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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



この一週間、交通網の安全に関わる大きなニュースが二件続いた。

ひとつはANA機への管制ミスで、もうひとつはJR西日本の速度超過。
どちらもひとつ間違えれば重大な事故につながった大きなミスだが、どちらも最新鋭の自動装置が働いて危機を回避。
乗客は誰もケガはしなかったし、気づきもしなかった。

鉄道や航空機、バスなどを利用するにはどうしてもリスクが付きまとう。
普段はほとんど意識することはないが、この世に完璧なものがない限り移動中に事故に遭遇してしまう可能性はゼロではない。

それでも、航空機や鉄道は事故が殆ど無い一方、一度事故が発生してしまうと被害が大きく悲惨なだけにとりわけ神経質になるのも頷けるというものだ。

今回のANA機への管制ミスは管制官の単純ミスであった。
JRのほうは運転手の考え事に端を発する単純ミスであった。
ところが、飛行機は当時視界ゼロで管制官の誘導のみが頼りの中、地上までの高度がわずか500メートルになったというのだから、尋常ではない。
500メートルというと東京スカイツリーよりも低い高度だ。
一方JRは制限時速60kmのところを時速67kmで走っていたというので、大した速度超過ではないだろうが、場所があの福知山線脱線事故のまさにその場所だったために大騒ぎになった。

ところで、新聞報道では、どちらも危機的状況の内容だけを伝え、一方的に読者の不安を煽るような記事ばかりを流しているが、それでいいのだろうか。
どちらの事件も自動装置が作動して事故を回避。
自動制御技術の信頼性を取り上げる新聞記事は皆無で、ただただ「危ない危ない」を繰り返すばかり。
自動制御技術はどこまでが安心で、どこからが不安なのか、記述している新聞も皆無だ。

「高度差〇〇◯メートルで、こういうケースは危険です」
とか、
「ATCは急に速度制限をかけるのではなく、段階的に制御するから安全ですよ」
とか、何か具体的で科学的に伝えてられないものか。

新聞報道は感情ではなく、論理と知性で記事を書いていただきたいものだ。


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「日本なんか滅ぼしてしまえ」
とデモ行進をしている大学生が先週、テレビのインタビューで応えていた。

日本の歴史教育が自虐的で偏っているというのは一頃大きな問題になっていた。
思想的に左巻きの先生方が執筆した教科書は大いに問題があった。
教科書会社は教科書専門の出版社が多いので、大手出版の扶桑社の教科書を採用するしないでも各地の教育委員会は大騒動した。
商売と偏った思想が歴史教科書をボロボロにしていた。
ちなみに、私は「うちの学校には日教組に加盟するような先生はいません!」と言うような人が担任をしていたような府立の高校に通っていたので、歴史の授業も司馬遼歴史観に近いものがあり、結構まともだった。
で、うちの学校を除く日本の教育の偏向度合いなど足もとに及ばないのが中国の偏向教育。

なんといってもここは中国共産党一辺倒の国だから、それ以外はすべて「悪」。
ジョージ・オーウェルの「1984年」も真っ蒼な世界が展開されているのだ。

何千万人も自国民を殺した毛沢東は英雄。
毛沢東の一方的な独裁に反抗した林彪などは悪者。
天安門で何千人もの若者を戦車で轢くよう指示した鄧小平は経済の英雄。
思想で若者たちを指示した胡耀邦は悪者。

そんな国だから、第二次世界大戦中の敵国である日本の扱いは最も劣悪で、小学生の頃から小日本(これって大日本帝国の反対語なのか?)と呼ばせたり日本鬼子などと授業で教育している。
例えば、日本軍が行ったという残虐非道は嘘で固められた南京大虐殺をはじめ、チャン・イーモー監督の「紅いコーリャン」にも出てきた「生きた人間の皮剥ぎ」とか「子供を投げて銃剣で突き刺した」なんてものも教えているのだ。

そんな嘘八百を国が教えいてるのだから子どもが信じるのも無理はない。

南京大虐殺はさまざまな論があるものの、それを否定する証拠は数あれど、肯定する証拠は戦後報道以外殆ど無いという有様。
人間の皮剥ぎにしても、動物の皮剥ぎさえ知らない日本人ができるわけ無いし、子供を投げて剣で刺すというのは、戦争で悪評を突き出すための世界共通のデマ表現。

第一、第二次大戦中に日本が戦っていたのは後に中国を追い出されて台湾を侵略した中華民国国民党政権。
共産党は無数にあった軍閥の一つでしかなかった。

そのワケの分からない教育を施された中国人の若者が、「日本を滅ぼせ」と叫んでいる。

憲法九条なんてなんの役にも立たない時代がすぐそこに来ているのが、恐ろしい。

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何を基準でリーダーを選んでいるのかさっぱりわからない。
人気投票でもないだろうし、多数決でもないだろう。
かといって、選定理由を公表するわけではないし、その会議を公開するわけでもない。

どこのことを言っているのか?
というと、もちろん中国のことだ。

一般的に、民主国家というのは国の重要な法案を決める時や人選がなされる場合は、その議事進行は国民に公開されて行われる。
したがって「人民」は国の運営を知る権利はあるし、希望すれば参加することも自由である。
人民とはまさに人の集まり。
国民全員が人民だ。

例えば日本では国会はNHKで放送され、それは小学校の学級会以下の存在であることを人民たる国民は学ぶことが出来る。

ところが中国の場合は、密室で行われる。
人民代表会議というものも組織っされているが、その「代表」がどんな手段で選ばれているのか。
まったくもって不透明。
選定基準が公開されることは、まずない。

で、その法案の決定プロセスや、人選プロセスが公開されることもないわけで、すべて共産党という「同じ意見」「同じ思考」「同じ利害関係」の人々によってのみ決定されるのだ。

こういう国で育った国民にまともに考える知識があるわけがない。

都市計画も住民無視で勝手にすすめ、仕事が終わって帰ってみたら政府の力で更地になってた。
なんてことが平気で起こるお国柄。
他国の土地なのか、自分の土地なのか分からなくなるのも無理はない。

この国でいま、次のリーダーは誰かということが論じられている。
論じているのはもちろん外国。
なんといっても政治の決定要素が国民投票でも、政党のパワーバランスでもないので分かりにくい。

法律はあっても権力者の考えかたの方が力が強いので、たった一人の言葉でなんとでも激変する。

人民大会議。
毛沢東の時代から常にそうだが中国に於ては「人民」の意味が他の国とはちょっと違う。
基準不明の権力者の思いつきで選ばれた、コネ持ち代表者の集まりのことをいう。

従って、議会が小学校の学級会以下であることも国民は知ることができないのだ。

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