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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



エリザベス・モンゴメリー主演のテレビシリーズ「奥様は魔女」を見ていた幼い私はてっきりスタジオに客を集めてきて観劇させながら収録している一種の舞台劇だと思っていた。
しかし舞台劇にしては魔法のトリックが頻繁に登場するので「変だな」とも思っていた。
結局、アメリカのコメディ番組は、ドラマの上に客の笑い声や拍手などのテープの音を被せて、視聴者の笑いを誘導する手法が主流であることに気がついた。
今も多くのコメディ番組はこの手法を使っていて、それでいて不自然さがないのはなんだろうか?

この笑い声を日本語吹き替え版で省いて放送していたコメディが「ハッピーデイズ」というシリーズで、今は映画監督として活躍しているロン・ハワードが主演していた。
このシリーズは青春コメディとしての完成度が高く、笑い声のなかったのは「日本では笑いを入れずとも受けるだろう」と考えた結果ではないかと想像している。
「奥様は魔女」もホームコメディとしての完成度は極めて高い番組だったと記憶している。
というのも毎回のストーリーのアイデアが秀逸で、笑い声がなくても十分に楽しめたのじゃないかと思えるからだ。
ま、その独特の笑いに「憧れのアメリカ」を感じるような時代であったことも間違いないが。

このホームコメディの傑作が女性監督ノーラ・エフロンの手にかかると、どういうわけかラブ・コメディに変質してしまった、というのが先週公開の映画版「奥様は魔女」である。
主演はニコール・キッドマンとウィル・フェレル。そして脇をシャーリー・マクレーンとマイケル・ケインのベテラン二人が固めている。
ワイルダー作品の若いマクレーン大好きの私なので、今回年老いたマクレーンを見たとき、どこのババアかとショックもあったがなかなかお洒落な映画であった。
でもノーラ・エフロンのラブコメも「恋人たちの予感」「めぐり逢えたら」「ユーガットメール」と少々食傷気味で、なおかつ今回はネタが尽きたのか、テンポもアイデアも今一つ乗りの悪い映画だった。

音楽も作曲家が同じなので「ユーガット・メール」そっくりで、映像つくりもいつもと一緒。
ニコール・キッドマンはいささかキツイ系の美人で、サマンサのイメージとはかなりかけ離れていたのにも違和感がある。
ウィル・フェレルは日本ではあまり馴染のない喜劇役者で、演技が今一つ日本人の琴線に触れてこない。
SNL出身のコメディアンは初期のベルーシやチェイス、エイクロイドたちは日本でも受け入れられたが、最近の傾向としてマイヤーズでさえオースティン・パワーズ以外の映画は日本では鳴かず飛ばずの状態なのだ。
エフロン監督も「奥様は魔女」をいつもと同じ雰囲気の映画に仕上げるのであれば、なぜ「いつもの」メグ・ライアンとトム・ハンクスを起用しなかったのか。やはり出演料で実現せずか?

ともかくテレビシリーズの映画化作品は「アンタッチャブル」と「スパイダーマン」以外面白いものに出会ったことがない。
「じゃじゃ馬億万長者」に「フリントストーン」
コメディほど悲惨な結果が待っている。
「奥様は魔女」はそれほどではないが、ま、ノーラ・エフロンも遊びで監督したのかもしれない、と思ったら納得できないこともない。

~「奥様は魔女 (原題:Bewitched)」2005年コロンビア映画提供 Sony Pictures Entertainments配給~

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「今日は事務所の中、静かですね」
「所長がおれへんからや」
「どこか、行ったんですか?」
「大きな声では言われへんけど、役所の人とゴルフや」
「へ~」

