今日は退院してから初めてのウォーキングです・・・体調・気力の確認のため、平坦で比較的短距離のコースに参加しました。
電車で博多駅の改札を抜けて博多口前で受付を済ませて・・・バスセンター方面に歩き始めました・・・天気が良いので参加者も多い様です。
バスセンターの側の承天寺通り歩いて行くと直ぐに大きな門が見えます・・・H26年に作成された『博多千年門』です。
【博多千年門】博多を訪れた観光客を歴史的文化財が多く残る寺社町エリアへと導くウエルカムゲートです。平成26年3月に完成しました。博多のこれまでの千年の重みとこれからの千年の繁栄を願ったものとなっています。歴史的文献によれば、博多から大宰府政庁へ延びる官道には、江戸時代に「辻堂口門」と呼ばれる博多の入り口となる門が存在していました。博多千年門は、かつての「辻堂口門」にならった木造の四脚門様式で、切妻本瓦葺、中世博多の寺社様式が採用されています。また、門扉の板材には太宰府天満宮より寄贈された樹齢千年の「千年樟」を用い、欄間の彫刻には博多織の献上柄模様が刻まれています。
此処からはお寺の通りになるように雰囲気が一変します・・・通りもきれいに舗装されています。
通りを歩くと直ぐに右手に承天寺があります。
【承天寺】臨済宗東福寺派で、山号は萬松山。 開山は聖一国師 円爾弁円によるもの。大宰少弐武藤資頼が円爾弁円を招聘し、宋出身の貿易商・謝国明の援助により仁治3年(1242)に創建されました。 寺蔵の釈迦三尊像(鎌倉期)、 禅家六祖像(鎌倉期)、銅鐘(高麗時代)は国の重要文化財に指定されています。本堂の方丈の前には立派な石庭「洗濤庭」が広がります。承天寺は、博多の夏祭りとして全国的に有名な『博多祗園山笠』の発祥の地であります。 博多祇園山笠は、仁治2年(1241)博多に疫病が流行した時に聖一国師が施餓鬼棚に乗り、町民らに棒で担がせて水をまきながら町中を祈祷して廻って病魔を退散させた事に由来すると言われています。現在の山笠でも、承天寺は「清道」と呼ばれる大事な場所に指定されており、山笠が「勢い水」と呼ばれる大量の水を浴びながら博多を走り抜け、承天寺前の細い道をぐるりと巡って男衆が住職に一礼する・・・という形で、その歴史は受け継がれています。他にも、うどん・そば・羊羹・饅頭などの製法が最初に伝えられた場所とも云われています。墓地には「オッペケペー節」で一世を風靡した新派俳優・芸人の川上音二郎、博多織を始めた満田弥三右衛門らの墓があり、庶民の博多の歴史を伝える大事な寺院でもあります。
門を入ると直ぐに3つの石碑が並んでいます。
左から「饂飩(うどん)・蕎麦発祥之地の碑」で、右が「御饅頭所の碑」。さらに右側に「満田弥三右衛門の碑」が建立されています。
脇から覗くと本堂である「方丈」の前には庭園の「洗濤庭」が見えます・・・玄界灘を表現した白砂と中国大陸を表現した緑がある枯山水の庭園です。
承天寺横にある「天与庵」に入ってみると・・・枯山水が小規模ながら綺麗に整備されていました・・・ちょっと休憩です(´ー`)フッ。
大博通りに出てすぐに東長寺があります・・・外国人の見学者がトランクを引きながら見学に来ています。
