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ミサ聖祭とは何か?ミサがいけにえであるということを誰が否定したのか?

2007年07月05日 | ミサ聖祭
アヴェ・マリア!

■ミサ聖祭とは何か?

【答え】ミサ聖祭とは、十字架のいけにえの再現・再現在化です。司祭の仲介を通してキリストはミサ聖祭で聖父に、既に十字架の上で流血のやり方で屠られたご自分の御体と御血とを、無流血のやり方で捧げます。ミサ聖祭は真実のいけにえであり、このいけにえを通して十字架のいけにえの功徳が私たちに適応されるのです。

◆ミサ聖祭に関する教会の教えはどこに見つけることができるか?

【答え】トリエント公会議はこう教えている。
「私たちの天主であり、主であるキリストは、十字架の祭壇の上で死に、「一度で永久に」(ヘブライ10・14)父である天主に自分をささげて、救いのわざを完成した。しかしキリストの司祭職は死によって消去るものではなかったので(ヘブライ7・24、27)、敵の手に渡される夜(1コリント11・13)、最後の晩さんにおいて、自分の愛する花嫁である教会に目に見える供え物を残したのである(人間のためにはこれが必要であった)(第1条)。この供え物によって、十字架上で一度血を流してささげたものが表わされ、その記憶が世の終りまで続き(1コリント11・23以下)、その救いの力によってわれわれが毎日犯す罪が赦されるのである。キリストは「メルキセデクの位にひとしい永遠の司祭」(詩編109・4)であると宣言して、自分の体と血をパンとブドー酒の形色のもとに父である天主にささげた。そして、使徒たちを新約の司祭として制定し、パンとブドー酒の形色のもとに拝領するように自分の体と血を与えた。使徒たちとその後継者たる司祭職に、「私の記念としてこれを行え」(ルカ22・19;1コリント11・24)という言葉で、それをささげるように命じた。これはカトリック教会が常に理解し、教えてきたことである(第2条)。」(DzS 1740)
トリエント公会議、第二十二総会

◆ミサが本当に固有の意味でいけにえであることは確かなのか?

【答え】「ミサにおいて真実の供え物が天主にささげられないとか、これをささげるのはわれわれにキリストを食べさせるためだけであると言う者は排斥される。」(DzS 1751)
トリエント公会議、第二十二総会決議文

■ミサがいけにえであるということを誰が否定したのか?

【答え】千年以上、西方教会東方教会の誰一人としてミサ聖祭がいけにえであることを否定しようと考えた人はいませんでした。カトリック信者はこの真理を平和に享受していました。十二世紀になるとミサ聖祭を攻撃し始めるセクト(党派)が出現しだしました。ミサ聖祭がいけにえであるということを否定した主要な人は、マルチン・ルターとそのプロテスタント主義です。これは多くのキリスト者たちにこのドグマを捨てさせました。

◆ミサに関してマルチン・ルターは何と言ったか?

【答え】マルチン・ルターは、カトリック教会の心臓を攻撃するためにミサを破壊することを望んでいると明確に述べていた。
「ミサを転覆させるなら、私たちは教皇制度を転覆させたことになると私は考える。何故なら、巌の上に立てられたかのようにミサの上に全教皇制度はその修道院、司教、大学、祭壇、聖務者、教義などが立てられており、その上に全ての重量が寄りかかっているからだ。これら全ては、冒涜的で厭わしいミサが倒れると共に全て倒れるに違いないからだ。」
(「英国王ヘンリーに反対して」)
Martinus Lutherus contra Henricum Regem Angliae

◆ルターはある意味でミサがいけにえであり得るとも認めていたのではないか?

【答え】ルターは確かにミサのことを「いけにえ」という言葉を時々使っていたが、「聖なるもの」という極めて広い意味でのみ使っていた。ミサが、固有の意味でいけにえであると言うことを断固として拒否せいていた。
 「彼らのうちの諸悪のなかでそれ以上のものはないものは、彼らの酷いミサである。それをもっていけにえとなし、善行とし、・・・」
(修道誓願について)
127 Atque ut aliud nihil malorum apud eos sit, ipsae execrabiles Missae eorum, quibus in sacrificia et opera bona uersis abominanda peruersitate retribuunt suis benefactoribus spiritualia, id est, faciunt eos fidere in mendacia, et secum trahunt in profundum, caeci caecorum duces,
(De votis monasticis)

◆ルターにとってミサとは何なのか?