大阪阿倍野区のとある再開発地区の巨大な現場事務所。
大学を卒業したものの、真当な社会人にならなかった私はアルバイトの身分でこの建築現場で働いていた。
建築現場といっても肉体労働ではなく、竣工検査に備えた建築事務所や市の建築指導課に提出する資料作成の仕事をやっていたのだ。
たまたまこの日、現場の所長の姿が建築JV、設備JVともに見られないので雇い主の上司に訊いたら上記の返答。
設計会社(誰でも知ってる大手)と建築会社(これも誰もが知っている大手)と設備会社(これも業界通なら誰でも知っている有名企業)の偉いさんが、大阪市の営繕や建築指導課、などのたぶん偉いさんを招待してゴルフコンペに行ってたのだ。
費用はもちろん建築JV,設備JVの全額負担。
役所の役人が払うわけなし。
考えてみれば1985年のこのとき、すでに大阪市役所は腐っていたというわけだ。

高杉良の小説「ザ・・ゼネコン」では、このような業者と役所の癒着の現場は詳しく書れていないが、中堅どころのゼネコンの、ドロドロとした内部が分かりやすく描かれている。
なかなかスリリングな物語だ。
メインバンクから出向を命じられて社長秘書として勤務する30代の山本という社員が主人公。
この山本が、なかなか骨のある人物で、上司にびしばし意見を述べる本当の社会ではなかなか出世のできないような男なのだ。
この勇ましい若者の目を通して、ゼネコンの談合体質、経営者一族の骨肉の争い、政治家との癒着などを見てゆくことができる。
さらに、この物語はフィクションとは言いながら限りなく現実の名前に似させた大手のゼネコンや有名建築家、政治家が登場するので、読む者のイマジネーションを膨らませてくれる。これがまたたまらなく面白い。
これほどまでい白々しい偽名を使われた本人たちが出版指し止めや名誉棄損で訴えなかったものだと感心する。それほどこの物語はリアリティに富んでいて、矛盾を感じさせない力作なのだ。

本書が単行本で刊行されたのは2年前。文庫本は今年発刊されたばかりだ。
ドラマはバブル前期の元気な時代を舞台に描いているが、やがて訪れる底なしの不況の時代を読者は経験しているだけに、それを意識して書かれた本書は、実に意味深な要素を含有している。

ともかく建築業界で働くビジネスマンも、この世界を目指す若者も、読んで損のない業界小説であることは間違いない。

~「小説 ザ・ゼネコン」高杉良著 角川文庫~

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第三セクターの新鉄道会社「つくばエキスプレス」が開通した。
めでたしめでたし。
関東、とりわけ茨城県つくば市に家や勤務地を抱える人たちにはめでたいことだろう。
これまで東京に出るには常磐線とバスを乗り継いで一時間半もかかっていたのが、わずか45分。喜ばないはずはない。

つくばエキスプレスは東京の秋葉原からつくば市までの58キロメートルを結ぶ鉄道で、運行システムは最新型。
運転手はボタンを押すだけで、列車が勝手に走り出す「遊園地のアトラクション」方式だ。
コンピュータのプログラムに則って走るので、カーブのスピードの出しすぎで脱線してマンションに突っ込む恐れもない安全性を備えている。
車内には無線LANの設備が装備されており、乗客は手持ちのパソコンや携帯端末からインターネットへの接続ができるという、ペースメーカーを埋め込んでいる人は乗車しないほうがいいという最新型でもある。
さすがに最先端の研究施設があるつくば市とオタクのメッカ秋葉原を結ぶ都市交通だと、感心しきりである。

このように首都圏では出来の善し悪しは別にして、次々に新しいインフラが整備され経済発展、首都圏への一極集中に役立っている。

翻ってわが街大阪を中心とする関西圏はいったいどうした?
不況の谷底は脱したものの、気温はバンコクより暑いのに、景気は未だにあちこち寒風が吹いている。
先日、大手商社系の得意先の流通センターを訪問した。
場所は大阪の船場である。
しかし船場といっても、いわゆる島之内(大阪市のビジネスの中心地)ではなくて、箕面市船場なのだ。
35年前に万博が開催された千里丘陵の一角になるこのビジネス団地は「船場」の地名の通り、繊維系の会社がオフィスと倉庫を構えている。
大きなビジネス街なのだが、いかにせん便利が悪い。
一番近い鉄道の駅が北大阪急行鉄道(地下鉄御堂筋線の一部)の千里中央駅。
このビジネス街へ行くためには、ここから阪急バスに乗って10分ほど走らなければならないのだ。
「すっかり寂れちゃって。せめて鉄道が通ってくれれば」
というのが得意先の所長の話。
なんでも北大阪急行の延伸を嘆願しているのだが、たった3キロほどを延伸するのを渋っているのだという。

