<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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東北上越北陸新幹線は東京から大宮までは在来線と同じスピードで走る。
カーブが多いからなのか、都心を走るからなのかは知らないが、とってももっちゃりとしたスピードだ。
平行して走るJR埼京線の電車とあまり変わらないスピードなのだ。
はやぶさ号に乗ったからには私は時速320kmを早く体感したかった。
遅い。
遅~い。
早よ走らんかい、なのであった。

全席指定席の列車のメリットは通路に立っている客がいないことだ。
もう最近はそんなことはないのだが、以前はよく東海道・山陽新幹線で通路まで満席の車両に乗ってしまい車内販売もやってこないということが時々あった。
あれは車内販売のスタッフに同情してしまうので精神的によくない。
新幹線はこのはやぶさ号のように全席指定立ち見なし、がいいに決まっている。
客は特急料金を払っているのだから、当然といえば当然だと私は思っている。

東京の欠点は郊外を走っていてもビッシリと住宅やビルが犇めいていることだ。
とりわけ東京から大宮にかけては顕著である。
首都圏に何もかも集中して周囲の街は大阪よりも大きくなってしまったのは、経済的には凄いことかもしれないが生活をするにはあまり喜ばしいことではないように感じられてならない。
それに首都圏は横浜、千葉、埼玉など東京周辺のどの地域をとっても特徴に乏しく、ミニ東京になっているのは没個性的で詰まらない。
関西ほど近隣の街が個性を持ちすぎるのも問題かも知れないが、これほど同じなのは犯罪は生み出せても文化を生み出せない何らかの問題があるのではと、考えてしまうのであった。

大宮を出ると、景色も走り方も一変した。
まず、車窓に田んぼや畑が目立ち始め、人間らしく生活できる風景に変わり始める。
そして電車は上越、北陸新幹線と別れると一気にスピードを上げて新幹線らしい走りになった。
それでいて揺れは少なく社内は静か。
日本の新幹線技術の素晴さは高速鉄道の理想的姿。
容易に中国人に真似のできないテクノロジーと文化なのだとつくづく思ったのであった。

はやぶさ号は大宮を出発すると仙台まで止まらない。
この間、お楽しみの景色のなかでも磐梯山を望む福島の景色が一番ではないかと思っていた。
ところが磐梯山はむかって左側の車窓に見えるので、右側の窓側に座っている私からはよく見えない。
こういうこともあって早めに切符を買おうとしたのだったが、時すでに遅し。
かなり後悔することになった。
いつもなら大阪からは空路仙台に入るので、磐梯山は仙台着陸15分ほど前に右側の窓からよく見えるのだが、地上からの景色を楽しむことはほとんどできなかった。

暫くすると大きな街を通過した。
福島市なのであった。
福島市も仙台にアプローチする大阪からの空路ではよく見える街なのだ。
ここは一度だけ訪れたことがある街だ。
大変な時期なのであった。
2011年4月の終わり頃。
訪れた先は福島県庁。
もちろん仕事で訪れていたのだが、庁舎内はある種独特の雰囲気で最上階にある体育館施設だったのだろうか、そこには机や会議テーブルが持ち込まれ、消防、警察、自衛隊が出入りし、物々しい雰囲気だった。
私はとある国立の研究機関のお手伝いで来ていたのだが担当の人を呼びだそうにも「会議してます」とか「○○さんですか、さあ」とかいう状態で、そう答える人にもそれ以上「どこですか?」と聞くのが憚られるような雰囲気が充満していたのだった。
私も20年前の神戸震災で直後に阪神間を何度か訪れたが、さすがに津波と原発事故という二重苦は、どう声をかけていものやらわからないものがあった。

あれから四年。
あっという間に過ぎ去っていた福島市は初夏の陽光に照らされていたのだった。

速度が落ちて仙台へ近づくと大勢の人々が下車の準備を始めた。
東北新幹線は仙台までは本数が多いが、此処から先は一時間に数本の運転となる。
もちろんはやぶさ号もその一本のひとつだった。

