<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





僧侶は普通、酒は飲まない。
お釈迦様の定めた五戒の中に「お酒を飲んではいけない」という項目が含まれているからだ。

生き物は殺してはいけない
盗みを働いてはいけない
性行為に溺れてはいけない
嘘をついてはいけない
で、酒をのんではなけない
だ。

でもお酒を飲まないというお坊さんに出会うことは非常に稀だ。
私の家の宗派真言宗ではわざわざ「般若湯」などと名前を偽ってまで酒を飲む。
それだけ日本の仏教は俗化していると言っていいのか。
はたまた上座部仏教とは違った形で生活に密着しているのか興味深いところだ。

この「飲酒をしてはならない」という戒律は仏教に限らずイスラム教や一部のキリスト教にも存在して私たちを大いに困惑させる。
「なんで飲まれへんの?」
飲み会で酒を進めて真面目くさった顔で拒絶されるとついつい訊いてしまう。
流石に日本で生活しているのでイスラム教徒の知人や友人はいないけれども経験なモルモン教徒などは身近にいていたりするので禁酒の習慣、文化には身近なものを感じている。

高野秀行著「イスラム飲酒紀行」という文庫はそういう宗教上の「禁酒」という戒律の元、人々はどのようにお酒を嗜んでいるのかという、すこしばかり好奇心を誘うノンフィクションだった。

そもそも最近はイスラムと聞くだけで何か危険なものを連想する人はすくなくない。
9.11の影響か、ISの影響かどうかはわからない。
日本人にとって最も馴染みの薄いメジャーな宗教であることも一因だろう。
現在でもイスラム教の国に旅行する時は「酒が飲めない」ということを予め覚悟して出かける必要があるのではないかと思ってしまう。
とりわけ中東や北アフリカを訪問するときは多分飲めないのだろうな、という印象がある。
私は今だイスラム教を国教にしている国はマレーシアしか訪れたことがない。
訪れた、というのも言い過ぎでシンガポールから日帰りで入国しただけに過ぎない。
従ってマレーシアでは軽食ランチを食べたぐらいで宿泊もしていないので畢竟、酒も飲んでいない。
イスラム教徒の少なくない地域としてシンガポールやミャンマーの東部地域を訪問したこともあるが、シンガポールは華僑の国で値段を気にしなければ普通に飲めるし、ミャンマーも仏教国なので羽目を外さないかぎりは飲酒はできる。
だからイスラムの国で酒を飲んだらというよりも、酒なしの生活というのはどういうものであるのか。
大いに関心があった。

本書ではそのイスラム教を国是としている国々で著者がどのように酒を手に入れ楽しんだのかがレポートされている。
そこから見られる禁酒国での飲酒は生命を賭してするゲームというようなものではなく、路地裏の隠れ家でコソコソと嗜む盗み酒的なユーモアさえ潜んでいるように思われた。

考えてみれば以前勤めていた会社にはバングラディシュからの研修生が2名いたが、彼らは夜陰自室で酒盛りをするのを日課にしていた。
「バングラディシュって東パキスタン。確かイスラム教の国やね」
「そうよ」
「お酒飲んでいいの?」
「いいよ、ここ日本だもん」

ま、そんなもんなのかもしれない。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )