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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



小泉首相は566万円 公務員に夏のボーナス (産経新聞) - goo ニュース


拝啓

公務員の皆さん。
私たち市民は打ち出の小槌ではありません。
ましてや、私たち市民はあなたたちの僕でもありません。
むしろ公務員は市民の僕であるはずです。
主人よりも高い収入を得ているのは、きっと世界中でもあなた達だけでしょう。

一般的に、企業では業績が悪いと賞与は金額を削られます。
赤字が続くと、賞与そのものが支給されないこともあります。
しかし、みなさんは違います。

国はもちろんほとんどの自治体は赤字です。
それも単年度ではありません。
ずーと、赤字が続いています。

そういう場合、民間企業では賞与はおろか、給与も削られ、一部の人たちは解雇されることも考えられます。
みなさんが解雇されないのは「民間企業と違うから」という考え方でしょうが、日本経済を支えているのは、皆さんではありません。
皆さんは民間に対する「特別な存在」ではないのです。
勘違いしてもらっては困ります。

日本の繁栄は多くの民間企業が額に汗して、ときには血さえ流して世界中で企業戦士として戦っているからに他ありません。

世の中に、まともに仕事をしていないのに高給を得ようとする者にろくな人間がいないことに、気づきませんか?

皆さんに、天罰が下ることを期待してやみません。

草々


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最近難い話が多いので、ミャンマー大冒険で頭をほぐそう!
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真っ青な空に白い雲がぽつりぽつりと浮んでいる。
岸辺は青々とした水草が生い茂り、その向こうには平らで広大な大地が続いている。
無粋な人工的な土手などまったくない。
遠くには背の高い緑色の木々に囲まれた黄金色に輝くパゴダの姿が望まれる。
ただ空は広く、大河エヤワディの流れが、遥か彼方まで、まるで海のように続いている。

私はエヤワディ川をバガンに向かって下る船のデッキにいる。
「デッキにいる」
なんて書くとカッコよく聞えるかも知れないが、私が乗船しているのは週に2から3便、マンダレーとバガンの間を運行している主に外国人観光客を乗せる定期船だ。
デッキ、などと言っても実際は最後尾のデッキの上で手摺りに手をかけてぼんやりとしているだけだったのだ。

「デッキで椅子を借りたら二千チャット要るんですって」
とTさんが白いオシャレなデッキチェアの使用料を訊いてきてくれたのだが、有料だと聞いて「そんなもん要らんワイ」とばかりにケチイ私はチェアに座ることをご遠慮させていただいたのだった。

しかし二千チャットといえば、たった二百円。
断ったことに納得するTさんもTさんなら、断る私も私であった。

昨日の夕方。
マンダレーヒルからの夕日を眺めた私たちは、麓にあるサンダムニパゴダを参拝したあと、シャン料理のレストランで食事をした。
もっともここはレストランというよりも食堂といったほうがぴったりするような店だった。
入り口でいくつかの料理を注文し、Tさんに叱られながらもマンダレービールを飲みながら、今日の旅の話などをしながら料理が運ばれてくるのを待っていると、店に入ってくる客の半分ぐらいが日本人だったのでビックリした。

「ここは地球の歩き方にも紹介されているんですよ」

恐るべし「地球の歩き方」
というよりも恐るべし「マニュアル民族・日本人」である。
ガイドブックに載っているところしか行けんのか、こいつら。
などと思っていたが、結果的に、何も考えずガイドのTさんに連れてこられた私もそのうちの一人ということになっていることに気づき、あまり悪態をつくことはよしておくことにした。

それにしてもシャン料理は美味い。
シャンのご飯も美味い。

普通、ミャンマーのお米は粒の長いインディカ米で、日本人の私たちには匂いがきついことに加えて、炊いても煮ても粘り気がなくパサパサなので口に合わないことが多い。
私も東南アジアの旅巡りを始めた最初の頃は、このインディカ米が口に合わず苦労した。
ところが。ここミャンマーのシャン州で収穫されるシャン米はどうやらジャポニカ種で、日本の米と同じように粘り気があり、匂いもさほどない。
どうしてジャポニカ米が、その品種改良の土地となった我が日本列島から直線距離にして4000kmも離れたところで栽培されているのかわからない。
想像するに、もしかすると第2次世界大戦中に進攻してきた日本軍が持ち込んだものではないかと、ふと思ったりしたが、未だ答えは見いだしていない。

