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お江戸・尾張・・・そして九州放浪記

2006年江戸へ、2012年3月に尾張へと単身赴任が続き2014年3月末で退社して九州に帰ってきました、放浪は続きます。

JRウォーキング:「国鉄メモリー旧筑肥線を歩いてみよう!」

2017年01月21日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日は今年初めてのJRウォーキングに参加しました。

何時ものようにAM9:00に家を出て博多駅に着いたのは10:00前です・・・駅員に受付の場所を聞くと11:00開始のこと・・??(。´・д・)エッ

仕方ないので駅の中を散策すると・・・地下のデイトスもお土産フロアーもずいぶん変わっていました・・・久しぶりの人込みで既に疲れてしまいます┐(´ー)┌ フッ

11:00になったので駅前の受付に来てみると(;゚д゚)ェ. . . .すごい人の列です・・・天気が良いので参加者の数が半端ないです・・・列は500m・・・最後尾に並び、後ろにもどんどん人ば並んできます。

受付を済ませるのに45分もかかってしましました┐(´ー)┌ フッ

線路沿いに歩いていくとJRのレンタトランクルームやバイク・自転車の駐車場名だが沢山並んでいます・・・こんなになっていたんだ・・・列車からは線路すぐ下は見えることがなかったです。

木の葉の落ちた小道を歩いていると左手にプラットホームの一部が残されていました・・・旧筑肥線の筑前箕島駅の跡です。
筑前簑島駅(ちくぜんみのしまえき)は、かつて福岡県福岡市博多区美野島3丁目にあった日本国有鉄道筑肥線の廃駅である。福岡市地下鉄1号線との直通運転開始に伴う博多駅 - 姪浜駅間の廃止により廃駅となった。
単式ホーム1面1線の地上駅であった。小規模な構造ではあったが、駅付近に九州松下電器(現パナソニック システムネットワークス)本社などの事業所があり通勤客の利用が多く、駅員が配置されていた。駅の西側を那珂川が流れ、那珂川橋梁が架けられていた。駅のすぐ東側で国道385号と交差しており、国道が線路上をまたぎこす立体交差となっていた。


少し駅の方向に戻るように歩いていくと・・ボーリング場がMR.MAXになっていました・・・N社時代にバスでよくとおっていた場所です・・・

少し歩くと簑島商店街に着きました。

みのしま連合商店街は博多区のほぼ中央部、JR博多駅から南へ約1km に位置する都心部立地の近隣型商店街である。生鮮食品を安価で販売する商店が多く、非常に多くの来街者で賑わっていたが、近年は商店街の周辺に大型スーパーが進出するなど商業環境の変化に伴って来街者は最盛期の5 分の1 ほどになっている





商店街の通りは狭く、野菜や魚・肉などの店が軒を並べています・・・少しさびれた感じが・・・(・∀・)イイ!!なこの感じ・・・住んでいる人は大変だろうけど・・・

お店を見ていると1パック250円のイチゴがあります・・・家族か好きなので買って帰ろう(・∀・)ウン!!・・・この後ずっと手にぶら下げて帰ることになりました(´ー`)フッ


商店街を過ぎると川に出てきました・・・那珂川です。

橋から見える博多の街・・・(・∀・)イイ!!感じの街並みです(´ー`)フッ

高砂・那の川を過ぎて、筑肥新道を歩いて西鉄平尾駅・平和・平尾大池に着くと池ではカモがを休めていています。

少し行くと小笹中央公園の前に来ました・・・疲れているので入るのはやめときました。

少し歩いていると梅光園緑道に着きました・・・もう少しです。

梅光園緑道は、梅光園と輝国を結ぶ全長1キロメートルほどの遊歩道です。昭和58年に廃止された国鉄筑肥線の廃線跡の一部を活用して整備されました。遊歩道には梅の並木道や広場が整備されていて、地域の人たちの憩いの場となっています。交差道路が多いため、大濠公園のようにランニングやサイクリングを楽しむには不向きですが、のんびりと散歩を楽しむにはうってつけのスポットです。

綺麗に整備された道を歩いていくと・・・濃いいピンクの花が満開の梅の木がありました。



梅光園緑道を過ぎると直ぐにゴールの六本松公園です・・・ゴールの受付には想像通りスタートと同じように沢山の人が並んでいます┐(´ー)┌ フ~

公園には舞台や屋台が出ています・・・これからダンスなどの催しが行われるようです。

2009年3月に九州大学六本松キャンパスが伊都地区に移転し、その跡地が今後再開発されることになっている。この再開発計画は六本松地区の中核的な役割を担い今後の町づくりの方向を決める重要な事業である。九州大学が土地をUR都市機構に売却することが決まっており、UR都市機構が中心となり裁判所等が移転する法曹地区と住宅地区からなる複合的な再開発計画を策定中である。

帰りは地下鉄七隈線で天神南から久しぶりの天神地下街を通り空港線に乗り換え帰宅しました。




JRウォーキング:世界文化遺産!日本を支えた産業遺産「三池炭鉱の軌跡」

2016年11月03日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日はJRウォーキングに参加することんしました。

大牟田駅から降りると沢山の参加者が受付をしています・・・天気が良いから参加者が多いようです・・・わつぃは1000番目でした。

最初に着いたのは「三池かるた歴史資料館」です・・・中は写真撮影禁止となっています??

【三池かるた歴史資料館】日本で唯一のカルタ専門館:日本のカルタは、ポルトガルからの影響を受け、16世紀末頃、筑後の三池地方で作り始められたと言われています。当館では日本古来のカルタや海外のトランプ・タロットのほか古代~近代に至るまでのさまざまな郷土の歴史資料もあわせて展示しています。滴翠美術館(兵庫県芦屋市)に1枚だけ現存する「天正カルタ」は、日本最古の国産カルタです。その裏には「三池住貞次」と記されていることから、三池地方がカルタの製作に大きなかかわりを持っていたことが考えられます。当館は1991(平成3)年に開館して以来、日本古来のカルタだけではなく、それを生み出した周辺のタロットやトランプなども含め、国内外を問わず多種多様な品々を収集してきました。その内容は、貝型源氏歌カルタといった古典的名品から子どもたちに人気のキャラクターカルタまで、その数は1万点を超えており、企画展ごとに色々なカルタを紹介しています。

中には色々なカルタ(花札や和歌のカルタや百人一首等)が展示されていますが・・・(?_?)写真撮影ができないのかな~

次に着いたのは「早鐘眼鏡橋」です、石組みの1連眼鏡橋となっていました。

江戸中期/1674 石造単アーチ橋 輪石にジ☆延宝二甲寅二月吉祥日の刻銘がある
この眼鏡橋は単アーチ造の石橋で、延宝二年(一六七四)に三池藩が大牟田川を渡す灌漑用の水路橋としてつくったもので、上流の水路も附指定された。この橋は水路橋として現在知られる最古の遺構であり、橋の構造手法が長崎県下の石造アーチ橋に類似していることは文化史上注目される。



