<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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生まれて初めての海外旅行。
その旅行で大阪伊丹から東京成田まで利用したのが日本航空。
これまた生まれて初めてのヒコーキ旅行だった。
成田から目的地のロサンゼルスまではパンアメリカン航空だったが、やはり初めて乗ったということで思い出深いのが日本航空のジャンボ機。

「ヒコーキって、乗り合いバスみたいな乗り心地なんや」

と感じたことを昨日のことのように記憶している。
1978年のことだった。

その思い出の日本航空が大変だ。
巨額の赤字を出し、その返済はもはや不可能な状態に陥っている。
会社の経営が瀕死状態にも関わらず労働組合は強いし、OB団体も好き勝手なことを言っているので一般市民は「日本航空なんてどうでもいいや。航空会社は他にもあるし」と呆れ返っている、というのがホントのところ。

赤字を切り捨てて国鉄をJRにしたような手法を取ったところで不況吹きまくる航空業界のこと、日航がJRよろしく多額の税金を納める優良企業に変身するとも思えない。
このまま日本のフラッグキャリアはご臨終を迎えるのか、それとも不死鳥のごとく蘇るのか興味があるところだ。

ところで、その初めての海外旅行でロサンゼルスに行った時、太平洋はパンナムのジャンボ機で横断したことは先述したとおり。
アメリカの航空会社なので客室乗務員はアメリカ人。
機内の表示も英語だけ。
座席後部の液晶モニタなんてない時代だったので、映画は前方スクリーンに映し出される「英語」だけ「字幕スーパーなし」の未公開=未知のノホホ~ン高校生の私の頭では理解不能な作品が上映されるだけ。
そのスクリーンにナビゲーション画面が表示されることもなかったから、どこを飛んでいるのか到着する寸前までさっぱり分からない。
もちろん機内食はめちゃ不味い。

まったくもって、私、つまり高校1年生の若年にとっては大変不安な旅行なのだった。

ロサンゼルスに着いてからも初めての海外旅行の不安は漂う。
テレビドラマでお馴染の景色を見ても、やはり外国は外国。
日本ではほとんど見かけない白人や黒人が沢山いて(当時大阪では見かける外国人は少なかった)みんな英語を話している。
若かったのでアメリカの不味い食事にも到着2日ぐらいですぐに慣れたが、外国という感覚は当たり前だが拭えなかった。

そこで妙な安心感と勇気を与えてくれたのがロサンゼルス国際空港で見た日本航空の鶴マークと日の丸。
遠い外国(成田から確か10時間ぐらい)の空港で輝く日本航空のマークと日の丸は初めての海外旅行する日本人にとっては安心と勇気の印だったことは間違いない。(当時まだ全日空は米国に飛んでなかったと思う)

日本航空のマークが日本列島にそのまま繋がっている感じがして頼もしい印象を持ったものだ。

この旅の帰路ももちろんパンナムだったが、「いつの日か必ず日本航空で外国へ行くからな」と16歳の胸に誓ったのも忘れられない思い出だ。
(実際に日航機で海外へ出るのはそれから29年後のことでありました。)


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