近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

沖縄の歴史・文化 “守護神”石敢當・シーザー・亀甲墓とは!

2008年03月01日 | 歴史
沖縄には,今でも中国文化の影響を受けた“風水思想”が色濃く残っているが、路地裏のあちこちにごく自然に点在する、“石敢當”と“シーサー”が2大守り神として沖縄全域にわたり、数多く見られる。

“沖縄の守護神”のように、沖縄県民の信仰形態が、本土とは全く異なる伝統文化・様式に裏付けられていることが分かる。





写真は、八重瀬町の“港川フィッシャー遺跡”入口向え民家の“石敢當”及び那覇市“三越”前の重厚な“石敢當”。

石敢當は、地上若しくは地上に近い門・壁・塀元に取り付けられる、一種の魔除け・護符で、人々の安心立命・除災招福に一役買い、今日では拓かれたオフィス街にも存在する。

囲われた住居は、門からいろいろモノが入ってくると信じられている。
門構えの真正面に1枚の壁が置かれているのは、悪魔かも知れない侵入者や台風の風などをまっすぐに入ってこさせないようにするためらしい。

家を建てる際に、通常はまず表札を考えがちだが、沖縄では表札を後回しにしても、石敢當を先に付ける人が多く、何となしに落ち着くらしい。

石敢當は、現在では本家本元の中国より、沖縄のほかアジアの国々に多く見られる傾向にあり、台湾・香港・シンガポール・マレーシアなどに存在すると云う。





写真は上から、恩納村琉球村に移設された、“旧比嘉家”のシーサー及び沖縄旧家の“個性的なシーサー”。

“シーサー”は屋根もしくは塀の上当りに飾られ、古くから沖縄に伝播していたライオン像は、沖縄で翻案されたもので、唐獅子などと同根とされる。

陶器製のもの、漆喰製のものなど、地域や制作者によって、製造方法や形相が異なる。獅子様転じて、シーサーとも云われる。

家に纏わるもう一つの話題・“亀甲墓”は、沖縄に多い墓の形式の一つで、建物の後方に時々現われるが、これも“風水思想”影響の一つで、人が墓を守っているのではなく、墓が人を守っていると考えられている。





写真は上から、典型的な沖縄・亀甲墓及び最も古い形の“亀甲墓”。

亀甲墓は、沖縄の他に台湾・香港・中国の福建省など南部に多くあり、大陸から伝播したものと見られる。

一般に緩やかな斜面に多く見られ、亀の甲羅状の石の屋根の下に、畳にして4畳から8畳くらいの石室が設けられ、甲羅状のものは母の胎内で、そこから人が生まれてきたことを意味していると云う。

日本古来の“風葬”に似て、死後数年間は遺骸を石室内に放置し、数年後に親族で洗骨して、改めて骨壷に納骨して石室に収める形式。

春の彼岸には、沖縄各地でご馳走を用意して、その家の亀甲墓の前で歓談しながら食事をする習慣が残っているらしい。


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