<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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沢木耕太郎の「深夜特急」は今や日本人バックパッカーにとっては、旅の教科書と言っても過言ではない存在になっていると、私は思っている。
紀行「深夜特急」に出会うことにより日本を飛び出し、気ままな貧乏旅行へ旅立とうという若者は少なくない筈だ。
いや、若者に限った話ではなく、30代40代の働き盛りの人たちの中には、会社を辞めてまで旅に出かける人がいるだろうし、人によっては短い休みをとりつつ、「旅する力」で紹介されている沢木ファンのように少しずつ「深夜特急」のバスの旅をなぞっている者もいるのだろう。

また中には、深夜特急の旅を追いかけすぎたがために、命を落としてしまった者もいるかも知れない。

それだけ「深夜特急」の旅は魅力に溢れ、人々をデリーからロンドンまでのバスの旅へと誘っていくのだ。

新潮社刊「深夜特急ノート 旅する力」はその深夜特急に関わる著者の最後の作品だそうで、この本を読むことで深夜特急にまつわる数々の知識的な欲求不満を満たすものになっている。

私自身も昨年末に本書を購入して、「読むのであれば深夜特急を再読してからにしなければ」と思わせる期待感と迫力が存在した。

実際、深夜特急での数々の謎が本書によって解き明かされている。
例えば、深夜特急がロンドンで幕を閉じてから、実際の著者はどこをどう旅をして戻ってきたのか、
といったものや、
あれだけの長い旅の詳細をどうやって記憶していたのか、
といった謎である。

旅する人にはそれぞれスタイルがあり、深夜特急は信じられないほど魅力的な旅でがあったが、あくまでもそれは沢木耕太郎という人のスタイルであり、教科書であったとしてもまねることはできないのだと、つくづく感じた。
とりわけ旅の適齢期というものについて語られている章については痛切に同意しなければならない痛みさえ伴っていたのだ。

著者が旅に出たのは26歳の時。

「深夜特急」の中には同じ26歳で妻も子供もある男と親しくなる場面が出てくる。
著者はそれに衝撃を受ける。
片や家族を養うために全力を注ぎ、そして片や世界を放浪のような旅をしている。
「こんなことでいいのだろうか」
誰しも思うことだ。

私の場合はもっと酷く、海外を頻繁に訪れるようになったのが30歳を過ぎてからであった。

26歳での旅立ちが古いのであれば、30歳を過ぎてからの旅立ちは救いようが無いように思えたのだった。
しかし、著者は本書の最後に自信のサイン会に訪れた人たちの言葉を紹介している。
それによると、先ほど延べたように、旅には様々なスタイルがあり、それぞれの人生に見合った形で誰もが楽しんでいることを記しているのだ。

デリーからロンドンまでバスの旅、という一般には信じられないような、皆が憧れる旅をした著者が素直にファンの語る旅に羨望する。

旅は人生のようだ、と著者は本書の中で語っているが、まさしく紀行大河である「深夜特急」の締めくくりにふさわしい一冊だった。

あ~、どこでもいいから旅をしたい。

~「旅する力 深夜特急ノート」沢木耕太郎著 新潮社2008年刊~ 

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