<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



「南アジアでは旅が向こうからやって来る。しかし、ヨーロッパでは旅はこちらから出向かなければならない。」

という意味合いのことが深夜特急には著されていて、わたしも強く同感した。

わたしはヨーロッパには行ったことはない。
ちなみポルトヨーロッパ(和歌山市)にも行ったことはない。
さらに最近は忙しいうえに10代、20代でもないのでヨーロッパ通り(大阪市心斎橋)にも行ったことはない。
この際、そんなことはどうでも良いのだが、旅をしていると確かに旅が「向こうからやって来るところ」と「こちらから訪れないといけない」ところがあることは強く感じる。

例えば、日本国内でも旅をしていると向こうからやってくるところ(馴れ馴れしいところ)とこちらから向わなければならないところ(無愛想なところ)がある。
前者には大阪の黒門市場、宗右衛門町、阪急東通商店街、東京のアメ横、新宿区役所通、六本木交差点、などがあり、後者には深夜のコンビニ、出入国管理事務所、注文が止まった客に対する焼き鳥秋○難波店の店員の態度、などが上げられる。

このように国内だけでも「旅」に出た者に対する旅が見せるその顔は千差万別である。

沢木耕太郎の「深夜特急」は3冊に別れているが、実際のとこと大きく分けたら2つの章に分類することが出来るかも知れない。
それは陽気で人懐っこいアジア編であり、もう一つは上品でかつ落ち着いたヨーロッパ編だ。
アジア編は同時に埃っぽくて、汗臭く、かつ数々の香辛料が漂いでてきそうな感じがするし、それに対してヨーロッパ編はモノトーンで乾いており、かつ無意味に清潔に思えるという違いがある。

どういうわけか、旅は雑然として人々の体臭がニオイ出てくるようなものの方が魅力がある。

深夜特急も同じなのだった。

インド、パキスタンあたりまでの旅は体力的にかなりタフなものを感じるがエキサイティングで面白く、トルコ以西の旅は上品だが、なんだかかなり物足りないものになっていたのだ。
ただポルトガルのリスボンで地回りらしき酔っ払いの男に声をかけられ夜のクラブを引きずりまわされうる姿は、「受け身の旅」としての面白さとしては、アジア編に引けを取らないアグレッシブさを持っていた。

「深夜特急」。
旅は色んな要素を含んでいるのだから面白い。



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