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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



今から二十数年前の高校時代。
クラスの悪友に誘われてプロレスを見にいくことになった。
場所は、当然「大阪府立体育館」。

当時の大阪府立体育館は平屋のボロボロの建物で、まるで「中学校の体育館のデカイやつ」といった風貌だった。
ところが、そのボロボロの体育館は甲子園と並ぶ大阪のスポーツの殿堂で(こんなことを書くと「甲子園は兵庫県じゃ!」という兵庫県民がいるかも知れないが、無視します)、現在と変らず大相撲大阪場所が開催され、有名アーティストのコンサートなどが開かれていた。
私は大学一年の時に、ここへジョン・デンバーのコンサートを聞きに行ったくらいなのだ。

で、私が友達と訪れたのは全日本プロレスの試合で、ロッキー羽田やジャンボ鶴田などといった選手がいたようにおもうのだが、スター選手はやっぱり永遠プロレスアイドル「ジャイアント馬場」と世紀の悪役レスラー「アブドーラ・ザ・ブッチャー」であった。

この日、満員の会場ではリングの中で壮絶な闘いが繰り広げられた。
それはお決まりの流血試合だったのだが、その流血を見る為に私たち悪ガキ高校生はプロレス観戦に訪れているので大満足。
最初から終りまで、思う存分に楽しんだのであった。

すべての試合が終了して、体育館を出ると仲間の一人が、
「ジャイアン馬場、見に行けへんか」
と言った。
「どこ行くねん?」
と別の友達。
「馬場とかブッチャーは向かいのホテルに泊まってんねんで」
と、「馬場を見に行けへんか」と私たちにオファーした友達が指さしたホテルが、大阪府立体育館の斜め向かいにあった「ホテル南海」であった。

数十分後「さっきまで真っ赤に流血していた傷口は何処行ったん?」というようなブッチャーと、「ゴッツイ顔」と呟いてしまったジャイアント馬場が仲良くホテルから出てきたのだ。
大勢のファンにとり囲まれながら二人は他のレスラーと共にタクシー(だったと思う)に乗り込み色街に向かって(きっと)消え去った。

その二人が出て来た「ホテル南海」が今年の12月一杯で閉店することが発表された。
南海なんば駅前の激変(なんばパークス拡張、ヤマダ電機開店、丸井進出などなど)に併せて、収益の悪いホテルは閉店し、1200坪ある一等地の敷地は別の用途に有効に利用する予定、だということだ。
ジャイアント馬場さんとの想い出の場所が消え去ることは寂しいが、これも時代の流れ。
仕方がない、と諦めるか。

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仮に、
「映画を発明したのは誰ですか?」
という質問をするとたいていの場合、
「トーマス・エジソン」
という20世紀最大の強欲ジジイの名前を答える人がほとんどだろう。

「初めて飛行機を発明したのは?」
と質問すると、
「ライト兄弟」
となり、
「初めてアメリカ大陸を発見したのは?」
と質問すると、
「クリストファー・コロンブス」
という答えが戻ってくる。

しかし、これらの解答はいずれも正しいようで正しくない。
映画を発明したのはフランスのルミュエール兄弟であるし、初めて飛行機を論理的に考案したのは二宮忠八であるし、アメリカ大陸を発見したのは少なくともアジアからの移民でありコロンブスのようなヨーロッパ人ではない。
かように「初めて」ということを認めてもらうことは難しく、ある種「運」に左右されることろがあるのかもしれない。

以前「外科の夜明け」という医学の歴史本を読んだ時、一番印象に残ったのが麻酔法の発明であった。
確かに、麻酔なしの外科手術や歯科治療は想像できない。
はっきり言って、拷問である。
実際に麻酔が発明される以前は麻酔なしで抜歯や開腹手術、四股の切断などが行なわれていたわけで、患者も医者も命がけで医療に携わっていたわけだ。
手術が恐ろしくてトイレに駆け込んだ患者をして、
「ああ、これで手術をせずに済む」
と安堵した医者がいたとかいないとか。
ともかく麻酔法の発明は人類に計り知れない恩恵をもたらしたのだ。

