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【追悼ミサ説教】シスターアグネス笹川が秋田の聖母像から受けた、全人類に関わる非常に深刻で重大なメッセージ

2024年08月22日 | お説教・霊的講話

2024年8月20日 シスター笹川追悼ミサ 説教

トマス小野田圭志神父

聖父と聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、

シスターアグネス笹川は、秋田で、1973年7月6日、8月3日、そして10月13日の三回にわたって、木彫りのマリア像から、全人類に関わる非常に深刻で重大なメッセージを受けました。

このメッセージが本当のことであるということを確認するかのように、この木彫りの木像のマリアさまから101回の涙が流れました。1975年1月4日から1981年9月15日までのことでした。多くの人々が延べ二千名の方が、その客観的事実を目撃しています。秋田の聖母に関する出来事については、これを公式に調査した当時の新潟教区長ヨハネ伊藤庄治郎司教様によって、1984年に認可されました。

マリアさまは、シスター笹川を通して、もしも人々が罪を悔い改めないならば、全人類の上に、ノエの洪水のときよりも重い、いままでにない罰があるだろうと警告されました。しかしマリアさまは同時に、ロザリオの祈りを毎日祈ることによって、そして祈りと償いの業をすることによって、私たちは迫っている災難から助けられること、この災難から助けることができるのはマリアさまだけであることを、そして聖母に寄りすがる者はすべて助けられるということを、約束されました。

では、シスターアグネス笹川の生涯は、いったいどのようなものであったか、そしてそのメッセージの核心は何だったのか、どのようにその生涯の最後をとげられたのかを少し見て、そして最後に選善の決心をたてましょう。そして、シスターのためにお祈りいたしましょう。

【生まれ】
シスター笹川は、1931年の5月28日に、笹川セイイチと笹川シズの間の三番目の子供として、生まれました。五人兄弟のうちの次女でした。病弱ではありましたが、あたたかい家族の愛情にかこまれて、非常に健やかに育っていきました。
シスター笹川のお父さん、笹川セイイチは、八千浦(やちほ)村の村長でした。後に八千浦村というのは直江津(なおえつ)市の一部になります。【直江津市は後に上越市になりました。】このお父さんは、のちに、安田神父様が1974年の9月に、ヨアキムという名前で、笹川セイイチさんが77歳のときに、洗礼を授けています。
お母さま、笹川シズは、やはり、1965年にアンナという名前で、洗礼を受けています。またシスター笹川のお姉さんも妹も弟もみなカトリックの洗礼をうけています。

【洗礼】
シスター笹川は、確かに熱心な仏教の家で生まれましたが、なぜカトリックになったのでしょうか? それは、十九歳の時――1950年のことでした――戦後間もない時で、【地元の病院で】盲腸の手術をしました。しかし、手術は失敗でした。【麻酔の手術の失敗で】中枢神経が麻痺して、十六年の間、寝たきりの闘病生活を余儀なくされました。【治療】するために、はるばる東京の有名な大学病院まで来【たこともあり】ました。そのとき、家族の一部からはこのような失敗をおかした病院の先生たちを訴えるべきだと出ましたが、シスター笹川のお父さんも またシスター笹川自身も、いや先生は一所懸命やったのだからわたしたちは感謝している、といって、寛大にこの病院をそして先生を赦しました。

そのうちに、病院を転々とし、再三の手術入院を繰り返したのですが、ついに妙高病院で入院中、熱心なカトリック信者の看護婦さん、渡辺ハルさんと出会って、そして、その献身的な看護で病状は回復に向かい、そしてカトリックの信仰も得ました。1960年の復活祭に、アグネスという名前で洗礼を受けました。

【修道生活】
そののちにシスターアグネスは天主へのそして隣人への奉仕の愛に燃えて、修道生活を行おうと望み、一度は長崎の純心聖母会修道院に入会しますが、しかし病気が再発して、ふたたび妙高病院に入院します。

しかし、シスター笹川は、それでも、病気の身になったとしても、修道生活を非常に望んでいたのですが、その時に、ちょうど、高田教会の主任司祭から、新築された妙高教会の教会の番をやったらどうかと受付の係にお願いされて、そしてこれを引き受けることになりました。

また同時に、在俗でありながら修道生活を送ることができるという聖体奉仕会のことを知り、1969年に妙高教会に奉仕しながら、聖体奉仕会の外部会員として入会しました。

【聖体奉仕会】
教会守り同時にカテキスタの奉仕役をしていたのですけれども、1973年3月突然、その妙高教会で受付をやっていた時に電話を取ったところ、何も音が聴こえなくなりました。そしてすぐに入院すると、耳の機能はすべていいのだけれど、本当は聞こえていなければならないはずだけれども、しかしまったく音が聴こえなくなりました。これはきっと極度の疲労からきたものであろうとみられる、神経の麻痺によるものだとみられる、そしてそこですべての仕事をやめるようにと言われました。

そうする間に、聖体奉仕会のほうからお見舞の連絡が来て、そして、もしも妙高教会で教会守りができないならば一緒に修道生活をしないか、秋田に来ないか、と誘われて、そして1973年の5月、秋田に到着することになります。

