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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



我が阪神タイガースがリーグ優勝をした。
星野仙一監督に率いられた2003年の勝利から2年ぶりの優勝だ。

今回の優勝は申し分なかった。
ペナントレース終盤は白熱戦。一時は2位のドラゴンズに0.5ゲーム差まで接近された。
一方的でない戦いは、野球を楽しむに十分以上な刺激を与えてくれていたのだった。
そしてM1で迎えた昨日の29日。
相手チームは永遠の宿敵読売ジャイアンツ。
場所は聖地「甲子園」。
指揮官は阪神生え抜き岡田彰布。
これほど素晴らしい「優勝決定戦」への舞台装置はかつてなかったであろう。

しかしこれだけの条件をそなえているにも関わらず、ゲームセットが告げられて優勝が決定した瞬間、私は2年前に感じた心からの感動を味わうことができなかった。
なにかが物足りなかったのだ。
確かに、大好きなチームが優勝を決めたことに対する安堵感がこころ包み込んだ。
大喜びするタイガースの選手、スタッフたち、そして甲子園の大群衆をテレビで観ていて、こちらもとても嬉しくなったのだが、なにかが足りないと思わざるを得なかったのだ。

私がものごごろついてからの阪神優勝は1985年と2003年の2回だけだった。
1985年の時は、まだまだヒヨッコだったので、周りのみんなと騒ぐのが楽しかった。
しかし一昨年の2003年はかなり違った感慨を私に与えたのだ。
1985年からの18年間の様々な出来事が、阪神タイガース優勝と絡み合い、次々の思い出され歳月の流れを感じさせたからだ。
この間、大学を卒業し、就職に失敗し、せっかく就いた職業も気に入らず3回渡り歩いた。
友人仲間の一人(タイガースファンだった)は交通事故で亡くなり、妹のように思っていた従妹の一人も事故で失った。
好きだった女にはふられて、初めてのタイ旅行では偽宝石をつかまされた。
世界に目を向けるとルーマニアのチャウセスク政権が崩壊を手始めに共産国家が崩壊し、ソ連が解体して東西冷戦が終結した。
湾岸戦争があって9.11があった。
その間タイガースは、情けなさを通り越し、気持ちが良いほど負け続けた。
ともかく色々な出来事を経験した18年間と重ね合わせた一昨年の優勝と、今回の優勝はやはり自分にとっても意味合いが異なってしまうのは当然のことだったのかもしれない。

2年前の優勝のテレビ中継で一番印象に残った光景は、そこにタイガースのユニホームを着た田淵幸一がいたことだった。
二度と阪神のユニホームを着ることはないだろうと思われていたMr.タイガース田淵幸一が星野仙一と抱きあって喜びを噛みしめていた姿が、自分自身の18年間を一層感傷的に増幅させていたも間違いない。

今回の優勝は、そんな感傷さを必要としない、天真爛漫な勝利ということができるだろう。
もしかすると、今回のタイガース優勝は、ほとんどの阪神ファンが初めて経験する「プロ野球リーグに対する純粋な勝利の歓喜」だったのだろうか。
そう。きっとそれが私の感じた「物足りなさ」の正体なのかも知れないのだ。

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9月7日に心斎橋そごう本店が新築オープンした。
本来私は開店したばかりのショッピングゾーンに足を運ぶのは好きではない。
というのも雑踏が大嫌いで、堪え難い苦痛を感じるという性格なのだ。
だからいくら新しい話題のスポットがオープンしたといっても半年くらいは足を向けないのが普通なのである。

ところが「心斎橋そごう」となると話は違う。
というのも高校生の時に江戸時代の古地図を広げて見ていると心斎橋筋に面して十河(そごう)と大丸が今と変わらぬ位置に建っているのを発見したことが特別な私にとって意味合いを持ったからだ。

御堂筋は昭和になってから作られたので、当時の大阪のメインストリートは心斎橋筋。
今も残る多くのお店とともにひときわ大きな升目で描かれていたのがこの2店舗というわけだ。
江戸時代と現代の共通点。
この単純な事実に大いに感動して以来、自分の生まれた大阪という街に強く関心を持つようになった。
大阪の商システム、文化、演芸、文芸などなど。
十河と大丸がなかったら、もしかすると今ほど落語や浄瑠璃などの上方の伝統芸能に関心を持たなかったかも知れないのだ。
新店舗はプレオープンしてから連日10万人規模の来客があるということを聞いていたが、以上のような理由から嫌いな雑踏を覚悟して、正式オープン三日目に立ち寄ってみたのだ。

