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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



上野動物園のパンダ「リンリン」が死んだ。
リンリンランランのリンリンではなかってよかった。
などと茶化すと抗議が来そうなので、やめとこ。(っていうか、いまどきの若いもんはリンリンランランと言っても知らないであろうが)

これで上野動物園にはパンダはいないことになった。
これは上野動物園にとってはショックかもしれない。

「パンダがいなくなったら通年でも、あの北海道の片田舎の旭山動物園に負けるやん」

となるかも知れないからだ。

それにしても日中友好の印として寄贈されたジャイアントパンダ。
その望みとは裏腹に日中の関係は、自由資本主義で立憲君主の近代国家と共産主義という前時代の遺物のせめぎ合いで悪化の一途をたどっている。

東京に住んでいないからかもしれないが、私は上野動物園にパンダがいること最近はほとんど忘れかけていた。
パンダといえば関西では白浜のアドベンチャーワールドで、上野動物園はすぐには思い浮かばない。
それに近年は先にあげた北海道の旭山動物園が脚光を浴び、実際に行ってみるとその展示内容からなにから何まで、都会の動物園よりも洗練され理想的なのに舌を巻いた。
こうなるとますます上野動物園の存在を忘れていたのだ。

「客寄せパンダ」
の言葉のとおり、パンダは集客を目指す動物で、金ずるなのかもしれないが、正直言って寝そべっているパンダを見るより、旭山のゴマアザラシやペンギンの泳ぐ姿のほうが衝撃的で楽しい。
そういう「すごい例」を研究した上で、パンダの誘致を進めてもらいたいものだ。

なお、どうしてもパンダがほしけりゃ落語の「動物園」を参考にせよ。
そのほうが、きっと面白い動物園になること間違いない。

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今日のベトナムでの聖火リレーを最後に、中国国内での聖火リレーはその全ての日程を終了したそうだ。

それにしても、始まる前からこれほどボロボロのオリンピックは他にない。

アジアでの最初のオリンピックは東京だった。
東京大会はあらゆる意味で全てが新鮮で、友好的で平和だった。
例えば、閉会式で各国選手が入り交じって行進するのは東京オリンピック以来の習慣だ。
東京大会が大成功なら、北京大会は始まる前から失敗している。

批判をした国の企業を国民が襲って営業妨害。
各国に秘密警察を送り込み、聖火防衛。

ここにも日本と中国の違いがある。

これもオリンピックの価値が商売の道具でしかないからで、その点では高校野球と構図は一緒。

ということで、聖火リレーも終わったことだし、中国も満足なことだろうから、これで北京オリンピックは開催されたということにして全て終わりにしてはいかがだろう。


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子供の頃、父と母によく「じゃんじゃん横丁」へ連れていってもらった。
このじゃんじゃん横丁の中にあった弓道場で弓を使って的を射るのが大好きで、その後、ちかくの食堂へいってちらし寿司ときつねうどんを食べると幼児であった私には大いに満足なのであった。

なぜ、ジャンジャン横丁に行ったのかは覚えていない。
もしかすると天王寺動物園へ行った帰りに寄ったのかもしれず、もしくは通天閣に登った後に立ち寄ったのかも分からない。
なんせ幼児であったので記憶が定かではないのだ。

でも幼児だった私にも鮮明な記憶として残っているのは、40年近く前のジャンジャン横丁を含む新世界はすでに場末た香りがたっぷりの労働者の街であったことだった。

西加奈子の小説「通天閣」はこの新世界界隈を舞台にしている。
二人の主人公はこの街に住み、そして職を得ている。
大阪の人なら誰でもここが「普通の街」とは少し違うところであることを知っている。
そこに住む主人公たちだけに、いわゆる普通の人生は歩んでいない。
そして普通の人生ではないけれども「もしかすると、自分はこの人たちと同じような人生を歩んでいたかも知れない」と考えてしまう切なさがある。

