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京都市立京セラ美術館で今、日本国内史上最大規模の「アンディ・ウォーホール展」が開催されている。
この秋冬最大の関西のアートイベントかもしれない。

先日その「アンディ・ウォーホール展」を観に行こうとと京都まででかけてみたが「ウォーホール展はまだまだ会期があるから」と同じ京セラ美術館で開催されている別の展覧会を観ることにした。
それが「ボテロ ふくよかな魔法展」なのであった。
この展覧会は12月11日が終了になっていたからだ。

鑑賞した感想はというと、
「今日はこのあとウォーホール展見ないことにしよう。だって負けてしまうかもしれないから」
というぐらい面白い絵画展なのだった。

南米コロンビアの画家フェルナンド・ボテロはあることがきっかけで「ぶっとい肖像」を描き始めた。
肖像だけではない。
フルーツも。
木々も。
聖書の世界も。
何もかも。

中でも1963年に発表した「12歳のモナリザ」はニューヨークで話題を集め、彼にとって初のMoMA収蔵の一作となった。

彼の作品の何が特徴かというと先に書いたように描かれる対象が「ぶっとい」のだ。
それも単なる太ったパロディーではなく独立した作品としての印象が強く、感動する前に穏やかなユーモアが心の中に満たしてくれる。
南米らしいラテンな暖かさが溢れているのだ。

この「モナリザ」を始め、多くの有名な作品がボテロの手にかかって新たな作品に生まれ変わっている。
今回はMoMA収蔵の作品は未出展ながらも多くの著名作品が集められた比較的規模の大きな初めての国内展ということもあり、見どころ満載なのであった。

描かれている対象が太っているだけではない絵そのものの表現の豊かさ。
南米の作家らしい温かい色彩構成。
そして「ふくよかな」気持ちになる温かみ。
どれをとっても新鮮で、ぜひとも我が家にも欲しいと思える明るい絵画がいっぱいなのだ。
もちろん買うことは予算的に叶いませんが。
見終わる頃には「今日は連続してウォーホールを観るのは適切ではない」という判断にいたるほどのポジティブな衝撃を感じたのであった。
なぜなら見慣れた作品の多いウォーホールを鑑賞すると、いくら有名な作品が多いとはいえ現代アート。
「ん〜、ありきたり」
となってしまいそうで怖かったのだ。

師走の京で、ふくよかな気持ちになろう。
でも会期は今週日曜まで。
あたたか〜いボテロ展なのであった。



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