【東長寺】真言宗九州教団の本山で、山号は南岳山。本尊は弘法大師(空海)。 寺伝では大同元年(806)、唐から帰国した弘法大師が、密教東漸を祈ったと伝えられている。 弘法大師創建の寺としては日本最古で、当初は海辺の地にあったが、福岡藩二代藩主・黒田忠之によって現在地へと移った。 墓地には二代・忠之、三代・光之、八代・治高の墓がある黒田家の菩提寺となり、300石の寺領と山林15万坪の寄進がなされた。現在は市指定の史跡にもなっている。 寺蔵の千手観音菩薩は平安時代の作で、槙材一木に彫られている。 高さ87cmの小像であるにもかかわらず、重量感に満ちた仏像で、明治時代に国宝の指定を受けている。
◆六角堂◆輪蔵と覆屋からなる六角堂は形態的・機能的に優れた仏殿で、市指定の建造物。
天保13年(1842)に博多在住の豊後屋栄蔵(万歳楼袖彦)が、名古屋以西の商人より財を募って名古屋の堂宮大工・伊藤平左衛門を招いて建立・寄進した。 中の六角形の厨子扉には、当時の文人・墨客の書画を蔵している。開帳は毎月28日。
◆福岡大仏◆昭和63年(1988)より彫刻が始まり、4年の歳月を経て完成。高さ10.8m、重さ30t。 木造(檜)坐像では、日本一の大きさの大仏である。16.1mの高さをもつ光背は7仏や13仏も彫られ、後壁面には5000もの小仏が祀られている。その横には宝物展示室もある。
六角堂の桜も5重の塔の枝垂れ桜も8分咲き位で綺麗です・・・
大博通りを渡り、櫛田表参道の鳥居をくぐり、櫛田神社に向けて歩いて行くと博多町屋ふるさと館があります。
【「博多町家」ふるさと館】明治中期の博多織織元の町家(住居兼工房)を移築復元し、福岡市の指定文化財に登録されている「町家棟」のほか、「みやげ処」「展示棟」の3棟で構成されています。 明治・大正の時代を中心に博多の暮らしや文化を広く紹介しており、博多の歴史、祭り、伝統などを感じて楽しんでいただける施設です。「櫛田神社」すぐ近くにあり、博多の祭とともにさまざまなイベントで賑わい、多くの観光客が訪れる博多の観光スポットです。博多伝統工芸(博多人形,博多張子,博多独楽,博多曲物)の絵付け体験が気軽にできるようになりました。
◆展示棟◆ 博多の歴史や文化に関する展示や山笠の映像、博多の伝統工芸士による実演を見学することができます。博多人形(月曜)/博多張子(火曜)/博多独楽(水曜)
博多曲物(木曜)/博多人形(金・土・日)
◆町家棟◆ 博多織の実演・体験(毎日11~13時、15~17時)や博多仁和加定期公演(毎月第1土曜 ・第3日曜/観覧無料)も行われています。
◆みやげ処◆ 博多の工芸品や名産品をはじめ、銘菓やお菓子、お祭りグッズなど、博多らしいものが揃っています。
ふるさと館の中を少しだけ覗きましたが・・・すぐに出て櫛田神社に入っていくことにしました。
【櫛田神社】博多の総鎮守として、「お櫛田さん」の愛称で広く市民から親しまれている神社。 祭神は大幡主命(櫛田宮)・天照皇大神(大神宮)・素盞嗚尊(祇園宮)。天平宝字元年(757)、孝謙天皇の御代。この櫛田神社は伊勢松坂の櫛田神社を勧進したものだと考えられ、天正15年(1587年)の豊臣秀吉が博多復興にあたり、現在の社殿の建立寄進がなされた。 当社に奉納される博多祇園山笠は、博多の夏の風物詩として全国的にも有名。 境内には「櫛田の銀杏」が葉を繁らせ、その根元には2点の蒙古碇石がある。
境内に入ると桜もきれいに咲いています・・・本堂では結婚式が行われています( ´_ゝ`)フーン
本殿脇の枝垂れ桜も満開を迎えるようで、そばに女性が立ちカメラで盛んに写真を撮っています(´ー`)フッ
櫛田神社を出て明治通りの交差点では・・・ビルの入り口に大きな猫の作り物が??なんだ┏(゚ェ゚) アレ?
