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そもそも仏教とはなんぞや。
いや、宗教とはなんぞや。

それは祭事を司る坊さんの事業名称ではない。
だいたい宗教は営利目的の事業ではないはずで、だからこそ宗教法人なる訳の分からない法人が存在し、税制上さまざまな優遇が用意されている。
思想信条に関わる大切なものと思われているからこそ社会的に便宜が図られているのだ。
宗教組織は社会的責任を負っており、人々の悩み事や、それが高じた心の病に対処し、生き方までも教え導くという使命を担っている。

タイやミャンマーを訪れると仏教寺院のお坊さんの社会的地位は非常に高い。
社会的地位は上から順にお釈迦様、お坊さん、学校の先生、両親、そして自分となる。
とりわけお坊さんは民衆から信頼され、その一言一言が社会に与える影響は決して小さなものではないのだ。
このようなテーラワーダ仏教(日本では上座仏教または小乗仏教と呼ぶ)の場合、お坊さんには厳しい戒律が存在する。
例えば、お坊さんは男だけ、現金や異性に触れることは許されず、托鉢は食べ物と着るものだけを受け取ることができる。食事は原則、朝食と昼食のみで夕食はない。
頭髪と眉は剃り上げ、着るものは法衣のみ。
戒律の厳しいお寺は草履さえ履くことを許さない。
パーリ語を学習し、経を読み、多くの人々に生き方のヒントを語り、生きることの重要性を説く。
貧困で学校へ行けない子どもたちに読み書きを教える。
そうでない坊さんもいることも間違いないが、このようにテーラワーダ仏教のお坊さんは厳しい生活を送っているのだ。

日本の場合、お坊さんはサラリーマンまたは自営業者である。
主な業務は経を読むことで収益をえることだ。
活躍の場は主にお葬式。
誰かが亡くなると、宗派に応じたお坊さんが呼ばれ、読経してお布施と言う名のギャラを受け取る。
お寺は博物館・美術館と化し拝観料という呼び方の入場料を徴収し、政府は文化財という名の下に助成金を交付して支援している。
宗派によってはラジオ番組のスポンサーになり頻繁にCMを流し、信者という名の顧客を募ることに余念がない。
結果、全部とは言わないが、多くの宗教法人が莫大な利益を上げ、しかも宗教だから税も優遇。
特別な地位は不動だ。

新聞報道によると愛知県にある宗教法人のお坊さんが1億円を超える腕時計を経費で購入。
なんでも自分の時計コレクションの一つとして購入した。
しかし、世の中そんなに甘くない。
アル・カポネの時代から、恐るべしは国税庁。
税務署のお役人の鋭い目はごまかせなかった。
「高級腕時計は宗教活動とは無関係」
ということで、個人の給与と見なさら8千万円の追徴課税を受けたそうな。

きっとこういうのは氷山の一角に違いないんだろうな、と思う、煩悩の固まりと化したお寺さんの実態報道なのであった。

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