道を挟んでそばには「旧三池炭鉱専用鉄道敷」があります。

【旧三池炭鉱専用鉄道敷】1891年、初めて横須浜-七浦間に開通
三池炭鉱専用鉄道敷跡各坑口から産出した石炭や炭鉱資材等、さらに従業員も運んでいました。1905年に万田坑〜三池港まで開通し、全線が開通しました。現在は宮浦駅からJR線につながる約1.5kmが企業により使用されています。なお、レールはほぼ撤去され、現在は枕木のみが残っています。世界遺産候補となっているのは早鐘踏切〜三池港の区間です。



旧線路沿いを歩いていくと遠くにレンガ造りの建物と鉄の櫓が見えています。

前回ウォーキングに参加したときはこんなコースにはなっていなかったのですが世界遺産に登録されて整備されたようです。


【宮原坑跡】(1898年開坑)三池炭鉱に9つある主な坑口のうち、5番目に作られたもので、三井組が三池炭鉱を国から払い下げを受けた後、初めて自ら計画・開発した坑口です。年間40〜50万トンを出炭し、近隣の三池集治監(刑務所)の囚人を主な労働者としていました。現在は、我が国現存最古の鋼鉄製の櫓である第二竪坑櫓と巻揚機室が残ります。

揚巻機室の中に入ると万田坑で見たように大きな車輪の様なものにワイヤーが巻き付いています。

外には人を上げ下ろしするようなエレベータ???がありました。

一通り見て回り、コースは線路跡沿いを歩いていくと・・・

万田坑に着きました・・・線路跡にはゴム板を敷き詰めて歩きやすく整備されていますが凸凹して(´ェ`)ン-・・

【万田坑跡】(1902年開坑)
万田坑跡画像万田坑跡は、宮原坑跡に続き開削された坑口で、当時、日本最大級の炭鉱施設でした。三池港の開港とも相俟って、出炭量は増加し、1940年には年間113万トンを記録し、1951年まで採炭しました。炭鉱施設と設備関係が国内で最も良好な状態で残っています。




広場にはテントが張られ、舞台が設置されて音楽や踊りの出し物がされていて、道路には両側に屋台が出されて飲食物が売られて賑わっています。





此処にも巻揚げ室がありますが沢山の人が並んで見学をしています・・・私は前回見たのでスルーしました。

コースに戻りマタマタ線路跡を歩いていくと以前駅として使用されていたホームが朽ちかけて残っています。

線路上には沢山の高圧電線の塔が建てられています。

線路途中から降りて、今度は寺の鳥居前に来ました・・・ここは四山神社です。

【四山神社】神域にある四山古墳(よつやまこふん)は6世紀後半に造られ、虚空蔵菩薩が降臨されたといわれています。延久2年(1070年)菊池氏初代の菊池則隆がお堂を建立しました。
その後慶長10年(1605年)加藤清正が再建し、虚空蔵信仰は益々盛んになり肥後と筑後に広まっていきました。 細川家の所領となり崇敬の念厚く度々お参りされ、九曜の定紋幕を奉納し四山神社の社紋になりました。 明治元年、神仏習合を分離され、虚空蔵尊の徳に相当する造化の三神=(天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神)をおまつりして、四山神社として発足することになりましたが、やはり肥後と筑後のこくんぞさんとして親しまれ春秋の祭には多くの参拝者で賑わっています。なお虚空蔵さんは丑、寅年生れの守り本尊で、13歳の守護神(13参り)ともいわれ、各地から参拝者が絶えません。

階段の傍の看板にはイシ団が313段あると記載されています・・・(´ェ`)ン-・・スルーしよう(・∀・)ウン!!

それからは足が痛くなってきてどんどん後ろの人から追い越されていきます┐(´ー)┌ フッ・・・毎日ウォーキングしているのにな~

コースの終点荒尾駅近くで宮崎兄弟の生家前に来ました。

【宮崎兄弟】孫文の三民主義と中国辛亥革命に影響を与えたとされる宮崎兄弟の生家が荒尾市にあります。革命家と呼べる四兄弟の活躍が、生家敷地内の荒尾市宮崎兄弟資料館で知ることができます。特に活躍した4兄弟は、社会の流れに大きな影響を与えています。八郎は中江兆民訳ルソーの民約論に感銘し、自由民権思想をかかげ植木学校を創立。しかし、西南戦争で熊本協同隊を組織して西郷軍に参加、若くして八代の地で戦死しました。
民蔵は、凶作と重税に苦しむ農民をみて、土地の平均再分配を実行すべく活動しました。「土地均享・人類の大権」は歴史的な著書。彌蔵と寅蔵は中国革命、全アジアの独立開放、自由平等の実現のために生涯を捧げ、全財産をかけ孫文を支援し続けたといいます。寅蔵は別名滔天(とうてん)も有名で、宮崎兄弟資料館には滔天と孫文の筆談の様子が再現されています。


此処も依然来た時に中を見たので入場することなく駅に向けて歩くことにしました。

途中マンホールを見ると「荒尾梨の花」がデザインされていました・・・荒尾梨(新高)は10月初旬が旬で網ないだろうな~

今日は終盤になって足が痛くなってしまいました・・・日ごろからもっと鍛えないといけないようです。




JRウォーキング:雨中の「秋の蔵々まつり&祐徳稲荷神社を巡る」

2016年10月23日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ


今日は朝から曇り空(´ェ`)ン-・・・・・行ってみるか!・・・と言うことで電車に乗りJRのウォーキングに行くことにしました。

肥前浜駅に着くと小雨が降っています、受付を済ませ駅を振り返ると・・・?(o゚ェ゚o)駅の看板の字が・・・(´ー+`)キラッ

今日は小雨が降っているので参加者がいつもより少ないような・・・・



最初に足を止めたのは泰智寺(たいちじ)で泰智寺鹿島初代藩主忠成公が先に亡くなった夫人の霊を弔うために1623年に建てた曹洞宗の寺院。
忠成公の遺骨と三代以降の藩主の遺髪が納められています。市重要文化財である1体の木造頂相像と16体の木造羅漢像が安置されています。

泰智寺の裏山?に臥竜ケ岡公園があり、ここは鎌倉時代(1303年)、原長門守貞光が臥竜城を築いたとされる場所に事比羅(金毘羅)神社があります。

「城の上の金毘羅さん」と呼ばれ、元は香川・琴平町の琴平大権現を歓請し、舟津地区の船乗りが厚く信仰していて、ここからの景観が良いと言うことですが雨中なのでスルーしました。

次は肥前浜宿の酒蔵通りに来ました。

【肥前浜宿・酒蔵通り】旧長崎街道の宿場町のひとつ。土蔵造りの商家や造り酒屋が並び,江戸時代へタイムスリップしたようだ。「肥前浜宿」とは、この一帯を言う。平成18年4月、国の重要伝統的建造物群保存地区に酒蔵と居蔵造町家が建ち並ぶ醸造町「浜中町八本木宿」と、茅葺民家と桟瓦葺町家が軒を連ねる在郷町「浜庄津町浜金屋町」が選定された。

此処では祭りが開かれていて、通りには沢山の人が繰り出しています。

私は一つの酒屋に入って試飲をしましたが・・・ウォーキングの最初から飲んでいては後が大変です・・・と言うことで2杯で我慢することにしました・・・温まるな~(´ー`)フッ

試飲の後はゆっくりと通りを眺めながら楽しむことにしました・・・古い町並みが統一されていると人も集まってきますね!