大阪府知事の太田のババアは相撲の土俵登りたがりとエセ阪神ファンで有名だが、中央省庁出身のために大阪の地理と経済と気質をご存知ないようだ。
それとも首都圏では58キロの鉄道をつくる精力はばっちりあるが、関西ではたった数キロ延伸することもできないくらい精力がないと言うことか。
つくばエキスプレスの完成したばかりの綺麗な秋葉原駅を見たあと、大阪の繊維の街がパチンコ大型店に侵食されている光景を目撃すると、太田のババアは首都圏から大阪に放たれた刺客なのかも知れないと想像するのは私だけだろうか。

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民主党という、いわば船底に穴が空いて沈没して行く日本社会党という船から逃げ出したネズミ議員と、既存の利権が使えなくなってしまった自由民主党のはみ出し議員が一致団結して誕生させた「ごった煮政党」が、最初の選挙で編み出した言葉が「マニフェスト」だった。
「公約」だとか「政権公約」といった日本語がきっちりあるにも関わらず、わざわざ外来語のカタカナ文字を使ったところが、落ちこぼれの落ちこぼれたるゆえんだろう。
しかもこの時点で「マニフェスト」なんて言葉を聞いたことのある人はほとんどおらず、外来語とはいえ、ほとんど新語、造語の世界。
意味をぼかせるにはピッタリだった。
なんせもともと公約も信念も何にもない御仁たちだったので「政権公約」なんてはっきり宣言することに躊躇いがあったことは間違いない。
なんといっても当時の党首は菅直人。
厚生大臣時代に薬害エイズ問題を暴露させ、やり手の大臣として注目されて人気を集めることに成功したが、その後は北朝鮮のスパイを釈放させる署名をしたり、国民年金未納問題を起こしたり、その脳みそにはエイズにも勝るとも劣らないなにがしらのビョーキが潜んでいるとしか考えられないお人なのだ。
その脳みそビョーキの菅直人が言い出しっぺの「マニフェスト」。

カタカナを使って意味をぼかしたり、イメージを変える手法は珍しくない。
たとえば乞食、浮浪者をホームレスなどと呼んで弱者に仕立て、子供が遊び市民が憩う公園や植込、遊歩道に勝手に住みついて、施設に入れようと強制撤去しようとすると「社会的弱者を差別するな! 人権侵害!」と、当人はもとより支援者と名乗る市民団体が声高に叫ぶのだ。
日本国憲法27条に謳われた勤労の義務は無視するが、こういう輩に限って憲法9条にはやたらと煩いのが特徴だ。
「何処も」をカタカナに変えるとなにやらお洒落な社名になり、問題解決をビジネスソリューションなどとカタカナに変えると立派な金もうけのキャッチになる。
銭貸しをキャッシングと呼んではぐらかし、地域スタッフと喚んでは受信料の集金人を募集する。

直接日本語で言ったら意味がズバリ過ぎて怖いから、すぐにカタカナを探してきて本質を煙にかくして化粧するのだ。

このマニフェスト。前回の選挙あたりから自民党も真似て使い始めた。
郵政民営化以外に小泉純一郎のオリジナリティが喪失されたのも頷ける。
今回の総選挙に到ってはマニフェストが合言葉。猫も杓子も自民も民主も共産も公明も、テレビもラジオも新聞もマニフェスト。
私はマニフェストとは嘘つきの専門用語かとふと思った。

