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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



例えば、アルカイダに与するアメリカの政治家
例えば、ホンダが大好きなトヨタの社員
例えば、自分の飛行機は怖いのでエアバスの飛行機しか乗らないボーイングの技術者

そんな奴おらんやろ、というのが人々の常識だが、日本にはいるのです。
少なくとも3人は。

中国の横暴に賛同し、安倍政権を批判する鳩山由紀夫、加藤紘一、村山富市の三人だ。

加藤紘一はともかく、後の二人は御恐れ多くも日本の首相を務めた経歴の持ち主。
日本の国益を第一に考慮しなければならない人たちが、第三者のイギリス人でさえ、
「19世紀型国家・中国について21世紀型国家の日本人がまじめに相手にする必要はない」と言っているのに、
「隣人は大切だ」
とわけの分からない主張を繰り返すのは一体なんなんだろう。
不思議でならない。

一度脳みそを解剖して頭蓋骨の中にちゃんとそれが存在しているのか見てみたい衝動にかられるほど、わけの分からない人たちだ。
鳩山由紀夫は中国の言い分には耳を傾けるが米国との協議はめちゃくちゃにするのがお得意で、混乱極めた米軍普天間基地のゴタゴタが何よりの証拠だろう。
普天間基地で日本と米国が揉めても喜ぶのは中国だけ。
中国のために米国を軽く扱う変な奴なのだ。

一方、村山富市は国益を守らないことにかけては天下一品で、阪神大震災では6000人以上もの阪神市民を見殺しにした実績もある。
自分の主張を貫き通すには、市井の命などゴミクズ程度にしか考えていないに違いない。

そういえば、中国は今、チベットの問題で揺れている。
異民族を弾圧し、平気で国境を書き換える国・中国。

似たもの同士は仲がいい、というのは人と国家にも成り立つものであることがわかった。

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市民活動家出身の政治家というのは、かくも幼稚なのか。
しかもその政治家と、無責任な革新政党出身者たちが一緒になると、その無能さは何倍もに増加され、国民は苦渋を飲まされることになる。

週刊新潮や文春の報道によると震災での菅政権の初動は村山政権よりも劣るものだった。
阪神大震災発生時の首相だった村山富市は神戸で多くの市民が建物の下敷きになり、あるいは火炎に飲み込まれているときに、寝ていたのだ。
地震の発生を知ったのは午前7:00。
なんの指示もすることができず、自衛隊の出発を阻害したことも知られている。

菅直人も同じだった。

自衛隊が「この地震は普通ではない」と反応し直ちに出動の準備を整えたのにも関わらず、それに待ったをかけた。
国民の生命財産よりも、己のプライドを優先させた結果だというのが雑誌で報道されている内容だ。

原発の状況報告も正確さに欠け、多くの風量被害を呼んでいる。

そんな中、どのような対策を立てているのかというと、やたら災害担当者を増やしたり、対策部門を設立したりしてるだけで、国民にとってはそれらが一体何をどのようにするのか、さっぱり見えてこない。
組織だけを作って機能しない。
ついに全閣僚参加の災害対策部門を設立。
そんなことにどんな意味があるのだろう。

周りの意見に耳を貸さず、何を云われようと責任をとる態度を見せない。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」

それが菅直人率いる民主党政権の中身だ。

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口パクは悪いのか?

北京オリンピック開会式の「なんちゃって演出ぶり」が注目を浴びている。
CGや吹き替えを使っての演出に賛否両論。
あるものは、
「ええんじゃないの」
と擁護して、またあるものは、
「オリンピックにけしからん演出だ」
とクレームをつける。

どちらが正論なのか、判断に苦しむところだが、私には「吹き替え」と聞いて思い出すエピソードがある。
それは私が吹き替えた某パロディ映画の予告編の話ではない。
有名な映画でのエピソードだ。

1964年。
つまり昭和39年東京オリンピックの年に2つのミュージカル映画が公開された。
1つ目がオードリー・ヘップバーンとレックス・ハリソンが主演した「マイ・フェア・レディ」。
そしてもう1本がジュディ・アンドリュースとディック・バン・ダイクが主演した「メリーポピンズ」。

