<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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1985年、春。
就職先が決まらないまま大学を卒業した私はアルバイトをしながら就職先を探すことになったが、「芸大卒」ということがハンディキャップなのか、私自身に魅力がなかったのかなかなか生業が決まらないまま夏を迎えてしまった。
この夏は掛布、岡田、バースなどの活躍による阪神タイガースの21年ぶりの躍進や日本航空123便の御巣鷹山事故など、良いも悪いも様々なニュースが錯綜したが、私の就職には何らポジティブな影響を与えることはなかった。

日航機事故のニュースがまだ消えない秋に、父が胸を患って長期入院することになった。
これはエライことになった、と思った。
スネをかじりながらバイト生活に満足している場合ではない、と初めて危機意識が芽生えたのだった。
甘ちょろい若者なのであった。

そこで私はもっと堅実な仕事はないか考えて、求人雑誌で大阪市内の小さな建築設備の会社が募集する長期アルバイトを見つけた。
内容は竣工前のビルの空調設備の検査と資料作成アシスタント。
芸大卒の私がこんなテクニカルな仕事をやっていけるのだろうか、と思って面接にでかけたが即決で採用され、すぐに阿倍野区にある再開発ビルの現場に派遣された。
25年後にキューズモールと棟続きになる最初のビルなのであった。
日給は6000円。
交通費全額支給。

それまでも作業着を着て仕事をすることは無くは無かったのだが、ヘルメットや安全帯をつけて多くの監督や職人さんと入り交じって仕事をすることは初めてだった。
正直言って、
「ブルーカラーかホワイトカラーかわからん仕事。あ~あ、何のための芸大やったんか」
と思い悩むこともなくはなかった。
建築現場で「土方のまね事」みたいな作業者仕事で、「映像クリエーターを目指すぞ」という当初の夢と現実のギャップに悲しくなってしまうこともなかった。
ところが実際に建築現場で働きだしたら、建築の仕事がじつは壮大なる芸術作品の創造であることがわかった。
途方も無い数の人々の力によって生み出されるその作品は100年以上も街のランドマークになることに気づいた。
しかも「土方」「肉体労働者」とわずかながらも偏見のあった工事現場の作業者の人たちの多くは素晴らしい技術を持ち、公的なライセンスを持っている人も少なくなく、設計、監督から基礎、鉄骨、電気設備、配管設備など様々な業種がコラボする「映画製作」のような世界であることに大きな魅力を感じたのだった。

働き始めたのが秋だったので、まず冬の寒さが身にしみた。
初めて迎えたあくる夏は肉体の限界を意識せずにはいられないほどの酷暑に喘いだが、それでも建築仕事の魅力は若かった私の脳を刺激し続けたのであった。

ある日、昼の定時連絡の時に淡路町の事務所に来るようにと社長から呼び出された。
「うちの契約社員になりませんか?」
アルバイトから社員への昇格なのであった。
以後4年間、この会社で建築設備の仕事に従事した。
4年目を迎えるころ、自分の働きを認められたのか、東証一部上場の大手設備現場の所長から、
「うちに来ないか。そっちの社長には話してあげるし。君みたいなんに来て貰いたいねん」
と声を掛けられたのが大きな自信につながった。
ちょうど同じ頃、デザインのできる設計者を探している中小メーカーを見つけていた。
大手に入ると途中入社なので出世は難しいし、勤務先も日本国内はもちろん海外もある。でも給料は格段に変わる。
中小メーカーの仕事は給料はさして良くないが、もともと目指していたクリティブな仕事に関係する。

思い悩んだ結果、建築設備会社を退職し、正社員として中小メーカーの工業デザイナーとして再出発することになったのであった。

その会社も結局3年で退職することになったが、この2社で知り合った様々な人々との付き合いは今も途切れること無く続いているし、なんといってもこれら2社で学んだことが現在の仕事に活かされているのが驚く限りだ。
専門の技術を学んだわけではなく、実務でこつこつ蓄積した知識が会社でももちろん、大学の連携研究員というなんちゃって大学関係者とう立場でも、先生方と十分な話しができるだけの力を私につけさせてくれた。
ありがたいことだと、給料の額はともかく感謝しているのだ。

有川浩著「フリーター、家を買う」は、大学は卒業したけど入社した会社は数ヶ月で退社。
アルバイト生活から自分の道を見つけ出す今時の青年の物語だ。
この小説を読み始めて、一番最初に思い出したのが自分自身なのであった。
私も主人公のようにフリーターから就職し、建築現場を渡り歩き、やがて自分の立ち位置を見つけるというプロセスを踏んできただけに、面白いと思うと同時に、過去27年間の様々なことが脳裏を去来したのだった。

大卒でちゃんと就職して、それを転職として全うすることも立派だと思う。
しかし、そういう普通のプロセスではない道を歩ることもまた、人や社会にとって重要なことなのかもしれない。
作家の沢木耕太郎は大卒後大手企業に就職が決まったが、初出社の日に何か出社することに疑問を感じて、そのまま家に帰ってしまったという。
社会人スタートとしては失格かもしれないが、結果としてフリーターというプロセスがなければ素晴らしいノンフィクション作品は生み出されなかったわけだし、私事で恐縮だが、普通に就職していたら今の結構変わった立場の仕事にもつけなかったかもわからない。

フリーターが買うのは家だけではないのである。

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