明治通りを下っていくと博多座の前を通ります、左手には中州川端商店街が・・・
那珂川を渡り中州を過ぎると・・・ビルに挟まれた小さな水鏡天神がありました。
【水鏡天神】姿見(すがたみ)天神と呼ばれるこちらの神社は、菅原道真を祀る神社です。社伝によると、延喜元年(901年)藤原時平の讒言により大宰府に左遷された菅原道真が、四十川の清流を水鏡にして自らの姿を映した場所に社殿を建てたことからこの名が付いたそうです。川面に映る憔悴し、変わり果てた自分の姿に嘆く菅原道真。「水鏡」という響きは美しいですが、こんな悲しいエピソードがあるんですね。もともとは現在の福岡市中央区今泉に社殿があったそうですが、慶長17年(1612年)に福岡藩初代藩主黒田長政が福岡城の築城にあたり、城の鬼門に当たるこの地へ移し、二代藩主忠之が社殿を再建したと伝えられています。
水鏡天神を過ぎると直ぐに懐かしの天神に出てきました。
通りは相変わらずの車が行きかっていますが中央分離帯には春を告げる花が先も凝っています。
天神を過ぎ大名・赤坂を過ぎると平和台に・・・舞鶴公園のお堀の側の桜も2~8分咲きです。
【舞鶴公園】福岡市の中心である天神から西へ徒歩約15分で行ける、都心部の大きな公園です。 隣接する大濠公園、護国神社、西公園を加え広大な緑地と豊富な歴史的遺跡を併せ持った公園です。園内は福岡城址・鴻臚館跡・鴻臚館跡展示館等の歴史的な遺跡や桜・蓮池・シャクヤク、ボタンの花園・藤棚・花菖蒲園等春から夏頃に様々な花々で彩られ、多くの野鳥も見かけられます。桜の頃には、近くの西公園と並んで花見客で大いに賑わいます。 舞鶴公園内には、平和台陸上競技場・球技場・野球場・テニス場等スポーツ施設も充実。舞鶴公園西部の芝生広場は都心で働く人の休憩や気分転換に、近隣住民の散歩等多くの福岡市民に親しまれています。
公園の中に入ると広場ではテントが張られていて、雑貨や飲食物が売られています。
┏(゚ェ゚) アレ?馬の上には甲冑をつけた人が・・・乗馬の体験ができるようです。
桜の花の間からはビルが見え、グランドの先には桜越しに櫓が見えています・・・城址後の石垣と桜・・・好きですこんな風景・・・
どんどん城址後を登っていくと天守跡に登りました、福岡に何年も住んでいたのですが舞鶴公園は初めてです。
天守跡からはドーム球場や足元には大濠公園が見えます。
暫く桜を見下ろして気分のイイネ♪d('∀'o)時間を過ごすことができました。
【大濠公園】黒田長政が福岡城築城の際、当時博多湾の入江の一部だったこの地域(草ヶ江と呼ばれていた)を埋め、福岡城の外濠(大堀)として城の護りとしたのがその名の由来。 その後、福岡県が造園を着工し、昭和4年に開園したのが現在の大濠公園です。日本でも有数の水景公園で、夏には花火大会の会場としても知られています。県民の憩いの場として広く親しまれている公園です。
大濠公園は30年ぶりかも・・・花火を見たのが最後かな~??
公園の中にも桜が綺麗に咲いてもうすぐ満開を迎えるようです。
公園の中には芝生の間に菜の花が植えられていて、そばではシートを敷き花見を楽しんでいます。
公園の池にはスワンボートでカップルが楽しんでいます・・・何時まで経ってもこの風景は変わりません(´ー`)フッ
ボートにはカモメが群れで羽を休ませています・・・今日は海は荒れていないはずなのに???
