お江戸・尾張・・・そして九州放浪記

2006年江戸へ、2012年3月に尾張へと単身赴任が続き2014年3月末で退社して九州に帰ってきました、放浪は続きます。

JRウォーキング「鳥栖・田代売薬の歴史散策と鉄道イベントを訪ねて」

2018年12月01日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日は久しぶりにJRのウォーキングに参加することにしました。

鳥栖駅を出て、スーパー等が入っている「フレスポ鳥栖」の隣にある「中央公園」の中を歩きます。

中央公園の木々にはイルミネーションが設置されていて屋台のが並んでいます・・・夜になると綺麗に輝いているんだろうな~

公園を抜けて国道沿いにある「キューピーマヨネーズ」の工場に入ります。

工場の中に入り、一部工場の中が見学できます・・・一分間に600個の卵を割り、白身と黄身に分ける機械を見ることができます。

工場前にある売店ではキューピーの製品が売られています・・・人形も可愛く着せられて飾られていました(´ー`)フッ

山側に歩いて行くと「庚申堂塚古墳」がありました・・・小高くなった丘に木々が生えていて石碑がありましたが古墳の全体が良く分かりません??

【庚申堂塚古墳】 柚比遺跡群の南端部に当たる標高50mの丘陵上に所在する前方後円墳で、古墳の頂上には「庚申尊天(こうしんそんてん)」と刻まれた石碑が建っているためそう呼ばれるようになったものと思われます。 主軸はほぼ南北方向で、後円部が南に位置します。全長約60m、前方部幅約48m、後円部径約32m、高さ約5mの規模があります。墳丘は2段に築かれており(二段築成)、葺石が、前方部と西側面に残っています。過去に円筒埴輪片が採集されていることから、当時は葺石に覆われ、円筒埴輪が立て並べられていたと思われます。また東側と西側に周溝と思われる凹地が認められています。後円部には奥行き約4m、幅約2.5m、高さ約3mを測る横穴式石室が南西方向に開口しており、石室内の壁面はベンガラで全体が赤く塗られていました。 副葬品としては、鉄器類(やじり・やりがんな・馬具)、須恵器類などが出土しており、6世紀中頃に造られた有力豪族の墳墓と思われます。

古墳は現在発掘中で立ち入り禁止の看板が出ています・・・何が出てくるんだろうな~・・・吉野ヶ里以外にも至る所に古墳があるようです。

長崎自動車道を過ぎると「中冨記念くすり博物館」があります・・・向かいには食事がレストランの「花やしき」があります。

【中冨記念くすり博物館】鳥栖(とす)市田代にある中冨記念(なかとみきねん)くすり博物館は、西日本地区ではじめてのくすりの博物館です。もともと鳥栖は、富山と並ぶ配置売薬(はいちばいやく)のさかんな所で、薬との関係は深く、製薬業は今や鳥栖の主力産業のひとつです。イタリアの彫刻家チェッコ・ボナノッテ氏設計による建物は、石とガラスでつくられたモダンなデザイン。周辺にはハーブや薬草、薬木が植えられ、静かで落ち着いた環境は、まるで美術館のようでもあります。 内部には昔の薬売の衣装や伝統的な製薬の道具、薬の看板など、薬に関係あるものが展示されている国内でも珍しい博物館です。 2階には、田代売薬(たしろばいやく)に関する興味深い資料が展示されています。見逃せないのが、1階に見事に再現された、19世紀末の英国ロンドンに実在したアルバン・アトキン薬局。当時の英国における薬局の活動が偲ばれます。

中は写真撮影禁止になっているのですが・・・目の前でスマホで写真を撮っているおじさんが居ましたのでジーと見つめているとオジサンは看板を見ていないふりをしています┐(´ー)┌ フー

博物館を出て少し歩いて行くと「鳥栖プレミアムアウトレット」に・・・入り口でペットボトルの配布をしていました。

アウトレットでは工事をしています、まだまだ新たな店が出店するようです。

中には沢山のお客さんが来て楽しそうに店を見て回っています。

【鹿児島本線、長崎本線、九州新幹線と市内に6つの駅を持つ”鉄道の町 鳥栖市”を紹介するイベント。JR鳥栖駅を中心に様々な催しが行われる。鉄道模型やジオラマの展示、鉄道写真展の他、鉄道OBの貴重な所持品が展示される。また、268号機関車が一般公開され、機関車ミニSL列車乗車体験、駅長制服着せかえ、ダンボール工作などの体験イベントも開催される。さらに、12月2日(日)は、JR新鳥栖駅特設会場で新幹線0系部品の展示とジャズライブなども予定されている。】鹿児島本線、長崎本線、九州新幹線と市内に6つの駅を持つ”鉄道の町 鳥栖市”を紹介するイベント。JR鳥栖駅を中心に様々な催しが行われる。鉄道模型やジオラマの展示、鉄道写真展の他、鉄道OBの貴重な所持品が展示される。また、268号機関車が一般公開され、機関車ミニSL列車乗車体験、駅長制服着せかえ、ダンボール工作などの体験イベントも開催される。さらに、12月2日(日)は、JR新鳥栖駅特設会場で新幹線0系部品の展示とジャズライブなども予定されている。

最後は出発地点の鳥栖駅まで歩くだけです・・・駅の東側で受付を済ませて・・・「ふれあい鉄道フェスタ」会場の中を見て回りました。



側の「サンメッセ鳥栖」では鳥栖の発展を支えた3つの産業にまつわる体験が楽しめる記念イベントを開催していました。



薬研体験や和ろうそくづくり体験などの体験コーナーが楽しめるほか、「スギテツ」によるライブやまぐろの解体ショーなどの多彩なステージ、鳥栖や対馬市の飲食物産展等、様々なイベントが楽しるようです・・・ざっと見て帰宅することにしました。



JRウォーキング:「博多駅から美野島商店街と福岡市動植物園へ行こう!」

2018年05月12日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日は天気の(・∀・)イイ!!のでJRウォーキングに行くことにしました。

今日のコースには福岡市動植物園があります・・・40年近く住んでいますが初めて行くところです・・・バラ園と動物園が楽しみです((o(´∀`)o))ワクワク

博多駅に着くと駅前では参加者が列をなしていましたが・・・受付開始は今日は遅くAM10:30からとなっています。

私は駅の中をぶらぶらして、2Fに上がりデッキで座って時間調整をしました。

時間が来たので覗いてみると時間前に受付を開始していますが・・・すごい数の人が並んでいます・・・私も降りて並びました・・・受付を済ませるまでに20分以上かかってしまいました。

駅前から歩き始めて、KITTE博多の前を通り博多駅前4丁目・・・此処は以前勤めていたN社の時のバス停だったな~

国鉄通りを進み美野島商店街の通りに来ました・・・古い商店街です、ウォーキングの参加者が各店を覗いています。

500円で各商店の商品を詰めて作るランチバイキングや詰ほーだいをやっていました・・・私は200円でカップにプチトマトの詰ほーだいをしました・・・ウォーキング中気を付けなければな~

商店街を過ぎて那珂川を渡り日赤通りを天神方向に歩いて行きます・・・・今日は天気も良く気温も高く暑い!です。

渡辺通りでホテルニューオータニが見えてきて、左折すると西鉄薬院が見えてきました。

浄水通りに入ると左手に九電記念体育館をすぎると通りは街路樹で木陰ができ気持ち(・∀・)イイ!!です・・・後は上り坂が続きます┐(´ー)┌ フッー

坂を上り木々に覆われた道を上ると動植物園に着きます・・・途中きつくて木陰で一休みしてしまいました。

ウォーキングの終了スタンプをもらい・・・動植物園に入りました・・・

最初は植物園の中をぶらぶらと・・・展望台があったので登ってみると天神方向が一望できます。

植物園の噴水前ではたくさんの子供たちが遊んでいます・・・私はバラ園の方に歩いて行き・・・ア~バラ園の花は少しくたびれてきています・・・満開の時期を過ぎてしまっているようです。





それでもバラ園の中は良い香りが漂っています・・・おばちゃんが写真を撮るため花壇の中に入り込んでいます、根を痛めなければいいけどな~(。-`ω´-)ンー





バラ園の中を歩き疲れた体をい癒すようにブラブラと・・・一回り見て回り、次は動物園の方を見て歩くことにしました。







動物園に向かっていると「スロープカー」がありました・・・高低差10m位の斜行モノレールがありました・・・まっている時間に坂道を降りてしまいました(´ー`)フッ



最初に見たのは「トラ・ライオン」と猛禽類・・・動物園の係の人と話していると維持が大変だそうです(動物の生死・入手)・・・もっと環境のよいようにしてやりたいが・・・市の予算・税金・・・生活者が必要としているのかント・・σ( ・´_`・ )。oO(悩)考えさせられます。



それにしても見て回るにはアップダウンが・・・なぜ動物園は山に作られているの?・・・小さなお子さん連れ・祖父母連れにはきつ過ぎるように感じます。



動物たちの檻は金網があり写真を撮るには・・・此処は「分類学展示」(形態的特徴に注目させて解説するため形態比較展示とも言われています)方法になっていて旭山動物園のように「行動展示」にはなっていません。

歩き疲れていたので動物園の中は坂のアップダウンに・・・今日はもう帰ろう・・・帰りはバスで博多駅まで行こう(・∀・)ウン!!






JRウォーキング:「ネモフィラの絨毯を観に行こうin海の中道海浜公園」

2018年04月15日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日は朝から小雨が降っていましたが・・・朝食を食べ終わると何時の間にか雨が上がっていました・・・ヨシ!ウォーキングに行こう(・∀・)ウン!!