そこでマニフェストのホントの意味はと調べたら、「公約」「政権公約」「イギリス議会から発表される政策綱領」と書いてあった。
しかも意味はもう一つあり「共産党宣言」と書いてある。

どうりでマニフェストでは人々が幸福にならないわけだ。
(情報おおきに船長さん。やっとYahooで検索ワード「売国」を入力してみると、某政党がトップに出てくるわけがわかりました)

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新幹線に乗ってしまうと、ついつい車内販売から色々なものを買ってしまう。
仕事の終ったあとの大阪へ向かう新幹線ならば、ビールはもちろん、おつまみまで迂闊にも買ってしまうことがあるのだ。

母に確認したところによると、この車内販売から「何か買いたい!」という衝動は大人になって始まったものではなく、子供の頃から存在した、私の欲求のようだ。

子供の頃はよく農作業の手伝いや、親戚の法事の手伝いなので父の故郷である岡山に行く機会が多かった。
私の父はそのころ安月給の勤め人であったために、特急に乗ることができず、急行の「鷲羽号」という国鉄の列車で岡山へ行くことが多く、当然のことながら停車駅が多かった。
とりわけ姫路駅の「蕎麦」は私にとって必須であったようで、列車の窓まで売り気に来た蕎麦売りの風景をおぼろげながら覚えている。

そういうことで、駅の売り子は見かけなくなったが、オッサンになった今でも車内販売は気になる存在だ。

東京への出張は飛行機を利用することが多いが、新幹線も利用している。
新幹線を利用して大阪へ帰るときは、いつもビール1缶とおつまみを買い、新幹線に乗り込む。
列車に乗り込むタイミングが悪いと、東京駅を出発する時には、すでに飲み干している場合があり、注意を要する。
しかしたとえ注意をしていても、新横浜ぐらいで飲み干してしまうので、新しいのを一本買わなければならないのだ。(って、別に義務ではありませけど.......)
必然的に利用するのが車内販売だ。

ほろ酔い加減で名古屋に停車。
あと45分ほどで京都大阪という分けだが、いつも私はここでアイスクリームを買うことを恒例としている。
この私の習性を知っているのか、名古屋を出発すると必ずアイスクリームを売り子が売ってくるのだ。
しかも、不思議なことに私がアイスクリームを買うと、周囲の同じようなサラリーマンのオッサンたちも売り子を呼び止めアイスクリームを買うのだ。
Jライナーは私に宣伝費を払うべきだろう。
ということで、1個260円のスジャータのバニラアイスクリームを食べることになるのだ。

昨日、久しぶりに新幹線で東京から新大阪まで乗車した。
乗車したのぞみ号の販売員がどういうことか、とても消極的な女の子で、ワゴンを押してきても乗客樽私がほとんど気がつかないくらい、存在感を消して通路を通過して行くのだ。
このためビールの追加注文は、できなかった。
名古屋出発後のアイスクリームも危うく食いっぱぐれるところであった。
アイスクリームを購入できたのは列車が宇治川にかかる瀬田の鉄橋を通過しているところであった。
東海道新幹線に詳しい人ならわかるだろうが、瀬田の鉄橋から京都駅まで5分ぐらいだ。

食堂車が無くなり、売店がない。
そして陰気で消極的な車内販売では、私のような車内販売マニアは困るのだ。
そこまで合理化するのであれば、是非、各車両に自動販売機を儲けていただきたいものである。
もっとも、そこまで風流が無くなれば、わたしゃ新幹線には乗らなくなりますが......。

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新聞の経済面の片隅で「48時間限定のDVD」が発売されるという豆記事を発見した。
発売元は大手出版中継ぎ会社の日販だ。
なんでもDVDのパッケージを開封して、ディスクを空気に曝すと、その瞬間から約48時間でディスクの記録面を被っている特殊な成分が反応して、プレーヤーで信号を読み取れなくするという仕組みらしい。

