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昨年末、幸運な事に私は株価が下がったからといって、ほとんど損失を出すことは無かった。
なぜなら、私は株なんてものは一株も保有していないからなのだ。

正直、株を売買するほど財産は持ち合わせていないし、最近流行の一株株主なんてものにも興味はない。
ゲーム感覚で株を売り買いし、その価格の上げ下げに一喜一憂するのも、資本主義を担う投資家としてなんとなく格好良く無いように思えるのだ。

株はいつの間にかゲームになってしまった。
経済システムに於ても株価が会社の価値を決定するようになっているので、株が400円下がりました、上がりました、8000円を超えました、なんてことが世の中を動かすようにもなった。

かつて報道の中核でもある日本経済新聞は、経済紙としての威厳を持ち、同紙が報道する株価は経済動向の指標でもあった。

「就職するためには日経を読むように」

と、20年前なら大学の就職担当者は我々学生に説明したものだ。
日経を読むことイコール、経済人としての常識であった。

ところが今や日経を読むことイコール週末のサンスポや大スポ(=東スポ)を読むことと対して違いはなくなってきているようだ。
紙面が変わったというのではなく、紙面を読む読者の目つきが変わったという方が正しい。

つまり日経の株価欄や先物欄を見つめる読者の目の色が、スポーツ紙の競馬予想を見つめる目と、殆ど変わらなくなってしまっているのだ。

株はゲームだ。
会社は馬で、株は馬券。
どの会社が早く走り馬券の価値を高めるのか。
価格が上がった馬券は換金して利益を得よう。

株は本来、その会社の将来性にかけた資本家の人々が株を購入するというものだと私は思っている。
株を購入することでその企業に投資し、育てることに投資家も情熱を注いだ。
それが強い日本を作った。
利益は配当から得る。
株の売買益は二次的なものであくまでも配当。
従って一株株主なんてのは成り立たない。

株価が422円下がった?
それで騒ぐのはまるで「米上げいかき」。
落語の世界だ。

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