<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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京都芸大と言われてどの大学がイメージされるのか。
私は素直に京都市立芸術大学が浮かんでくる。
京都の芸大といえばここしか無い、という感覚が今もある。

私立京都造形芸術大学が名称を「京都芸術大学」へ変更するという申請が何故か許可されたため大きな波紋を呼んでいる。
誰が許可したんだ?という感じだ。
双方譲らずで解決の糸口はいまのところ見えていない。
このために法廷に持ち込まれようとしている。
ことは大学の名称である。
鉄道の駅名を変えるのとはわけが違う。

私の出身大学である大阪芸大も十把一絡げで扱われている人もいるが大阪に芸大は大阪芸大しかない。
しかも京都市芸大は大阪芸大とは私の在学していた30年前から仲がよく、当時は京都と大阪それぞれ2つしか無い芸術大学は共同でイベントなどを開催していたものだ。

京都造形芸術大学は未だ創設されて30年ほどの新しい大学だ。
それでも商売は上手いようで規模は年々大きくなっている。
講師集めなどには我が大阪芸大の成功実績のある手法を採用。
現場で活躍する第一線の芸術家やデザイナーを集めて大きな規模の芸術大学に育ててきた。
しかも今の学長は総長カレーを生み出した元京大総長だ。
商売がうまく、京都大学出身だけあって政治力もあるのだろう。

しかしである。

京都市立芸術大学を差し置いて京都芸大を名乗るなど「控えおろう!」と思っている人は少なくないはずだ。
私も思っている。
なんの為に名前を変えるのか。
商売のためか。
研究活動のためか。
私は前者しかないように思われてならない。

名称を変えてイメージアップを図っている大学は少なくない。
つい最近、同じ京都にある某私立大学が奈良先端科学技術大学院大学をイメージさせる名称に変更。
某私大は京都の有名企業の創業者が創設した大学だそうだが、その企業の技術レベルの知名度と大学は大きくかけ離れていると言わざるを得ない。
一方奈良の方は国立の大学・研究機関でありバイオサイエンスや情報系では世界の最先端を走っているところであることはつとに有名だが、京都のそれが同様かどうかは疑問符が灯る。
また学部が限定されると困るのか兵庫県の某大学は看護学科を優先するためか名前にあった「芸術」を削除。卒業生はきっとびっくりしているに違いない。

このように私立大学のなんでもありの体質は目に余るものがある。
かつて田中真紀子がやった唯一の驚きの好決断は新設大学の申請を却下したこと。
地方に計画されていた3つの大学と学部は当時の国民が持っていた「そんなに大学が必要か?レベル低いのはいただけない」との印象を受け止めた良い事例なのであった。

件の造形芸大がどんな芸大なのかを私は知らない。
とはいえ京都市立芸術大学は東京芸大とともに日本では特別な芸術大学でもある。
その京都市立芸術大学を京都芸大と呼ぶ我々にはいくら学長が元京大総長だからといって私学が経営のために好き勝手にする権利はないと思っている。

会話の中でも京都芸大と呼ばれるのは京都市立芸術大学で、その他の大学ではないことは間違いなのだ。


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