<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





10年ほど前にミャンマーを旅行したとき、利用した国内線の旅客機は個性に満ちた機種が少なくなかった。

日本ではなかなか乗れないエンバイエルのプロペラ機。
しかもそれなりにお年を召した機体のようで、私が座った座席の窓の下には大きな凹みができていた。

「こんなんで大丈夫かな。飛ぶんかな....。」

と若干の不安感はあった。
しかしヤンゴンからのフライトはまったく心配もなく1時間半の飛行を終えて無事にシットウェー空港に到着した。
凹みぐらいではまったく問題はなかったのだ。
凹みや故障箇所は見当たらなかったが最も驚いたのはシャン州の州都タウンジーへの玄関口ヘーホー空港からヤンゴンに戻る夕方便だった。
乗客が多く待合室は混雑していた。
「あの小さなプロペラ機にこんなに多くのお客さんが乗れるのかな」と思っていた。
そこにやってきたのはミャンマーの国内線にしては珍しくジェット機だった。

「全員乗れるそうです。それにジェット機だから早いですよ」

とガイドさんは言った。
ジェット機ならプロペラ機ほど揺れないし、スピードが早い。
根拠はないのだが、なんとなく安心感も少し大きい。
しかし座席に座って安全のしおりに記載されている機種名を見て不安が吹き出した。

「FOKKER 100」

フォッカー?

エアバスでもボーイングでもボンバルディアでもなくて、フォッカー。
聞いたことあるけど....。
ふと私の脳裏に二枚翼のプロペラ機が写った白黒のレトロな写真が浮かび上がった。

「大丈夫かいな....」

ミャンマーの国内線ではすでに消滅した航空機メーカーの最終製品が空を飛んでいたのだ。
それも機齢はたぶん20年以上。
メンテナンスは今はエアバス社が請け負っているようだが、古いことに変わりはない。

かように開発途上国での空の旅は中古機材が飛び回り、大変なリスクがあると思っていた。
現に地球の歩き方にも「ミャンマーの国内線は時々墜落するので要注意」みたいなことが書かれていて、ほんとに注意していたのだ。

そんなこんながあって海外で、とりわけ開発途上国で航空機事故があると、

「きっと古い機材でメンテナンスの不備が原因なんだろな」

と思う。
それも自然にそう判断してしまうのだ。
たぶん、実際にそんなことも少なくなかったんだろう。
かなり昔であれば。

だから昨年インドネシアでLCCが墜落したときも、

「中古機材かな、LCCやし」

と思っていたら最新機種のB737MAX8。

今回のエチオピア航空の墜落のニュースを聞いたときも自然に同じようなことを考えたのだが、機種はやはり最新のB737MAX8。
どちらの航空会社も新鋭機種を運行させて信頼性のアップを図っていたのだ。

そういえばこれも10年ほど前にベトナムの国内線でホーチミンからダナンへ飛んだときも機種はB777。
最新機種なのであった。

このように十年、二十年まえ。
もしかすると私は三十年以上前の情報をもとにその国に対する印象を抱いていたまま「今」を考えているのではないか。
そのことに気づいたタイミングとハンス・ロスリング著「ファクトフルネス」を読んだタイミングが合致して、予想以上に学ぶことが多い一冊になった。

本書では人々は古い情報に基づく先入観や、人間がもともと持ち合わせている本能に基づいた考え方、捉え方で物事を判断をしており、その正解率は著しく低いという。
著者その正解率の低さを「チンパンジー以下」と表現している。
実際、三択問題で正解率が三割を超えるものは殆ど無い。
ランダムに答を選択するほうが考えて選択するより正解率が高いというのだ。

確かに、本書で紹介されている問題の正解率はかなり低い。
「少しは電気を使える人は世界人口の何パーセント?」
「女性は男性と比較して教育を受ける時間はどれだけ少ない?」
といった問題。
いずれも私を含むほとんどの人が不正解。

また漠然と、
「世の中は悪くなっている?」
とみんなが勝手に言っていることが実は正しくないというようなことなどが「データ」を元に解説されており愕然とするのだ。

本書を読んでいて怖いなと思ったのは、もしかすると政治家やマスコミ、社会運動をする人たちはそのことを知っていて、時として悪意を持って発言しているのではないかと感じたことだ。

よく憲法9条の改正に反対する人たちは「改正したら日本は戦争ができる国になってしまう」と言う。
これも一種の人間本能にささやきかける印象操作ではないか。
こういう人たちに限って論理的な議論を避けて、彼らの結論だけを声高に叫ぶ。
しかもこういう発言をするのは善人顔の人が多い。
詐欺師や嘘つきは人相が良く、逆に正しいことをしようとするひとに悪人顔の人が少なくないのがなんとなく因果ではある。

よくよく考えてみると憲法を変えたからと行って戦争をする国になるわけがない。
そんなことをしても今の世の中誰も得をしないし、すれでも憲法を変えるだけで戦争をするという人たちは「日本人はバカです」と言っているのと同じではないかとも思う。
戦後半世紀かけて築き上げた信頼をぶち壊すわけがないのだ。

それによしんば憲法を変えなくて外から戦争がやってくる可能性は低くない。
現に、南シナ海に浮かぶ他国の島々を自分の領土と宣言して勝手に占領して軍事基地を作っている国が隣国にある。
また核ミサイルをぶっ放す、と言い続ける鬼ヶ島みたいな国も隣国にはある。
島を占領したまま手放さい隣国2つもあり、まともな国の方が少ないくらいだ。

こんな情勢だから、テロリストよろしく襲いかかってこないということは絶対に言えず万が一に備える必要がある。
大切なのは憲法で縛り付けて緊急事態が発生した時に足を引っ張るデタラメを作るのではなく、正しい情報を得ることで社会を妙な流れに導かないことなのだ。

で、かなり話は横道にそれてしまったが憲法で縛り付けるために嘘の印象操作をするところに怖さがある。

いずれにせよ社会問題、国際問題、近所の問題、家族の問題。
どれも真実を真のデータを知ることで解決あるいは改善できるということを本書は気づかせてくれるのであった。

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