今日は曇り空でうすら寒い日ですが・・・JRのウォキングに参加することにしました。
鹿児島線で大牟田駅に着くと駅前で受付を済ませました・・・今日は582番目です・・・天気が良くないからな~参加者が少し少なめです。
駅から15分ほど歩くと「三池かるた歴史資料館」に着きました・・・此処は依然来たことがあるので中を一通り見て回り直ぐに出てきました。
【三池かるた歴史資料館】日本カルタの発祥の地を記念して建設された日本で唯一の公立カルタ専門の資料館。16世紀末頃にポルトガル人の影響を受けて、三池ではじめてカルタがつくられたといわれる。所蔵数は1万点以上で、江戸時代の「小倉百人一首」をはじめ、明治・大正期の「いろはカルタ」、ポルトガルのカルタを真似てつくられた「天正カルタ」など、貴重で珍しいカルタが展示されている。平成18年には大牟田市歴史資料館と合併し、郷土の歴史を物語る出土品や古文書などの貴重な文化財も展示されている。
資料館から出て少し歩くと坂道になっていて左手には野球グランドがあり試合をしています(´ー`)フッ
グランドを過ぎると陸上トラックがあり学生が練習をしています・・・練習風景を見ながら歩いていると小高い丘の木々の中を歩くことになりました・・・小鳥の鳴き声が癒してくれます。
「延命公園」の中を歩いているのですが・・・まだ桜も咲いていないので、そのまま公園の一部の「大牟田市動物園」に入っていくことにしました。
【延命公園・動物園】「延命」の名前は、延命公園のある片平山一帯が古くから延命寺という寺を中心とした仏道修行の場所だったことに由来しています。 箱型の石棺を安置した宅ヶ峰古墳も公園内の山頂にあり、古墳時代の昔から地域住民に大切にされてきた森といえます。 この豊かな自然林に覆われた片平山一帯を利用して昭和15年(1940年)に延命公園が開設され、動物園は翌昭和16年(1941年)10月に「延命動物園」という名前で開園しています。市民に72年間も愛され続けている動物園です。 平成18年(2006年)4月より 大牟田市の直営から指定管理者による運営管理となり、より一層、市民の皆さまに親しまれる動物園をめざしています。
動物園は本当に久しぶりです・・・リスザル・・・可愛いな~飼ってみたいです・・・アザラシは2頭で浅いプールで・・・ちょっとかわいそう・・・
鳥類は鳥インフルエンザの影響で見ることができません・・・暑いところにいる動物には暖房が設置されていますが動物たちはあまり動かなく見ることができないものもあります┐(´ー)┌ フッ
へ~!ここにはホワイトタイガーがいたんだ~少し離れた場所に行くとカンガルーやレッサーパンダ・・・キリンが2頭仲良くしています(´ー`)フッ
園内を一通り見て回りましたが動物は本当にかわいいですヽ( ´ー`)ノ フッ・・・ここに動物園ができたのも炭鉱のおかげです・・・今、大牟田市で動物園を維持していくのは大変だろうな~・・・何時までも続けてほしいものです。
動物園を出て、鹿児島線の反対側・・・海に向けて歩いていきます。
コースの半分を過ぎたところに「三池炭鉱三川坑跡」がありました。
【三池炭鉱三川坑跡】昭和8年(1933)当時の三池炭鉱は、宮浦、万田、四山の3坑体制だったが、老朽化により新坑開発が必要となっていた。そこで、西方の有明海の海底下に向かって、傾斜角度11度、長さ2000mの斜坑2本の開削が計画された。 昭和12年(1937)に斜坑の掘削を開始し、昭和14年(1939)に第一斜坑、昭和15年(1940)に第二斜坑が完成し、同年10月出炭を開始した。日産2万トン・年産600万トンを誇ったが、戦後の石炭需要の落ち込みから出炭量が減少、 昭和38年(1963)の炭塵爆破事故により、死者458名、重傷者675名、CO中毒患者839名を出す大惨事が発生した。その後も出炭は続けられたが、平成9年(1997)、三池炭鉱閉山とともに三川坑も閉山した。
中に入ると・・・(´ェ`)ン-・・今まで放置されていたのか雑然としています。
事務所棟の先に炭鉱電車が並べられています・・・この炭鉱では電車が使用されていたようです・・・アメリカ・ドイツ・三菱造船・東芝製の電車です。
その先には第二斜坑の坑口がありますがコンクリで閉じられています・・・トロッコが朽ち果てていて哀れです。
出口にはレールが何本も地面を張っていて当時をしのばせます・・・巻揚げ機の建物は一部屋根が落ちていて・・・ちゃんと保存されていれば立派な遺産として見ごたえがあるものになるのですが・・・(´ェ`)ン-・・
日本庭園を今整理しているようです・・・外に出ると隣に「 三井港倶楽部」の建物があります。
