<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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京都市立美術館が3年間の休業を伴う大改装プラス増築が施されてこのほど京都市京セラ美術館としてリニューアルオープンした。
いったいどのような美術館に変貌したのか。
休館前はお気に入りの美術館の一つであっただけに、どのようにリニューアルされたのかに大きな関心があったのだ。

たまたまこの日。
知人が京都市内で個展を開催しているとのことで、その個展を訪れるついでに市立美術館を訪れることにした。
平日でもあるしインバウンド休止状態の京都は空いている。
普段は大観光エリアである平安神宮を中心にした東山エリアも混雑しておらず駐車場も容易に探すことができると思ったこともある。

京都市立美術館を最後に訪れたのは2015年に開催された「パラソフィア」という巨大なアートイベントだった。
このパラソフィアは世界的に活躍する著名なアーティストはもちろんメディアや一般の作家も参加しているという京都市内全体を会場としたインスタレーションを主体とするアートだった。
京都市立美術館は市立文化博物館とともに中心的な会場で私はたまたまこのアートイベントに遭遇する形で鑑賞することになった。
圧巻だったのは京都市立美術館の中央ホールに設置された巨大な造形物「京都 ダヴィンチ」というNYで活躍する中国人作家の作品であった。
多くの作品が生き生きとしており、それが美術館の建物と渾然一体となり有機的なエネルギーを放っていたのだ。

あれから5年。
京都市立美術館のリニューアルは多くの関係者の思いが錯綜して難航しているというような噂も途中で耳にすることがあったものの、やはり日本を代表する美術館の一つでありその進化は常に注目されていたのだった。
私も市立美術館の向かいにある京都国立近代美術館を訪れるたびに工事中の市立美術館が気になりしばし工事の風景を見つめたものであった。

今回新たになった美術館を訪れて最初に驚いたのは玄関が地下になっていたことだった。
正しくは玄関側の広場が半円形の臼状に掘り下げられていて旧正面玄関の真下に近代的なガラス張りの玄関口が設けられていたことだ。
もともとの建物の色である淡い土色を基調にした入り口までのスロープは石張り。
緑がなんとなく少ない。
午後の陽光と共に全体が輝いてるように見えるのは狙ってのことなのか。
玄関の両側は右側(南側)がミュージアムカフェ。左側(北側)がミュージアムショップになっていた。
両方とも外部からでも中の様子がくっきりと眺められる綺麗さがある。
玄関を入り正面ロビーにでると左側にチケット売り場があった。

チケットにはバーコードが印刷されていた。
このバーコードが新しいシステムの要の一つのようで、各展覧会に入場する際にはこのバーコードを「自動改札」にかざして入るシステムになっていた。
また各展覧会を出るときもこのチケットは必要で、出口にある自動改札のセキュリティにかざさないと出ることができない。
美術館に自動改札が必要かどうか不明だが、できれば無いほうが自然ではないかと私は思う。
この無味乾燥なアートとは程遠いシステムを導入させたのは誰なのか。
大いに気になったりした。

パラソフィアの時に巨大なインスタレーションが展示されていた中央ホールは真っ白に塗られ、各展覧会へのジャンクションの役割になっていた。
入館者がコロナ対応で規制され少ないこともあったが、なんとなく白い壁に囲まれた人工的な洞窟にいるような気がする。
ホールを抜け東側へ出る。
そこには大きな一枚ガラスで構成された高さ3mはあろうかという広い窓が広がり、その向こう側に日本庭園が見える。
庭園の中央にはガラス張りの茶室がある。
これは今開催されている写真家杉本博司のデザインによるものであるという。

