今日から本論に戻して、縄文創造美の粋を探索します。
三内丸山遺跡の約5,000年前の層から大量のヤマグワ・ヤマブドウ・ニワトコなどが出土した。
又同じ場所から発酵した果物などに群がる“ショウジョウバエ”の卵も見つかり、酒を造っていた証拠と考えられている。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyob_en.gif)
縄文人の知恵でワイン作りに辿り着いたのか、或いは熟しきって落ちたヤマグワ・ヤマブドウの実が岩の窪みに溜まって発酵したところに、たまたま出会い味をしめたのかは不明。
ワインが作られたのは、収穫期や何らかの記念祭ほか、年に何回かの大きな祭りのためであり、祈りとともに諸々の神々に捧げられたと考えられる。
酒にかかわる道具については、例えば前述の通り、酒造りに“有孔鍔付土器”が使われたのではないかとか、或いは注口土器は神聖な酒を振る舞う酒器であったのでは等諸説がある。
これからは、何とも不思議な造形・意匠・アイディア満載の縄文土器をお見せしよう!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/36/6950ab61e645548a62ba82b198ac96cc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/bc/66569900c9256907bcefeb6a258a512f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/70/3d3ece9af1e4f04a42b76f8890f404aa.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/c4/04d95ea02cb53ae95897ba29fbd39a75.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/7b/b87cf02161b2e9f09870c26ef47418bc.jpg)
写真は上から、霞ヶ浦の福田貝塚出土の人面装飾付注口土器、青森県八戸市是川中居遺跡出土の注口土器、長野県御代田町滝沢遺跡出土の注口土器、北海道上磯町出土の人面装飾付異形注口土器及び北海道南茅部町八木B遺跡出土の注口土器。
写真の通り、注口土器は表面が黒く艶やかな光沢を持つ優美な土器で、この光沢は焼成前に表面を滑らかな小石で丁寧に磨き上げ、焼成中には煤を吸着させる方法で、黒く焼き上げたと見られる。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyob_hat.gif)
又きめ細かい精選された粘土を使っているため、薄手の硬い焼き上がりになっていると云う。
又注口土器の形は、幅と高さのバランスが良く、日本の原始美術品としても優れている。
縄文土器は、通常女性の役割担当として、必要に応じて造ったとされるが、縄文後期に多く見られる注口土器は、土器製作専門の技術者により造られ、ムラの共同所有か、或いは身分の高いシャーマンなどの所有物であったかもしれない。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyob_uru.gif)
写真のように、非日常的な飾り物のように見える注口土器には、神々しささえ感じ取れる。黒光りした神器にふさわしい姿を醸し出す。
諸々の神々に捧げられた神聖な酒は、やがて注口土器によりムラ人に振る舞われたと想像できる。
酒は神聖な神の水であったと共に、一族の結束を図る潤滑酒でもあった!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyob_eye.gif)
今日から暫く、北海道のアイヌ民族・文化巡りに出かけますので、小休止します。10月13日にブログを再開しますので、宜しく!
三内丸山遺跡の約5,000年前の層から大量のヤマグワ・ヤマブドウ・ニワトコなどが出土した。
又同じ場所から発酵した果物などに群がる“ショウジョウバエ”の卵も見つかり、酒を造っていた証拠と考えられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyob_en.gif)
縄文人の知恵でワイン作りに辿り着いたのか、或いは熟しきって落ちたヤマグワ・ヤマブドウの実が岩の窪みに溜まって発酵したところに、たまたま出会い味をしめたのかは不明。
ワインが作られたのは、収穫期や何らかの記念祭ほか、年に何回かの大きな祭りのためであり、祈りとともに諸々の神々に捧げられたと考えられる。
酒にかかわる道具については、例えば前述の通り、酒造りに“有孔鍔付土器”が使われたのではないかとか、或いは注口土器は神聖な酒を振る舞う酒器であったのでは等諸説がある。
これからは、何とも不思議な造形・意匠・アイディア満載の縄文土器をお見せしよう!
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写真は上から、霞ヶ浦の福田貝塚出土の人面装飾付注口土器、青森県八戸市是川中居遺跡出土の注口土器、長野県御代田町滝沢遺跡出土の注口土器、北海道上磯町出土の人面装飾付異形注口土器及び北海道南茅部町八木B遺跡出土の注口土器。
写真の通り、注口土器は表面が黒く艶やかな光沢を持つ優美な土器で、この光沢は焼成前に表面を滑らかな小石で丁寧に磨き上げ、焼成中には煤を吸着させる方法で、黒く焼き上げたと見られる。
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又きめ細かい精選された粘土を使っているため、薄手の硬い焼き上がりになっていると云う。
又注口土器の形は、幅と高さのバランスが良く、日本の原始美術品としても優れている。
縄文土器は、通常女性の役割担当として、必要に応じて造ったとされるが、縄文後期に多く見られる注口土器は、土器製作専門の技術者により造られ、ムラの共同所有か、或いは身分の高いシャーマンなどの所有物であったかもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyob_uru.gif)
写真のように、非日常的な飾り物のように見える注口土器には、神々しささえ感じ取れる。黒光りした神器にふさわしい姿を醸し出す。
諸々の神々に捧げられた神聖な酒は、やがて注口土器によりムラ人に振る舞われたと想像できる。
酒は神聖な神の水であったと共に、一族の結束を図る潤滑酒でもあった!
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今日から暫く、北海道のアイヌ民族・文化巡りに出かけますので、小休止します。10月13日にブログを再開しますので、宜しく!
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