ちょうど開店直後の午前10時過ぎに訪れると、客数は多いものの店内はまだまだゆったりしていた。
とにかく上層階へ行こうということで、エレベータで11階へ上ってみた。
エレベータを降りると吃驚。
そこには古き良き時代(設定は昭和のはじめとのこと)の心斎橋筋商店街が再現されていたのだった。

地球儀や骨格などのミニチュア専門店や万年筆専門店。行灯をデザイン化したようなレトロでお洒落な照明器具など。
実に面白い。
見ていて飽きない。
最上階にはクラシックコンサートや落語などにぴったりの200座席ほどの小劇場がある。
屋上はウッドデッキになっていて、眼下にミナミの繁華街が見渡せる。
凄いではないか。

品揃えはどちらかというと高直な高級品で固めているが、それはコンセプトとして間違いない決断と言えるだろう。
老舗百貨店と新興のファッションモールの区別がつかなくなってきている最近の大型小売店。その潮流に喝を入れる、なかなか渋い演出である。
帰りになんばの高島屋大阪本店に寄ってみたところ、客は多いが、
「なんとかせんと、客を全部心斎橋にとられるで」
と言いたくなるほど、マンネリしていた。

新生心斎橋そごう本店。
高級品を買う金がなくても一度立ち寄ってみる価値は存分にある大阪の新名所だ。

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親愛なる読者の皆さん!

「先週ミャンマーをうろうろし、インターネットできませんでした」
と、昨日書き込んだのですが、上手く反映されていないようで。

ということで、一分間3円もするので今日の書き込みはここまで。

「それだけかい!」(と、突っ込む事)

ほな!

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さすがに一週間も書き込みをしていないとアクセス数はがた減り。それでも毎日多くの方に見て頂いているようで感謝感謝。

一週間のオヤスミをしてしまったのは、インターネットへの接続が難しいミャンマーへ行っていたから。
今、バンコクまで帰ってきてショートコラムを書いてます。

しかし二度目のミャンマー訪問はエキサイティングでした。
内容は追って旅行記にします。
ということで、
日本でわがまま学生相手に苦労しているアナタ、
カナダでのほほーんとしている君、
そして京都で船場で東京で、そして全国で仕事に追われている皆さん、
ミャンマーへ行ってリフレッシュしよう!

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デジカメが故障した。
原因は不明である。

一昨日、仕事でデジカメを使おうと思い事務所でスイッチを入れた。
いつもなら、ここで液晶画面にメーカーのブランド名が表示されて、続いてレンズのとらえている映像が映し出されるのだが、そうならなかった。
小さな液晶画面にはブランド名は映し出されたものの、次に出てきた映像は、
「あら、懐かしい。壊れたテレビの画像だわ」
というような、往年のガチャガチャ回すチャンネルのついた4本足の白黒テレビが故障したときのような画像がでてきたのだった。

どう考えてもおかしい。
故障したテレビのような映像なので叩けば治ると思ってやってみたが治らない。

ともかく、先週末に使ったときはまったく問題がなかった。
無事撮影ができて、コンピュータへもデータを円滑に読み込ませることが出来たのだ。
それから一昨日までの4日間、そのデジカメはパソコンの前に置かれたまま、誰一人として触ったものはいなかった。
で、スイッチを入れたら、モヤモヤモヤと、横に画像が乱れた故障した白黒テレビのような映像が現れたのだ。

正直いって焦った。
仕事の内容に焦ったのではない。
実は明日から旅行に出るので、デジカメが壊れるとフィルムカメラを持って行かなければならないからだ。
私の持っているデジタルカメラは携帯電話についているものを除くとこれ一台っきり。
これが壊れると、重ーいフィルム用一眼レフしか持っていないので、カメラは重いわ、フィルムは高価だわで大変困るというわけなのだ。
仕事を切り上げて買ったカメラショップへ急いだが、カメラをチェックした店員は一言、
「ん~~~、CCDの寿命ですね」
とそっけない。

確かに、このカメラは使いまくった。
ミャンマー旅行にタイ旅行、東京出張に、沖縄出張、押したシャッター数知れず。
しかし、この1月に旭山動物園のヒョウの檻の前の階段で、雪で滑ってメチャクチャエグイ尻餅を付いたときも壊れなかったカメラが、なーんもしとらんのに、自然になんで壊れたりるのか?