モダンだ。
でもこのモダンさが京都に馴染むかどうか。
大いに考える必要もありそうな気がする。

庭園の向こうには東山の景色が広がりこれは京都らしい風景だ。
この庭園の左手、つまり北側に新たな展示棟が建てられていた。
10年ほど前にルノワール展を訪れた際、家族で90分並んで待った外構のところだ。
建物は新しく生まれ変わり、清潔感が漂いクールである。
しかし一方において冷たさを感じるクールであり、かつハイテクシステムを使った入退場管理や色調、奇をてらっているようで実はどこかで見たことのあるような意匠の数々は、果たしていいのか悪いのか。
ファインセラミックの世界企業の冠がついているからかどうかはわからないが、どことなく冷たい空気が漂う凍った美術館になってしまっているのではないか。
外は真夏の京都で摂氏35℃以上に違いない。
しかし美術館の中は冷房以外に冷たいものをなにか感じるものが漂っていた。
つまりあのパラソフィアで感じた生き生きさは感じられなかったのだ。

なお、メインの展示である「杉本博司 瑠璃の浄土」展はボリューム・内容からすると入場料1500円は高いと思った。
それが「ん〜〜〜〜、なんとなく期待はずれ」となって冷たいと感じさせたのかもわからない。




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デジタルカメラの2強がついに崩れた。

先週の日経新聞によるとキャノン、ニコンの2強だったデジカメ市場でついにニコンが3位に転落。
代わって2位に入ってきたのはソニー。
代わったと言ってもその差はまだ僅かだが、ミラーレスで新製品を次々に投入するソニーのブランド力にニコンはどんどん差を広げられる予想もされている。

そもそもニコンはミラーレスで躓いた。
ニコン1という機種をリリースしたのは良かったがニコンのファンそうであるディープなカメラマンたちを魅了する内容ではなかった。
そもそも撮像素子がコンデジレベル。
筐体は小さくとも基本性能もコンデジのレンズ交換タイプと位置づけられたらカメラマニアにはそっぽを向かれるのも当たり前だ。

で、それに気づいたと思ったら新しく出してきたミラーレスは高級機種ばかり。
ハイエンドなマニアやプロしか買えない機種ばかりのリリースでまたまたそっぽ。

その間、ソニーはフルサイズでもプロ以外が買える価格帯の機種を出したり、ニコンが得意とするフルサイズ高級機種をラインナップするなど、そのマーケティング力は盛田昭夫が健在していたころにも似たパワーを発揮。
動画性能はもはやソニーの得意分野であるだけにキャノンも恐れているかも知れない。

それにしてもニコンはどうしたんだろうか。
ミノルタがカメラをやめてから私もニコンに切り替えたのだが、どこかの時点で発展が止まってしまったように感じられてならない。
何かあったんじゃないかと穿った目で見てしまうのは私だけなのだろか。


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京都芸大と言われてどの大学がイメージされるのか。
私は素直に京都市立芸術大学が浮かんでくる。
京都の芸大といえばここしか無い、という感覚が今もある。

私立京都造形芸術大学が名称を「京都芸術大学」へ変更するという申請が何故か許可されたため大きな波紋を呼んでいる。
誰が許可したんだ?という感じだ。
双方譲らずで解決の糸口はいまのところ見えていない。
このために法廷に持ち込まれようとしている。
ことは大学の名称である。
鉄道の駅名を変えるのとはわけが違う。

私の出身大学である大阪芸大も十把一絡げで扱われている人もいるが大阪に芸大は大阪芸大しかない。
しかも京都市芸大は大阪芸大とは私の在学していた30年前から仲がよく、当時は京都と大阪それぞれ2つしか無い芸術大学は共同でイベントなどを開催していたものだ。

京都造形芸術大学は未だ創設されて30年ほどの新しい大学だ。
それでも商売は上手いようで規模は年々大きくなっている。
講師集めなどには我が大阪芸大の成功実績のある手法を採用。
現場で活躍する第一線の芸術家やデザイナーを集めて大きな規模の芸術大学に育ててきた。
しかも今の学長は総長カレーを生み出した元京大総長だ。
商売がうまく、京都大学出身だけあって政治力もあるのだろう。

しかしである。

京都市立芸術大学を差し置いて京都芸大を名乗るなど「控えおろう!」と思っている人は少なくないはずだ。
私も思っている。
なんの為に名前を変えるのか。
商売のためか。
研究活動のためか。
私は前者しかないように思われてならない。