香椎駅から海の中道線に乗り換えて海の中道駅に降りると・・・駅のすぐ前に公園の入り口になっていました。

公園入口で受付を済ませて中に入り・・・今日は入園料は無料となっていました(^O^)

最初は松林の中を歩いて行き、海岸に出ました・・・板張りを歩いて行くと「汐見台」となっていました。

志賀島までつながった砂浜が見渡せます・・・天気が良かったらな~

汐見台から木々が茂った中を歩いて行くと左手にサンシャインプールが右手に「動物の森」が見えてきました。



今日は「動物の森」に入ってみることにしました。

中に入ると直ぐにリスザルが迎えてくれました(´ー`)フッ

動物の森を一回りすることにしました・・・ヒツジはモコモコに毛が・・・もうしばらくしたら刈り上げるイベントがあるそうです。



カピバラやマーラ、白い孔雀・日曜日のおやじのように寝転がったカンガルー、黒いクモザル、鮮やかなフラミンゴ、カワ(・∀・)イイ!!プレリードッグ等も身近に見られます。





サルが餌箱から餌を取り出し、水で洗って食べたり水を飲んでいます。

ラマ・ポニー・ロバなども手に届くところで見られます・・・「ふれあい舎」では子供たちが膝にモルモット・リクガメを乗せて手でなでています(´ー`)フッ



「動物の森」を出ると直ぐに「バラ園」がありますがまだ時期が早いので花は咲いていません・・・此処のバラ園は私が想像していたより広いようです・・・5月になったら来てみたいです。

「バラ園」の先には「フラワーミュージアム」があります。

フラワーミュージアムには色とりどりの花が鮮やかに咲き誇っています。

コーナ毎にテーマを決めたような植栽が行われているようです・・・┏(゚ェ゚) アレ?コスプレの集団が居ました・・・名古屋でよく見かけたけど福岡にもいるんでね~( ´_ゝ`)フーン

次は今日の一番期待していたネモフィラを見に行きます・・・途中銀杏並木の道が緑で鮮やかです・・・紅葉の時期も期待できます。

ネモフィラは大芝生広場の先に見えています。





ネモフィラは満開を迎えているところまありますが・・・空が曇り空なのでチョット残念です。



広場をいろんな方向から見て歩きました・・・ネモフィラは単体では可憐な花ですが群生すると・・・すごいですね~

花の花壇に歩いて行くと・・・チューリップが半分ぐらいは花が積まれていましたがまだ咲き誇っている花もあります。

暫く花壇の側でチューリップを楽しむ・・・一休みすることにしました。

噴水の側には鮮やかに植栽された花がまぶしく咲き誇っています・・・此処はカナールと言うようです・・・どういう意味?



カナールの先には花時計が・・・子供広場では子供たちが白い山で飛び跳ねています・・・楽しそうですね~





この公園は四季折々に花が楽しめて・・・子供たちが元気に遊びまわれるようになっています・・・近くに住んでたら毎日でも散歩に来てみたいと思いました。


JRウォーキング:「うきはの早春!桜満開ウォーキング」

2018年03月31日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
天気が良くて温かい日が続きます・・・今日はJRのウォーキングに参加することにしました・・・体を動かさないと・・・(´ェ`)ン-・・


久留米駅では日田線がうきはまで行く列車が・・・1時間待ちです┐(´ー)┌ フッー・・・JRではウォーキングの参加締め切りを待ってくれるようです。

うきは駅に着くと・・・案外沢山の人が下りてきました・・・時間が過ぎても参加者は多いようです。

駅から耳納連山の麓方向に歩いて行くと桜が満開の流川に着きました。

【流川の桜並木】巨瀬川の南側約2kmにわたってつづくおよそ1000本の桜並木。まるで桜のトンネルのような歩道は幻想的だ。川沿いに咲く菜の花とのコントラストを楽しみながら、河川敷をぶらぶらと散策するのも気持ちいい。桜の桃色、菜の花の黄色、空と川の青、山の緑と自然が織りなす色彩美。カメラをかかえて、撮影に訪れるひとも多い。




土手の両側には桜並木が・・・ずいぶん長く・・・並木の先が見えません。

桜並木の側の畑にはピンクの花が・・・桃の花??も満開です。

並木の中を歩いていると風が吹き桜吹雪となって花びらが舞ってきます。

此処は河川敷が駐車場となって、花見も車の側でできるため足の不自由な人と来ても楽しめそうです・・・頭に入れておこう(・∀・)ウン!!

それにしても長い並木道です、途中にはテントの下で屋台が出ていましたが・・・ウォーキングの最初のため飲食はしばらく我慢です。

コースは桜並木の途中から山側の麓を歩いて行き・・・案内の人が山側に登るように案内しています・・・今度は登っていくばかりのコースのようです。

弱ってきた足で踏ん張りながら登っていくと、道路の脇に車が列を作って駐車しています・・・そろそろ近づいて様です。

音楽が聞こえてきてテントも建てられた公園に着きました。

【吉井百年公園】吉井町の町制100周年を記念して整備された耳納連山の中腹にある吉井町を一望できる自然豊かな公園です。幼児向けのアスレチックが充実しており、特に全長22メートルのローラースライダーは子どもたちに人気があります。他にも夏になると流水プールが開放され、水遊びが出来るほか、キャンプ場も設置されているので、自然体験を楽しむことが出来ます。また、桜の名所として知られており、毎年桜の季節になると「柿大将百年公園桜まつり」が開催されています。

道路の下には公園の広場があり、舞台では「よさこいソーラン」がにぎやかに・楽しそうに踊られています。

観客は座り込んで見学をしています、私は屋台で揚げたこ焼きと焼き鳥を買って見学をすることにしました。

食事をして一息入れると、舞台では踊りも終わり、マイクで小学生以下の人が参加できるヤマメ掴みがプールで始まる呼びかけをしています。

「靴を脱いでプールに入ってください、一人2匹撮ったらプールから上がって下い!」・・・参加者は沢山いるようで列が・・・

帰りにプールを覗くとヤマメはすでに取り尽くされたようで、子供たちが所在無げにプルーの中を歩いています(´ー`)フッ

コースは下って行き「吉井駅」に向かっていきます。

途中、JAの「にじの耳納の里」がありましたので、覗いてみると・・・地元の産直品が売られていましたが・・・買ったら重くなるので見て回るだけにしました。

駅の近くにコースのゴールになる「白壁交流広場」に着き、ゴールのスタンプをもらいました。

【白壁交流広場】うきは市の中心部の筑後吉井地区は、江戸時代に有馬藩の城下町久留米と日田天領を結ぶ豊後街道の宿場町として大いににぎわい、江戸中期以降には精蝋、酒造、菜種の製油など農産物の加工品を製造し、「吉井銀(よしいがね)」と呼ばれる有力商人の金融活動などにより繁栄しました。明治2年(1869)の大火を契機として、吉井では草葺きの町屋にかわって瓦葺塗屋造が普及し、商家や地主は競って火災に耐えられるとともに冨を誇示するような豪勢な建築を建てるようになりました。経済の最盛期であった大正期に、ほぼ現在の町並みが形成されています。現在でも、豊後街道の街路沿いに漆喰塗の重厚な土蔵造りの商家跡が連続する町並みと、災除川と南新川沿いに広がる屋敷群が約250ほど、ほぼ当時の姿のまま残されており、1996年には重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

通りには漆喰の白壁の建物が並んでいます・・・イイネ♪d('∀'o)ナ~この感じ・・・昔の儘を維持することにより観光地化します。

今は此処では「ひな祭り」が行われていますが・・・疲れているため白壁の街並みを楽しむことはやめておきます。

筑後平野は耳納連山等の山と筑後川のおかげで昔から恵まれた裕福な土地です・・・去年の災害も昔からの繰り返されて・・・山の植林は人災かも??・・・被害を受けた地区は早く復興されることを願っています。

そういえば此処はT中師匠の地元でしたね!・・・今日は海に行っているようですが・・・

吉井駅について時刻表を見ると次の電車は1時間後です┐(´ー)┌ フッー・・・今日は行きも帰りも電車待ちが長いです・・・


JRウォーキング:博多旧市街と桜並木をめぐるウォーク

2018年03月25日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日は退院してから初めてのウォーキングです・・・体調・気力の確認のため、平坦で比較的短距離のコースに参加しました。

電車で博多駅の改札を抜けて博多口前で受付を済ませて・・・バスセンター方面に歩き始めました・・・天気が良いので参加者も多い様です。

バスセンターの側の承天寺通り歩いて行くと直ぐに大きな門が見えます・・・H26年に作成された『博多千年門』です。

【博多千年門】博多を訪れた観光客を歴史的文化財が多く残る寺社町エリアへと導くウエルカムゲートです。平成26年3月に完成しました。博多のこれまでの千年の重みとこれからの千年の繁栄を願ったものとなっています。歴史的文献によれば、博多から大宰府政庁へ延びる官道には、江戸時代に「辻堂口門」と呼ばれる博多の入り口となる門が存在していました。博多千年門は、かつての「辻堂口門」にならった木造の四脚門様式で、切妻本瓦葺、中世博多の寺社様式が採用されています。また、門扉の板材には太宰府天満宮より寄贈された樹齢千年の「千年樟」を用い、欄間の彫刻には博多織の献上柄模様が刻まれています。

此処からはお寺の通りになるように雰囲気が一変します・・・通りもきれいに舗装されています。

通りを歩くと直ぐに右手に承天寺があります。

【承天寺】臨済宗東福寺派で、山号は萬松山。 開山は聖一国師 円爾弁円によるもの。大宰少弐武藤資頼が円爾弁円を招聘し、宋出身の貿易商・謝国明の援助により仁治3年(1242)に創建されました。 寺蔵の釈迦三尊像(鎌倉期)、 禅家六祖像(鎌倉期)、銅鐘(高麗時代)は国の重要文化財に指定されています。本堂の方丈の前には立派な石庭「洗濤庭」が広がります。承天寺は、博多の夏祭りとして全国的に有名な『博多祗園山笠』の発祥の地であります。 博多祇園山笠は、仁治2年(1241)博多に疫病が流行した時に聖一国師が施餓鬼棚に乗り、町民らに棒で担がせて水をまきながら町中を祈祷して廻って病魔を退散させた事に由来すると言われています。現在の山笠でも、承天寺は「清道」と呼ばれる大事な場所に指定されており、山笠が「勢い水」と呼ばれる大量の水を浴びながら博多を走り抜け、承天寺前の細い道をぐるりと巡って男衆が住職に一礼する・・・という形で、その歴史は受け継がれています。他にも、うどん・そば・羊羹・饅頭などの製法が最初に伝えられた場所とも云われています。墓地には「オッペケペー節」で一世を風靡した新派俳優・芸人の川上音二郎、博多織を始めた満田弥三右衛門らの墓があり、庶民の博多の歴史を伝える大事な寺院でもあります。

門を入ると直ぐに3つの石碑が並んでいます。

左から「饂飩(うどん)・蕎麦発祥之地の碑」で、右が「御饅頭所の碑」。さらに右側に「満田弥三右衛門の碑」が建立されています。



脇から覗くと本堂である「方丈」の前には庭園の「洗濤庭」が見えます・・・玄界灘を表現した白砂と中国大陸を表現した緑がある枯山水の庭園です。

承天寺横にある「天与庵」に入ってみると・・・枯山水が小規模ながら綺麗に整備されていました・・・ちょっと休憩です(´ー`)フッ。


大博通りに出てすぐに東長寺があります・・・外国人の見学者がトランクを引きながら見学に来ています。

【東長寺】真言宗九州教団の本山で、山号は南岳山。本尊は弘法大師(空海)。 寺伝では大同元年(806)、唐から帰国した弘法大師が、密教東漸を祈ったと伝えられている。 弘法大師創建の寺としては日本最古で、当初は海辺の地にあったが、福岡藩二代藩主・黒田忠之によって現在地へと移った。 墓地には二代・忠之、三代・光之、八代・治高の墓がある黒田家の菩提寺となり、300石の寺領と山林15万坪の寄進がなされた。現在は市指定の史跡にもなっている。 寺蔵の千手観音菩薩は平安時代の作で、槙材一木に彫られている。 高さ87cmの小像であるにもかかわらず、重量感に満ちた仏像で、明治時代に国宝の指定を受けている。
◆六角堂◆輪蔵と覆屋からなる六角堂は形態的・機能的に優れた仏殿で、市指定の建造物。
天保13年(1842)に博多在住の豊後屋栄蔵(万歳楼袖彦)が、名古屋以西の商人より財を募って名古屋の堂宮大工・伊藤平左衛門を招いて建立・寄進した。 中の六角形の厨子扉には、当時の文人・墨客の書画を蔵している。開帳は毎月28日。
◆福岡大仏◆昭和63年(1988)より彫刻が始まり、4年の歳月を経て完成。高さ10.8m、重さ30t。 木造(檜)坐像では、日本一の大きさの大仏である。16.1mの高さをもつ光背は7仏や13仏も彫られ、後壁面には5000もの小仏が祀られている。その横には宝物展示室もある。