1845年10月16日。
アメリカのマサチューセッツ総合病院で世界初の麻酔手術が行われた。
書籍「エーテル・デイ」はこの世界初の麻酔手術をめぐる三人の男の物語なのである。
その三人とは我こそは麻酔薬を発明したと主張した男たちであり、あるものは特許権を主張し儲けようとし、あるものは発明の名誉を手中に収めようとし、またあるものは発明をさらに発展させようとして狂気に走っていった。
そのドロドロとした人間模様が痛ましい。

そもそも麻酔法は発明されたものでないところに問題があるのだろう。
というのも、人間から痛みを除去する効能がエーテルに含まれていることが分ったのは「発明」ではなく「発見」であったからだ。
この三人の中に、科学的に痛みを除去する薬を開発していた者は一人もおらず、見せ物として使われていた「変な気分になる可笑しな薬」エーテルがたまたま発見されただけだったのだ。
実際のところ現在の科学をもってしてもエーテルやクロロホルムといった薬品になぜ麻酔作用があるのか分っていないのだという。

この中身の分らない「発見」によって狂わされた三人の男の人生を描いたのが本書「エーテル・デイ」
麻酔法そのものよりも、史上最大の発見にまつわる人間ドキュメンタリーなのだった。

ところで「世界初の麻酔手術は西暦何年?」
というクイズが出されて、
「1845年」
と答えるとこれも間違い。
本当は1804年、日本の華岡青洲によって行われた全身麻酔による乳がん手術が世界初。
これが正解。

~「エーテル・デイ 麻酔法発明の日」J.M.フェンスター著 安原和見訳 文春文庫~

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このシェカナリー号は観光船ということもあり、乗客のほとんどは当たり前だが観光客である。
したがって大勢の観光客が乗っているので、これまた当然なのだが、その観光客に同行しているガイドさんも私のTさん以外に大勢乗船しているのであった。

アメリカ人の団体客のガイドをしていたのはAさんという男性ガイドだった。
「軍事政権はけしからん。断じて援助はしてはならない!」
などとミャンマーをいじめまくっている軍事大国のアメリカ。
そのアメリカから来た人たちが堂々とここミャンマーで観光を行っているのだから驚きだ。
その傲慢チキなアメリカ人のガイドをやっているAさんは私のガイドであり友人であるTさんの友人であった(ややこしいな)。

なんでもAさんはTさんの大学時代の友人だそうだが、かなりの男前である。
正直、悔しい。
ミャンマーには美人が多いことはすでに前述した通りだが、男も小柄ながら知的そうで男前が多いのが印象的だ。
Aさんはガイド歴としてはTさんよりも長く、
「先輩なんです」
ということであった。
私たちが今、このシェカナリー号で向かっているバガンが彼の故郷なのだ。
バガンには彼の両親や兄弟従兄などが住んでいる。
彼は今はヤンゴンに居を構えているが、実はホヤホヤの新婚さんなのであった。
「彼の奥さん綺麗な人ですよ...........見てみたいですか」
というTさんの挑発的なオファーに迂闊にも首を立てに振ってしまった私であった。

たとえそれが人妻であろうが美人と聞けば是非そのお姿を拝みたいと思うのが男の性でもある。
ただ一般的に女性が「あのひと美人ですよ」と推薦する人に美人は多くなく、実際のところ「なんじゃい、アレ」と、美しい人と言うよりも物体というふうに受けとめてしまう人が多いことが普通である。