【答え】ルターにとって、ミサとは御受難の単純な記念にすぎず、ミサの目的は信徒に教えること、内的に信仰を起こさせるためにカルワリオのいけにえを信徒に思い出させることです。ルターが「いけにえ」とか「犠牲」とかと言う場合には、賛美のいけにえ、感謝のいけにえという意味であって、贖いの価値を持つものではありません。

◆ルター自身は何と言っていたのか?

【答え】ルターはこう教えていました。
「従って、罪のため、天主の正義を満足させるため、死者のため、或いは自分と他人のあらゆる必要のためにミサを捧げる、或いは適応させるというのは、明らかに不敬な誤謬である。」
189 Vnde manifestus et impius error est, Missam pro peccatis, pro satisfactionibus, pro defunctis, aut quibuscunque neccessitatibus suis aut aliorum offere seu applicare.
(De captivitate babylonica)

◆ルターのミサに関する誤謬は、典礼においてどのような結果を生み出したのか?

【答え】ルターにとって「御言葉の祭儀」が第一に重要なものであり、聖体拝領は二次的なものでなければなりません。ミサの儀式を少しずつ変えながら、ルターは信徒らの信仰を少しずつ変えることに成功しました。ルターは「この目的に確実にうまく到達するために、あまりにも突然の変化によって躓いてしまうかもしれない弱い信徒らのために古いミサの儀式を幾らか残すべきである」(ルター全集 第十二巻 p. 212)と言っています。

◆プロテスタントは典礼儀式を少しずつ変更しながら自分たちが新しく信じだした内容を信徒らに故意に押しつけたのか。

【答え】英国聖公会が特にこの作戦をとって信徒たちに新しい教義を押しつけました。1549年に出された最初の祈祷書(Prayer Book)は、奉献(offertorium)を廃止し、典文(canon)を変更し、聖体制定の叙述をルター式に変えました。罪の償いのためのいけにえということは直接はっきりとは否定はされずに、沈黙に伏せられました。ただしそれは第一段階に過ぎませんでした。祈祷書の第一版が至るところで受け入れられると、1552年に改訂版の祈祷書が出され、カルヴァン派の晩餐式に多く似通ったものとなりました。
 ルター自身もこのやり方についてははっきりと提示していました。
「司祭は一般民衆がミサの中に変化が加えられたことを気づかないまま躓くことなくそれに与ることが出来るようにうまく変えていくことができる。」
(quoted by Jacque Maritain in "Trois reformateurs" Paris, 1925. p.247)

◆ルターはどのような変化を典礼に取り入れたのか?

【答え】ルターは特に聖伝のミサの奉献文(Offertorium)と聖伝のミサの典文(canon)を攻撃していました。この奉献文とは典文の前にある祈りで、新しいミサの「奉献文」(Prax Eucharistica)とは別ものです。そこで、ルターはミサの奉献文(Offertorium)を無くしてしまい、典文を大幅に変更してしまいました。ルターは、ミサの一般的な構造は残しましたが、その本質は骨抜きにしてしまいました。
 1521年、ルター派のクリスマスの儀式は次のように執り行われました。告白の祈り(confiteor)、入祭誦(introitus)、栄光頌(Gloria)、書簡の朗読、福音、説教、奉献文が無く、三聖頌(Sanctus)、晩餐の聖体制定の叙述をドイツ語で大きな声で唱える、両形態での聖体拝領(パンは手で、ブドウ酒はカリスから、ただし聖体拝領の前に告解をする必要はない)、神羔誦(Agnus Dei)、最後に「ベネディカムス・ドミノ」。ラテン語は本当に少しずつ少しずつしか無くなりませんでした。

◆ルターがカトリックのミサ聖祭に対して抱いていた憎しみについてどう考えるべきか?