もしかすると、
もしかすると、
もしかすると.....。

二人を通じて垣間見る多くの人間模様と灰色の大阪の街が様々なイメージを抱かせてくれる印象的な物語だった。

~「通天閣」西加奈子著 筑摩書房~

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東京の地下鉄で一番困るのは「階段が多い」ということだ。

どうして首都の地下鉄なのにエスカレーターがなく、しかも通路にさえ段差があったりして、ちっともバリアフリーでなかったりする。
例えば三田駅で都営浅草線から三田線に乗り換えるのに地下を歩いていると段差や階段があり、
「車いすの人は駕籠を雇わねばなるまい」
と思ってしまう。

この点、大阪市営の地下鉄はだてに税金の浪費をしているだけではなく、ちゃんとエスカレーターや動く歩道を整備していて市民の目をごまかすことは忘れていない。
これが東京のようにエスカレーターもなければエレベーターもないと言う状況であれば、すでに大塩平八郎の乱パート2が発生していたことであろう。

東京の地下鉄の階段はとりわけ夏がかなわない。
バンコクのBTSも開業当時、エスカレーターが少ないのと、年中暑い土地柄が融合し、プラットホームにたどり着いた時はヘトヘトになったものだが、東京の夏はまさにそういう感じ。

どうして東京の地下鉄にはエスカレーターが少ないのか。

その疑問に対する答えが、この本には書いてなかったけど、なんとなく関連付けられそうなことが記されていた。

秋庭俊著「帝都東京・隠された地下網の秘密」を読了。

この本には「戦前に『軍事政権』によって築かれた地下鉄網が東京の地下には総延長400kmも走っていた」という政府による極秘鉄道の存在が描かれている。
なかなか見せる。
「なぜ南北線は丸ノ内線よりも上をクロスしているのか」
とか、
「西新宿の駅はなぜ忽然と開業したのか」
など、
「もともとそこにトンネルがあったとしか思えない」
という仮説からドンドン飛躍し、政府陰謀説が展開されている。
実に面白いのだ。

とりわけ国会議事堂前駅の謎が記されており、その駅を利用したことのない私は???なのだったが、なるほど。
政府の重要施設の下には秘密の地下鉄網が走っていたのか、ということに納得した。

しかし、これだけの雄大な秘密をなぜ政府は今も明らかにしないのだろうか。
そこには「自民党の利益が潜んでいる」のだと著者は別の著作で述べる。
だから「民主党を応援します」とまで述べている。

ということで、なかなか面白い本なのだが、『軍事政権』のひと言で「おや?」と思った私は著者の略歴をチェック。
「朝日出身のお方」なのであった。
ともかく、朝日出身を差し引いてもなかなか面白い一冊であった。

なお、こういうのをトンデモ本というのだと納得したのは言うまでもない。

~「帝都東京・隠された地下網の秘密」秋庭俊著 新潮文庫~

注:日本には軍事政権は存在しません。第二次大戦中でも議会があり、当時のことを「軍事政権」と呼ぶ人には注意が必要です。


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最近私は東京出張時には浅草近辺へ宿泊することが多い。

先日、予約をしているホテルに向かうためつくばエキスプレスの「浅草駅」を下車した。
改札口を出て地上へ出て、
「なにか、夕食を」
と浅草演芸場の辺りをウロウロしようと横断歩道を渡ると、なんとそこには驚くべき弁当屋が店を開いていたのだ。

「台東区で一番安い弁当屋」

看板に書かれたそのキャッチの通り、この弁当屋ではなんと一個250円の弁当が売られていたのだ。

浅草で格安弁当。
品質は大丈夫か?と一瞬疑ったが、多くのスーツ姿のサラリーマンが買い求めている姿を見て、
「大丈夫やろ」
と私も250円の弁当を買い求めたのであった。

で、写真のやつが私が買った弁当で、卵のフライとミンチカツがついていてご飯はボリューム一杯。
これとホテルの自販機で買い求めた120円の十六茶で、この夜の夕食なんと370円。

