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トレバー・コックス著『コンピュータは人のように話せるか?』は人が言葉を話すようになり、それを文字に記録し、近代になって録音することが可能になり、さらにここ10年ほどでAI技術を使って人間ではないものに言葉を操らせようと試みるようになった、そんな一連の歴史を様々なテーマとともに語っている面白いサイエンス本だった。

タイトルからするとAIによる会話技術に関する専門書のようなイメージだが、それは違う。
AIに関する部分は終盤の一部だけ。
ほとんどが言葉に関する進化の歴史だ。

そもそも人類がいつ頃から言葉を操るようになったのかはよくわかっていないようだ。
このテーマ。
今まで考えたことがなかったので冒頭から展開される「言葉のはじまり」にグイッと引き込まれた。
ダーウィンは認知能力の向上が大きく関わっていると唱えた。
100年以上前のこの考えは今も変わっておらず、言葉を話すだけならオウムにでもできるということ、そこへ意味があって初めて言語ということができるのだから確かに言葉を話すことは認知の力、文法を構成するだけの知能があることの証明でもあるのは間違いない。

文字が発明されて言葉が記録されるようになって久しいが、劇的な変化はエジソンが中途半端ながら録音する装置「蓄音機」を発明したことだった。
言葉は文字だけでは伝えられない抑揚やリズム、速さなどがあり、これが感情を含む情報伝達に重要な意味を持つ。

「おはよう」

実際にこの一言でも言い方一つで元気なのか病気なのか、それとも優しいのか厳しいのかが文字だけでは表現できない。
ところがこれを録音して再生して確認することで、言葉が持つ本当の意味を表現することができる。
考えてみれば言葉を操るのは人間だけではなくイルカやある種の鳥類などは同種間で会話能力が証明されている。
その多くは抑揚や声の大きさ、リズムなどで表現されていて、例えば人間が使う文字で表現するとなるとかなり難しいのではないか。

AIが語る言葉には、この文字のみで表現する言葉と共通するものがあるように私は感じていることが少なくなかった。
AIはある程度人に通用する言葉を構成することはできるが、AI自身は言葉の概念そのものを知っているわけではなく学習した機能を「機械的に」構成しているに過ぎず、感情や空気感、物事が持つ本質的意味合いを理解しているわけではないからだ。

読みながら色々と考えを巡らすことができ、かつ今まで気がついていなかった言葉の謎について知ることができる。
そんな興味溢れる内容なのであった。


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