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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



なぜ京都鴨川の河原にたたずむカップルの距離は「等間隔なのか?」。

これは私が学生の頃から持ち続けている疑問なのだが、どういうわけか京都の四条大橋から三条大橋にかけての鴨川川岸では現在もなお、カップルが等間隔に並び、愛を語らっているのだ。(写真は先週土曜日撮影)
正直、川に突き落としてみたいという衝動に駆られるのは私だけではないだろう。

すっかり京都ではお馴染の景色といえるのかも知れないが、この種の話題がテレビやラジオで語られることは殆どない。
書籍もない。
世界的観光地でありながら「Lonely Planet」の「Kyoto版」にも書かれていない。

知られざる有名な光景だ。

ところで、ベトナのサイゴンを訪れた時も同様の光景を目撃したことがある。

マジェスティックホテルの向かい側。
夕刻サイゴン川に面した公園に散歩に出かけると、そこは数多くの恋人達のたまり場になっていたのであった。
そしてその恋人達もまた、京都鴨川の恋人達と同じように「等間隔」にサイゴン川に向って並んでいたのであった。
京都との違いはベトナムの恋人達は愛車であるホンダのカブを駐車してその上で愛を語らっていたことだった。

京都鴨川のイチャツキ重力均衡の法則。

世界中で通用しそうな法則である。



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ここ2年ほど、海外旅行に出かけようと航空券を購入したら、
「燃料チャージ申し受けます」
と航空券と同じぐらいの金額を徴収された。

ちなみに昨年の1月(ということはほとんど一昨年)に貯めたマイルで大阪から台湾の台北まで飛んだら、予約したときに、

「あの~~~、燃料費が別途18000円必要になりますが、よろしいでしょうか?」

とオペレータのお姉さんに請求されてしまったのだった。
ただ、遠慮しいしい言われたのがせめてもの救いだった。

ミャンマーへ行くとサーチャージが5万円近くもかかってしまうし、その燃料サーチャージもジリジリと上昇して、ついには海外に行く気が失せてしまう非常事態に発展した。

さて、その燃料高騰も今は昔。

原油価格がついに最高値時の3分の1に下落した。
最高値の頃に先物買いした人たちは、今ごろどこでなにをしているのやら。
1バレル40ドル台ということで、ガソリン価格も値上がり前に復旧した。

航空燃料もきっと同じなことだろか。

今現在も航空会社は厚かましく「燃料サーチャージ」を取り続けているが、まもなく終了するのは間違いない。

「えーっと、燃料の値上がりは収まりましたが人件費その他が上昇しています」

なんて言って、航空運賃が上げることができたら良いんだけどな、なんて経営陣は考えていたりして。

なお、燃料チャージを別途お客様からふんだくるのはエアラインだけではなく、船もそうであるらしい。
そういう意味では鉄道、バスは、偉い!


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その昔。
親の運転する車で大阪から岡山の爺ちゃん婆ちゃんの家に向う途中、できたばかりの阪神高速道路神戸線を走っていると、自動車の車窓から無数の黒い船が浮かんでいるのが目に留まった。

なんやろあれ?

黒い色をした船は艀の群れであった。
そのどす暗い景色は子供の目には何か怖いものという印象があったことは否めない。
なんとなく不安感を覚えたことを今も鮮明に記憶している。
昭和40年代。
つまりあのころは神戸にも艀が沢山残っていたというわけだ。
今はその艀を見ることは殆ど無く、艀に代わって広大なコンテナターミナルが広がっている。

マルク・レビンソン著「コンテナ物語」はタイトルの通りコンテナがもたらした劇的な流通革命の物語だ。
規格化された海上コンテナが国内国際を問わず海運というもののあり方を劇的に変化させた結果、私たちは現在、オーストラリアの美味しいビーフ、北海でとれた美味しい塩さば、カナダで水揚げされた美味しい数の子、タイで養殖された美味しいブラックタイガー、中国で栽培された美味しい毒物劇物混入野菜などを安価で入手することができる。

そればかりではなく、中国で製造されたタイヤとタイで製造されたランプ、マレーシアで縫製されたクッション、日本で生産されたエンジン、などを北米の工場で組み立てて完成品の自動車に仕上げることなんてこともできるようになっているのだ。

この、ワールドワイドでグローバルなネットワークを築いたのがコンテナなのだという。

コンテナの登場で沖仲仕と艀が姿を消し、巨大なガントリークレーンが登場。
従来であれば人力で荷卸しと荷積みが行われた海運の世界が、完全機械化になった。
まさしくコンテナは人件費を削減し海のレーンをコンベアベルトに変えたわけだ。

