<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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初めてミャンマーを訪れた6年前、私は旅の最終日にヤンゴン郊外にある日本人墓地を訪れた。
ガイドブック「地球の歩き方」にも掲載されている第2次世界大戦で戦死した数多くの日本軍将兵を追悼している施設だ。
映画「ビルマの竪琴」にもあるように、この国とその周辺地域では多くの日本軍将兵が亡くなっている。
その数約17万人。
墓地には慰霊碑が建っており、庭園のように整備されたその中には戦した台湾朝鮮籍の人たちも含む日本軍将兵や当時この地に住み戦禍に巻き込まれて命を落とした民間人の墓石が建っている。

慰霊碑の前へ行くと、そこには質素な木製の記帳台があり大学ノートとボールペンがその上に用意されていた。
大学ノートはここを訪れた人たちが感想やメッセージを書き込めるように置かれているものだった。
私も何かひとつメッセージを残しておこうページをめくると、ひとつの書き込みが目に留まった。

「今日の日本の繁栄があるのは皆さんのおかげです。ここに来て初めてそのことを感じました。」

という若い日本人のメッセージだった。

今では日本のどこからでも飛行機で1日あればたどり着くことのできるミャンマーのヤンゴン。
しかし第2次世界大戦時、ほとんどの将兵にとってここは日本から船と陸路で数週間もかかる最果ての地であったのに違いない。
そのミャンマーで祖国を守るために散華した人々。
敵弾に倒れるのならまだしも、補給の途絶えた、想像を絶する悪天候と疫病と飢餓で無くなった大部分の人々のことを思うといたたまれなくなるのだった。

笹幸枝著「女ひとり玉砕の島を行く」(文藝春秋社)を読んで一番最初に思い出しのが、ミャンマーのヤンゴンの日本人墓地で感じた、そのいたたまれないくらい悲しく、そして悔しい感情だった。

この「女ひとり玉砕の島を行く」の著者・笹幸枝と言う人はものすごい行動力を持っている人のようで、フィリピンの「バターン死の行進」を自ら歩いてみて、その政治的創作性を暴いた人として知られている。別の言い方をすれば旧日本軍が悪者でないと困る人たちから嫌われている。
ちょっと変わった女性ではあるのだ。

本書は現代の30代女性である著者が今では日本人の訪れることもほとんどまれな南洋の島々を訪れた旅行記になっている。
なんといっても各章の冒頭にその島までへの行き方や、滞在方法、費用なども明記されている、ガイドブックなのか、と思いたくなるくらい至れり尽くせりの旅行記なのだ。
その島までの行き方が書かれていることが、余計に「玉砕の島々」の祖国から隔絶された地理的環境を感じ、読むものにリアリティを感じさせる。

ただの旅行記ではないのは戦友会や遺骨収集団、自衛隊などと一緒におとずれていることで、当然のことながらリゾート巡りなどでは決してない。
バターン死の行進を検証するために自らフィリピンに出向いて歩いてくる人である。
先の大戦で犠牲となった数多くの人々と、その家族、その戦友たちと一緒にかつての激戦の地を訪れることにより国の過去・現在・未来を日本人の心で冷静に見つめている旅なのである。

その日本人の心から見つめた旅に接した時、私はあの遠いミャンマーのヤンゴンで感じた哀しみと感謝を思い出さずにはいられなかった。
本書は素晴らしい旅行記だ。

~「女ひとり玉砕の島をゆく」笹幸枝著 文藝春秋社~

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