<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



電車に乗って座席に座っている人を見ると大半がスマホの画面を見つめている。
音楽を聴いているのかテレビを見ているのかゲームをしているのか。
そのコンテンツの内容はわからないが、ほとんど全員が一心不乱にスマホの画面を見つめる光景は時として異様だ。

これに対して読書をしている人は1割もいるだろうか。
新聞を読んでいる人はもっと少ない。
新聞はネットで。
読書はスマホではきついところもあるので、まだまだ紙の媒体が残っているのだろう。書店や出版社もビジネスが大変やりにくいのは間違いない。

スマホが行き渡り活字を追わず、画面ばかり観ているようになると若者を中心に「活字離れ」が加速していく。
その影響は学力の低下だけはなく、例えばイマジネーションの喚起能力にも問題が生じる。
その結果、ネットでは収集できない書籍からの情報を得るチャンスを逸して学業レベルやビジネスの質にも影響が出て来る。
いくらイノベーションを叫んでもネットで出ている程度の情報しか入手できないということは内容がが薄っぺらくなってしまい、情報の信憑性も怪しく奥行きの浅いアイデアになること、これ間違いない。
これではいけないのだ。

大阪の近畿大学は学生の活字慣れを促すために収蔵書の3割がマンガの図書館を整備するのだという。
マンガから書籍に触れてもらおうという思惑なのだ。
ちなみに近畿大学は決してFランクの大学ではない。
関西では中堅どころの私立大学であり、関東の日本大学と並ぶマンモス大学であり、多数の著名人を輩出し、近年は近大マグロでグルメな人たちを感嘆させ、ビジネス分野では大阪大学を上回る企業との連携研究件数で関西だけではなく日本中からの注目を集めている。
もちろん相撲、野球などのスポーツは学業以上に一流だ。
その近畿大学をして漫画本をスタート地点として学生の活字慣れを促すのだという。

かくいう私も中校生頃までは読書はあまり好きではなかった。
1970年代なのでスマホもパソコンもなかったから、何かを読むとなれば書籍の時代だったわけだが、単に読書するのが面倒で漫画本以外にはとっつきにくい感覚があった。
転機が訪れたのは井上ひさしのコント集を読んでからであった。
当時、井上ひさしが「てんぷくトリオ」向けに執筆したコント集の文庫本があり、これを読んで私の読書遍歴はスタートしたのだ。
マンガではなかったがコントなのであった。

何事も小難しいことを並べて「あれをしよう」「これをしよう」と言われると大抵の人は「そんなことしたくない」「できるかい!」となる。
マンガでの活字慣れ。
時代が時代だけに大学生にもこういう仕組が「読書のきっかけ」として必要なのだと思うと色々考えさせられることが増えてくるのも時代の流れだろうか。


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コメント
 
 
 
Unknown (ダル)
2017-01-31 11:44:17
スマホも見るけどやっぱり本、いつも何かしら文庫本は数か所において同時進行状態で読んでる。若草物語系から始まってホームズ、ルパン、明智探偵、中学高校は歴女、高校は吉川英治大好きで。宮本武蔵なんて最後の文章まだ覚えてる。授業中まで机の中に忍ばせて、夢中になって読んだなぁ。でもマーガレット、少女フレンド、マンガも同時進行で読んだ読んだ。里中真知子の大ファンで。大人になって、テレビで里中さんみて感慨深いものがあった。ネットなんてないから人物像なんて全く知るすべもなかったもの。読書は大切なものと思います。スマホではしょせんピンポイントの豆知識的。本をじっくり読む、物の見方も知らず知らずのうちに深くしてくれるよ。人生を豊かにしてくれるってことかしら。。しみじみ実感してます。
 
 
 
読書はいいもの (監督@とりがら管理人)
2017-02-01 10:03:43
ダルさん、お久しぶりです。
読書はいいですよね。
イマジネーションを刺激してくれることと、やはりネットやテレビでは手に入らない価値があると思います。
私は井上ひさしの本から読書がスタートしましたが、あとはダルさんのように歴史小説にはまって司馬遼太郎、吉村昭、吉川英治、池波正太郎などを読み漁りましたが、結果的に一番大好きな歴史小説は藤沢周平になりました。
今はノンフィクションやビジネス本が大多数ですが。
 
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