そんなこんなで美味しいがちょこっと辛いシャン料理で会話も弾み、ついつい長居をしてしまうことになった。
その間も次々と日本人観光客が現れては食事をして帰っていく。
いったいここマンダレーにはどれくらい日本人がいるのだろうかとビックリするくらい出現するのであった。

今、私がバガンへ向かうために乗っているこの船にも、昨夜、そのレストランで見かけた数組の日本人観光客が乗り込んでいた。
もちろん、ヤンゴンからの列車でも辛苦を共にしたデイビット夫妻も乗船していたことは言うまでもない。

つづく

旅行記サイト「東南アジア大作戦」

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ホームレス仲間殺人、死刑破棄し無期判決…東京高裁 (読売新聞) - goo ニュース

被告は、
「覚せい剤を大量使用して、判断できない状態だった」
だから、
「死刑を取り消し、無期懲役とする」

これでは社会の正義は成り立たない。
この裁判官は論理的思考に欠ける人物か、はたまた「死刑反対論者」かのどちらかだろう。

覚せい剤を持ちいるだけでも、国によっては死刑が適応されるところも少なくない。
今回は覚せい剤を用いたばかりか、その覚せい剤に酔った勢いで人を惨殺したのだから、普通の人の感覚ならば死刑にするのが当然だ。
ところが、判決を下した裁判官の感覚では「覚せい剤」で自分を失って犯した殺人は「刑1等が減ぜられる」ということになる。
つまり、人を殺したかったら「覚せい剤を使いましょう」ということを、平気で述べているわけで、とても法の番人を司る資格は無い。

それでなくても、最近の日本は毎日妙な犯罪ばかりが発生する。
大学生が集団リンチの果てに生き埋めにされたり、カリスマ美容外科医という怪しげな商売を生業にする女の娘が、これまた怪しげな日韓中三人組に誘拐されて身代金を要求される事件が発生したり、小さなものでは郵便ポストがまるごと盗まれる、なんて事件も発生している。

世間がオカシイからかも知れないが、世間がオカシイ時にこそ、正義の鉄槌を振るうのが裁判官や政治家の職務ではないのだろうか。

ま、近ごろの裁判官は、一般公務員と同じでサラリーマン化しているから、正義だとかモラルだとかはどうでもよくて、責任も持ちたくないから「適当に尤もらしい判決を出して給料だけは貰っとこう」、という魂胆かも知れないが。

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業務停止命令に社長が謝罪 アイフルが株主総会 (共同通信) - goo ニュース

「関係者にご迷惑をおかけした」
と社長は言った。
しかし、倫理にも法律にも抵触するような商売をしていて「ご迷惑をかけました」と謝るほうがどうかしている。
「私は、金貸しだ。金貸しが、貸した相手から取り立てをするのは当たり前」
と宣言したほうがよほど良心的といえるだろう。

「あ、かわいい犬を使ったCMでイメージ作ってるけど、かっぱり『因業商売』ね」
と消費者に分るような声明を発表するほうがいいに決まっている。
その結果、気の弱い消費者は「上場しているけど『ヤクザ』なんだ」と思ってここから借金することは避けるだろうし、それでも借りる奴には、どういう手段で取り立てをされようが、世間も同情する必要がなくなるので、いいと思うのだが。

それにしても、商栄にしろこのアイフルにしろ京都に「ヤクザな取り立て」で有名になる「金貸し」が集まるのはなぜだろう?
不思議だ。

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ジェームズ・ボンドが活躍する007シリーズが久しく製作されなくなったのは、なにも東西冷戦が終結して十年以上が経過することだけが、理由ではないらしい。

007に強敵が現れて、それが次々にヒットを飛ばし、旧来のスパイアクションを近づけなくなっているからというのも一因だろう。

トム・クルーズ製作主演の映画版「スパイ大作戦」はついに3作目を迎えたが、その迫力はまだまだ継続しており色あせることはない。
しかも、次々と繰り出されるアイデアは斬新で、格好良く、2時間の上映時間があっという間に過ぎ去ってしまうのだ。
欠点を強いてあげるのなら、今回の3作目は少しばかし残酷な描写が多いことだけだろう。