しかし、果たしてこんな商品を買おうとするような消費者がいるのだろうか。
はなはだ疑問だ。
販売予定単価は1枚600円で初版は「アビエーター」などの比較的新しい話題作を提供するのだという。そして見終わって期限の過ぎたDVDは購入者が発売元に返送し、再生材として転用する予定とのこと。

トム・クルーズがリメイクした1960年代の名作テレビシリーズ「スパイ大作戦」オリジナルシリーズでの冒頭シーン。
「おはようフェルプス君。」で始まる秘密組織のリーダーが受けとる指令が話題を呼んだ。
「........なお、君、若しくは君の部下が万が一死亡しても当局は一切関知しないから、そのつもりで。なお、このテープは自動的に消滅する。」
というのが、いつもの指令の締めくくりの言葉だ。
すると指令が録音された今となっては古くさいテープレコーダーの下から「ボッ」と煙が出てきてテープがフニャフニャとなっていく仕掛けになっていたのだ。

ま、賞味期限付きDVDはこういう用途には使えるかも知れないが、私は映画やライヴビデオを見るためにわざわざ買いたいとは思わない。

こんな中途半端なシステムはオンデマンド・ビデオのサービスが普及すると、あっという間に消滅してしまうこと間違いない。
いや中途半端なシステムが普及すること自体がないだろう。

ふと、登場してはあっという間に消え去ったポケットベルを思い出してしまった。

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「時に農林大臣、桑名のシジミはどうなった?」
昭和34年、伊勢湾台風の被害状況の視察を終えて上奏するために皇居へ参内した福田赳夫農林大臣(当時)に昭和天皇はこうご質問をされた。
「桑名といえば蛤ではないか」と思った福田赳夫であったが、「シジミのことは、追ってご報告いたします」と答えた。
帰ってから調べてみると、蛤の産地とばかり思い込んでいた三重県桑名では蛤がまったく獲れず、蛤の産地は松島であることがわかった。そして桑名はシジミの一大産地だったのである。

昭和天皇が崩御されてから17年の歳月が流れた。
この間、陛下の人となりを紹介した書籍が数多く出版されてきたが、本書もその一冊である。
本書はその中でも、陛下が側近や時の閣僚たちにお話になった、とりわけ鍵となるお言葉と、それにかかわる人々の証言を集めた証言集である。
ほとんどが戦後のお言葉で占められているのであるが、天皇と政治の関わり方の微妙なニュアンスを表現している、内容は濃いが、軽い気持ちで読むことのできる一冊である。

シジミの一件は、本書の前半で紹介されているお言葉のなかでもとりわけ印象に残ったエピソードだった。
福田農林大臣は陛下にちょっとからかわれたわけではあるが、これは一般の人が普通知らないことでも昭和天皇は国のことを良くご存じで、国民の生活およびその保護と向上に極めて高い関心を示されていた証の一つだと思った。
私たちがテレビや新聞を通して接していた昭和天皇のお姿は、実際のそれとかなりかけ離れていたものであったことが窺える。
「あ、そう」「うん、そう」
などに見られた簡潔過ぎるほどの相槌の言葉は、相手に対する心遣いの表れであった。
もし普通の人のように好悪の別をはっきりとされたり、政策上の注文になるような言葉をお話しになると、その社会的、政治的影響の途方もない大きさになる。これらはその影響を熟慮された上での、工夫に工夫をかさねられた陛下独特の話し方だったのだと思えるのだ。
その証拠に、陛下はキッパリとものを述べられる方であったことが紹介されていた。それは元共産党委員長の田中正弦が拝謁を賜ったときのお言葉である。
この時、田中は大胆にも陛下に対し「昭和16年12月8日の開戦には、陛下は反対でいらした。どうしてあれをお止めにならなかったのですか」と問うた。
これに対し、陛下は、
「私は立憲君主であって、専制君主ではない。臣下が決議したことを拒むことはできない。(明治)憲法の規定もそうだ。」とおっしゃった。
実に英明な方であったのだった。

