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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



昨夜、夕食のレストランからホテルに戻り、それぞれの部屋に入る時に、
「朝食も一緒に食べましょうね」
と言って別れた。
そこで朝食をとりに約束の時間にレストランへやって来たというわけだ。

「私、石山さん、見てきましょうか」
とTさん。
「もうすぐ来るんじゃないですか」
と私。
トーストと卵焼きを注文し、紅茶を入れてもらって暫くポケーとしていると石山さんがやってきた。

「どうしたんです?」
「.........は~」
と石山さんはテーブルに着くなりへたり込んだ。

石山さんが昨夜、かなりハイテンションであったことは先に述べた。
で、かなり元気な食欲だったことも述べた。
元気一杯でホテルに帰ってきたのはいいが、昨夜半過ぎから彼女は大変なコンディションに陥っていたというのだ。
食べ過ぎが原因か、飲み過ぎが原因か分らないが、東京でもなく大阪でもなく、ヤンゴンでもバンコクでもないここバガンでバスルームに隠りきり............誠にもってご愁傷様である。

その災難な一夜が明けた石山さんは睡眠不足と体力消耗でヘトヘトの様相であった。
が、なんとか少しばかしの朝食を口にする元気はあるようで一安心。
外見以上にしっかりした人なのかも知れない、と思った。
ただ、石山さんが気力を振り絞って朝食に姿を現したのは他にも訳があったのだろう。
というのも、実はこの旅で私とTさんが石山さんと同席するのもこの朝食が最後の機会なのだった。

私とTさんは今日はバガンに近いニャンウーの市場を見学した後、車で1時間ほどの距離にあるホッパ山という観光スポットへ向かうことになっている。
石山さんは午前中バガンを見学した後、午後の飛行機でヤンゴンへ戻り、明日シンガポール経由で東京へ帰るのだ。

つまり今朝の朝食は最後の晩餐ならぬ最後あさげ(永谷園ではない)というわけだ。

「今日は何処行くんですか?」
と石山さん。
「今日はホッパ山へ行って、それからバガンへ戻って観光です」
と私。
「そうですか」
「そうです.......石山さんはホッパ山、行きました?」
「いいえ......今日はバガンを廻って帰ります」
「まだ、顔色悪いですね。大丈夫ですか?」
「大丈夫です。」

なんてことを話していたが、どことなく寂しそうな表情だった。
いや、寂しそうというよりも、食べ過ぎ飲み過ぎでクタクタという表情だったのかも分らない。
でも紅茶やジュースなどの水分を補給して少しは元気になってきた感じだった。
石山さんは根から陽気な「江戸っ子」の女の子なのだろう。

朝食を済ませ部屋に帰り、時間がもったいないので私とTさんは直ちに観光へ出発することになった。
「私、玄関まで見送りに行きます」
と石山さんは私たちが出発するのを玄関で見送ってくれることになった。

荷物を持って玄関に来るとタクシーがすでに待機してくれていてTさんもやって来た。
「せっかくだから、ホテルの前で三人で記念写真を撮りましょう」
と私。
「賛成!」
ということで、想い出のルビー・トゥルー・ホテルの玄関で3人揃ってポーズ。
ホテルの女主人に私のデジカメのシャッターを押してもらった。
「ではでは、行って来ます!」
「行って来ます!」
「行ってらっしゃい!」

さ、いよいよ石山さんともお別れである。
タクシーに乗り込み私とTさんが手を振ると、彼女もホテルの人たちと一緒に手を振ってくれたが、顔が涙顔になっていることに気づいた。
そういえば、たった一週間の旅だったが、ヤンゴンからスタートした今回の旅は、あまりに多くのことがありすぎて、随分長い間一緒に旅をしていた感じがするのだった。
「さようなら、石山さん」
とTさん。
「さようなら、お元気で」
と私。

タクシーはホテルを離れ、凸凹道を走り出し石山さんの姿もすぐに見えなくなってしまった。

何か物足りない。
このままでいいのだろうか。
なんだかこのまま石山さんとそれっきりになるのは、旅の締めくくりとして中途半端な気がしてならない、と思った。

「ねえねえ、Tさん。」
「何ですか?」
「石山さん、ホッパ山へ行くのに誘いましょうか?」
と私。
「.....実は、私も同じことを考えていたんです。」

私とTさんはどうやら石山さんが共通の友人と思えるようになっていたようだ。
せっかくミャンマーのバガンまでやってきて、有名なホッパ山を見ずに帰る石山さんを私は是非とも私たちのホッパ山ツアーに同行したいと思ったのだ。
偶然にも、Tさんも私と同じことを考えていたのだが、私に遠慮をして口に出さなかった。
ところが私が石山さんの同行をオファーしたものだから、待ってましたとばかりに賛同してくれたというわけだ。

私とTさんの考えが一致し、早速、
「では、石山さんに連絡をつけましょう」
となったのであった。
ところが、この私のオファーが、事態を少しばかり、いや、かなりややこしくすることになるとは予想だにしなかったのである。

やれやれ。

つづく

とりがら旅サイト「東南アジア大作戦」

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