次は祐徳稲荷に向けて歩くとにしました、途中「幸姫酒造」がありましたが工場は修理中で売店だけがいていて、店の前に灰皿があったので(o'ω')y-~休憩をして・・・中に入ると試飲をしていたので(´ェ`)ン-・・2杯だけ試飲をしてしまいました。

通りをまっすぐ歩いていくと「祐徳稲荷神社」に来ました・・・そう言えば正月後に来たときはすごい人通りだったな~

駐車場から鳥居まで歩いていると・・・人通りがありません・・・土産物屋も締まっています・・・

稲荷神社の側に来るとやっと土産物屋も開いていて・・・あれ?(o゚ェ゚o)名物の「稲荷ようかん」が売られていましたが1本250円なのに10本だと2,600円になっています???箱代100円???取り敢えず2本だけ買って帰ることにしました。

祐徳稲荷に入るとそれなりに参拝者がいて、ウォーキングの人たちも見受けられました・・・途中はウォーキングの人を見かけなかったのにな~





天気が良かったら朱色が映えて青空と緑と(・∀・)イイ!!景観を見せたのに・・・

雨も止んで、駅に帰るコースの終盤に来ました。

次は「普明寺」によりました。

【普明寺(ふみょうじ)】普明寺1677年に京都の万福寺を模して造られた鹿島藩鍋島家の菩提寺。鬱蒼と茂った自然林の中に、木漏れ日を浴びながら歴代藩主の墓石が整然と並んでいます。黄檗宗様式の造りをよく残したお寺です。「竜眼の池」周辺を頭部に見立て、鍋島家の墓地が通じる小道が尾の部分とし、全体の配置が竜をかたどってあります。楼門から左右にのびる回廊は黄檗宗(禅宗)の特徴的な建築様式です。

落ち葉の落ちる石道を歩いていくと苔むしていて歴史のあるお寺の感じが良く出ています。

最後のより場所は「誕生院」です。

【誕生院】真言宗の中興の祖であり、新義真言宗の開祖である興教大師覚鑁の誕生の地に建てられた寺院。室町幕府3代将軍・足利義満の発願により、応永12年(1405年)に定成によって創建された。戦国時代の永禄元年(1558年)に兵火により廃滅したが、大正2年(1913年)に鍋島直彬によって復興された。

やっとウォーキングの終点鹿島駅に着きました、駅に着くと青空も見えてきました・・・前半の小雨にはへこんでいたのですが試飲や祐徳稲荷で癒されて・・・足の魚の目が痛くなってきました┐(´ー)┌ フッ



脇田温泉と彼岸花咲く田園風景

2016年09月24日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日はJRのウォキングに行くことにしました。

博多駅からバスで1時間で脇田温泉に着きました・・・テントの下で受付を済ませコース図をもらい・・・さあ~出発です。

温泉街を歩いていくと直ぐに犬鳴川に来ました、川の両サイドの径には棒がたてられていて俳句が展示されています。



川沿いは「俳句の道」といって、道沿いには、宮若全国俳句大会の入選作品を記した句碑が並んでいる。




道端には真っ赤な彼岸花が植えられています、コースの上流部に来ると白い彼岸花が満開です。

俳句を楽しみながら、静かな里山の道を進んでいくと、やがて温泉街へと下る楽水之径(らくすいのみち)に繋がっています。

川沿を歩くと空気が涼しく、川のせせらぎが心地よです。

川を下って田んぼの中を歩いていると真っ赤な彼岸花と色づき始めた稲穂が・・・秋の色合いを出しています。

田んぼの先に「追い出し猫」の看板があります・・・「宮若市観光協会」の建物のようでお茶の接待をしていました。

坂道を上がっていくと「西鞍の丘総合運動公園」につきます、講演のグランドでは子供たちがサッカーの試合をしています・・・大会をやっているようで親御さんたちもたくさんいて応援をしています(´ー`)フッ

公園から見下ろすと田んぼに稲でデザインがされていました。

公園を後にして又田んぼの中を歩いていくと道路の両面に彼岸花が植えられています・・・好きです!この景色!



田んぼを過ぎて上って行くと「淨久寺」・・・後は下って行くだけです。



最後に「ドリームホープ若宮」に着きました・・・ここは宮若市で生産された農産物や農産加工品などを農家の人が直接展示販売する、“新鮮・安い・うまい”がモットーの特産品直売所になっていました。

中に入ると・・・残念ですが半分以上売り切れになっていました・・・広場のテントでタコ焼きを打っていましたのでビールを探したのですがありません・・・近くにあったコンビニでビールを買って戻り、タコ焼きを買い一休みです・・・これが美味いんです(・∀・)ウン!!



JRウォーキング:シュガーロード牛津宿

2016年09月11日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
9月10日 今日からJRウォーキングの再開(*゚∀゚)ゞデシ

牛津駅に降りると・・・へ~小さな駅ですけどレンガ風の駅舎・・・洒落ています。

駅前で受付をして・・・駅前の広場では女子高生がにぎやかに太鼓演奏をしています・・・ネットで調べるとジャンべという太鼓だそうです。

一曲終わったところでウォーキングの開始です。

駅から北の歩いてい行くと、しばらくすると田んぼに囲まれます・・・田んぼの稲は穂を沢山つけて青々としています。

今日は天気が良いので沢山の人が田んぼの道を歩いています・・・・田んぼの中に大きな建物が見えてきました・・・最初の目的地、保健福祉センター「アイル」です。




【保健福祉センター「アイル」】保健センターとして、各種相談や児童サークル活動、健康を目的としたプール・トレーニングルームも完備しています。また、「美人の湯」といわれるナトリウム炭酸水素塩泉の温泉もご利用できます。施設内では、無料でご利用できる足湯や休憩所もあります。

ウォーキングの最初が温泉??・・・私は温泉に入って後から汗をかくのは嫌なのでスルーすることにしました。

少し歩くと「牛津蒲鉾店」の工場で即売会をしているので入ってみました・・・ここの売店では訳あり品を安く売っていましたが常温で飼って帰ると心配なので我慢しました。

テントの下で天ぷらを揚げていたので筋入りゴボウテンを三枚買い、さっそく一枚食べてみました・・・美味い、後はウォーキング後に缶酎ハイと楽しむか(´ー`)フッ

駐車場には痛車が展示されています・・・可愛いアニメのペイントがされています。

後は牛津川の脇を歩きレンコン・大豆畑・稲田の中を歩いて駅近くなると赤煉瓦の建物に来ました。

【牛津赤レンガ館】玉屋デパートの前身である田中丸呉服店の倉庫として明治時代の中期〜後期に建てられた施設です。商都牛津を象徴する歴史的な財産であり、演奏、演劇、展覧会やなど文化・交流の場でもあります。まちづくりに係わる活動をされている方・団体や個人にも貸し出しています。

建物に1階にはピアノが設置されていて、壁には当時の写真が展示されていました。

外に出て隣にも古い建物があったので覗いてみました。

【牛津町会館】九州の財界人として著名な田中丸善蔵の本宅として建設された。中央の玄関棟を挟んで南に座敷棟,北に居室棟を配し,平面にあわせて複雑な屋根を架ける。豪壮な外観に対し,内部は繊細な木割の数寄屋風の意匠にまとめられる。近代の牛津を代表する建物。