そこで別に期待もせずに、
「奥さんの写真を見せて下さいよ」
とお願いしたのだった。
彼は照れながらも自身と奥さんとのツーショットの写真を見せてくれた。
その写真は結婚式の折りに記念写真として写されたもので、こういう写真を持ち歩いているところもなかなかミャンマーというか東南アジア的であった。
で、私は写真を見てビックリしてしまった。
というのも、意外にも本当に彼の奥さんがとびきりの美人であったからだ。
Tさんも美人だし、以前ダゴンマン列車でちょっとだけ見かけた石山さんのガイドさんも美人だった。
しかしAさんの奥さんはとびっきりの美人で、正直めちゃくちゃ悔しくて羨ましい。
しかも前述しているようにAさんも男前である。
その二人がミャンマーの民族衣装で写真に納まっているのだから様になっている。
まるで、タイの軍隊を打ち破りアユタヤ王朝を滅ぼしたミャンマー王とその王妃のような風格なのだ。
はっきり言って、不細工同士のカップルであれば「良い写真だね~、綺麗な奥さんだね~」と口では言いながら、心の中では「ケッ!大したことないやん」で済んでしまうのだが、これほど完璧であると言葉を失う。
はっきり言って、これは反則だ。
「.......へ~......フ~ン........綺麗な奥さんですね」
と私。
「そうでしょう。」
となぜかTさんが胸を張った。
「ありがとう」
と彼に写真を返すと彼はまたまた照れながらそれを懐になおしたのであった。

などと遊んでいるうちに、バガンへ向かう我がシェカナリー号は最後の途中寄港地、パコックの街へ到着したのであった。

つづく

間もなく「ミャンマー大冒険~マンダレー編」をアップしようと思っている、とりがら旅サイト「東南アジア大作戦」
しかし、友人の結婚式ビデオの編集でなかなか更新が進みません。
日曜日には更新か?(笑)


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ずーと昔、ラジオ大阪で放送されていた「歌って笑ってドンドコドン(以下、ドンどドコ)」という番組で、パーソナリティの上岡龍太郎が、
「中村美津子みたいなオバハンが宣伝している「米」なんか、まず~て食えるかい!」
と大声で話していたことがある。

当時、演歌歌手の中村美津子は関西の自主流通米の宣伝をしており、
「こんなオバハンが宣伝してたらとても美味そうに見えん」
と思っていた私も、この上岡発言に、
「そんなこと言うてもええんかいな」
と思いつつも深く深く同意したのであった。

その中村美津子が唄う「河内十人斬り」という歌を聴きたくもないのに偶然聴く機会を得た。

河内十人斬りは明治のはじめに実際にあった殺人事件をもとにした浪花節で、一部の人(浪花節ファン)には知られている有名な話だ。
したがって私はまったく知らなかった。
これを歌にしてCDを出したのが中村美津子で、その歌の中の目玉は、セリフがあること。
それも一般に知られている「汚くてガラの悪い」河内弁で、正直聴くに耐えないものがあった。

あまりに汚いので「エエかげんにセエッ!」とこちらも汚い言葉で怒り心頭に発したので、この「汚い言葉」を今日のブログのネタにしようと考えたのである。

全国一般の人々は今東光氏が作り上げた河内のイメージが「大阪を代表する」イメージのひとつであると思い込んでいるところがある
その重要な要素が「ガラの悪い」河内弁。

一般的に「おどれ~(オマエの意)」「けつかる(しているの意)」「われ(あなたの意)」などの河内言葉は正確には河内の「最下級階層の言葉」または「虚構の言葉」ということは、まったくといっていいほど知られていない。
もともと河内は大阪の東南部の農村地帯であり、そこには広大な(と言ってもオーストラリアやアメリカの農場を想像してはいけない)農園を庄屋が運営し、小作人が耕作に従事するという構図が存在した。

この庄屋を中心とする河内で使用された言葉は本来「船場言葉」なのであった。
意外に思われるかも知れないが、これは事実である。

船場言葉はいわゆる上方語で、上品で、かつ商いに用いる為に広まった非常にフォーマルな言葉なのであった。
現在、テレビドラマなどにみられる「○○でっか?」とか「○○でおまんねやわ」「番頭はん」「旦那はん」という言葉は、テレビや映画の為に作られた偽の船場言葉なのである。
実際の船場言葉は現在の東京を起点にする標準語に近かったという。
というのも江戸の言葉は骨格が上方語に分類されるそうで(確か上智大学(当時)の金田一春彦先生がNHKの市民大学講座でおっしゃっていた)、上方語に東言葉が組み合わさって誕生したのが江戸山の手言葉や一部の下町言葉なのだそうだ。
以上、少しく余談。