どちらの作品も今見ても新鮮で、メチャクチャハッピーで陽気な気分にさせてくれる名作だ。
とりわけ私はメリーポピンズの煙突掃除夫が箒を持って踊るシーンとアニメのペンギンのシーンが大好きなのだが、もちろんマイ・フェア・レディの序曲なども大好きだ。

いずれの作品も大ヒットしたという。(当時私は1歳であるため、当時の状況を説明するには記憶がかなり曖昧だ)

作品の出来が良かったことは双方ともアカデミー賞にノミネートされ、ヘップバーン、アンドリュースの双方も主演女優賞にノミネートされた。
で、この二人のスターの激戦はアンドリュースに軍配が上がった。
その理由を私はとある映画番組で聴いたのだったが、

「ジュディ・アンドリュースは自分で歌い、オードリー・ヘップバーンは吹き替えだったから」

ということだった。
確かに歌のシーンになると突然声質が変わり「どうも変だな」と思っていたらオードリーは歌っていないのであった。
オードリー・ヘップバーンの吹き替えは「チキチキバンバン」で資産家の令嬢演じたサリー・アン・ハウズだったのだ。

ということで、吹き替えとそうでない作品の差はこういうところで差をつけられるのかも、ということだ。
つまり「吹き替えは、ガチンコ勝負と比べて」感動に劣るのかも知れない。
したがってオリンピックの開会式の吹き替えは、いかがなものと思うのが正論ではないかと判断する。

ちなみに、過去20数年のオリンピック開会式で印象に残ったのはロサンゼルス五輪のロケットマンとバルセロナ五輪のアーチェリーで見事に聖火台を点火させた、この2つだけではないだろうか。
もちろんこの2つに吹き替えもCGも、インチキもなかったのは言うまでもない。


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■とりがらビジネストーク入門(3)

とうことで、バルブメーカーの営業マンのことを思い出した私のK君へのアドバイスは、お話ツールを作ってみることであった。

「で、どうつくったらいいんでしょうか」
「まずここ(東京支社)周辺の地図やな」

私は東京浅草辺りの観光地巡りをしてみることを提案。
名古屋から出てきたばかりのK君には、東京の地理を知ってもらう必要を感じたのだ。

「私なら時代劇の舞台になったところを、あれこれ歩いてみるけどな。」
「は~」

私はテレビの時代劇が好きだったので、そこに登場する地名の場所は歩いて回ったことがある。
意外に東京は、というか江戸の町は広いことがわかった。
先日、ある本で知ったのだったが、江戸時代、すでに江戸(東京)は端から端までの徒歩での移動で日帰りができないくらいの大都市だったという。
「ちょいと恵比寿の伯父のところへ行ってくるよ」
なんてセリフを聞いたらかなり歩かなければならないことをイメージしなければあらない。

半年ほど前、私は門前仲町に宿をとった。
「どうせ歩いていけるやろ」
私の会社の東京オフィスはJR浅草橋駅近くにある。
高を括って早朝歩き出したら、1時間半もかかってしまったのだった。
土地に不案内でなこともあったのだったが、地図で見ると大して遠くない距離でも結構あるもんだと感心した。

「ほら、君の故郷の名古屋と比較するのもええで」
「そうですね」
「私の場合は大阪と東京の比較やけど、これって一般的すぎてオモロナイし。名古屋だったらええかも」
「で、どう比較すればいいんですか?」
「まず、駅やな。東京の新宿駅といえば大阪なら梅田駅だが名古屋なら名古屋駅か」
「はい」
「で、東京駅は大阪なら新大阪、名古屋では名古屋駅」
「はい」
「上野駅は地方への玄関口だから、大阪なら天王寺駅、で名古屋なら名古屋駅だ」
「なんでも名古屋ですね。ちょっとバカにしてませんか?」
「しているわけないやろ。で、繁華街。渋谷に対して大阪なら梅田茶町、名古屋なら栄。原宿に対して大阪ならアメリカ村、名古屋なら栄。さらに、代官山は大阪では堀江、名古屋なら栄だ。」
「あ、やっぱりバカにしてますね」
「ま、正直私は名古屋はほとんど知らないので、どこに繁華街があるのか分からない。」
「はあ。」
「そういうことがあっては困るので、その土地を歩いて知るわけだ」