購入してたった一年半しか経っていないのに潰れたとなると、納得いかないのが人情である。
しかし納得いかないけど、どうにもならないのが現実だ。

ということで、1本当たりのコストが1500円程度かかるフジクロームかエクタクロームのフィルムを十数本持って行くか、新しいデジカメを買うのか今、決断が迫られている。

こら!富士写真フィルム。
「スターウォーズ・エピソード3」のエンドクレジットにデカイ文字でFUJINON LENSEと出すくらいなら、もっと耐久性のあるカメラを作らんかい! と、私は叫びたい。

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映画監督ロバートワイズが亡くなった。
享年91歳。

ロバート・ワイズという名前を聞いて、一番最初に思い浮かぶ映画といえば「サウンド・オブ・ミュージック」だ。
数々の名曲に彩られたこのミュージカルは日本でも多くの観客のこころを魅了している。
アルプスの雄大な山並みを背景にジュディー・アンドリュースが歌う主題歌「サウンド・オブ・ミュージック」や、子供たちに囲まれて歌う「ドレミの歌」など、誰もが口ずさめるような名曲が目白押しなのだ。
ドレミの歌に至っては私の小学校時代、音楽の教科書に掲載されていたくらい、有名な曲になったのだった。
しかし私には、これらどの名曲よりも、とりわけ心に残った歌があった。
それは「エーデルワイス」の歌であった。
トラップ大佐を演じるクリストファー・プラマーの歌があまりにヘタッピなので脳裏に張り付いて消えなくなってしまったからなのであった。
考えてみればプラマーという俳優は妙な雰囲気を持った役者さんであった。
20年の後、ダン・エイクロイドとトム・ハンクスが主演した「ドラグネット」で気持ちの悪い新興宗教の教祖様を演じてみたり、タイトルは忘れたが、B級SFで変態チックなキャラクターを演じていた。
これらを思うと、「プラマーはキショイ」という印象は、すでにこのとき多くの演出家の目にとまっていたのは間違いないだろう。

で、この監督のもう一つの名作ミュージカルといえば「ウエストサイド物語」。
とにかく、あの片足を高く上げてVノ字でポーズを決めたイラストが掲載されていたポスターばかりが記憶に残っている映画なのだ。
私の好きなNYフィルの指揮者であり作曲家のレナード・バーンスタインに作曲したミュージカルなので「組曲ウエストサイド物語」などはLPレコードで持っているから良く知っているが、なにぶん未だ全編を通して見たことがない映画だから、いったい何が凄いのかまったく分らない映画でもあるのだ。

さて、この監督は生涯の間に40作も作ってきた巨匠でもある。つまり40本も製作に携わった映画があるということは、そのなかに駄作も混じっていることは仕方のないことだ。

ミュージカル映画監督として知られているワイズ監督だが、SFやホラー映画も作っているのだ。
なかでも「アンドロメダ」(1971年作)はSF映画でも傑作の一つに数えることのできるA級作品である。(但し地味)
しかしワイズ監督の一級SF映画はこの一作だけで、あとの「地球が静止する日」「恐怖の島」などはB級作品であった。
とりわけワイズ監督がSF映画の監督として相応しくないと思わせてくれたのが1979年の「スタートレック」だった。
でもよくよく考えてみると、この「スタートレック」というようなSFカルトの総本山のような作品の監督を引き受けたこと自体がワイズ監督の「一生の不覚」だったのではないかと思えてくるのだ。
35ミリフィルムを作ったこともないようなロバート・エイブルを特撮監督に起用し大混乱。
20世紀foxのスターウォーズのようにお金の儲かる映画を期待したパラマウントからのプレッシャー。
そして、何処のどいつらよりも口やかましい「トレッキー」と呼ばれるスタートレックファンの狂気に対応しなければならなかったのだ。
思えば、気の毒な巨匠であった。
それが証拠に、この映画を撮影した後、1~2本しか映画を作っていない。
よほど老体に応えたのであろう。