弁当で夕食という、ビンボーなスタイルであったものの、ある意味安く付いて幸せなのであった。

なお、この他にもシャケ弁や焼き肉弁当などもラインナップされており、よくよく考えてみるとコンビニ弁当のコンビニチェーンへの工場出し原価がこんなもんかと、いたく感心したのであった。


台東区で一番安い弁当屋さん

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大阪市立科学館は四ツ橋にあった電気科学館譲りのプラネタリウムで有名だが、この科学館が東洋初のロボット「学天則」を復活させた。
その予算、なんと2100万円。

幻の学天則はデンソーやファナックの産業用ロボットよりは安かった、というわけだ。

ところで、この学天則。
一般公開は7月18日だそうで、これってもしかすると「くいだおれ太郎」の引退のタイミングに併せたのではないかと疑ってみたくなってくるものがある。
もしかして、大阪市科学館は「道頓堀のくいだおれ」閉店の情報を掴んでいたのではないかと。

道頓堀の名物人形「くいだおれ太郎」に代わる「学天則」。
いっそのこと、学天則に赤と白のストライプの衣裳を着せて太鼓どんどんさせたらかなり受けるかもしれない。

大阪市立科学館。
そこまでやったら「さすが商人の町。大阪の科学館」と褒めてやりますけど。
いかが?

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次のNHK朝の連続テレビ小説が発表された。
タイトル「つばさ」。
もしかすると、そのつぎは「こまち」で、そのまた次は「やまびこ」「はやて」と続くのかも知れない。

私たちは一般に読売テレビで放送されている「笑点」を「おおいなるマンネリ」なんて呼んでいるが、NHKの朝の連続テレビ小説も「おおいなるマンネリ」であることに代わりはない。

すでにドラマとしての魅力は薄れ、すっかり新人女優の登竜門のみ、という意味合いに陥っている。
さらに人々の生活様式も激変しており、仕事を持つ女性が朝の8:15からテレビドラマを見ることはない。
にも関わらず、「●●な女性が成長していく過程が描かれています」などと宣伝されるものだから、
「ナンセンスだ」
とも叫びたくなってくるのだ。

「紅白歌合戦」も「大河ドラマ」も「のど自慢」もマンネリしていることに気付かないNHK。
かと言って、新しい番組を作ってみたら「コメディお江戸でござる」のようにスタートした時点ですでにマンネリしているものまで登場させた。
ある意味、マンネリについてNHKの右に出る放送局はない。

ところで、働く女性を主人公にNHK朝の連続テレビ小説を製作するのなら絶好の職業がここにある。
それは、
「NHKの受信料集金人」。

「このドラマは、地方から出てきた主人公が、マンションやアパートに住む受信料支払い拒否者に対して、心を込めて受信料がどのように使われているのか、コンプライアンスはいかにしっかりしているかの説明を通じ、地域の人たちから愛と友情で受信料を徴収する涙と汗の物語です。」
てなドラマを作ったら、意外にヒットするかも分からない。

あ、このドラマ「サラリーマンNEO」でやってもいいと思いますけどね。

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10年ほど前に大阪の地下鉄御堂筋線・動物園前駅で一人の女性がホームから突き落とされた。
女性は入線してきた電車に撥ねられ死亡した。
「こわいよ~こわいよ~」
と突き落とした本人・知的障害の少年はそう繰り返していたと新聞は伝えていた。

で、新聞報道はここまで。
知的障害だから少年は罪にも問われず、少年の保護者は女性の遺族に賠償したかどうかもわからない。
なんといっても「知的障害」だったから。

先月、JR岡山駅で岡山県職員の男性が殺された。
大阪からやってきた少年にホームから突き落とされたわけだが、このほどその少年の精神鑑定が発表された。
「発達障害」
なんでも、他人との人間関係の構築が困難だそうで、だから「犯罪を起こしても仕方がない」とでも言いたいのかもわからない。
これでは、
「すいません。お宅のご主人、犬に噛まれたと思って、諦めてくださいね」
と同じじゃないか。
犬なら捉まえて「処分」することができるが、「発達障害」でも人だから「処分」はできない。
代わりに責任をとる人さえ、いない。