建物は広くて立派なものでしたが・・・庭の手入れや畳のシミ(利用者が墨?こぼした?)・・・もっと整備をして残していかないとな~・・・という感じでした。

少し歩くと街角に「オックスホード」の看板の店があり、中はウォーキングの人でいっぱいです。

ここは回転焼きの生地に卵やベーコンなどを入れて焼いた「カルチャー焼き」で知られる有浦米穀店。

牛津高男子ソフトボール部をテーマにした映画「ソフトボーイ」(2010年公開)に登場したのを機に、劇中の店名「オックスフォード」に改名し当初は6種類だったメニューも、現在は19種類まで増えた。

マヨネーズをベースに、ハンバーグやツナなど、さまざまな具材の味わいが絡み、ふんわりとした生地も食べ応えがあり、腹持ちの良さも魅力。牛津高卒業生らの口コミで評判が広がり、今では県内各所からファンが訪れているそうです。


駅前にはコンビニがなかったので側にあるスーパーで缶酎ハイを買い・・・直ぐにゴールの牛津駅に着き、受付をして・・・駅の中に入り缶酎ハイと天ぷらを楽しんで列車を待つことにしました。



家に帰ったらマタマタァ( ´・∀・`)σ)'д`o)コノコノ子猫たちと楽しく遊ばなければ~(´ー+`)キラッ


JRウォーキング:とばた菖蒲祭りと戸畑近代化遺産めぐり

2016年06月04日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日は久しぶりのJRウォーキングに行くことにしました。

戸畑駅前で受付とコース案内を受け取り、駅を出て海側に向かって歩き始めました。

前方には若戸大橋が見えています・・・海が見たくて歩いているとコースの1ヶ所目の見学場所の「いくよ旅館」を見落としていました😞

海岸に出ると大きく海の上には若戸大橋が見え、岸壁には小さな漁船が係留されています・・・こんな景色は好きです(・∀・)ウン!!

少し歩くと「ニッスイパイオニア館」がありました。

【ニッスイパイオニア館】創業100年を機に、こうした企業姿勢とその基盤となる創業の理念を未来に伝えていくために、ニッスイパイオニア館は誕生しました。当館では、水産資源から新しい価値を創造してきたニッスイの過去・現在・未来を展示しています。

館の中に入るとニッスイの生い立ちから戦前戦後、そして私の務めていた会社との分社、現在の商品などが展示されています・・・さすが水産会社船の模型の展示が・・・好きだな~(・∀・)ウン!!

次についたのは(・∀・)イイ!!雰囲気を出した「宮田山トンネル」です。

【宮田山トンネル】現在の新日本製鉄の八幡工場と戸畑工場を結ぶ専用線の区間にあるトンネルです。この宮田山トンネルの工事は、断層と湧水のため困難を極め、主として人力による掘削が昼夜をかけて進められたといいます。トンネルの小口のデザインは、戸畑側はローマ時代の城壁のように花崗岩を積み上げて作られており、一方の八幡側は、ルネッサンス様式になっています。この路線は、昭和47年に社員公募により「くろがね線」と名称変更して現在に至っています。

曇り空から天気予報通り小雨が降ってきました・・・少し早く歩くことにしましたが皆、私より早く歩いていきます・・・私の足が短いのかな~??

少し歩くと「夜宮公園」の表示があり、鬱蒼とした木々の中を歩いていると・・・開けたところから洋館が見えました・・・「旧松本邸」です。

【旧松本邸】明治年間に父安川敬一郎とともに石炭業を興して成功し、明治専門学校(現在の九州工業大学)の創立者のひとりであった松本健次郎が、明治41年から45年にかけて自らの住宅と学校の迎賓館を兼ねて建てたものです。屋敷の周辺は木々の繁る丘陵地で、敷地面積は約1.3ヘクタール、洋館と日本館から成る明治時代の典型的な貴紳住宅です。洋館は建築面積624.9平方メートルの木造二階建で、辰野金吾が設計を行ないました。建物および煉瓦造りの蔵二棟が昭和47年、国の重要文化財に指定されました。

木々の中をなるいていくと夜宮公園に出ました・・・ここでは「第28回とばた菖蒲まつり2016」が開催されています。

【第28回とばた菖蒲まつり2016】50種2万本のハナショウブが見頃を迎える夜宮公園一帯で、「とばた菖蒲まつり」が開催されます。ステージイベントをはじめ、グルメコーナー、バザー、花菖蒲塾や愛好家によるハナショウブの展示も行われ、大勢の人で賑わいます。

公園では舞台が作られていて子供たちが太鼓演奏をしています・・・会場の側には屋台がたくさん出ていて飲食を楽しんでいます。

コースは階段を下りていきます・・・さっきの旧松本邸の正面を見てくればよっかた( ´Д⊂ザンネン!

階段を下りていくと噴水があり、その下には菖蒲園が見えています。



今年はこれで3度目の菖蒲を見ることになりますが、それぞれ見せ方に特徴があり楽しいもんです(・∀・)ウン!!



小雨が降ったり上がったりする中を傘を差しながらのウォーキングは一寸めんどくさいな~と思いながら歩いていると戸畑駅近くに来ました・・・もう少しだ~ヽ( ´ー`)ノ フッ

広い道路の側にレンガ造りの建物が見えます、これが戸畑図書館です。

【戸畑図書館】本建物は1933年に戸畑市役所庁舎として建設された。1963年の5市合併により北九州市が発足した後は、その初代本庁舎として、小倉北区城内に北九州市新庁舎が完成するまでの9年間にわたり利用された。その後は、戸畑区役所庁舎として長く区民や市民に愛され利用されていたが、2007年に戸畑区役所新庁舎が完成して機能を移転したことで、残された庁舎は空き家状態となっていた。

駅に向かって歩いていると「飛幡八幡宮」があったので覗いてみようと階段を上がりました。

【飛幡八幡宮】建久年間(1190年 - 1199年)、筑前の宇都宮氏(麻生氏)の祖である宇都宮重業が、出身地の宇都宮から氏神の八幡神を勧請し、花尾城の鬼門にあたる枝光村宮田山に祀ったのに始まる。後に戸畑村に遷され、戸畑・中原両村の産土神とされた。江戸時代には藩主黒田家の祈願所とされた。1920年(大正9年)に現在地の浅生に遷座した。1931年に県社に列した。1995年、それまでの「戸畑八幡神社」から「飛幡八幡宮」に社名を変更した。

境内に上がったら参拝者はウォーキングの2人しかいません・・・雨が降るから寄る人も少ないようです。

駅に向かうと商店街があり、アーケードを歩くと・・・土曜日なのに人通りが少なく、店もほとんどシャッターが下りています ヘェ~_〆(・∀・*)

商店街を過ぎると直ぐに駅に着きました・・・今回のウォーキングでカードのスタンプが20個で一杯になり、折り畳みの座布団をゲットしました(´ー`)フッ

JRウォーキング:ロマン溢れる「ふみ国」宇美の歴史と文化をめぐる

2016年05月14日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日はJRのウォキングに行くことにしました・・・(・∀・)イイ!!天気で暑くなりそうです!