その昔、マーチン・ランドーやレナード・ニモイが活躍した「スパイ大作戦」オリジナルシリーズは、それはそれで面白い作品だった。
ただ子供だった私には、有名なオープニングシーン、
「おはようフェルプス君。.......例によって君もしくは君のメンバーが捉えられ、あるいは殺されても当局は一切関知しないのからそのつもりで。なお、このテープは自動的に消滅する」
という大平透の指令の声が終ると、ドラマの大半は終ったようなもので、その後に続くかったるい物語は、あまり見ることがなかったように思う。

しかし映画化されてからのそれは、まったく異なる。
テープレコーダーが登場してヒョロヒョロ煙が出てくるようなクサイ細工はなくなって、指令のシーンも21世紀らしく格好良くなり、物語そのものもスピーディでスリリングだ。(昔のテレビシリーズはお世辞にもスピーディだったとは言えない)

この分ではきっと4作目も作られるだろうが、はっきり言えることは、007シリーズはおろか、マット・デイモンの「ボーンなんとか」シリーズよりも、寄る年波には勝てないハリソン・フォードの「ジャック・ライアン」シリーズよりも、このMiシリーズの方が遥かに面白い作品を期待することができるだろう。

なお、例によって君もしくは君の友人家族がこの映画を観賞したあと、あまり細かいことを考え過ぎ「この映画、ちょっとおかしいんちゃうの? 辻褄合えへんし」と思うようなことがあっても、映画の評価の責任について当とりがらブログは一切関知しないからそのつもりで。
なお、このブログは明日になったら違うトピックに更新される。
成功を祈る。

~「M:i:?」2006年パラマウント映画~

Mission Impossible 3

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鶴は千年、亀は万年というけいれど、本物の「ご長寿亀」は176歳だった。

オーストラリア動物園で飼われていた世界最長寿の亀(名前ハリエット)が6月22日、心不全のために亡くなった。
享年176歳。

新聞記事によるとハリエットはガラパゴスリクガメという種類で、名前の通り1830年にガラパゴス諸島で生まれた。

1930年。
なんと「シーボルト事件」の二年後に誕生した亀なのであった。
調べてみると坂本龍馬よりも6歳年長で、桂小五郎よりも3歳年長。
西郷隆盛よりも2歳年若なのであった。

もし亀が人と同じように、歴史の事実を記憶できるのであれば、きっとこの亀のおばあさんから面白い話を聞けたことだろう。
尤も、この亀は世界の片田舎、オーストラリアの動物園で飼われていたので、人語を解したとしても、大して面白い話は聞けなかったかも知れなかったが。

亀のおばあさん「ハリエット」

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一昨日ヤンゴンを出発する前から、Tさんも会社のカメラを持参して時々客である私をそっちのけで写真を撮りまくっていた。
(そう、マンダレーへ向けて出発したのは一昨日だったが、どういうわけか遥か昔のような気がするのだ。単に「ミャンマー大冒険」の連載回数が増えことだけが影響しているのではない。この時はあまりに多くのことが起こったために、ほんとうに一昨日出発したとは思えなくなっていたのだった)

「会社からホームページ用の写真を写してくるように言われているんですよ」

と、当人は言っていたが、どうやら写真を写すことが結構好きなようで、あたり構わずシャッターを押しまくっていたのだ。
たとえば、
「ここは撮影禁止なんです」
と私に注意しながら、私が遠慮しているところを確認しては、自分がシャッターを押して振り向いた私にニコッと笑うことも少ない。

「からかってるんですか?」
と私。
「わかりますか?」
とTさん。
「わかります。私をいじめてるんですね?」
「そうです。お客さんをいじめるなんて、悪いガイドですね、私は」
「そう思います」

てな具合に、時折Tさんに引っ張られる感じで私もいつにも増して写真を写すことが多くなってしまった。
実際に一週間に渡るこの旅が終わり、バンコクに帰ってからゆっくりと写真をチェックしたら、なんと2070枚も写真を撮っていたのだった。
これは明らかにフィルム代と現像代を気にしなくてすむデジカタルカメラのなせる技で、もし、フィルムで写したということになれば本数は約60ロールでフィルム代と現像代でおおよそ12万円分にもなるのだった。
「嗚呼、デジカメはなんて経済的なんだ!」
とサービスアパートの部屋でひとり小さく叫んだのは言うまでもない。

