地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

ごあいさつ

いつも訪問してくれてありがとう。 「毎日が日曜日」の日々ですが、好奇心いっぱいに、ミーハー心を忘れず生きていく様や日々の思いを綴っていきたいと考えています。  是非とも、今後とも訪問をお願いします。また訪問していただいたら、足跡・コメントを残してくれたらなお嬉しいです(4桁の数字を半角小文字で入力忘れないでくださね)。 今後ともよろしくお願いします。

寒い厳しい日に思う

2017年02月12日 | 身辺雑記

突然の父の死を悲しんだであろう母に、何もしなかったことを今頃悔いている

 今年最強の寒波が、西日本を襲ってきている。心臓を患っていたパートナーは,寒さに弱かった。そんな寒さに遭遇しなかったことを「よし」としなければと考えたりもする。そんな寒さの中で、今朝はバケツの水に氷がはっていた。寒い、ホント寒い日が続いている。

 さて、相変わらず何も手が付かず、パートナーのことばかり考えている。決して愛妻家であったからではなく、自分勝手に暮らしパートナーはほったらかしてきたことへの反省からだ。

 悔いがいっぱい残り、申し訳ない気持ちでいっぱいの日々を過ごしている。どうか、みなさんも最愛のパートナーやご家族を大切にしてあげて欲しい、いなくなってからでは、遅いと僭越だが先輩として忠告させていただく。たっぷり、たっぷり語り合う時間を持って欲しい。

 ところで、私の父は1981年に亡くなった。父は肺気腫を患っており、喘息で晩年は入退院を繰り返していた。その年の夏も入院し、その日見舞いに帰ってきた兄を加えて母と病院に行き、「退院したら、温泉にでも行こう」と話をして帰った。

 その日の夕方に、病院から「来て欲しい」と電話があった。行く途中で、母が「頼まれていたものを忘れた。ま、次にでもいいよな」と話したりもした。 そして、病室に入ると、父の顔にはもう白布がかけられていた。入退院を繰り返していたとは言え、まさに突然の死であった。

 そんな父の死で、母はどんなに辛く悲しんだことだろう。仕事にかまけて、そんな母に少しも気づかいをしなかったことを、今頃になって深く反省している。パートナーの突然の旅立ちに関わって、そんなことを思ったりもしている。

 そして、同時に突然の永遠の旅立ちを一番悔しがっているのは、パートナーだと思う。子どもたちの将来や孫たちの成長をまだまだ見届けたかったと思う。それだけに、今生をいただいている私が頑張って生きなければと思ったりもする。

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芥川賞受賞作

2017年02月12日 | 読書

芥川賞受賞作・山下澄人「しんせかい」を掲載した雑誌「文藝春秋」を購入した

 毎月10日に発行される雑誌「文藝春秋」の3月号と9月号は、芥川賞がその選考委員の選評とともに受賞作が掲載される。

 私がこの芥川賞受賞作が掲載されている雑誌「文藝春秋」を本格的に買い始めたのは、柴田翔が「されど われらが日々―」で受賞した1964年から。以来購入を続けており、我が書棚には受賞作が掲載された「文藝春秋」が、50年100冊以上並んでいる。

 ところで、今年の第156回芥川賞受賞作は、山下澄人「しんせかい」(雑誌「新潮」7月号掲載)。

 今年の選評で、私が最も印象的だったのは村上龍のもので。「『しんせかい』は、私の記憶と印象では、熱烈な支持も、熱烈な拒否もなく、芥川賞を受賞した。(中略)つまらない、わたしは『しんせかい』を読んで、そう思った。他の表現は思いつかない。『良い』でも『悪い』でもなく、『つまらない』それだけだ」。

 村上龍が「つまらない」と評した山下澄人「しんせかい」を、雑誌「文藝春秋」で、昨日から「読書ルーム」で読み始めている。しかし、貧しさ故に、単行本は買えないでいる。それが、我が暮らしの今。

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