【秋田の聖母の出来事】
到着するや否や、その翌月から、ご聖体のある御聖櫃の中に光が輝くのを見出だしたことから始まり、無数の天使たち、あるいは守護の天使のメッセージを聴くこと、またマリアさまの御出現、あるいは出血の現象、発汗現象、芳香現象、あるいはまたマリアさまが涙を流されること、など、また耳の特別な奇跡的治癒の恵みなどによって、ご聖体に始まった奇跡的な現象がご聖体に終わるということで、秋田のマリアさまの御出現の一連の出来事がありました。

では マリアさまはいったいシスター笹川に、いったい何を言われようとしていたのでしょうか。

一つは、ご聖体がイエズス・キリストの真(まこと)の御体であるということです。ご聖体が安置されている御聖櫃が光輝いていたことや、天使たちがそれを礼拝していたこと、のみならず、マリアさまが「御聖体のうちにまことにまします」という、‟まことに″という言葉をお祈りに付け加えるように命令されたりしたことから、ご聖体のことが強調されました。また、マリアさまは、シスターアグネスを通して、「教皇・司教・司祭のために、たくさん祈るように」と訴えられました。

第二の点は、それは罪という超自然的な現実についてのことをわたしたちに思い出させることでした。

罪というのは、あたかも忘れられてしまって、わたしたちにとって、大切なことはこの地上での平和であったり、地上でのこの目に見える生活のことだけであるかのように、人々は錯覚しています。

しかし、聖母は、そうではなくて、もっとも大切なのは天主とわたしたちとの間の平和の関係であって、それは罪のない状態である、罪ということこそが本当の悪であって、最大のわたしたちにおける不幸である、と訴えます。

マリアさまはこうおっしゃいます。
「世の多くの人々は、主を悲しませております。わたしは主を慰める者を望んでおります。天のおん父のお怒りをやわらげるために、罪びとや忘恩者に代わって苦しみ、貧しさをもってこれを償う霊魂を、おん子とともに望んでいます。」

マリアさまは、第二、第三のメッセージにおいて、このもしも罪の償いがなければ何があるかということを警告します。それは、御父がこの世に対して怒り給うておられる、ということです。そのために全人類の上に大いなる罰があるだろうということです。

聖母は御子とともに、何とかその怒りを宥めるようにしてきたけれども、しかし、もっと宥める霊魂が必要である、と訴えます。

もしも人類が悔い改めないならば、もしも宥める霊魂が、祈りが、犠牲が足りないならば、御父は全人類の上に大きな罰を下そうとしており、それは大洪水の時よりも重い、いままでにない重い罰である、とおっしゃいます。
マリアさまの言葉は非常に恐ろしいものもあります、「火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。よい人も悪い人と共に、司祭も信者とともに死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。」

しかしマリアさまは同時に私たちに、武器も教えてくださいます。「その時に何をしたらよいか、それはロザリオと御子の残された印だけです。毎日ロザリオの祈りを唱えてください。ロザリオの祈りをもって、司教・司祭のために祈ってください。」

御子の残された印とは何か‥‥安田神父様とそしてシスター笹川は、これはご聖体のことである、と考えています。イエズス様が制定されたミサ聖祭とそして御聖体の秘跡、のことでしょう。つまり、ドン・ボスコが夢の中で見た、最後に教会の勝利をおこすためにやった二つの柱、それには聖母とそして御聖体があったということが、わたしたちに知らされています。おそらく秋田のマリアさまも、ロザリオと御子の残されたしるし――つまり聖伝のミサについて話していたに違いありません。

そしてマリアさまは、さらに、教会における信仰の危機について話します。
「悪魔の働きが、教会の中まで入り込み、カルジナルはカルジナルに――すなわち枢機卿は枢機卿に、司教は司教に対立するでしょう。わたしを敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者でいっぱいになり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。特に悪魔は、おん父に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われることがわたしの悲しみです。これ以上罪が続くなら、もはや罪の赦しはなくなるでしょう。」
いま、カトリック教会を襲う信仰の危機について、マリアさまはすでに警告されたと考えられます。

マリアさまはもう一度言います。
「ロザリオの祈りをたくさん祈ってください。迫っている災難から助けることができるのは、わたしだけです。わたしに寄りすがる者は、助けられるでしょう」。

こののち、シスター笹川は、そのマリアさまの御像が101回の涙を流すことを体験します。101回すべてシスターが見たわけではないのですけれども、その御像から101回の涙が流れたことを、目撃者たちが証言しています。

この101回には意味があって、守護の天使の説明によれば、
「アダムとエワのエワによってこの世に罪が入ったように、イエズス・キリストとマリアさまのマリアさまによって救いの恵みがこの世にきたことを象るものである。つまりマリアさまは、イエズス・キリストとともにこの世の罪を贖った、共贖者であるということを意味している」
と天使は伝えています。

その後、シスター笹川は、非常に苦しい人生を、生涯最後の最後まで経験されました。それについて詳しいことをいま述べることはできませんが、マリアさまの御悲しみに沿えた人生だったといえると思います。

いま、シスター笹川は、聖母の被昇天の日に帰天されて、おそらくマリアさまの姿をご覧になっていると思いますが、それでもシスター笹川のためにお祈りいたしましょう。
そしてシスターが、わたしたちのために取り次いでくださることを、お祈りいたしましょう。

シスターの取り次ぎによって、多くの人々がマリアさまのメッセージに耳を傾けますように、そして、ロザリオとご聖体を大切にすることができますように、お祈りいたしましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。



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