名称を変えてイメージアップを図っている大学は少なくない。
つい最近、同じ京都にある某私立大学が奈良先端科学技術大学院大学をイメージさせる名称に変更。
某私大は京都の有名企業の創業者が創設した大学だそうだが、その企業の技術レベルの知名度と大学は大きくかけ離れていると言わざるを得ない。
一方奈良の方は国立の大学・研究機関でありバイオサイエンスや情報系では世界の最先端を走っているところであることはつとに有名だが、京都のそれが同様かどうかは疑問符が灯る。
また学部が限定されると困るのか兵庫県の某大学は看護学科を優先するためか名前にあった「芸術」を削除。卒業生はきっとびっくりしているに違いない。

このように私立大学のなんでもありの体質は目に余るものがある。
かつて田中真紀子がやった唯一の驚きの好決断は新設大学の申請を却下したこと。
地方に計画されていた3つの大学と学部は当時の国民が持っていた「そんなに大学が必要か?レベル低いのはいただけない」との印象を受け止めた良い事例なのであった。

件の造形芸大がどんな芸大なのかを私は知らない。
とはいえ京都市立芸術大学は東京芸大とともに日本では特別な芸術大学でもある。
その京都市立芸術大学を京都芸大と呼ぶ我々にはいくら学長が元京大総長だからといって私学が経営のために好き勝手にする権利はないと思っている。

会話の中でも京都芸大と呼ばれるのは京都市立芸術大学で、その他の大学ではないことは間違いなのだ。


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東京オペラシティアートギャラリーで開催されている「ジュリアン・オピー」展は刺激的でモダンでそれでいて力強い現代アートであった。
ただし所用鑑賞時間は15分程度。
実にあっさりとした出展作品が巨大なこともあり、点数が少なくあっという間に見終わってしまう1200円の展覧会だった。


ジュリアン・オピーという作家は正直私は知らなかった。
今回この展覧会に足を運んだのは見ていたネットの美術展情報に掲載されていた肉太線のイラストに興味をそそられたからだ。
そのタッチというか雰囲気に何か新しいものを見つけることができるのではないかという期待感を感じたというのが表向きの理由。
ホントは他に見たい展覧会が見当たらなかったのと、見たいのは出張の移動コースから外れていたからなのであった。

でも、この展覧会。
鑑賞時間はあっという間に終わってしまったのだが、見てよかった展覧会なのであった。

大胆な作風。
色の使い方。
都会の雑踏を彷彿させるその空気感。
作品のディテールなど。
最近接してきたアート作品とは明らかに異なったテクニックや空気がある。
作品一つ一つが新鮮でもあった。

少ない点数をじっくりと見る。
出張時に見るにはとっても適切な展覧会であった。

でも、もう少し作品を愉しむ工夫が欲しい展覧会でもあったのではないかと、地下鉄に乗ってからツラツラと考えてしまう展覧会でもあった。


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三重県立美術館で開催されている「デンマーク・デザイン展」を訪れてきた。

デンマーク。
陶器のロイヤルコペンハーゲンやプラスチックブロックの「レゴ」が彼の国の代表製品だが、工業部品の世界では実験設備用のバルブ器具のブローエン社のような独特の製品を生み出しているところもある。
してその共通する特徴は「シンプルで優れたデザインである」こと。

今回の展示会は日本ではじめてのデンマーク・デザインにスポットライトを当てた展覧会ということで随分以前から気になっていたのだ。
どうしてこういう先進のデザインをテーマにした展覧会が東京でも大阪でもなく三重県という地方都市で開催されるのかも興味を引くところだった。

そもそも人口が600万人という大阪府ほどの大きさの国がどのようにしてその先進性を確保して個性豊かな欧州で存在感を出していくのかというところに「デザイン」がある。
カタチ。
色。
素材。
歴史。
社会性。
人。
など、幾つもの要素をつなぎとめ、それを構成して結果を生み出すのがデザインだが、デンマークの近代のそれは明らかにシンプルであることのようなのであった。