六角堂の桜も5重の塔の枝垂れ桜も8分咲き位で綺麗です・・・

大博通りを渡り、櫛田表参道の鳥居をくぐり、櫛田神社に向けて歩いて行くと博多町屋ふるさと館があります。

【「博多町家」ふるさと館】明治中期の博多織織元の町家(住居兼工房)を移築復元し、福岡市の指定文化財に登録されている「町家棟」のほか、「みやげ処」「展示棟」の3棟で構成されています。 明治・大正の時代を中心に博多の暮らしや文化を広く紹介しており、博多の歴史、祭り、伝統などを感じて楽しんでいただける施設です。「櫛田神社」すぐ近くにあり、博多の祭とともにさまざまなイベントで賑わい、多くの観光客が訪れる博多の観光スポットです。博多伝統工芸(博多人形,博多張子,博多独楽,博多曲物)の絵付け体験が気軽にできるようになりました。
◆展示棟◆ 博多の歴史や文化に関する展示や山笠の映像、博多の伝統工芸士による実演を見学することができます。博多人形(月曜)/博多張子(火曜)/博多独楽(水曜)
博多曲物(木曜)/博多人形(金・土・日)
◆町家棟◆ 博多織の実演・体験(毎日11~13時、15~17時)や博多仁和加定期公演(毎月第1土曜 ・第3日曜/観覧無料)も行われています。
◆みやげ処◆ 博多の工芸品や名産品をはじめ、銘菓やお菓子、お祭りグッズなど、博多らしいものが揃っています。


ふるさと館の中を少しだけ覗きましたが・・・すぐに出て櫛田神社に入っていくことにしました。


【櫛田神社】博多の総鎮守として、「お櫛田さん」の愛称で広く市民から親しまれている神社。 祭神は大幡主命(櫛田宮)・天照皇大神(大神宮)・素盞嗚尊(祇園宮)。天平宝字元年(757)、孝謙天皇の御代。この櫛田神社は伊勢松坂の櫛田神社を勧進したものだと考えられ、天正15年(1587年)の豊臣秀吉が博多復興にあたり、現在の社殿の建立寄進がなされた。 当社に奉納される博多祇園山笠は、博多の夏の風物詩として全国的にも有名。 境内には「櫛田の銀杏」が葉を繁らせ、その根元には2点の蒙古碇石がある。

境内に入ると桜もきれいに咲いています・・・本堂では結婚式が行われています( ´_ゝ`)フーン

本殿脇の枝垂れ桜も満開を迎えるようで、そばに女性が立ちカメラで盛んに写真を撮っています(´ー`)フッ


櫛田神社を出て明治通りの交差点では・・・ビルの入り口に大きな猫の作り物が??なんだ┏(゚ェ゚) アレ?

明治通りを下っていくと博多座の前を通ります、左手には中州川端商店街が・・・

那珂川を渡り中州を過ぎると・・・ビルに挟まれた小さな水鏡天神がありました。

【水鏡天神】姿見(すがたみ)天神と呼ばれるこちらの神社は、菅原道真を祀る神社です。社伝によると、延喜元年(901年)藤原時平の讒言により大宰府に左遷された菅原道真が、四十川の清流を水鏡にして自らの姿を映した場所に社殿を建てたことからこの名が付いたそうです。川面に映る憔悴し、変わり果てた自分の姿に嘆く菅原道真。「水鏡」という響きは美しいですが、こんな悲しいエピソードがあるんですね。もともとは現在の福岡市中央区今泉に社殿があったそうですが、慶長17年(1612年)に福岡藩初代藩主黒田長政が福岡城の築城にあたり、城の鬼門に当たるこの地へ移し、二代藩主忠之が社殿を再建したと伝えられています。


水鏡天神を過ぎると直ぐに懐かしの天神に出てきました。

通りは相変わらずの車が行きかっていますが中央分離帯には春を告げる花が先も凝っています。

天神を過ぎ大名・赤坂を過ぎると平和台に・・・舞鶴公園のお堀の側の桜も2~8分咲きです。
【舞鶴公園】福岡市の中心である天神から西へ徒歩約15分で行ける、都心部の大きな公園です。 隣接する大濠公園、護国神社、西公園を加え広大な緑地と豊富な歴史的遺跡を併せ持った公園です。園内は福岡城址・鴻臚館跡・鴻臚館跡展示館等の歴史的な遺跡や桜・蓮池・シャクヤク、ボタンの花園・藤棚・花菖蒲園等春から夏頃に様々な花々で彩られ、多くの野鳥も見かけられます。桜の頃には、近くの西公園と並んで花見客で大いに賑わいます。 舞鶴公園内には、平和台陸上競技場・球技場・野球場・テニス場等スポーツ施設も充実。舞鶴公園西部の芝生広場は都心で働く人の休憩や気分転換に、近隣住民の散歩等多くの福岡市民に親しまれています。


公園の中に入ると広場ではテントが張られていて、雑貨や飲食物が売られています。

┏(゚ェ゚) アレ?馬の上には甲冑をつけた人が・・・乗馬の体験ができるようです。



桜の花の間からはビルが見え、グランドの先には桜越しに櫓が見えています・・・城址後の石垣と桜・・・好きですこんな風景・・・







どんどん城址後を登っていくと天守跡に登りました、福岡に何年も住んでいたのですが舞鶴公園は初めてです。

天守跡からはドーム球場や足元には大濠公園が見えます。





暫く桜を見下ろして気分のイイネ♪d('∀'o)時間を過ごすことができました。

【大濠公園】黒田長政が福岡城築城の際、当時博多湾の入江の一部だったこの地域(草ヶ江と呼ばれていた)を埋め、福岡城の外濠(大堀)として城の護りとしたのがその名の由来。 その後、福岡県が造園を着工し、昭和4年に開園したのが現在の大濠公園です。日本でも有数の水景公園で、夏には花火大会の会場としても知られています。県民の憩いの場として広く親しまれている公園です。

大濠公園は30年ぶりかも・・・花火を見たのが最後かな~??

公園の中にも桜が綺麗に咲いてもうすぐ満開を迎えるようです。

公園の中には芝生の間に菜の花が植えられていて、そばではシートを敷き花見を楽しんでいます。


公園の池にはスワンボートでカップルが楽しんでいます・・・何時まで経ってもこの風景は変わりません(´ー`)フッ

ボートにはカモメが群れで羽を休ませています・・・今日は海は荒れていないはずなのに???

入院後の初めてのウォーキング・・・体力も気力も7割がたに削られていました・・・早く体力をつけて広島に帰ってこないと・・・

JRウォーキング:「紅葉と歴史!久留米(山川・山本)コース」

2017年11月12日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日は久しぶりにJRウォーキングに参加することにしました・・・今まで天気が良くなかったので参加できませんでした。

久留米で久大線に乗り換え御井駅で降りると受付ではすごい列になっていました。



受付を済ませると再度構内に入り線路を渡りコースを歩くようになっていました(´ー`)フッ

歩き始めてすぐに最初のスポット「水縄断層」に着きました・・・係の人が説明をしていましたが看板があるだけで・・・断層を目にすることができません?

水縄断層帯】水縄(みのう)断層帯は、福岡県の南部に位置する活断層帯です。福岡県浮羽郡浮羽町(現・うきは市)から久留米市に至る断層帯です。本断層帯の長さは約26kmで、ほぼ東西方向に延びる、南側が相対的に隆起する正断層です。 水縄断層帯の最新の活動は、679年(天武7年)の筑紫地震であった可能性があります。また、約1万4千年前以後に1つ前の活動が、約2万8千年前以前に2つ前の活動があった可能性があります。これらの過去の活動時期から、本断層帯の平均的な活動間隔は1万4千年程度の可能性があります。水縄断層帯が1つの区間として活動する場合、マグニチュード7.2程度の地震が発生すると推定されます。この場合、断層の南側が北側に対して相対的に2m程度高まる段差が生じる可能性があります。

次のポイントに歩いて行くとマンホールには耳納連山と久留米つつじがデザインされていました。

次のポイントは王子池です・・・王子池は水が抜かれて工事中になっていました・・・何見るのかな~?
【王子池】筑後川を見下ろす高台にホタルが飛ぶ・・・筑後川を見下ろす高台にある王子池周辺にホタルが飛ぶ。久留米市内にはホタルが数ヶ所で飛ぶがそのひとつ。王子神社や東林寺が近くにあり、ホタルを見やすい。

池の側には石段があり「古宝殿城跡」と記されていましたが400段あるということで登るのはやめておきました。

下りながら書き畑の中を歩いて行くと、次のポイント「放光寺浄水場」に着きました。

浄水場前に机を並べて売店にしてあったので、係の人に「此処は見学できないのですか?」と尋ねると「入れません・・・パンフレットがあります!」と言われたので、次のポイントに向かうことにしました。

次のポイントは「上野家庭園」です・・・着くと門は外されていて・・・小さな庭園があります。

【上野家庭園】上野家は豊後大友氏の家臣でしたが、天正10年(1582)に大友氏を離れ、山本郡柳坂村に定着した家です。江戸時代は山本郡柳坂組の大庄屋を勤め、寛永19年(1642)に上野太兵衛が就任して以来、享保7年(1722)から元文2年(1737)の間に一時外れますが、天保3年(1832)に辞任するまで大庄屋を勤めています。 久留米市内には各地域ごとに夜明組・安居野組・五郎丸組・津福組など、多くの大庄屋組がありましたが、当時の大庄屋の家構は残っておらず、縮小したとはいえ建物と庭園が残っているのは貴重です。 庭は、屋敷の南面に広がり、形式は池泉を中心とした回遊式の形態を採用しています。さらに遠景の兜山を借景として、奥深い無限の広がりを感じさせます。池の北側には御成間とよばれる麦藁葺寄棟造りの建物がたちます。藩主などの御成りを迎える建物であり、細部にわたって丁寧な造りで、庭と一体となって優しい雰囲気を醸しだしています。