もともと河内は大阪の商家への重要な人材派遣元であり、商家で働く丁稚や手代、女中等の供給先として重要な役割を果たしていたのだ。
だから、河内の者が大阪の中心地、船場や島の内の言葉を話したとしても、なんら不思議はないのである。
きっと、河内者の微妙な訛りが冗談好きの大阪で受け、その結果として異常に誇張された現在の「汚らしい」河内弁が誕生したのだろう。

これには証言がある。
私事で恐縮だが、私の母方の祖母は河内藤井寺の出身で、実家は桑山という庄屋なのであった。
農地解放以前は藤井寺でも屈指の庄屋だったらしく、若い(10代の)頃の母が曽祖父に会う為ここを訪れると一家総出で大歓迎してくれるのだが、曽祖父は超厳格で船場言葉しか話さず、母の堺なまりまで修正するしまつ。
当然、小作人の方々もちゃんとした言葉遣いで「キチンとしていた」という。
したがって昔から中村美津子の吐くような河内弁をテレビなどで聞くと母は必ず、
「あれはウソやで。間違えた河内弁やから」
とまだ意味の分らない子供の私に説明してくれたものだった。

ということで中村美津子の歌は、そういう歴史文化事実と異なった全国民が期待する汚い言葉をCDに吹き込んだことにより、金儲けを企てているつまらない代物だ。
が、当人は気づいていないだろうが、このような行動はありもしない南京大虐殺や日本兵による百人斬り、従軍慰安婦などを喧伝し売国行為を働いている朝日新聞や社民党とまったく異ならない。
まさしく浪花のイメージを自ら汚す大阪人なのだ。

「ドンドコ」で「こんなオバハン」呼ばわりされた根拠は、まったくなくはなかったわけだ。

(参考)
ちなみに船場で使われた言葉は次の通り。
「○○でっか」×→「○○ですか?」○
「○○でおまんねやわ」×→「○○でございます」○
「番頭はん、旦那はん」×→「番頭さん、旦那さん」○
吉本新喜劇はめちゃくちゃですが、落語などは結構正しい言葉を使用しています。
また船場、島の内は現在の土佐堀通りから南、長堀橋辺りまでを指ます(間違っているかも知れませんが)
地下鉄の駅で言うと淀屋橋、本町、心斎橋、北浜、堺筋本町、長堀橋など。この地域で住友や鴻池(現UFJ)、大丸、そごうが創業している。

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2つ目の寄港地を出発してからすぐ、昼食は2階のサロンでとることにした。

「満員になったら困るので早めに食べましょうね」
というのが表向きの理由だったが、本当は、
「朝食を抜いているので腹が減って大変。だから早く食べましょうね」
というのが真相であった。

せっかくなのでデイビット夫妻もお誘いし一緒に昼食をということで、4人でテーブルを囲んで食事をすることにした。
豪華(くどい)観光船のシェカナリー号の昼食は日頃の私には似合わず結構オシャレだった。
テーブルには白いクロスが掛けられ、中央には美しい花が彩りを添えている。
ドアからは涼しい川風が入ってくる。
不思議なことに、このサロンでくつろいでいる旅行者は少なく、ソファで数人の白人の旅行客がくつろいでいる程度だった。

私はまたまた焼きそばを注文し、Tさんはミャンマーカレー、デイビット夫妻もそれぞれお気に入りの料理を注文した。
本当であれば、ここでビールを一杯、というのが理想だが、アルコールが入るとこの素晴らしい雰囲気を楽しむ私のセンサーが狂ってしまうことが考えられるし、第一、「........昼間からビールですか........」とTさんに叱れる可能性が極めて高い。
「スプライトちょうだい」
と妥協したのであった。

それにしても焼きそばとスプライトの組み合わせは考えものである。
焼きそばの油っぽい味と、スプライトの甘ったるい味が口中でミックスされ、かなりクドイ味覚になってしまうのだ。
それでもダゴンマン列車での出来事やマンダレーの感想など、結構話は弾んだのだった。