ともかく映画の一時代を担った職人監督は往った。
謹んでご冥福を祈りたい。

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日本の科学技術が世界でもトップレベルにある理由に、漫画家手塚治虫の貢献が大きいという説がある。
鉄腕アトムに代表される手塚漫画は戦後の少年たちを半世紀近くの間、夢の世界へ導いた。
「ロボット」
「弾丸列車」
「宇宙旅行」
「高速道路」
「電気自動車」
「電子頭脳」
「無免許医」
「ヒョウタン継ぎ」
などなど。
これら20世紀半ばでは夢物語であったテクノロジーを子供たちをして現実にしてやろうというイマジネーションを与え、奮い立たせたのが手塚漫画というわけだ。
そして出来の善し悪しは別にして、今日そのほとんどが日本の得意分野として実現されたということは、手塚漫画貢献説はあながち否定できないものであることを臭わせている。
天然資源の少ない日本にとって、科学漫画のイマジネーションで育った科学技術と人材は、他国になかなか真似の出来ない資源となった。

ここ一週間、各紙の紙面で地味に伝えられているニュースがある。
「はやぶさ」
関連のニュースである。
はやぶさといってもJRの特急列車の名前ではないし、往年の戦闘機の名前でもない。
我が国が放った無人惑星探査船の名前だ。
この「はやぶさ」が先週末、目的地の小惑星に到着し、至近距離で停止した。その精度、なんと毎秒0.25mm。
日本の宇宙船の姿勢制御技術が凄いことを初めて知ったニュースだった。

しかし、この惑星探査機の凄いところは姿勢制御技術ではない。
この惑星探査機はこの小惑星に接触し(相手が小さいので着陸できないのかな)その小惑星の石を採取して、なんと再来年日本へ持ち帰るのだという。
人類が地球以外の岩石を持ち帰るのは、月の石に続いて2度目となる。
この偉業。
みんな凄いと思わないか。

どういうわけか、各新聞はこの誇るべき科学ニュースを小さく扱う。
日本の技術が凄い事をアピールすると、せっかく滅びかけている技術立国日本の蘇らせはしないかと、どこかの国の顔色を窺っているのか。
ちょっと疑いたくなる。
本物の人を感動させる技術は、漫画の世界より遥かに影響力があることを、知っていての確信犯か。

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ここ最近、街を歩いていると外国人旅行者の姿を頻繁に目にするようになった。
団体旅行する台湾人や中国人の旅行者はもちろんのことバックパックを背負いロンリープラネットを片手に闊歩している欧米系の旅行者の姿を目にすることが増えてきたのだ。
海外からの訪問者が増えて、日本を見てもらえることは嬉しいことだと思う反面、
「よくぞこんな物価の高い国へ旅行に来る気になったものだ」
と考えることも少なくない。
私も旅がすきなので、年に何度か三四日から一週間程度の旅に出る。
多くはタイを中心にした東南アジアへのスポット旅行なのだが、国内旅行も少なくない。
旅の目的地はいつも予算と休暇日数を計算して、決定するのだ。
この旅行プランを立てていて、不思議に思うのが国内旅行の費用の高さだ。
たとえば同じ期間、大阪から旅行すると九州へ行くよりもタイへ旅行するほうが安く済むことが多い。
シーズンによっても異なるが、現地での物価の関係で相対的に安くなるのだ。