中に入ると屋敷は修理中です、係の人が「先の熊本地震で壊れたので修復中です」「庭園は遠景の兜山を借景としています、縁側の前に立って殿様気分を味わってください!」と言われたので縁側の前に立ち・・・なるほど!・・・ちょっと庭が小さいな!・・・池の中も掃除した方が・・・

次のポイントに歩いて行くと、相変わらず柿の木の中を・・・植木屋さんの木々も少し色づいてきているようです。

次のポイントの「永勝寺」に着きました・・・ここまでくると階段きついな~

【永勝寺】日本三大薬師の一つで、天武天皇9年に天皇の勅願によって創建されたと伝わる名刹。もみじ寺とも称され、並木道に広がるモミジが素晴らしい。また、展望所からは柳坂曽根の櫨並木と筑後平野を一望できる。大杉が天高く林立する境内には、柳坂の地名起源を思わせる推定樹齢200年以上のアカメヤナギの大木やケンポ梨(いずれも市指定天然記念物)などもある。境内には、石仏 五百羅漢 江戸時代(文化年間)中には鍾馗菩薩5月の鯉のぼりに見られる子供の成長と無病息災を願う、いかめしい姿が見られます。閻魔様、文殊様、普賢菩薩、虚空象菩薩、コウバシ地蔵尊が皆様をお待ちしております。



境内に入り・・・展望台の標識があったのでそちらに行くと木々の間から開けた筑後平野が見渡せます・・・筑後川の周りに開けた大地・・・山からの水に・・・今年は災害になったけど豊かな情景です。



永勝寺から下っていくと櫨並木に突き当たりました・・・此処にも2回ほど来たな・・・

櫨並木を手前を右に向けて歩いて行くと・・・相変わらずの柿畑です・・・桃クリ三年柿8年と言うけど幹を見てみると立派です・・・どのようにして低く這わせられるのかな?

やっと最終ポイントの「久留米ふれあい農業公園」に着きました・・・立派な建物と広い芝生、先には市民農園もあるようですが・・・

市民が小規模の農地を使って、余暇などを利用して農作物が栽培でるようですが・・・このあたりの人ほとんどが農家では???

コースの最終は善導寺駅になっています、途中には、もう山茶花も咲きだしていました。

やっと終着点の善導寺に着きました・・・受付を済ませて時刻表を見ると発射したばかりで時間待たないといけないようです┐(´ー)┌ フッー

ホームのベンチで座っていると・・・いつの間にか寝込んでしまったです、ホームにも駅にも誰もいません??

時刻表を確認すると乗ろうとした電車は30分前に出てしまっていました・・・誰も気にかけてくれなかったようです・・・マタマタ1時間待ちです(。-`ω´-)ンー

JRウォーキング:「「黒崎一夜城」と「安川電機みらい館」を巡るスタンプラリー」

2017年10月09日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日は久しぶりにJRのウォーキングに参加いたしました。

黒崎駅で改札を抜けると・・・?(*゚Д゚) アレ?受付が・・・跨線橋の上で受付をしています。

跨線橋を降りると直ぐに真新しそうな「安川電機」があります。



【安川電機みらい館】世の中の機械を飛躍的に進化させてきた「メカトロニクスのYASKAWA」が100年かけてこだわり続けてきたものづくりの世界。 ここでは、世界一のサーボモータ・インバータ・産業用ロボットの 最先端技術がつくり出す、ものづくりの楽しさと凄さを体験することができます。 お客様や学校・研究機関、地域の方々に、ものづくりの魅力、そしてロボットの 最新技術などを発信する展示・体感・学習施設として利用できます。



側には「未来館」があり、中に入ると直ぐにアームが器用に動く産業ロボットが展示されています。

両腕のように手がそれぞれ目的に合わせて動くように展示されているものや、館内や未来の世界を説明しているロボットもあります。

二階には首をかしげてルービックキューブをしているロボットもあります(´ー`)フッ

みらい館を出ると歴史館もあり、年表で安川電機の歴史を解説していたり、三相誘導電動機、VSモータ 製品第一号機、国内初全電気式産業用ロボット「MOTOMAN-L10」等が展示されていました。

安川電機を出て山を見ると頂上の方に薄っぺらの感じの城が見えます。

山に向かって歩いて行くと石段を上がり頂上を目指します・・・城跡に向かうようです。


【城山緑地公園】黒田藩の黒崎城の跡地である城山(標高63メートル)のふもとの広場から山頂まで、およそ13.7ヘクタールの広大な空間を活用して作られた緑あふれる憩いスポット。園内は野球場やテニスコートなど、気軽にスポーツを楽しめる施設が整備されているほか、散策路で四季の豊かな自然も楽しめます。山頂には黒崎城本丸跡の記念碑や石垣なども見られ、当時の風景を連想させる歴史情緒も満点。そして高台から見晴らす洞海湾や皿倉山の景色も素晴らしく、また名所として知られる桜を求めて、春には多くの花見客も訪れています!

ヒーヒー言いながら頂上に着きました・・・(*゚Д゚) アレ?城の石垣が見当たりません。

頂上からは若土大橋が見えています・・・頂上を回っていくと先ほど見えていた薄っぺらな・・・板に描かれた城に着きました?・・・黒崎の工場などが見下ろせます・・・景色は大きくなった木々で見下ろせるのは数か所しかありません┐(´ー)┌ フッ



頂上は平らになっていて桜の木が植えられています・・・でも石垣が見当たりません・・・看板を見ると新田開発時に石垣は利用されたようで・・・降り口に少しだけ石垣の名残が見えました。

山から下りて少し歩くと「東構口(ひがしかまえぐち)」と書かれた石碑がありました。

【東構口(ひがしかまえぐち)】黒崎北東部に位置し、古くは安土桃山時代から江戸時代の参勤交代へと続く「長崎街道」の、いわば黒崎宿の東の入口でした。1615年の一国一城令により黒崎城を廃止、その城の南側にあった塀を埋めて設けた番所で、白塗の袖塀があり、その内側から人家が並んでいました。4人が昼夜交代で詰め、旅人の監視を行っていた場所です。




東構口は石碑だけでした・・・

少し歩いて行くと鳥居が見えてきました「春日神社」です。

【春日神社】黒田官兵衛・黒田長政ならびに黒田二十四騎を祀る神社。黒田二十四騎画像(市指定文化財)、刷り物黒田二十四騎画像を所蔵。黒田二十四騎画像は江戸時代後期、初代藩主黒田長政の重臣であった24人の肖像を御用絵師の尾形洞霄(おがたどうしょう)が描き、二十四騎の子孫たちが春日神社に奉納したもの。毎年10月初旬、黒崎で開かれる「筑前黒崎宿場まつり」では、黒田長政・黒田二十四騎に扮した武者行列が、春日神社に集結する。



石段を上がっていくと改築された社殿があります・・・(*゚Д゚) アレ?出雲大社や須賀神社等の看板?も掲げられています・・・なんでだろう???









春日神社から歩いているとアーケードのある商店街に来ました・・・長崎街道と説明されている看板がありますがすべての建物が立て替えられていて街道の名残がまったくありませんザンネン!(つд⊂)



商店街を抜けて大きな通りに出ると「黒崎宿西構口」の石碑があります。

【黒崎宿西構口】構口は宿駅とも書き、宿駅の出入口に標として設けられたもので、道路と直角に石垣を組み、その上に白壁の練塀を築いたものでした。特別の木戸や扉は設けられていません。構口は方位にかかわらず、上り方面を東、下り方面を西としました。木屋瀬宿の場合、岡森用水路際にあった北側の黒崎口が東構口、現在石垣が残っている南側の飯塚口が西構口です。そして、両構口に囲まれた内側が宿駅で、宿駅としての規制の対象となり、宿内には本陣(御茶屋)、脇本陣(町茶屋)、人馬継所、代官所、郡屋(郡方の役人たちの集会所)などの諸施設が完備し、旅籠屋や商店が置かれていました。 この構口が築かれた時期ははっきりしませんが、諸大名の参勤交代が制度化された寛永12年(1635年)以降、宿駅が整備されていく過程と考えられます。木屋瀬宿西構口跡は市内に残る唯一の構口の遺例として、近世交通史を考える上で重要な文化財です。

周りを見あたしたのですが・・・石碑以外にそれらしきものが見当たりません・・・東側と一緒ですエト・・(´・ω・)y-~

通りを渡り少し行くと赤い欄干の橋が見えました・・・乱橋と欄干に書かれています。

<font size="2">【乱橋】元は橋の名前でなく地名であった説や、ホタルの群舞が橋に邪魔されて乱れ飛ぶ様子から乱橋となった説等があります。


ラブホテルの前にあります・・・乱れた関係の物たちが集まる場所???(´ー`)フッ

少し歩いて行くと通りの向こうに松林が見えてきました。

【曲里の松並木】旧長崎街道に沿って江戸時代に植樹された松(クロマツ)並木です。江戸時代には徳川幕府が旅人を炎天や風雪から守るため、全国の街道に松や杉を植樹させていました。当時は遠くからでも街道が一目で分かる標識にもなっていました。江戸後期の狂歌師大田南畝(蜀山人は別号の一つ。寛延2年~文政6年=1749~1823)は「坂を下るに赤土の岸あり。松の並木の中をゆくゆく坂を上り下りて、又坂を下りゆけば、左に黒崎の内海見ゆ。」とその紀行文(小春紀行)にこの松並木あたりの描写をしています。江戸時代末期のこの付近の往還図には、松の並木が100本以上も描かれています。また、昭和20年頃までは長崎街道には多くの松が残っていましたが、今はわずかにこのあたりが昔日の長崎街道の面影をとどめています。

長い松並木を歩いて行くと・・・今日はとても暑いのですが日陰になり汗も引いてきます(´ー`)フッ

土の道には沢山の松ぼっくりと松葉が落ちています・・・なんだかな~落ち着きます。

松並木を過ぎて広場に来るとテントが並んでいます・・・八幡西区健康まつりが行われているようです。

各分野の専門家(医師・歯科医師・薬剤師・看護師等)の方々が、皆さまの健康づくりをサポートしているようです。

駅側のテントでは飲食物が売られています・・・健康診断を受けてアルコールと食べ物を楽しむ・・・???