以上はかなり脚色しているが、つまりは営業トークはまずはその街を知るところから始めなければならないということなのだ。




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■ビジネストーク入門(2)

ビジネスにおいて初めてお会いするお客さんとの話のネタに何を選ぶかは、なかなか難しいものだ。
こういうことに於ては以下の職業の人たちが知識豊富と思われる。

・保険外交員
・通信教育販売員
・英会話倶楽部(教室ではない)勧誘員
・自転車に乗ったモ○○ン教の外国人宣教師
・漫才師
・大阪のオバチャン
・街角の高額版画販売員
・ソープ嬢
・バナナのたたき売り
・詐欺師
・バンコクタニヤの客引き
・バンコクパッポンのやたら美人なオカマのお兄さん
などである。

実際のところ、気質の人が上記の人たちのように、初対面の人たちといきなり親しく話し始めるなどということは、ほとんど不可能に近い。
そこで必要になるのがネタ本である。

私の会社が取引をしているバルブメーカーの1社では新入社員が入社すると共に、その社員に一冊のクリアファイルを渡し、自分の会社の紹介に必要な数々の資料を『手作りさせる』ところがある。

「これがうちの会社のあるところです」
初めてそこのN氏に会った時、クリアファイルを広げて親しげに話し出したのでビックリしたが、そのツールの手作り感に魅了された。
そこには会社にまつわる客からされるであろうと予測される質問に対する答えが容易されており、市販のツールでは対応できない凄みがあった。

例えば、会社の近くの駅、その駅前にある由緒正しい神社とその言い伝え、物語の挿し絵、さらに駅前の居酒屋の名物料理などなどが記されているのだ。
時には広告の切り貼りが貼られ、またあるところには「○○ページへ」という具合に関連しているが違った話題に飛ぶように摂家去れていたりする。

「凄いですね、これ」
と、思わず訊いてしまった私への回答は、

「実はこれ、入社してから何年も使い続けるんですよ。だからあるお客さんに質問されて答えられなかった内容についても、後で調べてその部分を補強しておく。すると、次の同じようなお客さんと接する時に答えが用意されていて、スムーズな会話が成り立つんです。」
「宝ですね」
「まさしく。ボロボロになっちゃいますけど、捨てられないですね。世界に一冊しかないですから」

自分のオフィスの前を通っている大通りの名前も知らないK君に、私はまさにそのファイルを作ることを提案していたのであった。

つづく


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■ビジネストーク入門(1)


偶然なのかどうか分からないが二人の知人の女性が運送会社に就職した。
しかも海外の。

一人目は英会話で長らく同じクラスに在籍したS子ちゃんで、彼女は憧れの香港で日系のH社に就職が決まった。
もう一人はお馴染のミャンマーでガイドを務めてくれていたTさん。
こちらはサイクロンが襲いかかってくる僅か数週間前にシンガポールに出国。
華僑の都市国家で米国系のF社に就職が決まった。

二人とも、その業界は初めてで、はた目から見ていると非常に心配になってくる。
ただしどちらにも言えることだが女性にしてはバイタリティに富んでいるし、女性であるだけにおしゃべりの技術は充実していると思われるので、おそらく大丈夫であろう。

大丈夫ではないのは、うちの会社の新入社員だ。

先日の東京出張の時、入社3ヶ月目のK君に、
「○○さん。初めてのお客さんのところではどんな話をしたら良いんでしょうか?」
と訊ねられた。
「経験を重ねるしかないわな」
と身もふたもない回答をしてから、私は「しまった」と思った。
よくよく考えてみると、私もよくわからなかったのだ。

K君はうちの会社に入ってくる前、名古屋で生活をしていた。
ちなみに生まれも育ちも名古屋である。
「K君、君はうちの東京支社がどこにあるのかお客さんに説明できるんか?」
と私は訊ねた。
「......と言いますと?」
「例えば、会社の前を通っているこの通り。この名前は知っているわな」
うちの東京オフィスの前は靖国通りだ。
「......知りません」
私はズッコケそうになってしまった。
自分の会社の前の通りを知らないのだ。