移動費、食費、宿泊費。
どれをとっても日本国内よりも高いところはない、と考えていていた。

ところが先週発売のNewsweek日本版で、これまでの「日本は高い」という固定観念を真っ向から否定するような記事が載っていて驚いた。
出版元には申し訳ないが書店の立ち読みで拝読したから記者の名前を忘失してしまったのだが、その記事によると、これまで外国人特派員が日本へ派遣されると、それを口実に色々とサラリーについての交渉を行ったという。
「食費が高いし、住居の賃貸料も世界一高いTokyoに住むんだから、サラリーを上げてもらわないと困るんですけど」というのだそうだ。
ところが、ものによれば今や日本は世界が信じてきたような物価の高い国ではなくなってきてるのだというのだ。
たった180円でカフェのコーヒーを1杯飲むことができる。
東京の都心部でも一般的な価格でそれ相応のホテルに宿泊することができる。
携帯電話、インターネットは世界でも最も安い価格で利用することができる。
過ごし方によっては欧米のいくつかの街よりも安価に生活することができるのだ。
また、いくら治安が悪くなったからといっても、日本ほど安全に生活を送れる国もめったにない。

この記事を読んで、外国人旅行者増加の理由が少しわかった。

先週末、映画を観るために大阪市営地下鉄「動物園前」駅を下車した。
すると大勢の白人バックパッカーが下車して、乗り換え口とは反対の出口に向かって歩いて行った。
動物園前駅周辺は東京の山谷と並び称されるあいりん地区だ。
多くの日雇い労働者がその日暮らしに寝起きする簡易宿泊所が密集している地域である。
この簡易宿泊所が畳2畳程度の個室ホテル形式に変わってきていると聞いていたが、どうやらここが外国人バックパッカーの日本での滞在先になっているらしい。

世界一の物価高が崩壊し、大都市のドヤ街がバンコクのカオサンのような外国人旅行者のメッカになる。

外国人旅行者の増加は、バブルが本当の意味で終結し日本がやっと普通の国になり始めた吉兆かもしれない。

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こういうのを、風見鶏と言うのですね。
納得。

http://www.asahi.com/politics/update/0913/010.html?ref=rss

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読んでいて、思わず「そうだよな~」と同意したり、「なるほど、今までそういうふうに感じていたけれど、言葉で表すとはっきりするな」というような、目からウロコがたっぷり詰まったエッセイ集だ。
それもそのはず、著者は日本財団の前会長、曾野綾子さんなのだ。

一編を除き見開きの2ページが一つの作品になっているので大変読みやすい構成になっている。そして、その一編一編の文章が「あ、そうか」という美味しいスパイスを使って味付けされているのが心憎い。
その心憎さも半端ではない。
今の日本人が公の場ではなぜか言えなくなっている微妙なことを整理してきっちりと指摘しているところが心憎いのだ。

それにしても近年の日本は言論の自由を失っている。
こと教育界の問題や、対中韓関係、子供や老人、障害者問題に対する発言は迂闊なことが言えない状態になっている。
だからかどうかはわからないが、政治家やマスコミは、たとえそれが正論であったとしても、一部の人々(市民団体や政治政党など)からの批判をかわすために、声に出して公にすることを避けようとするのだ。

従軍慰安婦問題にしても商売のための売春はあったが、いわゆる国家が主導したなどという性奴隷などなかったという結論は出ているのに、事実をねじ曲げる中韓の主張を報道して、自国の正論は主張しないし報道もしない。
大阪教育大学付属小学校の被害児童の教室を「凶悪事件の記憶がトラウマになるから」という理由で建替える、などという、どう考えても妙な理屈を正当化し、反論を許さない。
海外へ修学旅行に行った中高生が単なる物見遊山のグループツアーになっているために、外国を知るという勉学にまったくつながっていないことや、婦女子の海外留学といえばインドやアフリカ、中南米、アジアではなくカナダ、アメリカ、豪州、西欧に偏るのもおかしな話だが、すべて反論することは許されないのだ。

つまり、現代日本は「なんだかおかしい、でも言えない」という「自己規制の呪縛」に拘束されていると言えるだろう。

本書はそういう不自然な風潮に対する違和感について、自然でユーモアに富んだ巧みな口調で語られており、読んでいるとある種の安心感に包まれてくるのだ。
いや、痒いところに手が届いている、と言えばいいだろうか。
マスコミの偏向報道や政治家、官僚の色眼鏡に影響されずに普通の日本人の価値観を再確認することのできる安心の良書である。

~「社長の顔が見たい」曾野綾子著 河出書房新社刊~

お断り:「社長の顔が見たい」と言っても総帥の顔が見たいという意味ではありません。念のため。(内輪ネタ)

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