昼食が終ると、またまた単調な船旅に戻った。

それでも蒼く高い空や川岸に時々みられる村の風景などを眺めていると心が和んでくる。
日頃、大阪や東京といった超大都会で働いていると、やはり人間と言うものはその本能を失ってしまうものかもしれない。
イライラや仕事における締め切りや、わけの分らない人たちとの接触が普通の神経を蝕んでいくのだ。
こうしてミャンマーを訪れ、静かでゆっくりとした時間の流れに身を任せると、そういう都市の捻じれた生活がいかに不自然なのもであるのかと、つくづく実感する。
とはいっても、都会を離れるわけにはいかない。
私の生活基盤は都市にある。
混沌とした魑魅魍魎の棲むアマゾンのジャングルのようなところだが、そこを離れるとたちまち懐が干上がってしまうことも、また事実だ。

「どうしたんですか?」

船首と後方デッキを繋ぐ側面の右舷デッキにしゃがんで考え事をしていたらTさんがやってきた。

「ちょっと考え事をしていたんです」
「そうですか」

Tさんは私の隣にしゃがみ込んで話を続けた。

「いい天気ですね」
とTさん。
「そうですね。ちっとも暑くないですよ。涼しいくらい。」
と私。
「ほんと、船の旅は良いですね。日焼けしちゃいましたけど」
「私も焼けてます。Tさんよりも黒いかも」
「ほんとですね。日本人じゃないみたいです」
「..............」

昨年Tさんと初めて会った時、「ヤンゴンに出て来て9年になります」と言っていたから彼女の都会暮らしは10年になる。
10年暮らしても故郷の田舎の方が良いという。
でも、性格的にも経済的にも田舎での生活は出来そうにない、と話しているところをみると、ミャンマーであろうが日本であろうが、人が生活をするというのは簡単ではないということなのだろう。
豊かな自然が溢れる田舎での生活は肉体だけでなく精神の健康にもいいのだろうが、経済的問題がある限り都市での生活は避けられない。
Tさんの場合は田舎で病気療養しているお姉さんの医療費も稼がなくてはならないのだ。
医療保険制度など当然無く、公務員給与が月額US6ドル程度(当時)のこの国で薬代や診察代を稼ぎ出すのは容易ではない。

彼女を元気づける為にもなにか面白い話をしてあげようか、と思ったところに、午前中に前方デッキで読書をしていた「ゴッツイ」白人女性がデッキを私たちの方へ歩いてきた。
「......船、傾くやん」
「......なんてこと言うんですか」
とTさんは笑った。

つづく

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天文学者は暇人の集まりなのか、どうでもいいこと(でもありませんが)を侃々諤々と論議するのが好きらしい。

で、このたびプラハで開かれているその天文学者の「組合」(と、私は勝手に思っている)国際天文学連合の総会で「冥王星は惑星ではない」という結論に達した。
これでめでたく太陽系の惑星は8つとなり、地学の天文が苦手な学生諸君も覚える手間が1つ減って喜んでいることだろう。

それにしても「多数決」で冥王星は惑星ではないと決めるところは民主的だが恐ろしい。
まるで、昨日まで自分の子供と思っていたが、DNA検査してみたところ他人の子供だったので「こいつはワシの子とちゃうねん」と冷たくあしらい、無慈悲に突き放した人に見えなくもないところが辛いところだ。

冥王星が惑星から外された理由は「小さいから」。
見つかった頃は大きかったけれども、観測技術の発達と共に、形は丸いけれど月の半分ほどしかないことがわかってきて、「こいつを惑星と呼んだら、他の小惑星も惑星と呼ばなければならなくなるので面倒くさい」ということで外された。

教科書会社は冥王星の表記をどうするのか悩みはじめたようだし、国立博物館では冥王星のパネルを外さなければならない、と言い出しているらしい。
出自が分れば冷たくあしらう。
なんとなく笑えない底の浅い行動だ。
サイズが小さいからと言って、神戸福原や東京吉原で差別されることはないだろうから、天文の世界はいたってクールだということか。

