<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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航海中に嵐で遭難。
奇跡的に生き残り、ある時は筏で、ある時は無人島に流れ着き、そしてある時は異国の船に救い上げられる。
漂流ドラマは映画、小説、どちらをとっても劇的でスリリングだ。
主人公は陸地にたどり着けるんだろうか、陸地にたどり着いても故郷に帰ることは出来るんだろうか。
いつもハッピーエンドを期待して物語に没頭する。
多くの場合は帰還することが叶うのだか、稀に帰還できずに死んでしまうケースがあるので結末を見るまでは結果はわからない。

「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」は主人公が奇跡的に生還できた物語だ。
観客は映画の冒頭から主人公が死なないドラマとして見ることができる。
というのも、物語は主人公が過去を振り返り語る形式で進められるわけで、もし途中で主人公が死んだりなんかしたら、
「今話している人は誰?」
ということになってしまう。
主人公は生きてこうして語り部としてインタビューを受けていますよ、という約束事とともに物語りは進むので、いわゆる犯人が分かったまま進行するテレビドラマ「刑事コロンボ」のようなものと言っていい。
それでは、何をして観客は楽しむのかというと、刑事コロンボが犯人がどんどんと追いつめられていくプロセスを楽しむのと同じように、主人公がいかにして「トラ」と一緒にサバイブするのか。
それをヒヤヒヤしながら楽しむ冒険ドラマなのだ。

それにしても、CGが多用されているからといって、ライブ撮影も美しく、物語そのものも非常に魅力的なドラマなのであった。
監督のアン・リーという人は台湾人で、アメリカで活躍。
何年か前にアカデミー賞を穫った「ブロークバック・マウンテン」のメガホンを握った監督として記憶している人も多いことだろう。
あの作品は「同性愛がテーマだ」なんて言われていただけに劇場に足を運ぶ気にまったくなれず、ついに今日まで見ていないのだが、今回の映画は「漂流もの」ということもあり、家族を伴って楽しく鑑賞することができた。
ロケーションも台湾で撮影されているところが多いとかで、出演する日本人役も、どうやら台湾の人が演じているらしく、外見は日本人だが、日本語がどこかおかしいというところは、ちょっとした愛嬌なのかもしれない。
また日本の貨物船が沈没して主人公は漂流の身の上になるのだが、そここに書かれている日本語も台湾で撮影された映画だけに間違いもなく自然なのであった。

不自然なのは、どうしてトラと一つ救命ボートで生き残ることができるのか、という一点であった。
人間とトラが同じ船に乗ったら食べられるではないか、と思ったのだ。
もちろん人がトラを食うのではなく、トラが人を食うわけだが、見始めると、そんな疑問はすぐ吹っ飛んでしまった。
この映画の不自然さがないのは、このトラと人間のサバイバルを見事に描ききっていることで、CGの技術以上に物語そのものが生々しく、リアルさを感じさせるものになっていたのだ。

ところで、漂流ものにつまらないものは無いと断言したけれども、それは本当だと私は思っている。

映画ならトム・ハンクスの「キャストアウェイ」、西田敏行の「おろしあ国酔夢譚」などがあり、小説にはノンフィクションの吉村昭「漂流」「アメリカ彦蔵」「大黒屋光大夫」、シャクルトンの「エディアランス号漂流」などがある。
さらに宇宙ものとしては「アポロ13」なんかが漂流のジャンルに入るのではないだろうか。

トラとの漂流物語は奇想天外で奇抜だが、やはり、面白いというのが、この映画の「漂流もの」たるところなのだ。
きっと。

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