香椎から乗り継ぐ列車に乗り込むと対面の席では3人掛けに50歳代のカップルが座っています・・・夫婦ではないような??・・・立っている人がいるのに2人だけで座っています・・・周りが見えていないようです┐(´ー)┌ フッ

JRで宇美に行くのは初めてです・・・2両連結の電車で宇美に着き、駅前のテントで列に並び・・・((;゜д゜))ス、スゲェ人数です、受付を済ませ・・・サア~行こう(・∀・)ウン!!

狭い道路を行き交う車の側を歩いていると、前に3人のおばさん達が横に並んでしゃべりながら歩いています・・・後ろから追い越そうと横にはみ出し歩く人がいます・・・危ないな~・・・3人連れになると横に並び話しながら歩いているのをよく見ます・・・気を付けてほしいものです。

晴天の下を歩いていると「宇美の織の里もりお~る」に着きました、ここは自社工場にて製造した絹素材のタオルや森博多織の帯、雑貨などを、工場直売価格として販売しています。

隣では手織り機が2台あり、生地を織ると特製の“しおり”をプレゼントされます。

機械が綺麗な糸を巻き取っていたり、博多織を昔の織機で実演しています。

次は宇美公園の隣にある宇美八幡の奥の院の石段を上がり参拝をして・・・眼下には宇美八幡の楠の森が見えています。

宇美公園の側を歩き、緑道(旧国鉄勝田線)を行くと緑の芝の小高い丘だ見えてきました。

丘の上には沢山のウォーキングの人たちが見えています・・・「光正寺古墳公園」です。

【光正寺古墳公園】光正寺古墳の築造年代は、第1主体部から出土した古式の土師器で甕の制作年代が3世紀中頃から後半あり、県内の前期古墳の中でも最古期の古墳に位置づけられます。また、光正寺古墳は糟屋郡内最大の前方後円墳であることから古墳の被葬者は、当時糟屋地域を支配した豪族(王?)の墓と考えられます。3世紀中頃は中国の「魏志倭人伝」に当時の日本のことを「倭国」として紹介されています。その倭国には色々な国があったことが記されています。その中で福岡市城(奴国=なこく)の隣にあったとされる「不彌国=ふみこく」ではないかと考えられます。不彌国の所在地は「嘉穂説」と「宇美説(粕屋)」に分かれていますが、光正寺古墳の調査で「宇美説=粕屋平野説」が有力な地域として考えられるようになりました。

汗をかきながら歩いていると古くて瓦屋根には草が生えている酒蔵が見えてきました。

隣にあるのが清酒萬代の蔵元である小林酒造本店に隣接した直売店です。

宇美町の自然の中で200年以上酒造りを続け、三郡山の伏流水を使用して仕込まれた銘酒「萬代」、近年人気の「大吟醸竹滴」「超辛口純米酒博多の森」など清酒だけでも約20種類、その他焼酎やリキュール等こだわりの製品が売られています・・・試飲をさせてもらいました😋

イイネ♪d('∀'o)気分で歩いていると宇美八幡宮の前に来ました。


【宇美八幡宮】福岡県の宇美町にある全国の八幡宮の総本社です。この神社の始まりは神功皇后が三韓御親征からご帰還された際に同地で応神天皇を御出産され、後にそれを記念して敏達天皇3年(574)に応神天皇を祀ったことから始まります。なお、境内には神功皇后が御出産にあたってすがり付いたとされる「子安の木」や応神天皇の産湯に使ったとされる「産湯の水」などがあります。また、平安時代の前期、清和天皇の勧請によって京都の石清水八幡宮が建立され、続いて平安時代の後期に御冷泉天皇によって鎌倉へ勧請をして鶴岡八幡宮が建立されました。

ここは私が子供が生まれる前にお参りをし石を持って帰り、生まれたら持って帰った石と新たな石を納めたことがあります・・・32年前だったな~(´ー`)フッ

神門を潜ると社殿と大きな楠(樹齢1000年)が迎えてくれます・・・大きな木です・・・1本で森みたいです

社殿の側を奥に行くと石が積み重なれています・・・そうだ!ここで石を持って帰ったんだ!!

宇美八幡宮を出て歩いていくと宇美駅前に来ました・・・受付でスタンプを押してもらい・・・一休みしながらコース図を見ていると・・・(*゜Д゜) ア!2ヶ所見落としていた!・・・暑いからもういいか!

JRウォーキング:「木屋瀬宿」と「吉祥寺の藤まつり」を楽しもう!

2016年04月29日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日は久しぶりに再開されたJRのウォーキングに行くことにしました。

黒崎駅で降りて、受付を済ませ筑豊電鉄に乗り込みました・・・筑豊電鉄は西鉄の完全子会社でした("´_ゝ`)フーン

木屋瀬駅で下車して・・・サア~ウォーキングの開始です。

最初に着いたのは木屋瀬宿です・・・長崎街道の宿の一つです・・・白壁の綺麗な建物が並んでいるのですが・・・ポツンポツンと新しい家がありチョット??街並みを統一していると(・∀・)イイ!!んだけど・・・



そのうちに一軒に入ると5月ということで武者人形を並べている家がありました・・・昔の民具を展示しているようです。






古民家を利用した江戸あかり民芸館となっている建物もあります・・・1階にはガスランプ?が展示されていて2階には有料で・・・

宿場町を過ぎるて左手に行くと???三叉路になっているのですが表示がありません・・・・赤いジャンパーを着た人がフラフラと歩いています(スタッフ)「どっちに行くのですか?」と尋ねると方向を教えてくれました・・・おじちゃん担当の案内をちゃんとしなければ・・・・

次は高い階段を上がり広旗八幡宮に着きました、各所に彫刻を多用し、拝殿に丸柱を使用し江戸時代末期の神社建築として貴重であるそうです。

拝殿の側の藤棚は青々とした葉っぱが茂っていて花はほとんど落ちてしまっています・・・今年は早く咲いたようです。





次は「白岩山聖福寺」に着きました・・・藤棚の下ではテーブルを並べて宴会が行われていました・・・個々の藤棚も盛りを過ぎて花弁が落ちかけています。






藤棚の下の団体は「全日本年金者組合」の人たちのようです・・・「全日本年金者組合」て何??帰ったらネットで調べてみよう(・∀・)ウン!!


いよいよ今日の楽しみである吉祥寺公園に着きました・・・公園には藤棚と三重塔の様式の展望台がありました。

藤棚は・・・やっぱり花は落ちています┐(´ー)┌ フッ・・・公園には沢山の人が座り食事等をして楽しんでいます。



公園を抜けて吉祥寺に入っていくと沢山の人で身動きが取れません、青い藤棚は花も落ちていましたが白色の藤は今が盛りと咲き誇っていますワチョ―ヽ(・∀・)ノ―イ♪



沢山御人ごみの中で白い富士をゆっくり見て階段を下りていくと沢山の屋台が並んでいて歩きにくく(。-`ω´-)ンー

多くの屋台の間を歩いていき・・・やっと筑豊香月電停に着きました・・・ゴールです!

ホームの端の喫煙所で(^。^)y-.。o○しているとかわいい電車が走ってきました・・・黒崎でパン酎ハイを買って帰るか(・∀・)ウン!!