そろそろコースの最終の様で駅に向けて歩いていきます・・・駅の北側は工業地帯で、こちらは商業スペースのようです。

駕与丁(かよいちょう)公園のバラ祭り

2017年05月14日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日は恒例のJRウォーキングです。

電車で博多経由長者原駅で降りると沢山の人が下りていきます。

受付を済ませるとコース図には1384番とナンバリングされています・・・今日は天気がいいので参加者が沢山いるようです。

駅前から粕屋郡役場に向けて歩いていきます・・・さすがバラの町、役場周囲はバラの花で彩られています。

役場前の駕与丁公園の池の周りを歩いて行くと左手に九州酢造があります。

【九州酢造】富有柿の産地組合から「柿の加工品ができないか」との相談を受け、試作を重ね柿酢を提案しました。この結果、組合より委託製造を依頼されることになり、昭和56年に柿酢製造を始め、日本で初めて柿酢を商品化したのです。柿酢は福岡県からも、特産品として認めて頂き、柿酢は、福岡県うきはの契約農園の富有柿のみを原料に、1年以上の熟成を経たもののみを商品化しております。昔から民間薬として重宝されていた柿の豊かな滋養とあわせ、柿酢の深みのある味わいから、和風料理などに最適であるとの好評を得ております。 その後、生協から柿酢と同じ製法で「りんご酢」を造ってほしいとの依頼を受け、「りんご酢」を造り始めました。それに続き、製法特許を取得した造り方で「玄麦玄米黒酢」「胚芽もろみ酢」などの商品化を進めていき、現在までに数多くの種類の酢を商品化しています。

九州酢造では素を4倍希釈したものを試飲しました・・・案外(゚д゚)ウマ-です・・・と言うことでゆずりんご酢を購入しました・・・毎日飲んでみよう(・∀・)ウン!!

九州酢造を出て、駕与丁公園に向けて歩いていくとたくさんの人が歩いています(´ー`)フッ

公園の池の周りを回ってバラ園につきました・・・沢山の人とバラが迎えてくれます。

【駕与丁公園】バラ祭りは毎年5月頃、程よく暖かく野外で過ごしやすくなった季節に行われます。このバラ園では180種類・約2400株のバラを鑑賞することができ、ゆっくりバラを眺めたい方はもちろん、苗の販売もされていますのでそれを求める方などが多く訪れる場所となっています。



バラの花の色はそれぞれきれいで、華麗・豪華・可憐と魅せられてしまいます。









会場にはテントで飲食物・直売品・催しの舞台、バラの苗が売られています・・・両手で買ったバラの花の苗を持って帰っている人が沢山います。











バラは寄せ植えやアーチ状になったもの、一本立ちのものといろいろとあります。









バラ園を一通り見て回り・・・やっぱ花はイイネ♪d('∀'o)ですね!















駕与丁橋を渡っていると湖面にはヘラブナが群れています・・・ここはヘラブナ釣りには良いかも?



橋を渡り役場に戻り、

丘を登り、木々の中を歩いていく岩崎神社につきます。
【岩崎神社】糟屋郡志免町の中央に位置する「岩崎神社」は、この町に古くから伝わる伝統行事「石投げ相撲」の会場としても知られるお社。悪病退散と豊かな一年を祈願するため、現在も毎年9月の第1日曜日に開催され、こども相撲、赤ちゃんの土俵入りなどでにぎわっています!

神社を過ぎて少し歩くと光酒造につきました。

【光酒造 株式会社】通商の要津、筑前博多に大陸より伝来された酒造法は、博多の風土に適して盛んになり、それに合わせて粕屋の米・麦と三郡山系の良質な地下水が融合して、粕屋の地に数多くの酒造家が根づいていました。そのような中で、光酒造㈱は伝統的な酒造法と独特の貯蔵法を駆使し、更に杜氏の創意工夫を加え、本格焼酎を造り続けています。「船を出しゃらば、夜深に出しゃれ、帆影見るさへ気にかかる。長門の秋の、夕暮は歌に詠むてふ門司が関―」この書き出しの近松門左衛門作「博多小女郎浪枕」由緒の本格焼酎「博多小女郎 吟醸磨き、樽貯蔵」・シェリー酒樽貯蔵「夢想仙楽」は、代表銘柄となっております。





光酒造からすぐに大久醤油につきます。

【大久醤油】明治三十年創業 大正天皇にも献上した醸造元で、今もなお昔ながらの博多の味を守り続けております。 「寿撰」は香り高くうまみのあるかけ醤油(お漬け物等)として、 「藤印」は塩分控えめで煮たき用としてお推めしておりますが、お客様のお好みでいろいろとお使い頂けます。 又、無添加醤油もあり、お好み、ご予算に合わせて贈答用商品も詰め合わせます。



店の前には醤油ジェラートの看板があったので買ってみることにしました・・・暑い中を歩いてので体にしみこむように楽しむことができました・・・醤油の味があまりしません??

少し行くと看板に「あ官兵衛」と言う看板のうどん屋があります(´ー`)フッ


角を曲がるとすぐにゴールの長者原駅が見えてきました・・・あとは何時ものように缶酎ハイを飲んで・・・結局鳥栖まで乗り過ごしてしまいました(。-`ω´-)ンー

JRウォーキング:「世界遺産遠賀川水源地ポンプ室と垣生公園の八重桜散策ウオーク」

2017年04月22日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日はJRのウォーキングに参加しました。

原田から桂川に・・・何時ものように罫線では豆大福を購入し、直方経由筑前垣生駅に着きました。

駅前の受付でコース図を受け取り・・・NO.856がナンバリングされています・・・今回は参加者が案外少ないようです(前回は足らなくなってコピーされていました)

駅前から少し歩いたら最初の目的地、産直品を売っている「新鮮市場さくら館」「中間市歴史民俗資料館」「地域交流センター」を見て回り、建物の間を通って垣生公園に入りました。

垣生神社に向かう池には赤い橋があり、両側には八重桜が満開を迎えています。



橋を渡り階段を上って行くと「垣生神社」があります・・・神社は木立の中に在り静寂に包まれています。

木々の中を社の後ろに行くとヤギが6頭離されています・・・野草の駆除に利用されています( ´_ゝ`)フーン

森の木々を回り公園の中を歩いていると蒸気機関車のC11が展示されていて、前の遊具で子供たちが遊んでいます。

池の周りをまわり戻っていると、赤い橋の側では鯉にエサをやっているようでバシャバシャ鯉が集まっています。

公園を出て遠賀川に向かい歩いていき、遠賀橋を渡り右手に土手を歩いていくと左手にレンガ造りの世界遺産の「遠賀川水源地ポンプ室」があります。

ボランティアの人が説明をしてくれたので・・・昔は石炭の蒸気を使っていたが、今は高圧電気を使われていて人がいないので中の見学はできない・・・だから煙突がなくなっているな~( ´_ゝ`)フーン。

此処で入水した水は11㎞離れた八幡製鉄所までパイプで送られている、製鉄所の鉄鉱石のかすは9割はレンガ・テトラポットなどに利用されている等を聞きました(´・∀・`)ヘー

ポンプ室の周りを歩き笹尾川に出ると野花が咲き乱れています・・・遠賀橋に引き返す途中にはポンプ室から送られている大きな3本のパイプが・・・(?_?)11K先の此処に造られたのだろう??

消防署の前を通り市役所前の遠賀川河川敷には沢山の鯉幟が風に舞っています。

私の河川敷に座り罫線駅で買った豆大福を楽しむことにしました・・・疲れた時は甘いものがご馳走です(・∀・)ウン!!





座って眺めていると空にトンビの群れが・・・気が付くと下では餌をやっている人がいます・・・餌付けをしているのか???

一休みをして市役所の脇を通りもやい通りきました・・・此処は「屋根のない博物館」として4っつのコーナーに分けて石像が展示されています。



石像を見ながら・・・なぜここに石像を???・・・通りの先には終点の中間駅に着きました。

後は何時ものようにコンビニで買った缶酎ハイを楽しみながら帰ることにしました・・・今日はコースが短かったので楽ちんでした。

JRウォーキング:「のおがたチューリップフェアと直方レトロ街散策ウォーク」

2017年04月09日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日はあいにくの曇り空ですがJRウォーキングに参加することにしました。


原田駅から桂川線に乗り換え・・・線路沿いには菜の花と桜が満開を迎えゆったりと電車の旅ができます。

桂川で乗り換えるときに売店で豆大福を購入し・・・ここで乗り換えるときはいつも買ってしまいます(´ー`)フッ

直方駅に着きました・・・ホームにはDENCHAが止まっています・・・蓄電池式の列車です。

【DENCHA】JR九州が非電化区間で運行しているキハ40系等の気動車の経年置き換えを目的として開発した。世界初の交流方式による蓄電池電車となった817系改造の試作車による試験結果を踏まえ、実用化した量産車両として製作されるものであり、車体・接客設備は817系2000番台をベースとしつつ、305系からのフィードバックも行われている。2014年11月に投入を公式発表、2016年1月29日に詳細が発表された。車体の塗装や内装デザインは他のJR九州の車両同様水戸岡鋭治が担当している。

改札の前で受付を済ませ、駅前の元大関・魁皇の銅像に見送られながらウォーキングの開始です。

駅から東に歩いていくと遠賀川に突き当たります・・・堤防の菜の花が満開で・・・先にはチューリップ祭りの会場がかすんで見えています。

川を渡り田川直方バイパスを南下していくと「もち吉本社」前に着きます・・・ここで一休み・・・中に入って煎餅を物色して・・・(^。^)y-.。o○

【もち吉】米菓の製造・販売を行っている食品会社である。全国各地(沖縄地方を除く)に直営店舗を有するほか、通信販売により販売を行っている。もち吉の製造部門である「森田あられ」は、かつては「えくぼのモリタ」のブランド名により、西日本を中心に小売店向けの販売を行っていた。その中の一つ「サラダ一番」(サラダ油で仕上げた煎餅。塩味と醤油味の2種類で、通常サイズの『L判』とミニサイズの『ミニ判』が存在した)は看板商品となり、CMには“欽ちゃん”こと萩本欽一が出演していた。なお「サラダ一番」は、もち吉店舗でL判のみ復刻販売された。本社工場そばには、直方本店「餅のおまつり本舗」の他、豆腐販売所など、もち吉の関連施設による店舗群「もちだんご村」がある。

少し歩くと右手に大きな三連水車が・・・真新しく電気で動いているような??何に使うのだろう??





もち吉のチューリップ畑が見えてきました・・・沢山の人が楽しんでいます・・・桜とチューリップ・・・綺麗ですね~(´ー+`)キラッ



芝桜の畑もありますが・・・まだまだ先のようです

桜の先には大きなもち吉の工場が見えます、チューリップ畑の側の工場前には餅の神社も立てられています?