で、ここマンダレーヒルで、この絶景を目の前にしてTさんのデジカメが電池切れを起こしたのだった。

「どうしました?」
「あ~、電池が切れてシャッター押せないんです」
「ちょっと見せてください」

Tさん持参のカメラはニコンのCOOLPIX。
ちょっと型落ちモデルだが300万画素の高画質タイプだ。
ただ旧タイプだけに電池に持久力がないらしい。

「だめですね。」
「え~、だめですか」
「だめです。代わりのバッテリーは持ってませんか?」
「(会社は)1つしか持たせてくれなかったんです。ケチですから」

最後の「ケチですから」になんとなく恨みがこもっている。

「あ~あ、この素晴らしい景色を写せないのは残念ですね~」

と私がちょっと意地悪っぽく言うと、Tさんは、

「悔しい~です」

と本当に悔しそうに言った。

なんとなく可哀想だから私が自分のカメラを「ちょっと貸してあげるから写しますか」と訊いたのだったが、そこは頑固なTさんのこと「要りません(キッパリ)」と意地を張った。

眼前に広がるマンダレーヒルから見渡せる雄大なる絶景。
意地を張っている面白いTさん。
たった1日という短いながらも、しかし満足感一杯の充実したマンダレー滞在であった。

つづく

ミャンマー大冒険のバックナンバーは、
東南アジア大作戦
でお楽しみ下さい。
なお、近々マンダレー編をupします。

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「全国アホ・バカ分布考」は大阪の人気テレビ番組(今や全国放送されているらしいが)「探偵!ナイトスクープ」から生まれた方言学の入門書、といえば大げさに聞えるかも知れないが、それほど中身にボリュームのある良書だった。

「アホとバカの境界線はどこにあるのですか?調査してください」
という一通のなんでもない視聴者からの依頼が、大発展し行き着いたところが前ページ数582ページ(索引含む)の本書というわけだ。

それにしても驚きである。
「アホ」と「バカ」
このたった二つだけの言葉を追い求めていくことで、素晴らしい言語文化論が展開され、日本文化への感動が怒濤のように迫ってくるのだ。

本書を読んでいて、まず一番最初に感じるのが国語の大切さだ。
それも方言を含んだ国語という意味であり、言葉の一つ一つに自国のそして故郷の歴史と文化が隠されていることを考えると、自分の国の言葉と文化に、たまらない愛おしさが生まれてくる。

私には今から二十数年前にNHK教育テレビで放送されていた国語学の番組にはまっていた時期があった。
当時は高校生だったので、もちろん講義の内容を総て理解することは出来なかったが、講師の金田一春彦先生の解説は分りやすくユニークで、とても魅力的だった。
一時は「進学するなら上智大学へ」と思ったくらいだった。(でも実際はどういうわけか大阪芸大へ進んだ)
この講義の中で、一番興味をそそったのが「日本語は京都を中心にして時間とともに波のように地方に広がっていった」という方言周圏論だった。
なぜ、それほど方言周圏論に興味がそそられたのかというと、沖縄が日本であることを実感することができたからだった。
当時、沖縄は「琉球王国」だとか「日本とは違う」とか「民俗的にも別物だ」、というような革新的意見が渦巻いており、ひどいものになると沖縄独立論までかかげる人々が存在したのだ。
「沖縄は日本とちゃうんかな」
という言い知れぬ寂しさを感じていた私は方言周圏論を知るにおよび、あのまったく本土とはかけ離れたように聞える琉球言葉が実は千数百年も前に京都から発せられた言葉だと知り、猛烈に嬉しく思ったのだった。
つまり理論を通じて、
「沖縄はやっぱり日本や!」
という至極単純なことに感動したのだった。