JRウォーキング:「満開のチューリップ」と関門海峡ウォーク!」

2016年04月10日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日はJRのウォーキングで門司港に行きました。

門司港駅で改札を抜けて受付を済ませ・・・駅舎はまだ工事中です。

駅を出て海岸に出ると潮風が全身を包み気持ちよくさせてくれます。

レトロな建物を眺めながら・・・今日もたくさんの観光客が足を運んでいます・・・韓国語が良く聞こえてきます┐(´ー)┌ フッ

海岸沿いを歩いていると桜並木の先に関門橋が見えてきます・・・レトロ観光列車「潮風号」側を走り抜けていきました。

沖提には3人の釣り人が竿を出しています・・・今は満潮で潮も止まっているようです。

対岸の下関も靄が掛かっているように霞んでいます・・・春霞?PM2.5??

橋の下に来ると布刈神社によって・・・橋の下ではボートからルアーで釣りをしているようです・・・何が釣れるんだろう??

関門トンネルの入り口からエレベーターで降りて、トンネルを歩いていくと北九州と下関の境界線があり、みんな写真を撮っています・・・韓国の人も写真を撮っています??

下関側に出ると直ぐに火の山ロープウェー乗り場に上がって行き山頂に着きました・・・35年ぶりに来てみると随分変わっていて綺麗に整備されていました。







展望台から見下ろすと北九州も下関の町も霞んでいて良く見えません(´ー`)フッー

暫く景色を楽しんだ後、ロープウェーの乗り場に降りて行き脇を少し上がるとトルコチューリップ畑があります。

チューリップは満開を過ぎていて花も少し落ちているようです(つд⊂)ザンネン



畑の中の道を歩き回りながら花を楽しみました・・・休憩場所がなく、シートを敷いて花見を楽しんでいる人たちもいました。



チューリップ畑はそんなに大きく無く、坂になっているため老人や障害者の人たちが楽しむには難しいようです。

火の山からみもすそ川に降りて行き海岸沿いを歩くと長州砲や義経・弁慶の像があり・・・今日はいろいろなウォーキングが開催されているようで多くの人が歩いています。

関門海峡の下を潜り、赤間神宮を過ぎると直ぐに唐戸市場に着きました。

市場の中には観光客を相手にお寿司や海産物が並べられて、観光客は手軽に楽しめるお寿司に群がっています。

カモンワーフの前では猿回しやジャグリングを見ながら食事を楽しんでいます・・・私も一杯飲みながら見学を楽しみました。

一休みして連絡船に乗り門司に引き返すことにしました。

門司港に着くと駅を過ぎた所にある「九州鉄道記念館」がゴールとなっています、今日は気温も上がり汗をかきながらのウォーキングとなってしまいました。





JRウォーキング:香椎浜散歩

2016年04月03日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日は久しぶりにJRウォーキングに行くことにしました。



千早駅に降り、受付でコース案内をもらい駅前に出ました・・・初めて来た駅だけど駅も駅前も新たな街づくりがされているようです。

駅から3号線を横切り香椎浜団地の中に入ります・・・マンションや団地が多く、団地の間の道路が桜並木になっています。

桜のトンネルを歩いていると幼稚園や保育所が見受けられます・・・若い人が沢山住んでいるようです( ´_ゝ`)フーン

イオンモールの裏側を抜けると海が見えてきました。

海岸沿いは芝生の公園になっていて海には鳥居が見えています、海は鏡のように穏やかで野鳥が羽を休めています。

海岸沿いを歩いていくとタワービルや新築の戸建ても見えています、埋め立て地の開発が進んでいるようです。

海岸沿いは公園になっていてランニングや芝生でくつろぐ人たち・・・

日本最大級の歩行者・自転車専用海上橋「あいたか橋」に来ました・・・この橋は430mあるようです。



橋の上から見ると水面には沢山の鳥が羽を休めています・・・この海はまだ自然が残っているようです・・・ボラが沢山飛び跳ねています("゜д゜)ウム

遊歩道の側の桜はもう葉桜になっています・・・それにしても5分おきには飛行機が着陸して来るのが見えます・・・福岡空港は過密飛行場です(人'д'o)ネッ

潮に香りを楽しみながら海岸を1周して駅に向かいました。



途中には消防署があり、隊員が訓練を行っています、日々の訓練は大変そうです・・・TVで訓練後に卓球をやっていたのは何処の消防署だったかな~???

今回のコースや8㎞と平坦でお手軽のコースでしたルン♪((o'д'))ルン♪


JRウォーキング:うきはを満喫(おひな様&酒蔵開き)

2016年02月11日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日は久しぶり・・・今年初めてのウォーキングです(・∀・)ウン!!


久留米から乗り継ぎ、T中師匠の庭うきはの筑後吉井駅に降り立ちました。

駅はこじんまりしていて、駅前の受付でコース表を見ると998番となっています・・・天気が良いので参加者も多い様です。

駅前を少し歩くと蔵が道路の両側に並んでいます・・・漆喰の白と柱のクロでイイネ♪d('∀'o)街並みです。

店の中を覗いて見ると古くて大きなおひな様が飾られています・・・綺麗じゃないけど古い箱人形のようです。

古い蔵の建物を見ていると漆喰の鏝絵が施された物もあります・・・昔は川と水・平野・山などで繁盛していたことをうかがわせます・・・山の方にも新しくて豪勢な家ができていたものな~

建物の中には豪華なひな人形が飾られていて自由に見学することができます。

白壁の街並みを歩いているとおひなさま専門店があります・・・流石ですね~

私は子供のころ豪華なおひな様見ることはあまりありません・・・私の兄弟は男ばかり7人であったので無縁の物でした(´ー`)フッ



「観光会館 土蔵」では「箱びな」と「おきあげ」が展示されお土産なども売られています。

ステンドグラスのお店にもガラスに描かれたおひな様を後ろから電気で綺麗に見せているものもあります・・・案外高いと思いました┐(´ー)┌ フッ



「居蔵の館」中には昔の儘の釜土や生活用品がそのまま展示されています・・・子供のころの釜土でご飯を炊いていたことを思い出します。
 
「鏡田屋敷」には沢山の部屋に近所からもらわれたおひな様が沢山展示されています。

京飾りと江戸飾りではお内裏様の置き方が反対のようです(´・∀・`)ヘー







【若宮八幡宮】五穀豊穣の御利益で知られるお宮で、仁平3年(1153年)に源為朝(みなもとのためとも)が現在の神奈川県鎌倉市にある鶴岡八幡宮(日本三大八幡宮のひとつ)を分霊し創建されたと伝えられています。境内には樹齢数百年の情緒豊かなカヤの木や、江戸時代に地元の豪商から寄進を受けた青銅製の狛犬と灯篭など見どころも多くあります。

若宮八幡神社を過ぎると石碑があり村田英雄の生家が矢印で道の向かい側を表示してあります・・・ややこしいな~・・・昔の小さな家の感じです(¬ε¬) フーン

「長野水神社」に入るとテントの下でぜんざいがふるまわれています・・・歩き疲れたので甘いぜんざいは美味しいです(・∀・)ウン!!

