<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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NHK朝ドラ「らんまん」に広末涼子がカットされずに登場した。
報道によると、
「謹慎後、最初の復帰作」
ということらしいが、これは復帰とか謹慎とかごちゃごちゃ言っているレベルではなくNHKが久々に放った創作者としての一安打ではないか、と私は勝手に思っているのだ。

そもそも犯罪でも起こしたのであれば大きな問題だが、芸能人の不倫なんか仕事の一部のようなものではないか。
私は広末涼子の熱烈なファンではないが、女優やタレントといった芸能人は一般人とは異なることは江戸の昔から日本では知られるところで、不倫、パトロン、同性愛、任侠との付き合いなど、普通だったんじゃないかと思っている。

例えば美空ひばり。
この人のパトロンの一人は某反社会組織の親分だった。
それが原因で晩年はNHKから干されていたのは50代以上の人であればみんな知っている。
それでもあの歌唱力、演技力、スター性がそういう付き合いも相まって磨かれていったことは間違いない。
それを多くの人は楽しんでいるのだから、それがどうしたんだというのが昭和の感覚なのであった。
今になって「素晴らしい人だった」とよくバラエティ番組などで取り上げられるが、あんたたち、あの頃美空ひばりをどう扱っていたの?と誰も訊かないその言論統制が反社会組織よりも私は恐ろしいと思っている。

数多くのヤクザ映画を制作した某映画会社もその筋との付き合いはトップであるほど深かかったと言われており、
「そういう世界との付き合いをさせないように育てよう」
と守られて育ったのは今も時代劇で活躍するスターにはいるくらいだ。

なので不倫でいちいちドラマのシーンをカットしていたら放送するものはなくなってしまうじゃないだろうか。

かつて池波正太郎は鬼平犯科帳の「五月雨」でレギュラーだった伊三次を死なせたときに、
「物語をあそこへ持っていくと、どうしても伊三次は死ななければならなかったのだ。もし、仮に生かすことになると不自然になり、物語は死ぬ」
という意味合いのことを言ったそうだが、「らんまん」のあのシーンで広末涼子扮する母が「不倫したから」カットされたら、「らんまん」が「つまらん」ものになったことは言うまでもない。

朝ドラへの広末シーンのカット回避。
NHK、なかなかやるの。

なお、先日とある官民交流会での高知県の人の一言。
「うちの(高知家の)長女が世間をお騒がせして申し訳ありませんでした。代わりましてお詫びします。」
で済ませてしまったのも南国土佐のねちっこさの無いところだと思い感心した。





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