入院後の初めてのウォーキング・・・体力も気力も7割がたに削られていました・・・早く体力をつけて広島に帰ってこないと・・・
電車で博多駅の改札を抜けて博多口前で受付を済ませて・・・バスセンター方面に歩き始めました・・・天気が良いので参加者も多い様です。
バスセンターの側の承天寺通り歩いて行くと直ぐに大きな門が見えます・・・H26年に作成された『博多千年門』です。
【博多千年門】博多を訪れた観光客を歴史的文化財が多く残る寺社町エリアへと導くウエルカムゲートです。平成26年3月に完成しました。博多のこれまでの千年の重みとこれからの千年の繁栄を願ったものとなっています。歴史的文献によれば、博多から大宰府政庁へ延びる官道には、江戸時代に「辻堂口門」と呼ばれる博多の入り口となる門が存在していました。博多千年門は、かつての「辻堂口門」にならった木造の四脚門様式で、切妻本瓦葺、中世博多の寺社様式が採用されています。また、門扉の板材には太宰府天満宮より寄贈された樹齢千年の「千年樟」を用い、欄間の彫刻には博多織の献上柄模様が刻まれています。
此処からはお寺の通りになるように雰囲気が一変します・・・通りもきれいに舗装されています。
通りを歩くと直ぐに右手に承天寺があります。
【承天寺】臨済宗東福寺派で、山号は萬松山。 開山は聖一国師 円爾弁円によるもの。大宰少弐武藤資頼が円爾弁円を招聘し、宋出身の貿易商・謝国明の援助により仁治3年(1242)に創建されました。 寺蔵の釈迦三尊像(鎌倉期)、 禅家六祖像(鎌倉期)、銅鐘(高麗時代)は国の重要文化財に指定されています。本堂の方丈の前には立派な石庭「洗濤庭」が広がります。承天寺は、博多の夏祭りとして全国的に有名な『博多祗園山笠』の発祥の地であります。 博多祇園山笠は、仁治2年(1241)博多に疫病が流行した時に聖一国師が施餓鬼棚に乗り、町民らに棒で担がせて水をまきながら町中を祈祷して廻って病魔を退散させた事に由来すると言われています。現在の山笠でも、承天寺は「清道」と呼ばれる大事な場所に指定されており、山笠が「勢い水」と呼ばれる大量の水を浴びながら博多を走り抜け、承天寺前の細い道をぐるりと巡って男衆が住職に一礼する・・・という形で、その歴史は受け継がれています。他にも、うどん・そば・羊羹・饅頭などの製法が最初に伝えられた場所とも云われています。墓地には「オッペケペー節」で一世を風靡した新派俳優・芸人の川上音二郎、博多織を始めた満田弥三右衛門らの墓があり、庶民の博多の歴史を伝える大事な寺院でもあります。
門を入ると直ぐに3つの石碑が並んでいます。
左から「饂飩(うどん)・蕎麦発祥之地の碑」で、右が「御饅頭所の碑」。さらに右側に「満田弥三右衛門の碑」が建立されています。
脇から覗くと本堂である「方丈」の前には庭園の「洗濤庭」が見えます・・・玄界灘を表現した白砂と中国大陸を表現した緑がある枯山水の庭園です。
承天寺横にある「天与庵」に入ってみると・・・枯山水が小規模ながら綺麗に整備されていました・・・ちょっと休憩です(´ー`)フッ。
大博通りに出てすぐに東長寺があります・・・外国人の見学者がトランクを引きながら見学に来ています。