現在の日本の繁栄は昭和天皇と国民が敗戦の瓦礫のなかから手を携えて作り上げてきたものだと言われることが少なくない。
昭和天皇が崩御したとき、テレビで街頭インタビューを受けた一人の女子高生は「自分のおじいちゃんが死んだみたいに悲しいです」と語っていた。
この一言こそ、天皇と国民の関係を位置づけていた言葉だろう。
昭和天皇の危篤の報が流れ出したころ、世の中はバブルに浮かれ、平成の世になり、やがてはじけた。
まるで今の日本人は、眼光鋭かった一家の父親が病気になって寝込み、やがて亡くなると、自分の意のままだと思い込み財産を使い果たして破産する放蕩息子に似ていないだろうか。

本書を読んで、一個の「人間」としての天皇像が浮かび上がって来るとともに、皇室と国民の本当のありかたを改めて考えさせられたのであった。
そして、本書から先の大戦の終戦の聖断を下された時、陛下はまだ44歳であられたことを初めて知った。
現皇太子殿下は45歳。
これから30年先、40年先、私たちはどういう国を建設していくことができるのだろうか。
しっかりと熟慮していかなければならないと思ったのだった。

~「陛下の御質問 昭和天皇と戦後政治」岩見隆夫著 文春文庫~

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私のよく行くCDショップ「新星堂なんばCity店」には懐かしのポップスのコーナーがある。
懐かしの歌謡曲ではなくポップスなのだ。
つまり北島三郎や田端義男、ぴんから兄弟などというベタな演歌ではなく、アリス、ツイスト、かぐや姫、グレープ、吉田拓郎などのニューミュージック系の今風に言えばアーティスト達や、山口百恵や岩崎宏美、桜田淳子といった読売テレビ「スター誕生!」でデビューしたような女性歌手のLPやEPを復刻させたCDが売られているのだ。

ここ1、2年、このコーナーにいわゆるアイドル歌手の復刻CDが並ぶようになった。
それも男性アイドルよりも女性アイドルのCDの方が数多く並んでいるのだ。
その理由は次のようなものだろうと推測している。
かつて男性アイドルの追っかけであった中年のオバハンは、今ではタダのオッサンになってしまったかつての心の恋人のことなど、もうどうでも良くなってしまっており、現在はレオ様だとかヨン様だとか外見が良いだけの日本語もしゃべれないような外国人の男を追っかけている。
これに対して、中年のオッサンは、若い女の子はもちろんのこと家庭でも友人間でも妻や恋人からぞんざいに扱われている上に「あややって可愛いね」などと口が滑ったりすると「うわー、オヤジ、気色わる~」などと言われてしまうので、必然過去の女性アイドルに逃避することになる。
だからCDショップには昔の女性アイドルのCDが並ぶことになるのだ。と、思っていた。

一般にアイドルという存在は1990年代半ばのコギャルの出現とともに消滅したと言われている。
私に言わせると、酒井法子あたりが最後の正統アイドルではないかと思っているのだが、その酒井法子でさえ、今やNHKの朝ドラで高校生の娘を持つ母親役をやっているのだから時代は流れたと言わなくてならない。

そもそも女性アイドルというのは「カワイコちゃん」というのが相場だった。
つまり歌や演技などはどうでも良く、可愛ければそれでいいというような風潮があったことは確かである。
だから今人気のAikoや小柳ゆきやミーシャなどは、いくら歌で頑張っても1970~90年代ではアイドルになれなかっただろうというわけだ。
かつてのアイドルの代表的なものが天地真理から浅田美代子に連なるドラマ出身のアイドル達であったように記憶する。
この「音痴の殿堂」はコメットさんの大場久美子に引き継がれ、一時期消えたかに思われたが、やがて歌を本業とするアイドル歌手に引き継がれ1980年代に復活する。
森尾由美、北原佐和子、能勢慶子、オニャン子クラブの幾人かに伝承されることになるのだ。