419号線を遠賀川に向けて歩いていくと「もちだんご村」があります・・・この辺一帯はもち吉関連の建物ばかりです。

遠賀川と彦山川の交わる中州に降りていくと、河原では数党のヤギがつながれて草を食べていています。

子供たちが草を食べさせようとしていますが腰が引けています・・・(´ー`)フッ

男性がヤギの角を捕まえて女性の前で粋がっています・・・おとなしいヤギで・・・可愛そうです(つд⊂)

土手の上に桜並木が満開を迎えています、階段を上がると遠賀川水辺館があります・・・トイレ休憩をしました。
【遠賀川水辺館】遠賀川流域の自然や歴史について学べる学習施設です。館内の水槽には遠賀川にすむ魚が泳いでます。1階の「風のフロア」では水槽の中で元気に泳ぐ魚を観察することができ、2階の「光のフロア」ではバードウォッチングやビデオによる歴史勉強ができます。屋上に行くと展望フロアがあり、雄大な遠賀川と福智山の姿を見ることができます。また、釣りやカヌー体験など色々なイベントも開催しています。



満開の桜並木を楽しみながら・・・桜の木の下では花見を楽しんでいる人たちが・・・いい笑顔をしています。

先端に行くとプーリップ祭りの会場に着きます・・・階段を下りてチューリップを楽しみました。
【直方チューリップフェアー】平成4年、直方オートキャンプ場の環境美化のために市民ボランティアの手で1万球を植えたのがチューリップフェアの始まりです。 その後、年を追うごとに3万球(平成5年)、10万球(平成7年)とその数は増え、平成8年の「直方市花の都市宣言」に合わせて河川敷に20万球を定植し、平成9年に第1回目の「のおがたチューリップフェア」が開催されました。遠賀川の河川敷に植えられた約13万株のチューリップが色とりどりの赤や黄色、ピンクの花を咲かせる。土、日は様々な体験イベントを開催。人力車に乗り、一斉に咲くチューリップを眺められる他、子牛のミルクやりや旧国鉄バスの乗車が体験できる。

チューリップは満開を迎えたばかりで花びらも綺麗です・・・天気が良かったらな~

会場には展望デッキが作られていますがデッキには10名しか上ることができません。

私も並んでデッキに上がってみました・・・あまり高くないですが見るにはちょうど良い高さだと思いました。



一通り見て回り、木造の沈下橋を渡り市役所の脇を歩いていくと・・・商店街は皆締まっているようです・・・休日で市役所に人が来ないからかな~?



南に歩いていくと・・・町並みが昭和の感じがします・・私だけ??

少し歩いていくと左手に美術館がありました。


【直方谷尾美術館】福岡県直方市にある市立美術館。直方市にゆかりのある作家の作品を多く展示、収蔵している。もともとは明治屋産業創立者である谷尾欽也が昭和初期の医院を改装し、1992年に開館した私立美術館であった。2000年3月に市に寄贈され、2001年4月に開館した。本館と新館に分かれ、新館には直方市民による作品が多く展示される。閲覧の際に、作品の前に置かれた椅子に腰掛け、じっくり観ることができるのが特徴的である。また、展示室の奥に庭と茶室が併設されている。

今日は美術館に入るのはスルーすることにしました・・・絵のことよくわからないからな~

美術館の先を右手に曲がり歩いていくと丘の上に直方歳時館が見えてきました。

【直方歳時館】この建物は、近代の炭鉱開発に尽力した堀三太郎の住宅として明治31年に建設された純和風建築物です。昭和時代に市に寄贈されて以来、直方市の中央公民館として地元の人々に親しまれ、結婚式会場やナイトスクールなどに利用されてきました。そして、平成に入ってから修繕され、生涯学習施設「直方歳時館」として生まれ変わりました。直方歳時館では、四季折々の景色を楽しめる庭園の他、本格的な茶室も備わっており、ゆったり とした時間の中でお茶を楽しむことが出来ます。また、年中さまざまな催し物が行われており、何回行っても飽きることはありません。

中ではこれから琴の演奏があるようです・・・お茶のもてなしもあるようですが・・・時間がかかるようなのでスルーしました。

長崎街道を直方駅に向けて歩いているとギャラリーのぐちがあります。

【monoロード】JR直方駅からほど近くにある骨董を中心としたギャラリー。駅から古い町並みが広がる旧長崎街道へ向かうと、“monoロード”と呼ばれる骨董店やガラス製品店、焼物店、家具店など8店舗が軒を連ねる。その全てが“ギャラリーのぐち”の店だ。店内に入ると“この店にないものはないのでは?”と思ってしまうほどの商品数に圧倒される。中には、レトロなランプシェード、囲炉裏に使用する自在鉤、初誕生の儀式「餅ふみ」に使う草履、天狗のお面など珍しいものも多い。時間をかけてゆっくりと“あなただけのお気に入り”を見つけてほしい店だ。本館では、無料でコーヒーのサービスもあり。

この道沿いの両側には’ギャラリーのぐち’の店が並んでいます・・・欲しい物を探していたら何時まで経っても見つけられないのでは??・・・眺めていて気に入った物を買うような店ではないかな~・・・町並みも新しい物から古いものまで…不思議な街並みです。

少し歩いて左手の陸橋を渡ると右手に多賀神社があります・・・コースになっていないけど覗いてみることにしました。
【多賀神社】黒田直方藩5万石の鎮守として、元禄4年(1691年)に創建。長寿・魔除けの神様として信仰されている。毎年秋に開催される多賀神社秋季大祭では、江戸時代より伝わる「日若踊」(福岡県指定無形文化財)が奉納される。この神社の祭りについては、昭和初期に活躍した作家・林芙美子の代表作「放浪記」にも詳しく描かれている。




社務所の軒に吊るし雛が・・・?この地方に吊るし雛の風習があったかな~???

コースに戻って直方市石炭記念館へ・・・
【直方市石炭記念館】明治時代から日本の産業を支えてきた筑豊炭田の歴史を紹介する博物館です。施設は本館、別館、石炭記念館の3館から構成され、室内展示の中には、重さ2トンに及ぶ日本で最も大きな石炭の塊、1907年頃にドイツから輸入された日本で最古の酸素呼吸器などがあります。また、屋外には石炭輸送に活躍したコッペル11型蒸気機関車、国鉄の第1号石炭貨車「セム1号」、リール式電気機関車など、いずれも実物が展示されています。
やはり北部九州は石炭の町です・・・昔栄えた街には石炭に関する施設が必ずあります。

展示されている機関車や貨車は至る所がさび付いています・・・点検整備を細やかにやらないと・・・予算がないのかな~?

記念館を出てしばらくすると直方駅に着き、スタンプをもらい、何時ものようにコンビニを探したのですが駅の周りにはないようです・・・初めて駅の周りにコンビニがありませんでした。

JRウォーキング:「延命公園の桜と大牟田の歴史・文化にふれよう」

2017年03月25日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日は曇り空でうすら寒い日ですが・・・JRのウォキングに参加することにしました。

鹿児島線で大牟田駅に着くと駅前で受付を済ませました・・・今日は582番目です・・・天気が良くないからな~参加者が少し少なめです。

駅から15分ほど歩くと「三池かるた歴史資料館」に着きました・・・此処は依然来たことがあるので中を一通り見て回り直ぐに出てきました。
【三池かるた歴史資料館】日本カルタの発祥の地を記念して建設された日本で唯一の公立カルタ専門の資料館。16世紀末頃にポルトガル人の影響を受けて、三池ではじめてカルタがつくられたといわれる。所蔵数は1万点以上で、江戸時代の「小倉百人一首」をはじめ、明治・大正期の「いろはカルタ」、ポルトガルのカルタを真似てつくられた「天正カルタ」など、貴重で珍しいカルタが展示されている。平成18年には大牟田市歴史資料館と合併し、郷土の歴史を物語る出土品や古文書などの貴重な文化財も展示されている。

資料館から出て少し歩くと坂道になっていて左手には野球グランドがあり試合をしています(´ー`)フッ

グランドを過ぎると陸上トラックがあり学生が練習をしています・・・練習風景を見ながら歩いていると小高い丘の木々の中を歩くことになりました・・・小鳥の鳴き声が癒してくれます。

「延命公園」の中を歩いているのですが・・・まだ桜も咲いていないので、そのまま公園の一部の「大牟田市動物園」に入っていくことにしました。
【延命公園・動物園】「延命」の名前は、延命公園のある片平山一帯が古くから延命寺という寺を中心とした仏道修行の場所だったことに由来しています。 箱型の石棺を安置した宅ヶ峰古墳も公園内の山頂にあり、古墳時代の昔から地域住民に大切にされてきた森といえます。  この豊かな自然林に覆われた片平山一帯を利用して昭和15年(1940年)に延命公園が開設され、動物園は翌昭和16年(1941年)10月に「延命動物園」という名前で開園しています。市民に72年間も愛され続けている動物園です。  平成18年(2006年)4月より 大牟田市の直営から指定管理者による運営管理となり、より一層、市民の皆さまに親しまれる動物園をめざしています。



動物園は本当に久しぶりです・・・リスザル・・・可愛いな~飼ってみたいです・・・アザラシは2頭で浅いプールで・・・ちょっとかわいそう・・・

鳥類は鳥インフルエンザの影響で見ることができません・・・暑いところにいる動物には暖房が設置されていますが動物たちはあまり動かなく見ることができないものもあります┐(´ー)┌ フッ

へ~!ここにはホワイトタイガーがいたんだ~少し離れた場所に行くとカンガルーやレッサーパンダ・・・キリンが2頭仲良くしています(´ー`)フッ



園内を一通り見て回りましたが動物は本当にかわいいですヽ( ´ー`)ノ フッ・・・ここに動物園ができたのも炭鉱のおかげです・・・今、大牟田市で動物園を維持していくのは大変だろうな~・・・何時までも続けてほしいものです。

動物園を出て、鹿児島線の反対側・・・海に向けて歩いていきます。

コースの半分を過ぎたところに「三池炭鉱三川坑跡」がありました。

【三池炭鉱三川坑跡】昭和8年(1933)当時の三池炭鉱は、宮浦、万田、四山の3坑体制だったが、老朽化により新坑開発が必要となっていた。そこで、西方の有明海の海底下に向かって、傾斜角度11度、長さ2000mの斜坑2本の開削が計画された。 昭和12年(1937)に斜坑の掘削を開始し、昭和14年(1939)に第一斜坑、昭和15年(1940)に第二斜坑が完成し、同年10月出炭を開始した。日産2万トン・年産600万トンを誇ったが、戦後の石炭需要の落ち込みから出炭量が減少、 昭和38年(1963)の炭塵爆破事故により、死者458名、重傷者675名、CO中毒患者839名を出す大惨事が発生した。その後も出炭は続けられたが、平成9年(1997)、三池炭鉱閉山とともに三川坑も閉山した。

中に入ると・・・(´ェ`)ン-・・今まで放置されていたのか雑然としています。

事務所棟の先に炭鉱電車が並べられています・・・この炭鉱では電車が使用されていたようです・・・アメリカ・ドイツ・三菱造船・東芝製の電車です。

その先には第二斜坑の坑口がありますがコンクリで閉じられています・・・トロッコが朽ち果てていて哀れです。

出口にはレールが何本も地面を張っていて当時をしのばせます・・・巻揚げ機の建物は一部屋根が落ちていて・・・ちゃんと保存されていれば立派な遺産として見ごたえがあるものになるのですが・・・(´ェ`)ン-・・

日本庭園を今整理しているようです・・・外に出ると隣に「 三井港倶楽部」の建物があります。

【 三井港倶楽部】明治40年8月10日、清水組(現清水建設(株))三代目社長清水満之助により設計起工され、明治41年2月16日上棟、明治41年8月15日、三池港の開港と同時に開館しました。 以来、三井関係の社交倶楽部であるとともに、外国高級船員の宿泊や接待の場所、あるいは皇族方を始め、政財界人の迎賓館として広く利用されてきました。また、当倶楽部は昭和44年1月、明治を代表する優美な洋風建築物として日本建築学会より文化財の対象建築の推薦を受けております。 現在は格調高い古典的な雰囲気のなか、総合結婚式場、レストランとして営業いたしております。

建物の中にはレストランと結婚式場になっているようです・・・私は庭のほうに出て・・・立派な建物です、当時の石炭産業の隆盛を感じることができます。

建物のテラスで私は(^。^)y-.。o○して、少し休むことにしました。

次は最後の見学場所の「大牟田市石炭産業科学館」です・・・そろそろ足もつかれてきています(´ー`)フッ

イオンモールの側に「大牟田市石炭産業科学館」がありました・・・中に入ると入り口に大きな石炭の塊が展示されています。

【石炭産業科学館】一時は、全国の石炭の4分の1を掘り出していた日本最大の炭鉱:三池炭鉱。その輝かしい歴史を後世に伝えるために開館したのが「大牟田市 石炭産業科学館」です。館内は、日本の近代化をエネルギー面から支えた三池炭鉱の豊富な資料をはじめ、私たちの生活に欠かせないエネルギー資源についても楽しく学べる展示が盛りだくさん!特に地下400メートルの坑内を再現したというダイナミックトンネルなる仮想炭鉱現場も見逃せません!