【東長寺】真言宗九州教団の本山で、山号は南岳山。本尊は弘法大師(空海)。 寺伝では大同元年(806)、唐から帰国した弘法大師が、密教東漸を祈ったと伝えられている。 弘法大師創建の寺としては日本最古で、当初は海辺の地にあったが、福岡藩二代藩主・黒田忠之によって現在地へと移った。 墓地には二代・忠之、三代・光之、八代・治高の墓がある黒田家の菩提寺となり、300石の寺領と山林15万坪の寄進がなされた。現在は市指定の史跡にもなっている。 寺蔵の千手観音菩薩は平安時代の作で、槙材一木に彫られている。 高さ87cmの小像であるにもかかわらず、重量感に満ちた仏像で、明治時代に国宝の指定を受けている。
◆六角堂◆輪蔵と覆屋からなる六角堂は形態的・機能的に優れた仏殿で、市指定の建造物。
天保13年(1842)に博多在住の豊後屋栄蔵(万歳楼袖彦)が、名古屋以西の商人より財を募って名古屋の堂宮大工・伊藤平左衛門を招いて建立・寄進した。 中の六角形の厨子扉には、当時の文人・墨客の書画を蔵している。開帳は毎月28日。
◆福岡大仏◆昭和63年(1988)より彫刻が始まり、4年の歳月を経て完成。高さ10.8m、重さ30t。 木造(檜)坐像では、日本一の大きさの大仏である。16.1mの高さをもつ光背は7仏や13仏も彫られ、後壁面には5000もの小仏が祀られている。その横には宝物展示室もある。
六角堂の桜も5重の塔の枝垂れ桜も8分咲き位で綺麗です・・・
大博通りを渡り、櫛田表参道の鳥居をくぐり、櫛田神社に向けて歩いて行くと博多町屋ふるさと館があります。
【「博多町家」ふるさと館】明治中期の博多織織元の町家(住居兼工房)を移築復元し、福岡市の指定文化財に登録されている「町家棟」のほか、「みやげ処」「展示棟」の3棟で構成されています。 明治・大正の時代を中心に博多の暮らしや文化を広く紹介しており、博多の歴史、祭り、伝統などを感じて楽しんでいただける施設です。「櫛田神社」すぐ近くにあり、博多の祭とともにさまざまなイベントで賑わい、多くの観光客が訪れる博多の観光スポットです。博多伝統工芸(博多人形,博多張子,博多独楽,博多曲物)の絵付け体験が気軽にできるようになりました。
◆展示棟◆ 博多の歴史や文化に関する展示や山笠の映像、博多の伝統工芸士による実演を見学することができます。博多人形(月曜)/博多張子(火曜)/博多独楽(水曜)
博多曲物(木曜)/博多人形(金・土・日)
◆町家棟◆ 博多織の実演・体験(毎日11~13時、15~17時)や博多仁和加定期公演(毎月第1土曜 ・第3日曜/観覧無料)も行われています。
◆みやげ処◆ 博多の工芸品や名産品をはじめ、銘菓やお菓子、お祭りグッズなど、博多らしいものが揃っています。
ふるさと館の中を少しだけ覗きましたが・・・すぐに出て櫛田神社に入っていくことにしました。
【櫛田神社】博多の総鎮守として、「お櫛田さん」の愛称で広く市民から親しまれている神社。 祭神は大幡主命(櫛田宮)・天照皇大神(大神宮)・素盞嗚尊(祇園宮)。天平宝字元年(757)、孝謙天皇の御代。この櫛田神社は伊勢松坂の櫛田神社を勧進したものだと考えられ、天正15年(1587年)の豊臣秀吉が博多復興にあたり、現在の社殿の建立寄進がなされた。 当社に奉納される博多祇園山笠は、博多の夏の風物詩として全国的にも有名。 境内には「櫛田の銀杏」が葉を繁らせ、その根元には2点の蒙古碇石がある。
境内に入ると桜もきれいに咲いています・・・本堂では結婚式が行われています( ´_ゝ`)フーン
本殿脇の枝垂れ桜も満開を迎えるようで、そばに女性が立ちカメラで盛んに写真を撮っています(´ー`)フッ
櫛田神社を出て明治通りの交差点では・・・ビルの入り口に大きな猫の作り物が??なんだ┏(゚ェ゚) アレ?