このシンプル。
実は日本の文化に大きく影響を受けているということも今回の展覧会では紹介されていた。

日本のデザインはできる限り無駄を省くシンプルさが特徴だ。
中には東照宮のようなケバケバなものも存在するのだが、建築であれば桂離宮のように装飾を省き全体の形状がシンボリックで自然と調和するものが尊ばれる傾向になる。
この「無駄を削ぎ落とした」形状は日本という存在を知った欧州ではそれなりにインパクトがあって、各国の芸術や産業にも影響を及ぼした。

今回の展覧会では家具が多く展示されていた。
中でも見どころはケネディ大統領が座ったという椅子なのであったが、注目すべき点は別のところにあった。
つまり無駄な装飾を与えずに機能性を確保して、なおかつあらゆる時代にまっちするような洗練された落ち着きが存在しているということかもしれない。
派手な色使いももちろんないが、原色のケバケバしさではないマットな色彩感覚は豊かで温かみもあるのだ。

ふとそこで気がついたのだが、三重県は伊勢神宮の擁した聖地でもある。
伊勢神宮は1300年以上に渡り式年遷宮という儀式を通じて20年おきの社殿の作り変えを続けている。
社殿はもちろん日本を代表する建築であると同時に、そのデザインは他の神社・仏閣にも大きな影響を与え続けている。

そのシンプルさと日本のデザインの基幹の一つを抱える三重県の美術館がデンマークのシンプルなデザインを取り上げるのは至極当然だったのかも。
強烈なポジティブな印象を残した素晴らしい展覧会なのであった。









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もしかすると津田大介、大村秀章、有田芳生、小崎哲也、枝野幸男と言った人たちは学歴こそそこそこだが、やっていいことと悪い事の判別がつない人。
早く言えば「親の顔を見ていたい」という人ばかりなのだろう。

日本は憲法で表現や言論の自由は保証されている。
でも例えば、
満員の電車の中で、
「爆弾だ!」
「火事だ!」
と叫ぶ自由はない。

また、虚言を創作して他人の名誉を傷つけたり、社会的に貶める表現をする自由もない。

これは自由はあるけれども責任も伴うということを忘れてはいけないということなのだ。

あいちトリエンナーレで開催されていた「表現の不自由展・その後」の展示物の中に、とてもアートとは呼べない作品が多数出展されていた。
それを指摘して展示の中止を主張した河村たかし名古屋市長に批判を寄せているマスコミや前述の人たちがいる。
この人たちは自由の意味を明らかに履き違えていると言えるだろう。
こういう人たちが社会でそこそこの地位についていること自体が今の日本の混迷さを示している。

「ガソリンを撒くという暴力に屈した」

というが、先に「意味を履き違えた言論や表現の自由」という名のガソリンを撒いて火をつけたのはどこのどいつだ。
今回の騒動に異を唱える人たちはまずそれを認識する必要があるんじゃないだろうか。


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先週末。
京都のとある大学で異業種交流会があって、会場の大学の斜め向かいに大日本印刷の京都dddギャラリーがあるのに気がついた。
ここは以前から行ってみたいなと思っていたところなのだったが、何しろ京都市街の一番西の端っこにあるのでなかなか訪れる機会がやってこなかった。
今回はチャンスとばかりに見てきたのだ。
無料だったし。

今は展覧会は装丁家・矢萩多聞が携わった仕事を取り上げ「本の縁側」のタイトルで開催されていた。
会場内には木製の面積の大きいテーブルが配置され、そこに多くの書籍が並べられていた。
専門書から一般書。
カラフルなもの。
モノトーンなもの。
歴史書あり、小説あり。
ノンフィクション、科学本、雑誌、写真集などなど。
こんなにも多くの書籍が表紙を上に向けて並べられていることはなかなかない。
印象的なのはどの表紙も素敵で見て回っているうちにふと手にとってパラパラとページを捲ってしまうことであった。
表紙はやはり書籍の顔なのだな、とつくづく思った。
その一方、こういうリアルな書籍だからこそ、展示会場の「空間」と本という「立体物」で構成される図書本来の魅力は電子書籍では生まれない、あるいは感じられない重量感というか書籍の呼吸感と知の空気が私たち観ているものを包み込み、なんとも言えない気分にさせてくれたのであった。