展示物の中にはかつて見た万田坑などの竪坑での採炭方法と三川坑の斜坑での採炭方法が分かりやすく展示してあります(¬ε¬) フーン

ダイナミックトンネルは1秒間に10mの速さで降下するエレベーターに乗って有明海の地下400mの坑内へ(´ー`)フッ・・・

扉が開くと、そこには採炭作業現場が、石炭を運搬する電気機関車、石炭を掘り出す採炭用カッターや三池炭鉱を支えた巨大な機械が展示されていました。

さあ~後は駅に向けて歩くだけです・・・今回のコースも一度も行ったことのないものだったので楽しむことができました。


JRウォーキング:「満喫!!黄金のじゅうたん「なの花まつり」と古賀市内ぶらり」

2017年03月19日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日はJRウォキングに参加しました。

古賀駅で降りて受付をすますと・・・参加者が大変多いです・・・(´ー`)フッ

駅を出てすぐに大根側のほとりを歩いていきます。

この大根川は、この川で老婆が大根を洗っているのを見た弘法大師が、大根を分けてくれと頼んだところ、粗末ななりを見て口汚く断ったのみならず石まで投げつけ、それがお大師様の怒りに触れ、川の水が涸れてしまった、それからは毎年大根を洗う季節になると筵内では老婆の戒めのために水が表面を流れなくなるという伝承があるそうです・・・華丸大吉がTVのCMで言っていましたが・・・弘法大師も案外小っちゃいな~

川の土手には菜の花が咲き乱れ彼岸桜も咲き誇っています・・・天気が良くてよかったです(・∀・)ウン!!

途中、薬師如来像板碑がありました。

【薬師如来像板碑】薬師如来像板碑 熊野神社の阿弥陀如来像板碑と久保田家屋敷の磨滅して不明の像(千手観音)の3基の一つで、昔筵内に疫病が流行した際に大根川の岸に建てられていたのが洪水で流され、後にそれぞれが現在地に移されたと伝えられている。



暫く歩くと弘法大師の像が見えてきました。


【弘法大師の銅像公園】古賀市の筵内には弘法大師のおおきな銅像を中心とした公園がある。 空海は唐から帰国して2年ばかり大宰府の観世音寺に滞在していたので、 古賀地区には有名な空海伝説があり、巡礼して来たことは考えられる。 地本出身の資産家の寄贈により造られた公園である。






すぐそばには谿雲寺があります・・・建て替えられたのか門も境内も綺麗に整備されています。

【谿雲寺】建治2年(1276年)に團摂津守宗成が建立したと言われる西山浄土宗の歴史深いお寺。元々は長福寺という名前だったそうですが、歴史書をひもとくと、第8世の温空上人の時に現在の名前に変えられたと書かれているそうな。立派な楼門をくぐった先の境内は日本庭園のような純和風の雰囲気で、綺麗に手入れされた緑が印象的となっています!

暫く歩くと熊野神社に来ました。

【熊野神社】古賀市の筵内地区を通る大根川のそばにある「熊野神社」は、市内最古の鳥居(正徳元年:1711年)と市内最長の250段の石段で知られるお社。参道の途中、左側にある玄武岩の自然石に彫られた阿弥陀如来像板碑(県指定文化財)や、本地堂に安置された木造阿弥陀如来座像など、神仏習合の名残が各所に見られます!

石段の下から上を見ると・・・250段の石段を上る勇気が出てきません・・・スルーすることにしました┐(´ー)┌ フッ

大根側の橋を渡ると菜の花畑が見えてきました。

テントの下では蕎麦を売っています・・・沢山の人が並びテントの下で楽しんでいます。

菜の花畑の中では鯉幟も立てられて、牛の案山子も置かれています(´ー`)フッ



大きな旗を振りその前では地区の婦人たちがよさこいを踊っています・・・オカリナの演奏や楽器の演奏も行われています。

せまい道路ですがテントの下では食べ物や産直品が売られています。

私はみんなと離れて田んぼの畝で(^。^)y-.。o○することにしました・・・いい景色を楽しみながら一息つきました。

菜の花畑を過ぎると九本柿庵の看板がありました。

【九本柿庵】築150年の古民家、古賀市莚内の矢野様邸です。 四代時代を越えて改修し《九本柿庵》として開放されています。 土日は自由開放(10時~16時)されています。

この家は医者の家として建てられていて、二階が診察室として使用されていたとの事です・・・急な階段を患者が上って行く・・・?

あとはひたすら古賀駅に戻るだけです・・・今日は天気が良く暖かな気温で気持ちよく歩くことができました・・・喉が渇いたな~・・・駅で何時ものやつを楽しむか(・∀・)ウン!!

JRウォーキング:「早起きは三文の徳?軽トラ市の7周年」

2017年03月05日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日はJRのウォーキングに参加しました。

吉野ヶ里駅に降りると沢山の乗客も降りてきました・・・改札の前で受付の列に並び、コース図を受け取り・・・さあ~出発です。

麦畑の間の道を沢山の人たちと歩いていきます・・・田畑の間を歩くのは気持ちの(・∀・)イイ!!ものです。

吉野ケ里公園の側にある日吉神社に来ました・・・参道に入る鳥居の前からは吉野ケ里公園の集落が見えています。

日吉神社は御祭神は大山咋命です・・・山の神様・・・??

吉野ヶ里歴史公園で10月第4土・日曜日に執り行われる「吉野ヶ里ふるさと炎まつり」では、この社で採火した松明を持ち行列するそうです・・・以前見に来た時の・・・そうだったのか!┏(゚ェ゚) アレ?舞台でしてなかったけ??

吉野ケ里公園の入り口に向かうとき・・・川で工事しているのでコース図と違って沢山の人が反対側に歩いていきます・・・昨日今日の工事でないのにどうして変更案内してないの???幟もコース図通り立てたりして・・・企画・現場とも責任もって行動しているのかな~

麦畑・菜の花の咲く土手・・・気持ちの良い景色です・・・見ながら公園に入り口に来ると懐かしいスカイラインやデボネア・ホルクスワーゲンが展示されています。

公園の入り口に続く道には両側に屋台が並んでいます・・・吉野ヶ里の商工業者が軽トラに自慢の商品をのせて国営吉野ヶ里歴史公園東口「大型バス駐車場」を利用して毎月第1日曜日の午前中に定期的に軽トラ市を開催されています。

公園の入り口前では舞台があり子供たちがダンスをしていました。



公園の中では気球が見えます・・・時々15m位上って行きます・・・公園に入ったら乗れるのかな?・・・今度は言ったときに乗ってみよう(・∀・)ウン!!

バスの駐車場では警察のパトカーに試乗したりJAFの衝突体験ができるようです・・・子供たちが楽しんでいます(´ー`)フッ

公園を後にして次は三田川中央公園に向けた歩いていきます。

公園の側に健康福祉センター「ふれあい館」があり、公園に入っていくと野球場・サッカー場・テニスコートが整備されています。

サッカー場では2面使って子供たちが試合をしています・・・父兄たちも楽しんで観戦しています。



それにしても町内の施設としてよく整備されています・・・吉野ケ里公園ができたことで潤ったのかな~??

此処からはすぐに吉野ヶ里駅に着きます・・・帰りは何時ものように缶酎ハイで・・・


JRウォーキング:「唐津の歴史「おひな様」と新発見「グルメ」ウォーク」

2017年02月26日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日はJRウォーキングに参加することにしました。

けやき台駅から博多駅~唐津と、約2時間かけてスタートの唐津駅に着きました┐(´ー)┌ フー
受付でコース図をもらい・・・線路沿いに同じ電車で降りた人たちと歩いていきます。

右手に曲がると直ぐに神社があり・・・先には長い塀が続いています・・・ここはお寺が続いているようです・・・バス停は坊主町となっていました(´ー`)フッ

最初に着いたのは埋門ノ館です。
【埋門ノ館】旧唐津藩時代の名称を使用したもので、この館は茶道、華道、舞踊、能など市民の文化及び社会教育活動の場として利用していただくために建てられたものです。白壁の築地塀に囲まれた武家屋敷風の木造平屋建てで、クロマツやモミジなどを植栽した日本庭園を備えた、城下町「唐津」を忍ぶにふさわしいたたずまいとなっています。なお、施設内の見学のみは無料となっております。


中にはお土産などが売られています、高い建物には曳山が展示されるようになっていますが、今は別の展示場に置かれているようです。

少し歩いていると昔の堀の石垣が残っています・・・その先に埋門の館館がありました。

【埋門ノ門】旧唐津藩時代の名称を使用したもので、この館は茶道、華道、舞踊、能など市民の文化及び社会教育活動の場として利用していただくために建てられたものです。白壁の築地塀に囲まれた武家屋敷風の木造平屋建てで、クロマツやモミジなどを植栽した日本庭園を備えた、城下町「唐津」を忍ぶにふさわしいたたずまいとなっています。




中には唐津の歴史に関するものが展示されていましたが、私は焼塩壺が気になりました。

これには大阪の堺を中心に作られたもので粗塩を2次焼成して苦汁を除き良質な塩にしてそのまま容器(食卓塩)にして使われたものです・・・唐津は大阪と盛んに交流があったようです。