【 三井港倶楽部】明治40年8月10日、清水組(現清水建設(株))三代目社長清水満之助により設計起工され、明治41年2月16日上棟、明治41年8月15日、三池港の開港と同時に開館しました。 以来、三井関係の社交倶楽部であるとともに、外国高級船員の宿泊や接待の場所、あるいは皇族方を始め、政財界人の迎賓館として広く利用されてきました。また、当倶楽部は昭和44年1月、明治を代表する優美な洋風建築物として日本建築学会より文化財の対象建築の推薦を受けております。 現在は格調高い古典的な雰囲気のなか、総合結婚式場、レストランとして営業いたしております。
建物の中にはレストランと結婚式場になっているようです・・・私は庭のほうに出て・・・立派な建物です、当時の石炭産業の隆盛を感じることができます。
建物のテラスで私は(^。^)y-.。o○して、少し休むことにしました。
次は最後の見学場所の「大牟田市石炭産業科学館」です・・・そろそろ足もつかれてきています(´ー`)フッ
イオンモールの側に「大牟田市石炭産業科学館」がありました・・・中に入ると入り口に大きな石炭の塊が展示されています。
【石炭産業科学館】一時は、全国の石炭の4分の1を掘り出していた日本最大の炭鉱:三池炭鉱。その輝かしい歴史を後世に伝えるために開館したのが「大牟田市 石炭産業科学館」です。館内は、日本の近代化をエネルギー面から支えた三池炭鉱の豊富な資料をはじめ、私たちの生活に欠かせないエネルギー資源についても楽しく学べる展示が盛りだくさん!特に地下400メートルの坑内を再現したというダイナミックトンネルなる仮想炭鉱現場も見逃せません!
展示物の中にはかつて見た万田坑などの竪坑での採炭方法と三川坑の斜坑での採炭方法が分かりやすく展示してあります(¬ε¬) フーン
ダイナミックトンネルは1秒間に10mの速さで降下するエレベーターに乗って有明海の地下400mの坑内へ(´ー`)フッ・・・
扉が開くと、そこには採炭作業現場が、石炭を運搬する電気機関車、石炭を掘り出す採炭用カッターや三池炭鉱を支えた巨大な機械が展示されていました。
さあ~後は駅に向けて歩くだけです・・・今回のコースも一度も行ったことのないものだったので楽しむことができました。
鹿児島線で大牟田駅に着くと駅前で受付を済ませました・・・今日は582番目です・・・天気が良くないからな~参加者が少し少なめです。
駅から15分ほど歩くと「三池かるた歴史資料館」に着きました・・・此処は依然来たことがあるので中を一通り見て回り直ぐに出てきました。
【三池かるた歴史資料館】日本カルタの発祥の地を記念して建設された日本で唯一の公立カルタ専門の資料館。16世紀末頃にポルトガル人の影響を受けて、三池ではじめてカルタがつくられたといわれる。所蔵数は1万点以上で、江戸時代の「小倉百人一首」をはじめ、明治・大正期の「いろはカルタ」、ポルトガルのカルタを真似てつくられた「天正カルタ」など、貴重で珍しいカルタが展示されている。平成18年には大牟田市歴史資料館と合併し、郷土の歴史を物語る出土品や古文書などの貴重な文化財も展示されている。
資料館から出て少し歩くと坂道になっていて左手には野球グランドがあり試合をしています(´ー`)フッ
グランドを過ぎると陸上トラックがあり学生が練習をしています・・・練習風景を見ながら歩いていると小高い丘の木々の中を歩くことになりました・・・小鳥の鳴き声が癒してくれます。
「延命公園」の中を歩いているのですが・・・まだ桜も咲いていないので、そのまま公園の一部の「大牟田市動物園」に入っていくことにしました。
【延命公園・動物園】「延命」の名前は、延命公園のある片平山一帯が古くから延命寺という寺を中心とした仏道修行の場所だったことに由来しています。 箱型の石棺を安置した宅ヶ峰古墳も公園内の山頂にあり、古墳時代の昔から地域住民に大切にされてきた森といえます。 この豊かな自然林に覆われた片平山一帯を利用して昭和15年(1940年)に延命公園が開設され、動物園は翌昭和16年(1941年)10月に「延命動物園」という名前で開園しています。市民に72年間も愛され続けている動物園です。 平成18年(2006年)4月より 大牟田市の直営から指定管理者による運営管理となり、より一層、市民の皆さまに親しまれる動物園をめざしています。
動物園は本当に久しぶりです・・・リスザル・・・可愛いな~飼ってみたいです・・・アザラシは2頭で浅いプールで・・・ちょっとかわいそう・・・