【長野水神社】江戸時代、寛文3年(1663年)の大干ばつを機に、山下助左衛門をはじめ、五人の庄屋が筑後川が流れる大石地区に堰を造り、掘割を掘って水を引く開削工事を久留米藩に申し出ましたが、筑後川を利用した用水路開削工事は難事業であるため、藩からの許可はなかなか下りませんでした。五人の庄屋は失敗したら処刑になる覚悟で請願書を提出し、この難工事に着手して寛文4年(1664年)3月完成に至りました。この偉業をたたえて五人の庄屋を祀ったのが長野水神社(五霊社)です。

昔の庄屋さんは命を懸けていますね~流石です・・・今の政治家は金儲けと不倫ですから???

駅を過ぎて左手に行くと酒蔵が見えてきました「いそのさわ」です。

工場の中には沢山の人が楽しんでいます・・・試飲(100円)新酒などと屋台で食べ物を車座に座り込んで楽しんでいます。

此処ではおばちゃんが一番元気に飲食を楽しんでいます・・・私も試飲と砂肝のから揚げで少しだけ楽しみました・・・日本酒も案外おいしいです(´ー+`)キラッ

いそのさわの向かい側の広場ではテントが並び屋台が出て舞台ではバンドが歌っています・・・皆楽しそうに好天の下で楽しんでいます・・・此処でコースの終了の受付を済ませました。




帰りは「うきは駅」から電車に乗るのですがカードで改札ができなく多くの人が並んでいます・・・丁度電車が入ってきたので駅員が到着駅で清算をしてくださいと入れてくださいましたヽ( ´ー`)ノ フッ



JRウォーキング:1350年の歴史! 古代遺跡から(大野城)

2015年11月07日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日はいつものJRのウォーキングに参加しました!



大野城駅発着の9㎞ 3時間のコースです。

駅を出て受付を済ませ・・・さ~行こう!

駅から南に向けて歩いていくと・・・新興住宅地の先に公園があります・・・公園を過ぎて池が見えてきました、県道31号線にほぼ隣接する三兼池公園の敷地内に「梅頭窯跡」が在りました。

中には説明員がいて、九州最大の須恵器の窯跡として有名な牛頸窯跡群(国指定史跡)に属し、6世紀後半~7世紀初頭につくられたもの。

斜面を利用した窯ならではの構造が要注目なほか、発掘調査では、窯跡での発見は極めて珍しい副葬品と思われる鉄刀や鉄鏃なども出土したことから、須恵器の窯がお墓として再利用された全国初の例と説明していました。

池の周りを歩いていくと住宅街に入りました・・・壁に鮮やかな鏝絵が見えてきました。

ここは個人がやっている鏝絵美術館でした。



家の中にも板に鏝絵を描いた作品が沢山展示されています・・・ここは何時でも自由に見学ができるようです。

鏝絵を付けている家は見なくなっている今(´ェ`)ン-・・趣味でするには((;゜д゜))ス、スゲェことです。


美術館を出て水城駅の東側に664年に唐と新羅の攻撃に備えて全長1.2kmに渡り築かれた、大宰府の防衛施設(水城)があります。

ここでも市の職員?が水城の説明をしてくれています・・・大宰府のある北部九州は日本中で一番中国や朝鮮に近く、原始時代から盛んな交流があり、進んだ文化はまずこの地方にはいってきた・・・こういう大切なところなので、大和朝廷は早くからこの地方を治め、外国との交際をした。


しかし663年、白村江の戦いで唐や新羅の連合軍に負けたことをきっかけに、敵の侵攻に備えるため、水城や大野城、基肄城を築いた。

敵に攻められやすい博多湾の沿岸にあった那津官家も、現在の太宰府市の地に移され、「大宰府」が誕生したと考えられている。このように「水城」は大宰府を守るのに最も重要な所でしたが、現在は鉄道や高速道路などによって分断されています。

水城に沿って歩いていき剣道112号線を歩いていくと大野城市役所・まどかぴあに着くと沢山の人であふれています。

今日は大野城市産業展が開催されています・・・沢山の屋台が出ていてにぎわっています・・・この時期は各地で同じようなことが開催されています。

会場を後にして南に向けて歩き・・・大野城駅に着きました(´ー`)フッ・・・今日は暑くて少し疲れました。




JRウォーキング:筑豊の炭鉱王の邸宅をめぐる

2015年10月25日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日も快晴で・・・連荘でウォーキングに参加しました。

今日のコースは鯰田駅から「旧伊藤伝右衛門邸」を見て新飯塚駅までの7.5㎞の中距離のコースとなっています。
駅を出てすぐに遠賀川の河川敷にでました。

遊歩道の両側では草が伸び、風に吹かれそよいでいる路を川の上流に向けて歩きました・・・ずいぶん歩いた後橋を渡り対岸に上がりました。

暫く歩いているとJRウォーキングの幟が立っていて・・・ここが旧伊藤伝右衛門邸か!

門から入ると建物があり、最初は庭に出てみることにしました。

庭は回遊式庭園が広がっており、庭から見る家は大変大きく両サイドには倉も建てられています・・・建物の中も和洋折衷で豪華な造りがされていました。


事務所棟では白蓮の短歌等がが展示されていて、展示されている写真を見るととてもきれいな人です・・・現代的美人です(・∀・)ウン!!

所々に旧長崎街道沿いに建てられた昔の建物が残っているようです・・・曩祖八幡宮 (のうそはちまんぐう)を過ぎると商店街が見えてきました。

商店街に入ると(´ェ`)ン-・・前に来た時はシャッター商店街だったのにどの店も開いています、店の前には「街道祭り」の幟が立っています。

商店街を進むと人だかりがあり前方から殿様とお姫様が・・・後ろには武者・武士姿の列が歩いてきました・・・





商店街の端っこには舞台があり女性が歌を歌っていますが・・・

商店街を向けると千鳥屋本店がありました・・・日よけの布が破けたままになっています・・・残念です!

コースはもう一度遠賀川に戻り下っているとコスモスが咲いています・・・青空にコスモス・・・綺麗です(・∀・)ウン!!



近代的な橋を渡りすぐに新飯塚駅に着きました・・・2日続きのウォーキングでしたが秋空の下を歩くのはとても楽しいものです。


JRウォーキング:吉野ヶ里炎の祭りナイトウォーキング

2015年10月24日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日も晴天が続いています・・・JRウォーキングに参加します。

今日のコースはPM2:00からの吉野ヶ里駅発着の吉野ヶ里公園で4.5㎞1.5時間の短距離の予定ですが・・・

PM2:00に駅に着き、受付を済ませて外に出ると蜜の両脇は黄金色で稲穂が頭を下げて光り輝いています。

少し行くと葉っぱが枯れてきた大豆が刈入れ時を迎えています。

公園の正面の向かい側にうどん屋があり、ここでお茶の接待があります、着くと豚汁の接待を受けて公園に入りました。

公園のアーチ状の下に受付がありましたが今日は無料となっています。

公園に入ると・・・久しぶりに来てみると随分草木が茂っていて、以前は作り物の感が強かったけど、今のほうが自然でイイネ♪d('∀'o)感じになってきています。

公園の中では体験教室で勾玉作りや火の起こし方を子供たちや親が一生懸命行っています。

公園の周りを歩いていると蕎麦畑があり白い花が満開です。

丸太の塀で囲まれた周りを歩いていると高床式の倉庫のある「倉と市」の広場に出ました。

倉の中には武器を保管している倉もありました・・・塀の内側にはふかい濠が掘られています。



「南内郭」には物見櫓が四棟や王たちの家、煮炊き屋等20棟の建物が復元されています。





祭りの広場に向かっていると赤い花を着けた蕎麦が満開です。

祭りの広場ではテントの下に屋台が出ていて広場では飲食物を楽しんでいる人たちでいっぱいです。

屋台で缶ビールを買い芝生の上に置かれている台に座り込み暫く休憩です。

実行委員会のテントに行き今日の炎の祭りの写真を撮る場所を聞くと「太陽が沈むのが7時前なので、行進が通る倉と市の広場が良いです」と教えてもらいました。

まだ時間があったので「北内郭」を見に行くことにしました。



北内郭は集落の一番重要で神聖な場所で当時まつりごとが行われていた場所と考えられ巨大な祭殿など9棟の建物が復元されていました。







PM5:00になると炎の祭りが始まるので祭りの広場に戻りました。

会場の舞台では卑弥呼に扮した女性の点火式が行われてたいまつ行列の準備が始まりました。

本部の人に教えてもらった「倉と市」の広場に向かおうとすると進入禁止で係りの人に止められました????

