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フランスの作家オリヴィエ・ゲーズはこの小説に書くに際してカポーティの「冷血」を意識したという。
ノンフィクションでありながら小説の要素を多分に採用して人の心理に迫っていく手法は見事に的中して2017年のフランスの文学賞「ルノードー賞」を受賞した。

「ヨーゼフ・メンゲレの逃亡」(東京創元社刊)は新聞の書評で感じた以上の迫力と怖さと人間という動物に対するやるせなさを感じる一気読みさせる作品だった。

ヨーゼフ・メンゲレはナチスドイツの医師でアウシュビッツで行われた数々の非情な人体実験を指揮した人物で知られている。
この小説でもアウシュビッツでの残虐な行為が描かれている部分がある。
しかしその多くは戦後メレンゲが南米へ逃亡し、そして1979年に亡くなるまでの物語に費やされている。
そして大部分は彼の心情を描いているのだ。

ユダヤ人をはじめとする被差別民族に対する人間とは思えない残虐な考えを生み出し、そしてそれらを戦中に実行したことの正当性を主張する。
その一方、自分自身の家族への愛、想いといった人間的な面が錯綜する。
そのコントラストに人間の恐ろしさというか脆弱さを感じて時折いたたまれなくなってしまう。
メンゲレは優秀な医師としての知識と技術を有していた。
にもかかわらずその知識と技術は人類の歴史に残る残虐な行為に用いられてしまった。

この本を読んでいて強く感じたのは、相手を知ることをせず、思いやりや愛情を持つことなく、偏見に満ち、そして反対を唱えることができない社会が人々をどのように導いていくのかという恐ろしさなのであった。

クライマックス。
メンゲレは幼いときに別れたままの息子に再会を果たす。
息子は父に対してなぜ残虐な行為を行ったのか。それを悔やまないのかと迫る。
そこで答えるメンゲレの言葉に息子と一緒に読者は衝撃を受ける。
それはジョージ・オーウェルの「1984年」のラストシーンにも似た邪気迫るものがあった。

どこまで真実なのかは作者というフィルターを介した物語であることは間違いない。
でも、このような可能性もあったのだと考えさせられるノンフィクションノベルなのであった。

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