冥王星が発見されたことにより、70年間もの期間、さまざまな太陽系の謎を提供してきた歴史を打ち消すことはできない。
それを教育者の方々はなんと考えているのだろうか。
「惑星というカテゴリーからは外された」けれども、天文と文化の歴史に燦然と輝く「惑星・冥王星」は消し去るわけにはいかないはず。

博物館も教科書も安易に消去したり展示パネルを撤去しないで、そういう歴史を交えて子供に教えていくのはいかがだろう。
やがて冥王星まで人が行く時代も来るはずだから。

なお、教科書から消し去るべきは南京大虐殺や従軍慰安婦などのデッチ上げ記述なのは言うまでもない。

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ハーマンガス社製の浴室乾燥機が設計の不具合から火災になる可能性があるという。
すでにリコールは出されているが、大阪市内で数件の小火や火災が発生。
パロマの湯沸し器以来の大問題になっている。

ところで、ハーマンは大阪ガスや東京ガスに問題の商品をOEM供給しているようだが、そのOEM先からのコメントが洒落ている。

「メーカーから、この基盤が熱くなる、という連絡は来ていませんから」

消費者サイドから見たメーカーって、大阪ガスや東京ガスのことじゃないか?
OEMというのは相手先のブランドで、その相手先がメーカーとして販売すること。

にも関わらず、「メーカーから連絡は来ていませんから」と言うのは、自社ブランドは「製品の品質や、それを起因する事故について保障するものではありません」という意味なのか?

紳士淑女の皆さん。
ガス会社はアホウです。
安心を買いたければ火災や爆発の危険があり、なおかつ『人災の危険』もおまけに付いてるガスの使用はやめにしてオール電化でいきましょう。

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今朝、朝刊を捲って一番最初に探した記事は「MBSラジオのパーソナリティ近藤光史氏、暴漢に襲われる」というたぐいのニュースだった。
幸いなことに、そのようなどす黒いニュースは載っておあらず、トップ記事は「余部鉄橋の設計図みつかる」(産経新聞)というような、非常に平和なニュースだった。

昨日の午後のMBSラジオ「こんちはコンちゃんお昼ですよ!」を聴いていると、元参議院議員の中村鋭一を招いてのコーナーでこの日の朝刊で報道のあった公明党の人事についてが語られはじめた。

コーナーの冒頭は「現国土交通大臣の北側氏が党の幹事長に内定しました」「大阪の人ですよね」というような穏やかな調子で始まった。
ところがゲストの中村鋭一氏が「創価学会」の名前を出した途端、コンちゃんことパーソナリティの近藤氏の口調が変った。

「公明党には靖国参拝の是非に関する論を交える権利はない。」
「新聞報道によると、創価学会の『非公式の話し合いで確認された』とあるのは、民主主義に相反する行為ですよ。非公式ちゅうのは、自民党みたいにみんなで侃々諤々議論して、この人を総理にしようどうしょうと議論はしないということでしょう。この記事は創価学会という宗教団体が公明党という政治政党を操作しているという証拠をすべての新聞がおおっぴらに宣言しているのと同じやないですか。公明党に政教分離をどうのこうの言う資格はない!」

などという意見が強い口調で飛び出したのだからラジオを聴いていた私はビックリした。
中村鋭一氏も意識しないでぽろりと出した「創価学会」という言葉が、思わぬ方向に急展開したものだから動揺は隠せない。

「私がこういうようなことを言うと局にも『オマエ、そんなこと言うてええんか』というような恫喝じみた電話がたくさんかかってくるんです。でもそんなもんに、私は怯まへんねん!」

この時私は自動車を運転しながら聴いていたのだったが、思わずハンドルから手をはなし喝采の拍手を贈りそうになった。
と、同時に「おいおい、そんなことを言って大丈夫か?」と心配になったのだ。
朝刊を開いて「どす黒い記事」を探してしまったのにはそういう理由がある。