本書のバカ・アホ分析はまさにこの方言周圏論を実証する、ユニークでかつ格調の高い、まさかテレビのバラエティ番組から発せられるとは思わない「論証」だったのだ。

余談だが、つい先日、台湾に9年間滞在していた人とと、台湾人の言葉について話す機会を得た。
「台湾の人は台湾語で話すんでしょ」
という私の問いに、
「学校や公式の場では北京語で話していますよ。でも、家へ帰ると台湾語。一部の少数民族は日本語で話しています。」
「国語は台湾語じゃないんですか?」
「違いますよ。だから年配の人は台湾語や日本語で話すんですが、若い人は北京語しか出来ない人もいるんです」
「困らないんですか」
「困りますね。だから、ここ数年、日本語はともかく台湾語を教える授業が小中学校で正式に取り入れられて、民族の言葉を守るということに積極的になってますね」

ちょうど本書を読んでいた時聞いただけに、国語よりも英語を教えようという我が日本人の言語教育の体制に大いに疑問を持った一瞬だった。

「全国アホ・バカ分布考」
なるほど、と唸らさせらてばりの一冊だった。

~「全国アホ・バカ分布考」松本修著 新潮文庫~

探偵!ナイトスクープ

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「エイビーロード」休刊へ リクルート (共同通信) - goo ニュース

リクルートの海外旅行情報誌「エービーロード」が休刊することになったそうだ。
さもあろう。
だいたい海外旅行の格安航空券を探すのに「雑誌」を使う者は少ないと思う。

かくいう私も「エービーロード」はかつては随分と買ったものだが、結局買っただけで、それを使って航空券の購入などを行ったことはまったくなかった。
いつも直接旅行社で問い合わせるか、ネットを駆使してチケットを買い求めたのだった。

「エービーロード」は、とどのつまり、下調べの資料か、はたまた「エービーロード」を買って「海外旅行へ行くんだぞ」という気分を盛り上げるだけの賑やかしでしかなかったのだ。
それに安かったし。

まあこんな雑誌なので休刊になるのも当然であろう。

この様子だと、次は「じゃらん」の番かもわからないが、こっちは「エービーロード」と異なり、まだまだ読み物としての楽しさがあるので生き残ることも考えられなくはない。

さらば、「エービーロード」。
でも、私は最後まで、その誌名が「abroad(アブロード)」のもじりであったことに気づかんかったぞ。
復刊するときは、タイトルのレタリングをよーく考えよう。



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2匹目のドジョウを狙った「問題な日本語」の続編だ。

前回は、

「こちらキツネうどんになります」
「こちら、キツネうどんになりました」

で、思わず笑ってしまった、現代日本語の不思議を扱った「問題な日本語」。
続編の「続弾!」も実にユニークで面白い奇妙な話し言葉が取り上げられていた。

「すみません」と「すいません」
「ご負担いただくようなカタチになっております」
「違和感を感じる」
「歌わせていただきます」

などなど。

私の会社に会議の時、

「○○というカタチの営業を考えています」とか「×××というカタチにもっていきたいと」

などと、常に「カタチ」という言葉にこだわって話してしまう同僚がいる。

以前一度だけ意地悪で「○○さん。『カタチ』って言葉が気になるんですよ。なんか、こう『販売店がうちの商品を意識して営業に廻ってもらえるようにするキャンペーンの”カタチ”てな、言い回しが」と言ってやったことがある。

「そんなにオカシイ?」
「オカシイですよ。一度でもいいから『カタチ』って使わずに、発言してみては。」

と助言したところ、本人も気になり出したのか「カタチ」を使わずに話そうとした。しかし普段使っている言葉を使わないというのは、落ち着かないもので、言葉が途中で途切れることが多くなってしまった。

「あかん。やっぱり『カタチ』使わな、ちゃんとしたカタチができへん」

この「カタチ」のように、自分の話すリズムの代わりにとりあえず使ってしまう言葉もあるようで、そういう「言葉のヘン」なことを学術的に、しかし分かりやすく、しかも、時としてマンガも組み合わせて解説しているのが本書なのだ。

しかし、考えてみると今の子供たちは不幸だ。
自宅ではコンピューターゲーム相手に会話を持たず、学校では国語も満足に話せないのに小学生の年代から外国語(英語)を教え込まれる。

このような社会状況では、満足な日本語を話せる人が減るばかりか、このシリーズの本のネタは、永遠になくならない「カタチ」になることだろう。

~「続弾!問題な日本語」大修館書店刊 北原保雄 編著~

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