鳥類は鳥インフルエンザの影響で見ることができません・・・暑いところにいる動物には暖房が設置されていますが動物たちはあまり動かなく見ることができないものもあります┐(´ー)┌ フッ
へ~!ここにはホワイトタイガーがいたんだ~少し離れた場所に行くとカンガルーやレッサーパンダ・・・キリンが2頭仲良くしています(´ー`)フッ
園内を一通り見て回りましたが動物は本当にかわいいですヽ( ´ー`)ノ フッ・・・ここに動物園ができたのも炭鉱のおかげです・・・今、大牟田市で動物園を維持していくのは大変だろうな~・・・何時までも続けてほしいものです。
動物園を出て、鹿児島線の反対側・・・海に向けて歩いていきます。
コースの半分を過ぎたところに「三池炭鉱三川坑跡」がありました。
【三池炭鉱三川坑跡】昭和8年(1933)当時の三池炭鉱は、宮浦、万田、四山の3坑体制だったが、老朽化により新坑開発が必要となっていた。そこで、西方の有明海の海底下に向かって、傾斜角度11度、長さ2000mの斜坑2本の開削が計画された。 昭和12年(1937)に斜坑の掘削を開始し、昭和14年(1939)に第一斜坑、昭和15年(1940)に第二斜坑が完成し、同年10月出炭を開始した。日産2万トン・年産600万トンを誇ったが、戦後の石炭需要の落ち込みから出炭量が減少、 昭和38年(1963)の炭塵爆破事故により、死者458名、重傷者675名、CO中毒患者839名を出す大惨事が発生した。その後も出炭は続けられたが、平成9年(1997)、三池炭鉱閉山とともに三川坑も閉山した。
中に入ると・・・(´ェ`)ン-・・今まで放置されていたのか雑然としています。
事務所棟の先に炭鉱電車が並べられています・・・この炭鉱では電車が使用されていたようです・・・アメリカ・ドイツ・三菱造船・東芝製の電車です。
その先には第二斜坑の坑口がありますがコンクリで閉じられています・・・トロッコが朽ち果てていて哀れです。
出口にはレールが何本も地面を張っていて当時をしのばせます・・・巻揚げ機の建物は一部屋根が落ちていて・・・ちゃんと保存されていれば立派な遺産として見ごたえがあるものになるのですが・・・(´ェ`)ン-・・
日本庭園を今整理しているようです・・・外に出ると隣に「 三井港倶楽部」の建物があります。
【 三井港倶楽部】明治40年8月10日、清水組(現清水建設(株))三代目社長清水満之助により設計起工され、明治41年2月16日上棟、明治41年8月15日、三池港の開港と同時に開館しました。 以来、三井関係の社交倶楽部であるとともに、外国高級船員の宿泊や接待の場所、あるいは皇族方を始め、政財界人の迎賓館として広く利用されてきました。また、当倶楽部は昭和44年1月、明治を代表する優美な洋風建築物として日本建築学会より文化財の対象建築の推薦を受けております。 現在は格調高い古典的な雰囲気のなか、総合結婚式場、レストランとして営業いたしております。
建物の中にはレストランと結婚式場になっているようです・・・私は庭のほうに出て・・・立派な建物です、当時の石炭産業の隆盛を感じることができます。
建物のテラスで私は(^。^)y-.。o○して、少し休むことにしました。
次は最後の見学場所の「大牟田市石炭産業科学館」です・・・そろそろ足もつかれてきています(´ー`)フッ
イオンモールの側に「大牟田市石炭産業科学館」がありました・・・中に入ると入り口に大きな石炭の塊が展示されています。
【石炭産業科学館】一時は、全国の石炭の4分の1を掘り出していた日本最大の炭鉱:三池炭鉱。その輝かしい歴史を後世に伝えるために開館したのが「大牟田市 石炭産業科学館」です。館内は、日本の近代化をエネルギー面から支えた三池炭鉱の豊富な資料をはじめ、私たちの生活に欠かせないエネルギー資源についても楽しく学べる展示が盛りだくさん!特に地下400メートルの坑内を再現したというダイナミックトンネルなる仮想炭鉱現場も見逃せません!
展示物の中にはかつて見た万田坑などの竪坑での採炭方法と三川坑の斜坑での採炭方法が分かりやすく展示してあります(¬ε¬) フーン
ダイナミックトンネルは1秒間に10mの速さで降下するエレベーターに乗って有明海の地下400mの坑内へ(´ー`)フッ・・・
扉が開くと、そこには採炭作業現場が、石炭を運搬する電気機関車、石炭を掘り出す採炭用カッターや三池炭鉱を支えた巨大な機械が展示されていました。
さあ~後は駅に向けて歩くだけです・・・今回のコースも一度も行ったことのないものだったので楽しむことができました。
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