殺された男性には二人の幼い娘がいた。

どうやらこの国では普通の人の命の価値はかなり低いようだ。

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地下鉄難波駅のコンコースを歩いていると、知らないオッサンの大きな声が聞こえてきた。

「は~、そうでんねん。ちゃいまんがな~! そうそう、そうでっか、そうでっか」

実のところ、関西以外の人びとにとって大阪弁といえば「でっか」とか「まんがな」という言葉を発するのが当然と思われているかも知れないが、そのような人は今現在、ほとんど存在しない。
まれに「そうでんがな」などと言う大阪的なビジネスマンを見かけると、
「おおおおお!化石じゃ!」
と叫びたくなるのだ。

そういう意味で、難波駅のコンコースで見かけたオッサンは、私にとってはアンモナイト、三葉虫、シーラカンスみたいな人物で、聞いた私はめちゃくちゃ恥ずかしく感じたのであった。

ところで、「でっか」言葉はいつ生まれたのだろう?

私が社会人になった頃、すでに大阪のビジネスシーンでは「でっか言葉」はテレビドラマを除いてほとんど聞かれることはなくなっていた。
私は大学を卒業してすぐに建築業界へ入ったのだったが、そのラフな業界でさえデッカ言葉は姿を消し、ほとんど関西訛りの標準語が一般的であった。

初めて「デッカ言葉」に生で遭遇したのは建築業界を去って製造業に携わった時で、その会社の営業マンが「デッカ言葉」を使っていて度肝を抜かれたのだった。
「なんじゃ、あれは?」
と。

関西以外の人びとにとって、テレビドラマに見られる「デッカ言葉」は関西を舞台にするドラマや小説には不可欠な要素であることは間違いない。
ところが関西人にとってこれほど不自然な言葉はない。

私はこの「デッカ言葉」は大坂商人版の吉原言葉ではないかと密かに考えている。
というのも、大阪は全国各地から集まってきた商人の街として栄えてきた歴史を持つ。
もちろん各地方から出てきた人たちはそれぞれのお国言葉が存在し、各が普通に話すと意味が通じないことがあっただろう。
そこで登場したのが、大坂商人版吉原言葉。

「ありんす」の代わりの「おまっせ」。

但し難波駅のコンコースのオッサンには花魁のような色気がないのが致命傷だ。



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日本郵船のタンカーがソマリア沖で武装勢力のランチャー攻撃を受けた。

拝啓

社民党、共産党、民主党左派の皆さん。
平和憲法がある限り、日本は攻撃の対象にならなかったのではないのですか?
なに?
インド洋での自衛隊のミッションの結果?
なるほど、言い訳は色々あるわけですね。
ならば、北朝鮮による日本人拉致はどうなのですか?
あのころ自衛隊は国際活動をしていませんでした。
そのころ日本社会党の皆さんはパチンコ屋さんからお金を貰ってました。
今の社民党、民主党左派の皆さんです。
お金を貰うと、危害を加えられてもいいということですね。
皆さんが武装勢力からお金を貰っているとは考えられませんが、憲法九条を守るために日本人や友好国の人たちに犠牲者が出ても知らん顔はやめてくださいね。

あ、ところで「チベットに自由を」と叫んだだけでマレーシア在住の日本人が中国人に袋だたきにあいました。
発言すると暴力を振るう。
こういうの、嫌いじゃないんですか?
でも、何も言わないんですね。
きっと中国が日本に侵攻してきても何もいわないんでしょう。
憲法九条を守るためには、タンカーも日本もどうでもいいですもんね。

日本滅んで紙切れ憲法残る。

その時はいいわけ通じませんけど、どうしますか?

敬具

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