<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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マラソンシーズンだ。
今日、私の地元大阪南部では泉州マラソンが開催されている。
これは堺市の浜寺公園から関西空港の対岸りんくうタウンまで旧国道26号線を走るイベントで私の知っている人もたぶん走っている。
そして来週は東京マラソン。
こちらも知人が何人か走ることになっている。

人はどうしてこんなにも走りたがるのであろうか。
大いなる謎である。

「マラソンはゴルフみたいにお金がかからなくていいですよ」
という人の中には走るために日本各地はもちろんハワイやボストンへ出かける人もいるわけで、論理が非常に矛盾している。
走ることを口実に旅を楽しんでいるとしか言えないのだ。

私は学生の頃から長距離を走るのが苦手で持久走と称する1500メートル走は年中行事の中でも最も苦手で、できれば逃げ出したいくらいのイベントであった。
実際にヤンキーな奴らは校外コースを走っている時にこつ然といなくなり、後でみっちり生活指導の先生に絞られていたものだ。
先生に短い竹刀で小突かれ、ドつかれされたほうがよっぽど楽なのが持久走の正体であり、長距離が苦手な学生にはよく理解できることなのであった。
ちなみに私は短距離にはすこぶる強い。
高校生の時は体育大会で800メートルリレーに出場して3人をごぼう抜きした実績がある。
うち一人は陸上部で「お帰り部」の私より遅いというのはいささか問題であると物議をかもしたかどうかは記憶に無い。

その昔。
学生の時。
マラソンをテーマにしたラジオドラマを聴かせてもらったことがあった。
延々に走り続ける主人公が走っている時に「考えていること」をひとりごとをベースに構成しているもので、かなり面白かったように記憶している。
詳細はおろか、筋立てまで忘れてしまっているのだが、面白かったことだけ覚えているので良いドラマだったのだろう。
このラジオドラマを聞いてから、走っている人が一体何を考えながら走っているのか気になるようになった。
これは自分が一人で歩いている時に考え事をしている時に非常に似ていて興味が湧くのだ。
私は考えることが仕事の一部なのだが、考え事のし易い空間は1位電車の中、2位トイレ、3位歩いている時、4位スタバでMacのキーボードを打っている時。
このようにスタバでくつろいでいる時よりも歩いている時のほうが考えがよく働くのだ。

ちなみ私は1500mを走っていた時は、
「はやくゴールになれ、早く座りたい、早く寝っ転がりた」
などと頻繁に考えており、考える回数は多いものの同じことを何度も唱えているだけという、高熱で暴走してしまったパソコンみたいな状態なので、仮にマラソンを走ったとして「考える」時間にはならないだろう。

マラソンマン。
あの人達は今日も何を考えながら走っているのだろうか。

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