近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

姫路市の飯田遺跡とは!そのⅡ

2009年04月16日 | 歴史
姫路市飯田遺跡の新発見について、更に続けます。





写真は、現地説明会当日に残されていた、焼失住居跡の炭化された板材。

見つかったのは縦約1.2m・幅8~15cm・厚さ0.5~4cmほどの薄い板材で、15枚ほどが重なるように並び、高さ約1.2m・幅約70cmの壁のように固まった状態で出土した。

同遺跡からは一辺5m程度の四角形の床を持つ竪穴住居が14棟確認されており、板材はそのうちの1棟の縁付近から出土した。

この竪穴住居は、高さ1.2m以上の板壁で囲まれ、壁の上に屋根がふかれていたらしい。

竪穴住居は、多角形や円形に掘った床面に柱を立て、かやなどの屋根をふいた建物。農村家屋の原形ともいわれ、縄文時代から築かれた。

兵庫県立考古博物館によると、古墳の副葬品の家形埴輪や銅鏡に描かれた家屋に壁があり、板を表したとみられる筋があるものもあることから、古墳時代までには壁板が登場したと考えられてきた。

竪穴住居に詳しい同博物館館長は「壁があれば窓も作れて室内は広く明るくなる。休むくらいしかできない暗い生活から脱却し、室内でも仕事ができる板壁と窓のある建物が3世紀にさかのぼることが実証された!」と話している。









写真は上から、南側の集落と北側の墓域を区画する大溝、二重口縁付土器、庄内式土器及び讃岐・因幡・河内など西日本各地から運ばれてきた土器類。

大溝は、幅約3m・深さ約1.5mもあり、断面がV字形をしている。

大溝・流路から出土した、地方色豊かな大量の土器は、当時この地域が重要な拠点であったことを物語っている。

起伏のある地形に河道などが複雑に流れていたと推定され、流路には当時の土器など身近な道具が捨てられ、今回の発掘結果は、当時の暮らしぶりを知る貴重な資料という。





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