壁には作家が観てきたインドの出版社の紹介や小学校で活動しているワークショップの内容などが掲示されていた。
これもまた新鮮で具体的で、なにやら心をクスクスとくすぐるような魅力に溢れ「ここへ寄ってよかった」と思わせる感動に包まれた。

本の縁側。
ゆっくりと田舎の家で縁側に座って読書をする。
そんな臭いのする展覧会なのであった。


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ポスターを見たときから気になっていたのが東京ミッドタウンの21_21DESIGN SIGHTで開催中の「ユーモアてんてんてん....」という展覧会。
やっとのことで見てきたのだが、やはり東京六本木という場所だけに洗練されてしまっているというか、東京らしい遠慮要素たっぷりのユーモアと言うか。
正直言って品が良すぎて期待していたほどのユーモア感は私としてはなかったような気がしているのだ。
これは私が関西人だからこういうユーモアがわからない、ということではない。
それは誤解だ。
何も「ユーモアがない」というわけではない。
確かにユーモアは溢れている。
しかしながら私の好みとはベクトルが少々違うユーモアであった。
そういうことに尽きるのではないかとも思っている。

しかも私はこの10連休中の数少ない休みを使って金沢へ日帰り旅行にでかけて「帰ってきた駄美術展」なるものを見てしまっていた。
もし仮にこれを見ていなければ、十分に楽しめた内容かもしれない。
しかし笑いの世界の現実は厳しい。
東京よりも金沢のほうが「クスッ」と笑えるセンスはウワテだったのだ。

落語でも漫才でもそうだが、面白い演者のあとはやりにくい。
しかも期待せずに観に行ってツボにハマってしまった出し物の後はなおさらだ。
今回はそういうシュチュエーションになってしまっていたのだった。

尤も、ミッドタウンの展覧会ではビッグネームが作者の中に含まれているし、著名な作品も少なくない。
アートと割り切って観に行ったら絶対に素晴らしい展示会に違いない。
タイトルに「ユーモア」とあるけれども、ある程度それは考えないようにしたほうがきっと楽しめるに違いない。
次回はそういう俗っぽい考え方は横へ避けて純粋にアートを堪能するつもりで出かけるようと思った展覧会なのであった。


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上野の国立西洋美術館で開催されている「ル・コルビュジエ展」へ行ってきた。
これは以前からチェックしていた展覧会だったが、期待に違わず豊富なボリュームと濃い内容の展覧会だった。

ル・コルビュジエ。
20世紀を代表する建築家の一人。

展覧会の会場である国立西洋美術館そのものもこの人が設計した。
コルビュジエの作品の一つとして世界遺産に登録されたことは記憶にまだ新しいところだ。

期待をして展覧会を訪問したのだが、私はホントに勉強不足なのであった。
この人はもともと画家であり、その択一な作品構成の思想を建築に用い、類まれなる優れた数々の建築作品を生み出したのだということを本展覧会で知ることになった。
このあたり、美術に造詣が深いカミさんのほうがよく知っていたのだ。

美術展は大きく2つのエリアに分かれている。
1つ目は入館した1階のエリア。
ここは撮影自由でコルビジュエが設計した建築作品の模型が展示されている。
もう一つのエリアは2階で、ここにはコルビジュエの絵画作品や彼に関連した作家や同時代、同世代の著名な作家の作品が展示されていた。
建築作品とその背景。
彼のデザインの考え方の基本になっている要素などを絵画から知ることにより、より深くコルビジュエ作品にふれることになるのだろう。

