのやら。
1バレル40ドル台ということで、ガソリン価格も値上がり前に復旧した。

航空燃料もきっと同じなことだろか。

今現在も航空会社は厚かましく「燃料サーチャージ」を取り続けているが、まもなく終了するのは間違いない。

「えーっと、燃料の値上がりは収まりましたが人件費その他が上昇しています」

なんて言って、航空運賃が上げることができたら良いんだけどな、なんて経営陣は考えていたりして。

なお、燃料チャージを別途お客様からふんだくるのはエアラインだけではなく、船もそうであるらしい。
そういう意味では鉄道、バスは、偉い!


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