仙台から北は私にとっては全く初めての景色でオッサンではあるものの、なんとなくワクワクする。
初めて新幹線に乗った時のワクワク感には勝てない。
あれはなんといっても幼稚園児の時なのであって、中年のオッサンとなった今はそれほどワクワクしないが、やはり初めての路線はワクワクするのであった。
ちなみに初めて乗った新幹線は新大阪~豊橋で、以前にもここに書いたがオヤジが食堂車でカレーライスを食べさせてくれたことがとてつもなく嬉しく、後日周囲に自慢しまくったのを今も覚えている。
初めて山陽新幹線に乗ったのは新大阪~岡山間だったが、その時のワクワク感は途中の路線がトンネルばかりで景色がほとんど見えないことにワクワク感は大きな失望に変わったことを、これまた今も覚えている。

仙台郊外を過ぎると、のどかな田園風景が広がってきた。
その景色が緑豊かで、見える一瞬一瞬が宮凬駿のアニメに出てくる田舎の景色そっくりなのであった。
以前から宮崎アニメの風景は少なくとも関西ではないと思っていたが、やはり東北の夏のあの青々とした澄んだ空気の世界がお手本だったのではないか。
小川が流れ、田植えを終えたばかりの田圃の小道を軽トラックがゆっくりと走っている(ように見える。こっちは新幹線なので)。
小高い山は緑の木々に覆われ、小道はその裾野に沿って緩やかなカーブを描いている。
家々の屋根も北国らしくその傾斜が大きい。

やがて大きな川を渡った。
一瞬しか見えなかったが都会を流れる無味乾燥なコンクリートや造成された堤ではなく緩やかな盛り上がりが自然豊かな緑で覆われた堤で挟まれている大きな川であった。
私の目にはまるで外国のような風景に映った。

「もしかして?」

そう、そのもしかしての初めて見る北上川なのであった。
写真ではない北上川。
なんて美しい川なんだろうと思った。
夏、リュックを背負ってここへきて弁当を広げるといいだろうな。
綺麗な水だから泳ぐにも楽しいに違いない。
初夏の日差しでキラキラと輝く北上川は子供の頃の夏休みを思い出させてくれたのであった。
いつか仕事ではなく、得意のバックパック旅行で訪れたいと思った。

車窓からは最果てまで水田が続く景色が展開する。
米どころなのだ。
関西でも岩手県産のお米が売られているが、こういう広大なところで作られているのかと思うと感慨深いものがあった。
この日の夕方参加した盛岡市内での交流会では、
「岩手は99.9%が中小企業なんです。だから東京や大阪の企業にもっと来てもらわないと」
みたいなことをおっしゃる方がいたのだが、この豊かな大地の姿こそ東京や大阪には望んでも決して手に入れることのできない豊かさがあふれていると思った。

はやぶさ号はやがてスピードを落として静かに盛岡駅に到着。
東京からたったの2時間20分の旅なのであった。

仙台から乗車してきた会社の同僚と合流すると昼ごはんを食べることになった。
どこで食べるのか。
時間が無いので駅のレストランで食べることにしたのだが、せっかく岩手盛岡までやってきやのだから地場の特産物を食べたいと思った。
で、食べることになったのは盛岡じゃじゃ麺。
盛岡冷麺は数年前に大阪で開催された交流会で頂いたことがあり、とっても美味であったことを覚えていたが、最近では近所のスーパーマーケットでも手軽に買い求めることができるようになったので候補から外し、初めて聞くじゃじゃ麺を食べることにした。
そのじゃじゃ麺への感想についてはまたの機会にするとして、せっかく岩手盛岡までやってきたのに「わんこそば」という選択肢を失念していることに気がついたのは仙台経由で大阪へ戻ってきてからであった。
「わんこそば」
あの響きは子供の頃から「食べてみたい」という蕎麦の代表格なのであったが、盛岡到着時はどういうわけか記憶から消えてしまっており、大いに後悔することになった。

次回、岩手訪問の際にはわんこそばを食べることのできるところを調査してから出かけることにした、ちょっぴり反省の残る北への旅なのであった。

おしまい


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