本書を読んで最も驚いたのは、この規格化された海上コンテナが登場するまで、海上輸送の方法は古代となんら変わらなかったことに気がついたことだ。
確かに船積みに使用するパレットやそれを運搬するフォークリフトなどは20世紀に入ってから開発されたものには違いないが、荷物の積み方や運び入れ、運び出しの方法は大航海時代となんら変わりなかった。

コンテナの登場により船、トラック、鉄道での輸送がシームレスに繋がり現在の流通文化がある。

よくよく考えてみると、阪神高速道路から艀の群れを眺めた頃を境にして、舶来品という言葉が無くなったような気がする。
舶来品はイコール高級品という意味でもあった。
その舶来品が単なる輸入品になったのはコンテナの威力があったことは間違いない。

~「コンテナ物語」マルク・レビンソン著 村井章子訳 日経BP社刊~


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沢木耕太郎のルポルタージュ「おばあさんが死んだ」は人生のダークサイドを扱った今の晩婚時代を考えさせられる作品だった。

ある日、一人暮らしで生活保護にかかっていたおばあさんが死去した。
おばあさんの家財や財産を処分しようとおばあさんが住んでいた長屋を民生委員の担当者が訪れた。
中は荒れ放題。
ゴミ箱よろしくこんなところに本当に人が住んでいたのかと驚くばかり。
しかし、もっと驚くものがあった。
おばあさんが寝起きをしていた寝具の隣に敷かれた布団をめくるとなんとそこにはミイラ化した男性の遺体が横たわっていた。

ルポはこのおばあさんとミイラで発見された男性の関係にスポットを当てて展開されて行く。

短篇だが読みごたえのある作品で、私のように長年独身で生活してきた者にとってはかなり強烈な内容であったように記憶する。

で、この沢木作品とはまったく関係はないけれども私が愛用していた「iPodが死んだ」。

先週月曜日。
広島出張の帰りに新幹線の中で音楽を聴こうとヘッドホンを取り出してスイッチを入れるといつものよに好みの音楽が流れてきた。
ところがその翌日の火曜日。
東京出張に出かけるために朝からiPodに充電しようとiMacに接続したら目が「×」になっているiPodのアイコンと「サポートセンターを見てください(英文字でアドレス表記)」の表示が。

リセットしても何とも言わない。
落としたわけでも、衝撃を与えたわけでも何でもない。
勝手に「死んだ」のだった。
で、さらに驚いたことにiPodは一度故障すると修理は殆ど不可能なことがわかった。
修理基本料金は私の持っていたiPodクラシックでは約20000円弱。
ちなみに新品が29800円。

修理せずに使い捨て、ってわけなのか。
(ちなみにiPod shuffleは電池切れした時点でオシャカみたいです)

結局速効性を考えて新品を購入。
故障したiPodは今ミイラとなるべくカセットテープ式ウォークマンと一緒に箱の中で眠っている。



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30代を過ぎてから新しい英単語が覚えられなくなった。
タイミングの悪いことに、私は英会話を習い始めたのが28歳の時だったため、習い始めると同時に単語を覚えられにくくなってしまうという脳的負の現象が発生した。
その結果として、いつまでたっても会話能力が向上せず、現在に至っている。

そして年齢を重ねることによる弊害は、驚いたことに単語を覚えられないだけにとどまらない。
昔覚えていた筈の単語まで忘れていってしまうのだ。

「これはきっと年と共に脳細胞が死んでいっているからに違いない」

と私は確信した。
たぶん単語を記録している部分の細胞が死滅してしまったために単語力を忘れるのだ。
そして総脳細胞数が減少していることそのものが英単語の記憶力の低下に繋がっているのだ。
と、私は自分の脳細胞の責任にしたのだった。

どうやら、その理屈は間違いだったようだ。

講談社ブルーバックス「記憶力を強くする 最新脳科学が語る記憶の仕組みと鍛え方」を読むと、人の記憶能力はアルツハイマーなどの病気にでもならない限り衰えることは無いらしい。
もちろん若年の時代と壮年の時代、老年の時代では脳細胞の使われ方が違うようで、記憶の効率性はあるようだが「30歳を過ぎたから」という理由で英単語を覚えにくいのは単なる私の言い訳にすぎないこともわかった。
うすうす感じていたことなのだが、要は「ものぐさで勉強していなかっただけ」ということなのだ。

ところで、脳のメカニズムはどうなってんだろう?
と、時々考えることがある。
とりわけ人の名前を思い出せなかったり、英単語を覚えられなかったり、都合の悪いことを忘れられなかったりした時には、その疑問はかなり大きなものになる。

脳のメカってパソコンと同じ?