先日、その下手クソな歌のいくつかを聴く機会を得ることができた。
改めてその特徴溢れるユーモアな歌を聴いてみると、どうしてこれらのCDが相次いで発売されているのか、その理由がおぼろげながら分ってきた。
つまり、この下手クソ加減が、素人っぽくて妙に癒しの空間を与えてくれるからだと感じたのだ。
要するにアーティストと呼ばれる現在の人気歌手たちの「カラオケで鍛えた歌唱力」よりも、モーニング娘。のような玄人っぽい「キャバクラ嬢風のアイドル」よりも、歌は下手でも姿は虚実でも「カワイコちゃん」の舌足らずの歌の方が、ストレス社会の現代人を癒してくれる、というわけだ。
それがCDによる懐かしの女性アイドル復活の理由なのだと確信したのだった。

なお、このようなコラムを書いた私がアイドル・オタクであるなどと思わんように。
あくまでも文化論です。
ハイ。

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同じ映画を映画館で何度も繰り返して見るということが最近はすっかり少なくなった。
この原因にはまず、映画のチケットが高くなったことが挙げられる。
とりわけ社会人になってからの約20年というものは学生料金で見ることができないのが痛い。
「私、中学生ですけど」
と言っても誰も信じてくれないのだ。
次の原因となっているのはビデオ、DVDの普及だ。
とりわけDVDの普及は映画の繰り返し観賞に対する情熱を失わせるのに十分な力を持っている。
画像は美しく、音声もドルビーデジタルだとかTHXだとか、まるで映画館並だ。映画館と違うのは画面が小さいのと、音量を映画館並に上げると近所のオバハンが「じゃっかしワイ!(大阪人の中で社会的地位の低い人の使う言葉で「うるさいですよ」の意)」と怒鳴り込みに来る危険性が潜んでいるということだ。
畢竟、「あの映画は面白いが、もう一度見ると1800円かかってしまう。でも、3ヶ月も待てばDVDが発売されるのでTSUTAYAでレンタルするとせいぜい470円で見ることができるじゃないか」
となってしまうので、再び同じ映画のために劇場に足を運ばなくなってしまうのだ。

ところが先日久しぶりに同じ映画を再び見に行ってしまった。
笑う事なかれ「スターウォーズ・エピソード3」を無性に見たくなってまた劇場に行ってきたのだ。
どういうわけか冒頭の長回し(カットをせずカメラを回し続けること)の戦闘シーンが忘れられず、「もう一度、映画館の大画面で....見たい!」となってしまったのだった。
結果的に初めて見たとき以上に楽しんでいる自分に気がついて愕然としたのであるが、このように麻薬のような常習性のある映画は、金がかかってホント恐ろしいものなのだ。

ここ最近の数年で繰り返し映画館で見た映画といえば「ギャラクシークエスト」がある。これは3回見た。
大阪梅田のテアトル梅田で2回。どや街の新今宮にある動物園前シネフェスタで1回。
なぜそんなに足を運んだのか、と訊かれると返答に窮するが、これはエイリアンとの戦闘の最中に主人公のファンの少年がゴミを捨てに行くというマヌケなシーンが見たいだけで映画館に通ったような気がする。

ところでビデオもDVDもなかった時代(1980年前後)、高校生だった私は名画座に足しげく通ったものだ。
一番通ったのは梅田にあった大毎地下劇場、大毎名画座、そして道頓堀にあった戎橋劇場だ。
ここで繰り返し見た映画は「スティング」「明日に向かって撃て!」「天国から来たチャンピオン」「ファールプレイ」「俺たちに明日はない」などだ。
いずれもその時点でちょっと古い映画だったが、ビデオで見ることができない時代なので劇場に繰り返し出かけることになったのだ。
スティングではニューマン&レッドフォード等名優の演技と物語のアイデアと音楽(ラグタイム)に魅了され、明日に向かって撃てでは自転車のシーンだけを見るために出かけ、天国から来たチャンピオンでは神秘的なドラマに魅了され、ファールプレイではアホなギャグとゴールディーホーンのチャーミングさに魅了されたものだ。
いずれも5回以上観賞し、ついにはカットや音楽のタイミング、セリフも覚え英語が分らないにも関わらず字幕を読むことが不要になったのは言うまでもない。