ともかく公明党という政党が特殊な組織であることは誰もが認知していることだ。
これを批判することをタブー視する国内のマスメディアの中で、昨日のラジオでの発言は注目に値する。

公明党が10年前のオウム事件の際、自身の支持母体である創価学会に配慮してオウム真理教(現アレフ)に対して発動直前だった破壊活動防止法の適応に強力に反発した経緯は当時、週刊新潮や週刊文春などの週刊誌で報道された。
政治評論家の屋山太郎氏がその著書で再三に渡り指摘している通り、創価学会はフランス政府からは「カルト」として認知されているような危険な団体だ。
そのカルトが運営している公明党が真当な政党であるはずはない。

「公明党は共産党と同じなんですよ。いうなれば池田大作の意向通りになる者が党の幹部になるわけでしょ」

国民の95%以上がそう思っていても言えないことをラジオで述べたのだから素晴らしい。
ゲストの中村鋭一氏は「近々、私の『仲の良い』公明党の人たちとのパーティもあるので申しておきます。私もね、仲のいい公明党の人がいるんですよ。彼らはね、話がわかりますから.......」と言葉を濁しながら締めくくった。

ところで、MBS毎日放送のグループ企業である毎日新聞は聖教新聞の印刷を請け負い、その脆弱な経営基盤を支えているという。
今回のコンちゃん発言は毎日社内で波紋を呼ぶのではないだろうか。
もし近藤光史氏がパーソナリティーを交代させらるようなことになれば、ただではすまないだろう。
リスナーの多くは政治的圧力の結果だと認識するだろうから毎日放送も公明党も心するように。

それにしてもよく言った、コンちゃん。
勇気ある発言に拍手!

なお、今日のとりがらブログに対し嫌がらせに類する書き込みがなされた場合は容赦なく削除いたします。あしからず。

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スイカを買いそびれたのは、実に残念であった。
というのも、スイカを買いそびれたことによりすっかり忘れていた朝食抜きの空腹感が蘇ったからであった。
そこで、未開封であったマンダレーのホテルが用意してくれていたブレックファースト弁当の箱を開けて食べることにした。

荷物を置いている一階の客席へもどり、弁当箱を開封した。

「なんじゃ、こりゃ?」

私はどんなものが入っているのかちょっとは気になっていたのであったが、弁当箱を開けてビックリした。
そこにはトーストが一枚。小さなプラスチックに入ったマーマレードとバターがそれぞれ一個。小さな容器に入ったサラダとウインナー。そしてミカンが入っていた。

「Tさん、これ一人分ですね」
「...................。」

ということで、何を勘違いしたのかホテルが用意した弁当は一人分しかなかった。
そこで私はTさんと「半分こしましょうね」と提案したのであったが、例によって「一つしかないのに私が食べるわけにはいきません」と頑固にきかない。
仕方がないし、私は腹が減っていたので弁当は私一人で頂戴し、今日は早めの昼食を取ることにしたのであった。
私はTさんが日本の多くの女性と同じように朝食を抜いたり、スナック程度のものしか食べないということを聴いていたので、私と旅行中はなんとか食べさせようと努力しているのだ。
なんといっても朝食はその日のエネルギー源。
超保守的思考を持つ私としては、朝はなによりもみそ汁に漬物、そしてメザシの一匹(他の魚でもよい。但し肉類は不可。トーストにベーコンなど、夷狄の食い物である。などと私は思い込んでいる)と暖か~いご飯、というのが定番なのである。
まさかミャンマー人のTさんに「みそ汁とご飯」というわけにはいかない。
それでも健康のためにも朝食は絶対に食べなければならいというのが私流なのであった。
(なおミャンマー人は「みそ汁」が大の苦手である)
ともかくホテルのマヌケな対応に少々憤りながら、ま、しゃあないか、と思い込むことにした。

昼食までの間、例によって船首のデッキで手摺りに捉まって景色を眺めていた。
そこでは数人の白人の旅行客がデッキに座り込み船の壁にもたれかけ読書をしていた。
その読書をしているなかの一人は極めてゴッツイ体形をした白人女性であった。