明治通りを下っていくと博多座の前を通ります、左手には中州川端商店街が・・・
那珂川を渡り中州を過ぎると・・・ビルに挟まれた小さな水鏡天神がありました。
【水鏡天神】姿見(すがたみ)天神と呼ばれるこちらの神社は、菅原道真を祀る神社です。社伝によると、延喜元年(901年)藤原時平の讒言により大宰府に左遷された菅原道真が、四十川の清流を水鏡にして自らの姿を映した場所に社殿を建てたことからこの名が付いたそうです。川面に映る憔悴し、変わり果てた自分の姿に嘆く菅原道真。「水鏡」という響きは美しいですが、こんな悲しいエピソードがあるんですね。もともとは現在の福岡市中央区今泉に社殿があったそうですが、慶長17年(1612年)に福岡藩初代藩主黒田長政が福岡城の築城にあたり、城の鬼門に当たるこの地へ移し、二代藩主忠之が社殿を再建したと伝えられています。
水鏡天神を過ぎると直ぐに懐かしの天神に出てきました。
通りは相変わらずの車が行きかっていますが中央分離帯には春を告げる花が先も凝っています。
天神を過ぎ大名・赤坂を過ぎると平和台に・・・舞鶴公園のお堀の側の桜も2~8分咲きです。
【舞鶴公園】福岡市の中心である天神から西へ徒歩約15分で行ける、都心部の大きな公園です。 隣接する大濠公園、護国神社、西公園を加え広大な緑地と豊富な歴史的遺跡を併せ持った公園です。園内は福岡城址・鴻臚館跡・鴻臚館跡展示館等の歴史的な遺跡や桜・蓮池・シャクヤク、ボタンの花園・藤棚・花菖蒲園等春から夏頃に様々な花々で彩られ、多くの野鳥も見かけられます。桜の頃には、近くの西公園と並んで花見客で大いに賑わいます。 舞鶴公園内には、平和台陸上競技場・球技場・野球場・テニス場等スポーツ施設も充実。舞鶴公園西部の芝生広場は都心で働く人の休憩や気分転換に、近隣住民の散歩等多くの福岡市民に親しまれています。
公園の中に入ると広場ではテントが張られていて、雑貨や飲食物が売られています。
┏(゚ェ゚) アレ?馬の上には甲冑をつけた人が・・・乗馬の体験ができるようです。
桜の花の間からはビルが見え、グランドの先には桜越しに櫓が見えています・・・城址後の石垣と桜・・・好きですこんな風景・・・
どんどん城址後を登っていくと天守跡に登りました、福岡に何年も住んでいたのですが舞鶴公園は初めてです。
天守跡からはドーム球場や足元には大濠公園が見えます。
暫く桜を見下ろして気分のイイネ♪d('∀'o)時間を過ごすことができました。
【大濠公園】黒田長政が福岡城築城の際、当時博多湾の入江の一部だったこの地域(草ヶ江と呼ばれていた)を埋め、福岡城の外濠(大堀)として城の護りとしたのがその名の由来。 その後、福岡県が造園を着工し、昭和4年に開園したのが現在の大濠公園です。日本でも有数の水景公園で、夏には花火大会の会場としても知られています。県民の憩いの場として広く親しまれている公園です。
大濠公園は30年ぶりかも・・・花火を見たのが最後かな~??
公園の中にも桜が綺麗に咲いてもうすぐ満開を迎えるようです。
公園の中には芝生の間に菜の花が植えられていて、そばではシートを敷き花見を楽しんでいます。
公園の池にはスワンボートでカップルが楽しんでいます・・・何時まで経ってもこの風景は変わりません(´ー`)フッ
ボートにはカモメが群れで羽を休ませています・・・今日は海は荒れていないはずなのに???
入院後の初めてのウォーキング・・・体力も気力も7割がたに削られていました・・・早く体力をつけて広島に帰ってこないと・・・
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