<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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乗る予定をしていた「はやぶさ号」が出発する30分前に東京駅に到着。
山手線を降りて新幹線の改札口へ向かった。
土曜日の朝。
人通りは、少なくない。

私は多少早く着いたらどこかに座って待とうと思っていた。
しかしこれは甘かった。
非常に甘かった。
東京駅の東北上越北陸新幹線の改札前は旅行客でごった返していたのだった。
理由はもうはっきりしていた。
金沢や富山を目指す観光客が窓口や改札、待合ロビーに溢れていたのであった。
北陸新幹線は開通したばかり。
北陸への注目度が非常に高くなっていた。

これは別の意味でも恐るべし出来事なのであった。

というのも、富山や金沢といった北陸はむかしから「関西の奥座敷」と言われていて、温泉あり、庭園あり、伝統工芸あり、かに料理ありのいいところだ。
当地の方言も基本関西訛りであることから関西人にとっては重要な観光地および保養地なのである。
その北陸が、新幹線が開通したというたったそれだけでの理由で首都圏の人々に占領されようとしているのだ。
これは由々しき問題だ。
南沙諸島が中国に不法占拠されるがごとく、道頓堀を中国観光客に占領されているがごとく、もうひっちゃかめっちゃかにされようとしているようしか思えなくなってくるのだ。
「北陸は日光ちゃうぞ」
私は密かに心の中でそう叫んでいたのだった。
そして、
「JR西日本、さっさと京都から金沢まで新幹線作らんかい」
とも罵っていたのであった。
尤も私が最後に北陸を訪れたのはもう10年以上前になってしまうのだが、それはそれ。
あれはあれ、なのであった。

もちろん混雑していたのは北陸新幹線だけではなかった。
東北新幹線もダダ混みなであった。
私の乗る予定のはやぶさ号は満席。
自由席がないので切符を買えなかった人ははやて号かやまびこ号で行くしかない。
すごい活気に満ちているではないか。
こういうこともあるかと思って、私は大阪駅では3日前にやぶさ号の切符を買い求めていたのであった。
それでも希望していた西向きの窓側E席は満席で確保できなかった。
仕方がないので日差しの当たる、窓側A席しか確保できなかったのだ。
景色を見たかったので、どうしても窓側を確保したいというガキみたいな理由だけでA席を購入したのだ。

一方、大阪方面へ向かう東海道新幹線はというと、かなり空いていて土曜日ということもありビジネス客の姿は少ない。
空席情報の表示モニターを見ると東北新幹線、上越新幹線、北陸新幹線は満席、満席、満席なのだが、東海道新幹線の表示モニタを見ると「のぞみ号」も「ひかり号」も「こだま号」も空席たっぷりなのであった。
外国人観光客で溢れかえっている大阪はともかく恐らく京都市あたりは観光客減を非常に心配しているのではないか、と思われてならない。

早めに改札口を通ってホームに上ってみると右手に白と黄土色のツートンの北陸新幹線の車両、左手に緑色のはやぶさ号が停車している。
ホームにはいかにも「これから温泉に行きまっせ」という人々が旅行かばんを持って列をなしていた。
「はやぶさ号」なんかは全席指定なのであるからにして、並ぶ必要なんか無いように思うのだが、そこは人間の性。
早く席につきたいばかりに長い列を作って車内清掃が終わるのを待っているのだった。

私は弁当は要らないがお茶ぐらい買ったほうがいいかな、それともビールにしようかな、でも勤務中扱いだし午後はシンポジウムがあるのでそれはマズイかな、などと考えていた。

予定では正午前に盛岡に着くことになっていた。
凄いことに東京から盛岡まで2時間と少ししかからないという。
私は東京から北方面に関しての時間的感覚が無いため、それがどれくらい早いのかはわからない。
わからないが、早いに違いない。
昭和40年代始めまでは、在来線の特急や急行で何時間もかけて上野駅に降り立った東北や北海道の年配者にとってはきっと凄いことなのだろう。
それはたぶん20年ほど前テレビで、
「新大阪門司間 1時間58分 新大阪博多間2時間17分 500系のぞみ号発信!」
と流れていた石坂浩二のナレーションのCMぐらいインパクトがあるのだろう。
大阪から九州の玄関口まで2時間を切った衝撃と、東京から盛岡まで2時間少しの衝撃はきっと似ているんだろうな、と思ったのだった。
それにはやぶさ号は日本国内最速の320km/hで走る新幹線だ。
早くて当たり前なのかも知れない。
だから食事はそこへ着いてからでも遅くはないし、盛岡駅では仙台から乗ってくる同僚社員と合流する予定になっていたので弁当は不要だ。
お茶のペットボトルだけ買い求めて乗ることにしたのだった。

つづく

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