という疑問が一番最初に生まれるのだが、だったら人間のOSはいったい何?ということにもなり、なかなか難しい。
ウィンドウズな人とMacな人の対比をしたMacのコマーシャルがあるけれども、人はそれほど単純ではないしアバウトでもある。

なかなか素人にも分かりやすく書いている脳の仕組みについての書籍に出会うことはなかったが、本書は素人でもわかりやすく楽しめる一冊だった。
海馬のメカ、一度に覚えられる数の限界、脳の記憶と情報伝達を司る物質、などなど。

まだまだほとんどが謎だらけの脳。
肝心の「私という意識はどこに住んでるの?」という私の疑問には答えていなかったが、素人ながらのいくつかの疑問を氷解することができたのであった。

~「「記憶力を強くする 最新脳科学が語る記憶の仕組みと鍛え方」池谷裕二著 講談社刊~


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映画「舞子Haaaan!」はとってもバカバカしい映画で京都の文化を茶化しすぎていたから失礼だと思った。
ただ、私はその失礼な映画を迂闊なことに楽しんでしまったのだ。
大いに反省すべき点ではある。

というのも、京都の文化はイコール日本の伝統文化といっても過言ではないからだ。
今でこそ、京都は「旧都」や「古都」などと呼ばれ、単なる観光地に成り下がっている気配はあるものの、そこに生活を構える生粋の京都人からしてみると、
「天皇さんは東京へ行幸してはるだけで、いつか御所に帰って来はるんどす。」
と信じていることもなくはなく、(実際に宮中における遷都の儀は実施されていない、と思う)そういう意味において京都にはある種歴史の缶詰め的な様相が詰め込まれているのだ。
畢竟、京都の文化は日本の伝統そのものであり、それを茶化すことは日本自体を茶化すことになるのだと思う。

実際京都には他の地方にはない長い歴史を持つ首都としての不可解なシステムが数多く息づいている。
東京がちょっとやそっとでは持つことのできない、ある種の重厚さが存在しているのだ。

読売新聞社京都総局が編集した講談社+α文庫「京都 影の権力者たち」は、そういう不可解なもの(の一部)を果敢にも取材し、まとめられたものである。
その代表のひとつが映画「舞子Haaaaan!」でも取り上げられた祇園の茶屋遊びだ。
その独特の閉鎖性と、その閉鎖性を裏付ける納得の論理は、「お金になれば」なんでも歓迎の今日の私たちの商習慣に大きな衝撃をもたらす。
知的で、それでいて嫌みがなく、非常にスマートな客のあしらいは見習わねばならないだろう。

京都仏教会の力もまた、無宗教的日本においてかなり強烈である。
観光産業を質に取った京都駅前ビル建設反対デモンストレーションは今もなお記憶に新しい。

伝統の中に、それを否定するような存在も忘れていないのが本書の面白いところで、京都における日本共産党の存在にかなりのページ数を割いているのが印象的だ。
京都という伝統の街だからこそ、過去一千年以上もの間、自由な空気の首都として現在の日本をつくり出してきた街だからこそ存在する政治文化にユニークさを感じた。

考えてみれば京都は伝統の街ではあるけれどもハイテクの街でもあることを忘れてはならない。
京セラ、任天堂、オムロン、ローム、タキイ、ワコール、日本電産などなど、各市場のトップ企業がさりげなく本拠を置く街でもある。

「影の権力者たち」の存在こそ首都京都の貫録なのだ。

~「京都 影の権力者たち」読売新聞京都総局編 講談社+α文庫~


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暫く出張で東京に滞在していた。
展示会のために東京ビックサイトで仕事をしていたのだ。
だからブログが暫くお休みしていたのは、仕事が忙しくて書き込むヒマがなかったことが原因なのであって、「休みを作ってタイに行っていたら帰国できなくなった」というマヌケなことが原因ではありません。
念のため。

ということで、先週末、疲れた身体でとても新幹線に2時間半も乗車している気力はなく、私は東京から大阪まで飛行機で戻ることにした。
利用したのは、もちろんANA。

先日、映画「ハッピーフライト」を観て以来、JALだけではなくANAも怖くなってしまったのだが、それでも飛行機を利用するとなるとやはりANAを選んでしまった。
安全性よりもマイルを優先したことは言うまでもない。

羽田空港はANAを利用する場合、第二ターミナルでチェックインすることになる。
いつものように京急羽田空港駅を下車してエスカレーターを上がって行くと季節柄大きなクリスマスツリーが目に飛び込んできた。
緑でも白でもなく、青い色をしたクリスマスツリーはなかなか美しく、とりわけたくさん吊り下げられたブルーの珠が印象的だった。
このデコレーションのおかげで空港全体にクリスマスの雰囲気が漂い、なかなかいい。




「そういえばクリスマスの羽田空港の写真は撮ったことがないなあ」

と写したのがこの写真。

クリスマス気分でいつもは買うこともないお土産なんかを買ったりなんかして、
「おお、ちょっと出費をしてしまった」
と、ちょっと浮き立った気分になっていた。
出発前の一時。
目を楽しませてくれたクリスマスツリーなのであった。


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