平ねぎ数理工学研究所ブログ

意志は固く頭は柔らかく

久しぶりの更新

2011-06-02 19:19:04 | 原発震災
しばらく入院していた。入院して人生観が変わった。謙虚にならなければならない、と。いままで、ブログに好き勝手なことを書いてきたが、そのことが少し恥ずかしくなった。それで、退院してからも更新する気になれずにいた。しかし、徐々に回復し、体調が以前の状態に戻るにつれ、謙虚謙譲などどうでもよくなり、言いたいことは言わなきゃ損だと思うようになった。それに、循環器は我慢すると却って調子が悪くなるらしいことも聞いた。というわけで、久しぶりの更新である。

日本人はいつからこのように無責任になったのか。もちろん原発事故のことを言っている。事故を起こした責任は言うまでもなく東電にある。情報の隠蔽と無作為によって避けられるべき被曝を福島県民に強いた責任は政府にある。だが、東電も政府も、だれも責任を取らない。とくに、居直りにも似た東電の無責任振りはひどい。
江戸の昔であれば、彼らはとうに切腹である。武士は身分制度の頂点に立ち、特権が付与されていたが、その分重い責任を負っていた。武士において、責任を取るとは命で償うことである。命に代えて責任を取る、これぞ武士道の真髄だ。
明治になって武士がいなくなり、責任を取る階級が消滅した。一部の皇族や貴族を除き、大多数の国民は平民になった。無責任時代は明治とともに始まったと思う。

無責任がもたらした最大の災厄は、大東亜戦争である。勝つ見込みのない戦争を始めた責任、負け戦と知っていながら、戦争を引き延ばした責任、特攻という狂気の戦法を考案し若者に強制させた責任、これらの責任をだれも取っていない。特攻の生みの親である大西瀧治郎は終戦時に割腹自殺を遂げたが、敗戦後に責任を感じて死ぬくらいなら、始めから特攻などするなと言いたい。生きて虜囚の辱めを受けず、を兵士に強要していた東條英機は頭に銃口を向けることを恐れたため自殺に失敗し、生きて虜囚の辱めを受けた。

東京裁判は、事後法を遡及的に適用したことや、戦勝国が敗戦国を裁くことから公平性が担保されないなどの問題が指摘されているが、それらをひとまず措けば、あの裁判によって一応の区切りがついたのではないかと、私は思っている。
もしも、東京裁判が無かったら、日本人が日本人の手で、戦争を主導した者たちを裁くことができただろうか。私は、できなかったと思う。日本人全体が、多かれ少なかれ無責任の害毒に侵されていたからだ。そしてそれは今も続いている。

今回の原発事故に纏わる犯罪行為を日本人が裁くことは残念ながらできない。準拠すべき法体系もない。日本人にできないのであれば、外国の公的機関に、東京裁判と同様の臨時国際法廷を立ち上げてもらって、東電と菅政権を裁いてもらいたいと思う。大気と海に大量の放射性物質を放出し地球を汚染した罪で、東電社長以下幹部と菅政権の関係大臣を死刑に処してもらいたいと切に思う。