『夢紡ぐ人びと 一隅を照らす13人』の内、3人とはご縁をいただいた
現在101歳の報道写真家・笹本恒子さん。少し以前に出版された『夢紡ぐ人びと 一隅を照らす13人』(清流出版刊)を読んだ。
この本の中には13人が登場している中で、私がご縁をいただいたのは3人。お目にかかったことがあるその3人の方に限ってだが、その写真が何とも素晴らしい。私が見たこともないステキな笑顔が映し出されている。
笹本恒子さんは報道写真家として世間では知られているが、人物写真を撮らせても凄いことを証明している。
ところで、笹本恒子さんは家族の猛反対を受けて1941年・27歳の時に断腸の思いで写真の道を諦め、写真家の仕事に復帰したのは71歳の時。それは今の私の年齢を超えており、私も「年だから」と「年寄り」ぶらないで、若々しく気持ちを持ち続けて生きたいと思う。
ところで、先の3人の方々とは、櫛田ふきさん、新藤兼人監督、そして窪島誠一郎さんだ。以下、その方々との思い出を少しだけ記しておきたいと思う。
*櫛田ふきさん
まずは笹本さんと同じ100歳を超えてご長寿だった櫛田ふきさん。私は若い頃保育の研究・運動団体に参加していて、その「保育講座」の講師として、当時日本婦人団体連合会会長だった櫛田さんをお迎えした。
ご講演をいただいた時には80歳をお迎えだったがとてもお元気で、若い保育士たちにとてもステキな笑顔で語りかけていただいた。
*新藤兼人監督
次は同じように100歳とご長寿だった新藤兼人監督。ご講演をいただく前日の夜のお食事の席で、最初いろいろとお話しさせていただいたが、ほとんどお話にならず、食事も喉を通らず激しくオドオドした。。
少しだけ時間が流れると、とても饒舌にしかも興味深いお話しを聞かせていただいた。同席された近代映画協会の花安静香さんは「初対面の男性の場合には、いつもこうなんですよ」と静かに笑われた。
初対面で緊張している私にとって、新藤兼人監督がほとんど無言であった時間の長かったこと、今でも忘れられない思い出だ。
*窪島誠一郎さん
窪島誠一郎さんとお目にかかるため、窪島さんが館主の無言館へ行った。私がミュージアムで働かせていただいていた時、「無言館展」開催へのご協力と、その期間中にはご講演をお願いするための無言館行きだった。
その後、長編記録映画「戦没画学生慰霊美術館『無言館』」の際にもご講演をお願いした。この映画「無言館」の完成披露試写会が開催されたのは、2011年3月11日の夜、そう忘れもしない東日本他姓震災が起こった日だ。そして上映会当日には、岡山に台風が上陸した。絶対に忘れられない思い出だ。
こうして三度お目にかかって、様々なお話しをさせていただいた。再度「無言館」を訪れて、また窪島さんとお話しできることを楽しみにしている。