しかし、映画リピートマニアの私の真骨頂は高校一年の夏休みに発揮された。
その映画とはやはり「スターウォーズ」だった。
アメリカに遅れること一年目に公開されたスターウォーズを見た私は、終盤の戦闘シーンの2秒にも満たない1カットを見るために、1週間に約2回、梅田にあったシネラマOS劇場へ通ったのであった。
見た回数は、初めての海外旅行であったロサンゼルスで見た1回を含め合計14回。
家族が呆れていたのは言うまでもない。

最近、このような中毒に陥るような映画は無くなってしまっていたが、久しぶりに中毒症状を示したら、やっぱり「スターウォーズ」であった。(但しエピソード3)
幾つになっても成長しない自分に気がついてドキッとしたのであるが、なんとなくライトセーバーを構えたヨーダの渋い表情が忘れられないので、またまた劇場に足を運んでしまいそうだ。

ちなみに、私の大好きだった「スターウォーズ」のXウィング戦闘機が上昇するだけの1カットは、数年前に公開されたCGシーンを加えた特別編ではカットされていた。
なんとなく寂しい。

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先の大戦が始まろうとしていたちょうどその頃、我が国は初めて国費でアジアからの留学生を受け入れた。
それは多分に国策の意味合いが強かったとはいえ、タイを除き当時はどの国も列強の植民地であったことを考えると、幻の「大東亜共栄圏」を目指した政策であったことが窺える。
本書はその南方特別留学生の中でもインドネシアからやってきた人たちを1990年代中頃にインタビューした証言集だ。

本のタイトルからして当時の日本人についての印象を語っているのかと考えたが、実際は日本人と日本についてだけではなく、他の国から来た留学生や、日本統治下のインドネシアについても多くが語られていた。
筆者はいわゆる革新系の学者ではないようだが、生まれた年代からして団塊の世代であり、インタビューの中で無意識に「日本のやった悪いことについてどう思いますか?」調の質問をぶつけるところがある。
つまり日本の統治下は苦労したということを引き出したいようなのだが、インタビューされている元留学生は乗せられず、率直な意見を語っているのが面白い。

インドネシアでは軍人が多かったので日本人は尊大な人が多い印象を受けたが、実際に来て見ると親切な人ばかりで差別はなかったというのも、ある意味現在の日本人よりも当時の日本人の方が外国人アレルギーが少なかったのではなかったのかと思えてならない。
食糧事情の悪いときに、家に喚んで食事を食べさせてくれた人の話や、近所の子供との話など手に取るようにイメージすることができるのだ。
本書を読んでいて、乏しい時代の日本人の方があるいは現代人と比べて国際的に人間として長けていたのではないか、と思えるところが少なくないのだ。

また他の国から来た留学生の個性についてもいくつか触れられている。
共通しているのは、フィリピン人はアメリカンナイズされているので、日本人を小馬鹿にし、いつも自己主張が強かったこと。
そしてミャンマーの留学生は規則をきっちりと守り、何があっても反抗せず、こつこつと勉学に励んでいたことなど。現在の彼らに重ね合わせてもなるほどと思えることが多いのだ。

戦後それぞれが日本と関係のある職業(外交官や銀行員、商社マンなど)に就き、一人として日本へ留学したことを後悔せず、むしろ良き青春の時代であったと考えていることが嬉しかった。
そして意外だったのは、日本に対して一番批判的な意見を持つ人が日本に帰化してしまったことだった。

ともかく本書は戦中の東南アジアと我が国との生な関係の一部を知ることの出来る貴重な一冊といえるだろう。

~「南方特別留学生が見た戦時下の日本」倉沢愛子編著 草思社刊~

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