仕方がないので「南内郭」の櫓の上で待とうと広場に戻ると丁度夕焼けが建物の先に見えます・・・弥生の人もこんな夕焼けを見ていたのかな~

櫓の上黙っているとたいまつの行列が私の予想よりたくさんの人が並んできます・・・周りはまだまだ明るくて幻想な雰囲気が出ていないのが残念です。



櫓から降りて次は「倉と市」を出たところで待ち受けることにしました。

少し薄暗くなって来た時に行列が出てきました・・・(*゜Д゜) アレ?行列についていったら「倉と市」の建物と一緒に行列を撮れたら良かったのでは・・・気が付くのが遅すぎました┐(´ー)┌ フッ



今日のコースは短かったのですが公園の中をいろいろ歩き暗くなるまで会場に居たので沢山歩くことになってしまいました。

JRウォーキング:関門海峡ウォーキング

2015年09月26日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日もJRのウォーキングに参加しました。

今回のコースは門司港出発の6㎞時間の短いコースになっていますが・・・楽しみです。

けやき台駅から小倉で乗り換えて・・・ソニックが入線してきました・・・ロボットみたいな顔をしています・・・門司港に着くまでに2時間もかかっていました・・・特急に乗らなかったからな~

門司港駅は現在全面工事中です・・・明治二十四年に建てられた門司港駅は、大正三年に立てられネオ・ルネッサンス調の木造建築で、駅舎としては初めて国の重要文化財に指定され・・・大好きな駅舎です・・・早く復元されないかな~

駅で受付を済ませ海のほうに出ました・・・対岸の下関や関門海峡がきれいに見えます・・・晴れてて良かったです(・∀・)ウン!!

はね橋を渡りレトロ地区に戻ると相変らず旧門司税関のレンガ造りの建物が(・∀・)イイ!!雰囲気を出しています。



レトロ地区を出て布刈公園に向けて歩きます・・・開門橋が大きく見えています・・・(゜д゜)イーヨイイヨー景色です!



対岸の唐戸景色も良く見えています・・・私が35年位前に居た時とはずいぶん変わっています(´ー`)フッ

門司港川を見ると港には飛鳥Ⅱが停泊しています・・・大きくて存在感がありますね!

布刈公園を過ぎ、関門海峡の下をくぐると布刈神社があります。

布刈神社は神功皇后の三韓征伐後奉祀されたもので仲哀天皇9年(200年)創建とされています。

毎年旧暦元旦の未明に三人の神職がそれぞれ松明、手桶、鎌を持って神社の前の関門海峡に入り、海岸でワカメを刈り採って、神前に供える「和布刈神事」(めかりしんじ)が行われるのをTVでよく見ます。

布刈神社を出るとすぐに関門トンネル人道の入口があります。

エレベーターで60m降りると綺麗な入口がありました。

関門トンネルは完成したのは昭和33年3月9日。(完成まで21年の歳月がかかっています)

780mの海底トンネルを歩いていると途中に下関市と北九州市の境界の表示板があります・・・足元にもありました・・・皆がする様に両足で境界を跨いで(´ー`)フッ

下関側でエレベーターであがると火の山の麓のみもすそ川に出ました・・・下関居た頃車で火の山に登ったものでした・・・今日はロープウェイが休止しています。

海岸の壇ノ浦古戦場は公園になっていて綺麗に整備されていました。

公園の中には長州砲のレプリカ5門が海峡に向けて設置されていました・・・幕末の下関戦争時に活躍した長州藩の砲台跡であるから!

公園の中では壇ノ浦の決戦の紙芝居をしている人がいました・・・一休みです(・∀・)ウン!!

源義経と平知盛像が新しく設置されています・・・義経は八艘跳び、知盛は錨を担いだ姿です。

工事中の関門橋を過ぎると右手に鮮やかな朱色と白の赤間神宮が見えます。


【赤間神宮】源平壇ノ浦の合戦において、二位の尼に抱かれて入水された幼帝安徳天皇を祀った神社。関門海峡を臨み、白壁に朱塗の水天門があります。境内には、平家一門の墓、小泉八雲の怪談で有名な耳なし芳一の芳一堂や、貴重な資料を展示した宝物殿などもあります。 毎年5月3日には、上臈参拝で有名な先帝祭のメイン会場となります。



私は初めて赤間神宮に入りました・・・若い頃は興味なかったものな~・・・ここでも韓国語が聞こえてきます・・・近いからな~

少し海岸線を歩くと唐戸市場に着きました・・・私がいた頃は汚い市場でしたが2001年4月に新築移転して綺麗になっていて観光客が多くいます。



唐戸市場のそばには関門自慢の海の幸を中心としたレストランや土産物店が立ち並ぶシーサイドモールのカモンワーフと水族館の海響館、大観覧車やメリーゴーランドなど、11種類のアトラクションがあるアミューズメントパークの「はい!からっと横丁」があります。

唐戸ターミナルから門司に船で引き返します・・・船から見る唐戸地区の様変わりした風景は年月を感じてしまいます・・・下関駅前の魚市場の事務所に勤めていたけど変わったんだろうな~・・・今度行ってみたいな!









門司港に引き返し海岸沿いを歩いて飛鳥Ⅱが停泊している「海峡ドラマシップ」前に来ると大きな飛鳥Ⅱに来ました・・・全長241mの客船はさすがに巨大です。



タラップの前に居た人に内部を見学できないかと尋ねたら予約制になっているとのことでした(つд⊂)ザンネン



そういえば以前社内報に退職したら船で世界1周がしたいと書いた記憶がありますが・・・・時間はいくらでもあるのですが先立つ物がありません・・・やっぱ夢でした・・・そうだ!宝くじを買おう(・∀・)ウン!!

目的のものを一通り見たのでゴールの九州鉄道記念館向けて歩きました・・・建物越しに見える飛鳥Ⅱはその大きさを実感させます。

門司港駅の線路は昔の大きさを表しているようです・・・この駅は終着駅or始発駅・・・ヤッパリ海に乗り出す港・九州内に向かう始発駅です・・・



鉄道記念館で完歩の受付を済ませ帰宅することにしました・・・ゴール後の電車内での缶酎ハイの美味い事'`ィ(´∀`∩