作品群を見ていて強く感じたのは、専門性とはなんだろうということであった。
建築のような工学上の専門知識を有している必要があると思われる分野で新たなトレンドを生み出すにはそれ以外の分野がどうしても必要で、必ずしも専門性を持った者が何かを生み出すということはないのではないか。
そういうことを強く確認するような感じだった。
例えば安藤忠雄がボクサー出身の建築家であるように。
専門性を必要とする分野に新しい流れを作り出すのはまったく別の世界を経験した、あるいは別の世界からやってきた鋭いセンスを持ったデザイナーが必要なのかもしれないと思ったのだ。

ともかく訪れたのは土曜日だったのだが、ただでさえ混雑している展覧会場に修学旅行で東京を訪れていると思われる中学生の集団が加わり会場は異様な熱気で包まれていたのであった。
なにしろ、体力の要る展覧会ではあった。

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東京青山の根津美術館で「酒呑童子絵巻」という展覧会が開催されているのを知ったのは会期もあとわずかとなったとある日曜日。
NHK Eテレで放送されている「日曜美術館」を観ていたときなのであった。

酒呑童子で思い出すのはもちろん「大江山」。

その「大江山」で思い出すのは幼い頃に父の運転する自動車で母と三人、城崎温泉へでかけた時のことだ。
当時、道路事情はあまりよくなく、舞鶴自動車道も京都縦貫道もなかった。
なので多分国道をチンタラと北上していったのだと思う。
大変な田舎で途中の景色はほとんど記憶に残っていないのだが、山道を走っているときににわかに父が話し始めた大江山の鬼の話が車窓から見る鬱蒼とした山の景色と融合して、
「えらいところに来てしまったもんだ」
と子供らしくブルブルしてくる恐ろしさを感じたのだった。
まだ、鬼が住んでいるような気がした。

そんな父が突然に、
「蕎麦を食べよう」
と言い出した。

大江山はすぐ近くの出石と並んで蕎麦の産地であり、美味いそばを食べさせるところがあるという。
出石程有名ではないから店がなかなか見つからなかったが、やっとこさ見つけた店が凄い屋敷を店舗にしているところで鬼退治の幻想と相まって記憶に焼き付いてしまっている。
そこは広い座敷で立派な襖絵が描かれていた。
蕎麦屋というよりも重要文化財庄屋屋敷みたいな感じであった。

出された蕎麦も「美味い!」と父と母が言うものだから、味なんてわからないガキの私も美味しいと思い込み、そのまま脳に刷り込まれて今日に至っている。

そもそも酒呑童子の話はビデオゲームなんてなかった時代の私たちの世代までは誰もが知っている話だったんじゃないかと思う。
源頼光を隊長とする征伐隊が都から派遣され鬼どもを退治するという物語で、そもそもそういう話はどういう事実がベースになって誕生したものなのか、今回この展覧会を知るまですっかり忘れていたのであった。

テレビによると会期終了まで時間があまりなさそうなので面白そうだが見ることはできまい、と思っていたら横浜への出張が入り、しかも予定していた2日間のうち二日目のスケジュールに大きな空きができたので都内へ出てしっかり鑑賞することにしたのだった。

今回の展覧会では酒呑童子がどういう事情で誕生して、酒飲みになってグレて山にこもって手のつけられない鬼になったのか、というところから源頼光一行に成敗されるまでを描いた珍しい室町時代と江戸時代の絵巻物が展示されていた。
絵巻物のコンディションはすごくよく、絵が緻密で解説もわかりやすく大層楽しめる内容なのであった。

難を言えば展示物が少ないことで、できればもっと関連の資料や、それに図録の販売などもしていただきたかったところだ。

ということで、帰りはコロンバンの本店で好物の原宿ロールを買って帰ろうと思って歩いていたらカミさんから「ぜんざい作りました」メールが届いたのでお土産の原宿ロールは今回はパス。
平日なのにインバウンドの影響か多くの困ったさん系外国人旅行者が屯しているなか山手線に乗って品川方面に向かったのであった。

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