白人や黒人の中には驚くほどゴッツクしかも風船のような体形の人がいるが、あれは食生活のなせる技だろうか。
それとも遺伝的体質なのか、日本ではめったにお目にかかれない。
いや、日本だけでなくアジアでも見かけることは稀である。
ともかく、こういう質量の大きな人が船首のデッキにいたりすると船が重みで前かがみになって水抵抗が増加し、バガンへの到着が遅れてしまいそうな気がする。
こういう人たちはむしろ船尾のデッキに乗っていただけると、船は水中翼船のごとく船首を上に向けむず抵抗が少なくなるのではないだろうか。
と、しょーもないことを考えているのであった。

ところで、どうして読書なのだろうか。
本など自宅やホテルなどで読めばいいではないか。
この雄大なエヤワディ川の景色を眺めずしてなんとする。
しかし、白人の旅行者は読書を貪ったり、一脚レンタル料2000チャットの白いチェアに横たわり昼寝を貪るなど理解に苦しむスタイルをとっている。

時々白人共の休暇を楽しむスタイルを羨むヤツが日本人のなかにいるが(私)、とんでもない話だ。
白人共は、他の文化を見下げ(有史以来、一般的にキリスト教以外の文化は「文明ではない」とされている)アジアで質素な暮らしを営んでいる民族のことを馬鹿にする風潮がある。
しかし、書籍の誌面に視線を落とし、この壮大な景色を見逃している神経を、見下げられるはずのアジア人の私は少しく気の毒に思うのであった。

つづく

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ジョン・ウィリアムス作曲の「スーパーマンのテーマ」を初めて聴いた時、「スターウォーズと一緒やん」と呟いた。
雰囲気と曲調があまりにも似ていたために、ネタの使い回しかと思ったのだった。

あれから約四半世紀が経過した。
どういうわけか、「スターウォーズにそっくりだ」と思ったテーマ曲を劇場であらためて聴いてみると懐かしさと共に、クリストファー・リーブが演じた凛々しいスーパーマンの姿を思い出していた。
もっとも、リーブのスーパーマンを思い出させたのはテーマ曲だけではない。
前シリーズの3作目からは使われなかった、あの流れるようなタイトルデザインが再び採用され、軽快なリズムと長くスライドするタイトル文字が、懐かしさと興奮を蘇らせたのだった。

新人ブランドン・ラウス演じるスーパーマンはクリストファー・リーブの作り上げたスーパーマン像を引き継ぐと共に、前作を上回る最新の特殊技術を駆使した見せ場の連続で予想以上に私たちを楽しませてくれる。
ストーリーそのものも工夫が凝らされている、
リーブが演じたシリーズ一作目がビルの屋上から落下するヘリコプターを空中で受けとめるシーンを最高潮に、残り半分が少々だれたのとは反対に、今回の作品は前半のだれ気味さを後半の物語性が見事に打ち消しているのだ。
しかも、思わぬ展開に、観客はホロリとさせられることになってしまう、というスパイス入り。

今回、スーパーマンが再映画化されるまでの間、様々なコミックヒーローが映画化されてきた。
バットマン。
スパイダーマン。
X-メン。
超人ハルク。
などなど。
しかし、そのスーパーヒーローの原形はあくまでもスーパーマン。
それだけに、今回のスーパーマン映画の復活はもろ手を挙げて歓迎だ。

なお新聞報道によると製作もとのワーナーブラザーズが2作目の製作開始を躊躇しているという。
200億円を上回ると予想される製作費の捻出に足踏みをしているというのだ。
というのも、今回のスーパーマンが損益分岐点ぎりぎりのヒットしかとばせなかったことと、他の映画と異なりキャラクターグッズで稼げないというのが真相らしい。
監督のブライアン・シンガーはじめ、出演者、スタッフ共に2作目への意気込みは満々だという。
映画そのものも2作目へ続くことを臭わせながら終っているので、観客としても是非続きを観たいものだ。

~「スーパーマン・リターンズ」2006年ワーナーブラザーズ配給~

とりがらおすすめ度 ☆☆☆☆

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