畳の上には豆雛や箱雛など江戸時代の物から色々と展示されています。



奥の部屋ではマジックをしていて沢山の人が見学しています。

少し歩くと唐津神社に着きました。

【唐津神社】社伝によれば、三韓征伐に際して航海の安全を住吉三神に祈願した神功皇后が、帰朝の後に報謝のため松浦の海浜に宝鏡を縣けて三神を祀ったのに起源を持ち、天平勝宝7年(755年)に、時の領主であった神田宗次が神夢により海浜に赴くと、漂着してきた宝鏡入りの筺を得たので、神功皇后の捧げた鏡であろうと帝に奏聞したところ、9月29日に「唐津大明神」の称号を賜ったという。文治2年(1186年)、宗次の後裔を称する神田広(実は源久の5男)が社殿を造立して神田を寄進し、神田宗次の霊を合祀したという。慶長年中に寺沢氏が唐津城を築いて入部すると、同7年(1602年)(または11年(1606年))に当神社を再建、以後唐津藩主の祈願所と定められ、崇敬を受けた。

唐津神社の側に曳山展示場がありました・・・ここには唐津くんちに奉納される曳山が展示されています。

【唐津くんち】唐津神社の神職を務める戸川家の口碑によると、神輿の御神幸は寛文年間(1661年-1672年)に始まったとされる。今日の神幸行列のように曳山がこの祭りに登場するのは、一番曳山(いちばんやま)の「赤獅子(あかじし)」が文政2年(1819年)に奉納されてからのことである。以後、曳山は明治9年(1876年)までに15台が製作されているが、うち1台は消失し、今日奉納されているのは14台である。






中に入ると14台の曳山が展示されていて・・・TVでよく見かける鯛や兜の曳山が展示されています。



私は「3番曳山 材木町の亀と浦島太郎」と「14番曳山 江川町の七宝丸」が気に入りました。





次に回ったのは「旧唐津銀行」です、石造りの立派な建物です。
【旧唐津銀行】唐津銀行は明治18年に設立し、翌年に開業しました。設立時の頭取には、大島小太郎が就任しています。現在残る旧唐津銀行本店は明治43年8月に着工し、明治45年3月に竣工しました。建設にあたり、大島小太郎とともに高橋是清から唐津藩英学校(耐恒寮)で教えを受けた工学博士辰野金吾の監督のもと、辰野金吾の弟子にあたる清水組の田中実が設計を担当し、装飾については京都高島屋が受け持っています。建物のデザインのスタイルは、辰野金吾がイギリス留学時代に流行したヴィクトリア様式のひとつであるクイーン・アン様式を日本化したいわゆる「辰野式」と呼ばれるもので、赤煉瓦に白い御影石を混ぜ、屋根の上に小塔やドームを載せて、王冠のごとく強調する辰野流の工夫が加味されています。

中に入ると1階は喫茶のテーブルが出ていますが、事務所になっているほうには窓口カウンターが仕切られています・・・当時のままのようです。

2階に上がると応接室や会議室?みたいになっていて、暖炉の上には大きな鏡が設置されています・・・明るさを取り込む仕組みのようです。



此処には唐津市船宮町の松下家に伝わる古今雛が展示されていました。

松下家は代々唐津藩に仕えた船頭で、船手日記などがの古文書が残る由緒正しい家柄です。この古今雛の箱書きに安政5年の墨書が残っています。おそらく大阪へ藩などの仕事で行った折に購入したものと思われるそうです。



旧唐津銀行を出て大名小路を歩いていると唐津城が見えてきました・・・白の下にある早稲田佐賀高をすぎて舞鶴橋を渡っていると・・・振り向くと唐津城が良く見えます。

松浦橋を渡り右手に唐津城を見ながら・・・風が冷たいです・・・後は駅に向けて歩くだけです。

歩いていると呼び込まれて、見るとテントの下で醬油を売っています・・・黒酢が消費期限が近いのを手渡されました・・・小さな刺身醤油をついでに買ってみました。

側には宮島醤油の工場がありました・・・案外大きな工場です(´・∀・`)ヘー

歩いていると白壁の雰囲気の良い建物がありますが・・・維持が大変なのだろう、手入れの行き届いていないものも見受けられます。



野いちご(旧ギャラリー魚屋町)に入るとお雛様が飾ってありました。

一番奥に立派なお雛様があります・・・山内家の御殿雛・雛道具です、御殿雛は、安政5年の作です。京都の紫宸殿を模して作られました。御殿の幅は180cm、高さは130cmで159年経っていますが、襖も色褪せずに保たれています・・・手前につるされている吊るし雛も綺麗です(・∀・)ウン!!


やっと唐津駅に・・・手前にはJR唐津駅のすぐ近くのモダンな建物が、ふるさと会館アルピノです。1階は松露饅頭、松浦漬、イカしゅうまいといった唐津の特産物や玄界灘の海産物などが勢揃いの唐津・東松浦物産展示場。

屋根付の中庭は、憩いの場所としてたくさんの人がくつろいでいます。2階は唐津焼総合展示場に使われています。

そして、3階は玄界灘の新鮮な海の幸を味わえる和風レストランになっていました。



JRウォーキング:「福岡最大!!「城島酒蔵びらき」満喫ウォーキング」

2017年02月12日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日も朝起きるとうっすらとあられ上の雪が積もっていました。

天気も良いのでJRウォーキングに行くことにしました。

JR荒木駅に降りると・・・沢山の人が受付に並んでいます・・・受付を済ませて街中を少し歩くと直ぐに田んぼの中を歩くことになります・・・安全で景色も良く歩きやすいです。

ひたすら歩いていくと整理されて道に出ました・・・小さな電車が展示されています・・・ポッポ汽車です。

【ポッポ汽車】三潴町内最古の神社:弓頭神社のすぐそばには「ポッポ汽車」という蒸気機関車が道沿いに展示されています。かつて大川→城島→大善寺を結んでいた大川鉄道で地域の人々の足として活躍し、"ぽっぽ汽車"の愛称で親しまれていましたが、バス運行に押されて昭和26年に休止し、昭和41年には正式に廃止となったそうな。しかし、今でもそのカワイイ姿は健在!遊歩道となっている当時の線路跡もとってもユニークです!

線路跡を歩道にしてあり、枕木と線路を表しているようです・・・ウォーキングはこの遊歩道を歩くことになっています。

最初の酒蔵が見えてきました・・・萬年亀酒造株式会社です、お客さんが試飲に並んでいます。

【萬年亀酒造株式会社】明治25年、清酒製造業創業。全国新酒鑑評会で金賞を受賞致しました事を契機に、より一層、特定名称酒(大吟醸、純米吟醸、純米、本醸造)の販売に力をそそぎたいと思っております。 日本酒の命ともいうべき仕込水は、久住水系に属する天然水を当社敷地内の井戸から吸水・使用致しており、品質の中核となっております。

中に入っていくと大吟醸を有料試飲できるようですが・・・小さなコップに少しだけ注いで500円???・・・パスすることにしました。

次の酒蔵は遊歩道を少し外れて筑後川沿いにある池亀酒造です。

【池亀酒造株式会社】久留米藩の師範代で、剣の達人と言われた初代源蔵が、明治8年に筑後川のほとりに創業しました。源蔵は、進取の精神に富んだ人物で、筑後川の水を使用した新しい醸造法を考案、養成した杜氏を派遣して筑後地方の酒造り貢献しました。弊社ではその気風を受け継ぎ、良き伝統は守りながら常に新しい酒造りに挑戦し、お客様が新鮮な驚きや感動を感じる商品作りに邁進しております。日本酒の他、本格焼酎、日本で初めてのリキュールなど個性豊かな商品がたくさんございます。お酒は嗜好品です。老若男女、自分の好みに合ったお酒を見つけて、楽しい時間をお過ごし頂けたら幸甚です。

此処ではゼリー状の梅酒を試飲させていただきました・・・ここはテントが張られ飲食物も売られていてにぎやかです。

もう一度遊歩道に戻り歩いていくと今日のゴールになっている「花の露」の前で受付のハンコをもらい中に入ってみました。

【株式会社 花の露】城島は、筑後川の豊かな水、美しい大粒の筑後米、芳香を放つ日田杉、愛情こまやかな三潴杜氏の技量、水運の便利さなどの利点に恵まれ古くから酒造りがさかんでした。当社は延享二年(1745年)の創業の酒蔵で、代表銘柄の「花の露」は中国の古詩で美酒を讃えるのに使用される「花露」の雅語に由来します。今後とも今までの伝統を踏まえて味、香り、コクと三拍子揃った味わいを求め、さらに良いものを皆様にお届けできますよう努めて参ります。

中は賑やかで沢山の人が酒を飲み料理を口に運んでいて・・・酔っぱらって大きな声で話をしています(´ー`)フッ

ウォーキングの後は城島酒蔵びらき祭り会場に行くことにしました。

途中の道のマンホールには鬼瓦と酒が・・・鬼瓦も有名なようです( -Д-)フムフム・・・(*゚Д゚) アレ?石油発動機を展示動かしています(´・∀・`)ヘー

「城島の酒」は、かつて「東の灘」に対し「西の城島」と称され、起源は江戸時代中期にさかのぼります。この「城島の酒」の9つの酒蔵が協賛し実施される九州最大の早春酒蔵びらきが「城島酒蔵びらき」です。
メイン会場は城島町の「町民の森」で、毎年行列のできる「城島の酒 飲みくらべ」や、「角打ち」、「ほっこり、お燗コーナー」など、城島・三潴・大善寺にある9蔵の日本酒を楽しむことができます。 地元の野菜と隠し味に城島のお酒をふんだんに使って作った「元気鍋」もオススメ。今年は三潴の特産品「ハトムギ」入りです。また、ステージでは、「筑後酒造り唄」の披露や「城島龍神太鼓」の演奏など、様々なイベントが行われます。 美味しいお酒には「おつまみ」がかかせませんが、メイン会場にはたくさんの露店が並びます。また「城島マルシェ」では、新鮮野菜や特産物・加工品が販売されます。 同時に、この2日間は8軒の酒蔵が開放されます。各蔵でもそれぞれ、趣向を凝らしたイベントや、美味しいおつまみ、スイーツなどの販売などが行われます。


祭り会場の公園に来ると大きな鬼瓦が迎えてくれました。

会場の中には沢山の人とテントで屋台が出ています・・・舞台では子供がダンスを踊っていました。

私は会場で600円で試飲ができるチケット(12枚)・お猪口を買い試飲を楽しむことにしました。

チケット1枚で普通酒~本醸造酒、2枚で純米酒、3枚で吟醸酒~大吟醸酒が楽しめるようです・・・最初は純米酒のコーナに行くと猪口に溢れるくらい注いでくれました・・・この調子で注いでもらうと(´ェ`)ン-・・日本酒弱いからな~

色々とお酒を楽しみほろ酔いになったので帰ることにしました・・・無料シャトルバスで荒木駅に帰り・・・やっぱり電車の中で寝込んでしまい南福岡まで寝過ごしてしまいました┐(´ー)┌ フッ