近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

加古川市の西条古墳群とは!

2009年04月28日 | 歴史
加古川左岸に近い“城山”から南に向かって延びる台地上に約1kmにわたって分布する古墳群は摂津・播磨地方を代表する古墳群。

人塚・尼塚・行者塚など5世紀の中期古墳の他、それら周辺には数十基の後期古墳が群集している。

中でも行者塚古墳は最大の古墳で、1973年に国の史跡指定を受けている。
国史跡指定以降も何回となく発掘調査が繰返され、多くの新たな事実が発見されたと云う。





写真は上から、行者塚古墳全景及び古墳現場。

古墳時代中期初め頃の前方後円墳で、全長約100m・後円部直径68m・高さ約9mの3段築成で、両側には方形の造り出しが左右対称に4ヵ所設けられている。





当古墳から出土した家形埴輪2点。

造り出しには祭祀の場として家形埴輪を並べ、その前に高坏を置き、土製の供物を飾ったと見られる。

又各段の斜面には葺石が葺かれ、幅広いテラス状の平坦面が巡っている。
平坦面の中央には円筒埴輪が並べられていた。

埋葬施設内には粘土で包まれた木棺と見られる痕跡が3ヶ所に認められ、副葬品として金銅製金具や朝鮮半島より渡来した鉄製品・巴形銅器などが検出されている。

周辺の古墳群と合わせ当地は5世紀から7世紀という長期にわたって古代豪族の拠点であったことが分かる。



西条52号古墳現場。

古墳の調査中、“城山”の西隅にある本古墳は、他の古墳よりはるかに時代をさかのぼる、およそ3世紀の前半の古墳であることが分かった。

西条52号墳は径約15mの円墳で、わずかに盛り土があり、播磨地方でも発見例の少ない弥生時代の墳丘墓であったと云う。



写真は、西条52号墳から出土した内行花文境。
その他の出土品としては、鉄・高杯・壷等がある。

ヤマト朝廷のホケノ山古墳と共通する墳形や埋葬施設、副葬品は、同じ信仰や価値観念を共有し、結びついていた証拠として、邪馬台国と、それを支えた国々の一つだろうと推定される。










最新の画像もっと見る

コメントを投稿