<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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結論から言って、私には牛の顔は見分けが付かないのでクローン牛であろうが、そうでなかろうが、美味しくてジューシーなビーフであれば文句などあろうはずもない。

さらに、
「この肉はクローン牛の肉ですよ」
といわれたほうが、
「この肉はビーフ100%のマ○○○○ドのバーガーパティですよ」
と言われたよりも安全な感じさえするのだ。

科学的知識に乏しいのでクローン牛を食べるお言うことにどういう問題があるのかよくわからない。
これがクローン人間だと、倫理的な問題が大きいことも良くわかるし、第一、クローンだからと言って人肉を食べるとよけいに問題だ。
「あんたは、遭難ヒコーキの生存者か」
とか、
「あんたは佐川君か」
と言われそうだ。

この種の食品というのは遺伝子組み換え農作物と同じで、
「食べるにはなんだかちょっと気持ち悪い」
程度の感覚が潜んでいるのだろう。
だから科学的には安全でだったとしても、科学では救命しきれていない何かが存在するのではないかと警戒してなかなか口に運ぶことができないのだ。

クローン牛は一方において、食糧問題への解決策のひとつと思っている人もいるかも知れない。
私もズーと前はそう信じていた。
ところがクローン牛なるものは食糧問題の解決に何にも寄与しないのだという。

1人でも飢餓に瀕している人間を減らすには肉など食わずに野菜や穀物をそのまま食べるのが理想なのだという。

考えてみれば1頭の牛が毎日食べる飼料の量は半端ではない。
いくら大食いでも、あいつにやこいつ、そいつにでも人間は牛にかなわないだろう。

そのかなわないほど大量に穀物などを消費する牛など育てずに、穀物のクローンを育てる方がよほど効果的なのだと思う。

ということで、クローン牛の食肉解禁。
どうして大騒ぎしているのか良く理解できないのであった。

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