「自分の会社の場所ぐらい説明できるようにしとかんと。ビジネスはそこからやで」
と私はあれこれ話し始めた。

「はあ~~~」
「例えば、ここの周辺の名所旧跡ぐらいも覚えとかなアカン」
「はい」
「だいたい、休みの日は何してんの?」
「寝てます」
「ね、寝てます?」
「はい。」
「せっかく東京に出てきてるのに、寝てるんか?」
「はあ」
「東京に住むのは初めてやろ。もっとこう、未だ若いんやから渋谷にでてみるとか、六本木ヒルズに行ってみるとか、東京タワーに上ってみるとか、皇居を奉拝するとか、靖国神社に右翼を見に行くとか、秋葉原でメイドさんと一緒に写真を写してみるとか、スタバに入ってみるとか」
「スタバぐらい名古屋にもあります」
「....そうか、つまりはお上りさん的なことせんといかんで。」
「はい。」
「その街になじまないかん。」

よくよく考えてみると、大阪弁で「東京の街に馴染まなアカン」と論じている私に説得力があるはずはなかったのであった。

つづく

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地下鉄難波駅のコンコースを歩いていると、知らないオッサンの大きな声が聞こえてきた。

「は~、そうでんねん。ちゃいまんがな~! そうそう、そうでっか、そうでっか」

実のところ、関西以外の人びとにとって大阪弁といえば「でっか」とか「まんがな」という言葉を発するのが当然と思われているかも知れないが、そのような人は今現在、ほとんど存在しない。
まれに「そうでんがな」などと言う大阪的なビジネスマンを見かけると、
「おおおおお!化石じゃ!」
と叫びたくなるのだ。

そういう意味で、難波駅のコンコースで見かけたオッサンは、私にとってはアンモナイト、三葉虫、シーラカンスみたいな人物で、聞いた私はめちゃくちゃ恥ずかしく感じたのであった。

ところで、「でっか」言葉はいつ生まれたのだろう?

私が社会人になった頃、すでに大阪のビジネスシーンでは「でっか言葉」はテレビドラマを除いてほとんど聞かれることはなくなっていた。
私は大学を卒業してすぐに建築業界へ入ったのだったが、そのラフな業界でさえデッカ言葉は姿を消し、ほとんど関西訛りの標準語が一般的であった。

初めて「デッカ言葉」に生で遭遇したのは建築業界を去って製造業に携わった時で、その会社の営業マンが「デッカ言葉」を使っていて度肝を抜かれたのだった。
「なんじゃ、あれは?」
と。

関西以外の人びとにとって、テレビドラマに見られる「デッカ言葉」は関西を舞台にするドラマや小説には不可欠な要素であることは間違いない。
ところが関西人にとってこれほど不自然な言葉はない。

私はこの「デッカ言葉」は大坂商人版の吉原言葉ではないかと密かに考えている。
というのも、大阪は全国各地から集まってきた商人の街として栄えてきた歴史を持つ。
もちろん各地方から出てきた人たちはそれぞれのお国言葉が存在し、各が普通に話すと意味が通じないことがあっただろう。
そこで登場したのが、大坂商人版吉原言葉。

「ありんす」の代わりの「おまっせ」。

但し難波駅のコンコースのオッサンには花魁のような色気がないのが致命傷だ。



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ベトナム、タイ、ミャンマーの3カ国でイメージするものなーんだ?

なに?
私の好きな旅行先?
その答えはある意味正解だ。

私はこの親日3カ国が大好きで、とりわけミャンマーはその劣悪な政治状況はさておいて国民のホンワカで真面目な雰囲気が気に入っている。
そんなわけでもないが、ここ何年かはミャンマーばかりを訪れている。
もちろんお互いの君主同士から国民同士まで親しいタイも大好きだし、見るからに優秀であっさりとした料理も取っつきやすいベトナムも大のお気に入りなのは間違いない。

しかし、それは私の個人的趣味の話しかない。
それではいったい何が共通点なのか?

学校の歴史授業では「ゲルマン人の大移動」というのは学ぶ。
謎の民族フン族が勢力を拡張してゲルマン民族がドドドと移動してローマ帝国滅亡のきっかけを作ったという歴史イベントである。
実はこの西アジアからヨーロッパにかけて発生した民族移動を上回る大移動が東アジアでもあったことを学ぶ日本人はほとんどいない。
私もその一人だった。

実はこのベトナム、タイ、ミャンマーの共通点は身勝手な民族として著名な漢族の膨張主義のため故郷を追われた民族ということで共通しているのだ。

ベトナムは二千年の昔から中国支配の恐怖にさらされていたところで、その恐怖にびびって南下した金族が建国した国なのだ。
実際、ベトナムが中国の支配下に入った期間も中途半端ではなく、その中国支配からの脱出抗争が後のベトナム戦争の役に立った。

タイやミャンマーは仏教国で地理的にもインドに近いから日本より古い歴史を持っていると思っている人も多いことだろう。
ところがこの二国が建国されたのは10世紀から11世紀。
平安時代後期の話で、意外と新しい国なのだ。

で、彼らがもともと住んでいたのが中国南部。
タイ人は雲南省、ミャンマー人はチベットから四川だといわれており、彼らは身勝手漢族の膨張に圧倒されて現在の場所に出てきてしまったというわけだ。

中国人、つまり漢族はゲルマン民族の移動を促したフン族よろしく有史以来、他人の土地に無断で押入り住んでいる人を追い出してその富を略奪するのをモットーとしているのだ。
こういうことを不思議に日本の歴史教育では教えない。
ではいつ教えるのか?
それは今が絶好の機会なのだ。

ベトナムに始まる漢民族のフン族的行動はついに山深いチベットへと到達した。
ちなみにミャンマー人は民俗的にチベット族と姻せき関係にある。

この危ない民族が海を渡って来ることは今のところ考えられないが、その危機感はギョーザや薬品、玩具に姿を変えてすでに私たちの身近に迫ってきている。
そういうところが、かなり怖いと思わないか。

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「開国は文明を開花させたと同時に石油に依存する社会をもたらした」

とは、とある歴史書で目にした言葉だった。

確かに日本は開国する1854年まで完全自己完結型の循環型社会を形成していた。
食料自給率はもちろん100%。
住宅建築から造船、工場などの建設にかかる労力、資材なども100%自給。
エネルギーである油やロウソクなども国内産。
島国なのでほぼ完璧な鎖国を成し遂げ250年間というものは、雀の涙ほどの貿易を除けば海外から調達するものは何もなかった。

それが開国とともに石油や石炭が必要になった。

明治5年。
新橋横浜間に走り始めた鉄道には石炭が必要だった。
富国強兵のための繊維工場や軍艦、発電所には石炭に加え石油なんかも必要だった。
250年間守り通した「自給自足」の社会はこれにてエンディングを迎えた。
工業製品を生産したり、国を守るための防衛に海外から大量の資源を輸入するようになった。

結局、資源の輸入を確保するためにしなくてもいいような戦争に手を染めてかなり巨大な貧乏くじを引く羽目になった。

鎖国は国際的には不自然な政策だったが、かえってそれが功を奏して人口3000万の江戸期の日本は意外に幸せな時代だったのかもわからない。

で、視点を変えれば現代の世界。
小さな惑星「地球」に乗っかった世界の国々はいわば江戸期の日本と一緒。
限られた資源を上手に使って完全循環型社会を構築しなければならないのだ。
ところが資源調整の会議もまともに進まないアホ国家ばかり。
「うちの国では」
「私の民族では」
「金があるとこ」
「貧乏なところ」
と、勝手気ままに好き放題。

ということで、国際会議の失敗報道や国家ぐるみの資源の買い占め、金のためなら川へ重金属や化学物質を流してもなんとも思わん中国人。
世界に巣くう魑魅魍魎を見るにつけ、江戸期の日本人の偉大さをひしひしと感じてしまう。
が、とは言え今更石油を使わない社会を作るのはかなり難しいな、と思いながら自動車通勤。
なんだか矛盾している日常だ。

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