【答え】ルターはこの点を正しく理解していました。つまり、無流血の仕方で祭壇の上で繰り返し再現されているカルワリオのいけにえの上に、カトリック教会の全ての生活は成り立っている、ということです。従って、カトリック教会を破壊するには、ミサ聖祭を変質化することが最も効果的であるということです。カトリックの著者らはこれこそが反キリストの業であるだろうと書いています。

 たとえば聖アルフォンソ・デ・リグオリはこう言っています。
「ミサは教会でもっとも良いものであり最も美しいものである・・・悪魔は常に、異端者達を通してミサをこの世から取り除こうと常に努力してきた。そうすることによって彼ら異端者達は、反キリストの先駆者となった。・・・」
La messa e il piu buono e piu bello della chiesa, secondo predisse il profeta... E percio il demonio ha procurato sempre di toglier dal mondo la messa per mezzo degli eretici, costituendoli precursori dell'Anticristo, il quale, prima d'ogni altra cosa, procurera d'abolire, ed in fatti gli riuscira d'abolire, ...
S. Alfonso Maria de Liguori
Messa e officio strapazzati

◆ルターは何故聖伝のミサの奉献文を憎んでいたか?

【答え】ルターがカトリックのミサ聖祭を憎んでいたのは、ミサの「奉献文」(OFFERTORIUM)によって、ミサ聖祭が罪の償いのためのいけにえであることを明らかに表しているからです。
「聖なる父、全能永遠の天主、不肖の下僕である私が、活ける真の天主に捧げるこの汚れなきホスチアを受け容れ給え。私は私の数知れぬ罪と侮辱と怠りとの為、又、ここに列席する人々の為、そして生きる者、死んだ者、全てのキリスト信者の為にこれを御身に捧げ奉る。願わくは、これを私と彼らとの永遠のたすかりに役立つものと成らせ給え。アメン。」
Suscipe, sancte Pater, omnipotens aeterne Deus, hanc immaculatam hostiam, quam ego indignus famulus tuus offero tibi Deo meo vivo et vero, pro innumerabilibus peccatis, et offensionibus, et negligentiis meis, et pro omnibus circumstantibus, sed et pro omnibus fidelibus christianis vivis atque defunctis: ut mihi et illis proficiat ad salutem in vitam aeternam. Amen.

◆新しいミサではこの奉献文はどうなったか?

【答え】新しい典礼様式では、聖伝のミサの奉献文(Offertorium)は廃止され、「奉納の準備」(Praeparatio donorum)に取って代わっている。この「奉納の準備」は、ユダヤ教の食事の前の祈りから取られている。

「神よ、あなたは万物の造り主、ここに供えるパンはあなたからいただいたもの、大地の恵み、労働の実り、私達の命の糧となるものです。」
Benedictus es, Domine, Deus universi, quia de tua largitate accepimus panem, quem tibi offerimus, fructum terrae et operis manuum hominum: ex quo nobis fiet panis vitae.

◆新しい典礼の第一奉献文(Prex eucharistica I)は、ローマ・カノンからそのまま取られたものではないのか?

【答え】 新しいミサでの第一奉献文(PREX EUCHARISTICA 1)は、一見古代のローマ典文から取られたかのように見える。しかし、実際はそのままではなく多くのことがそれに導入された。とりわけ次のことは重要視されなければならない。

(1)もはや聖伝のミサのようにミサのカノン(必ず守らなければならない義務規定)ではなくなり、新しいミサではいろいろある選択肢のうちの一つに成り下がっている。

(2)聖伝のミサのように沈黙のうちに唱えるのではなく、新しいミサでは大きな声で唱えるようになっている。

(3)新しいミサでは、聖変化の言葉に手が加えられている。

(4)聖伝のミサのように聖変化を起こさせるために低くはっきりした声で聖別の言葉を唱えるかわりに、新しいミサでは叙述する(物語を語るように述べる)ことになっている。

(5)聖伝のミサのように聖変化の直後に司祭がする跪きは廃止され、新しいミサでは聖別されたホスチアを会衆に示した後、パテナの上に置いて、跪いて礼拝することになっている。

(6)新しいミサでは多くの十字架の印が廃止されている。

(7)新しいミサでは、真実に「主が来られる」聖変化の直後に「主の死を思い、復活をたたえよう、主が来られるまで」と会衆が唱和する。

◆新しいミサにおけるこれらの変更は、本当に悪しきものであるか?

【答え】これらのことは、一つ一つを切り離してみれば必ずしもそれ自体で悪いことだとは言えませんが、その全体としてみると全てがカトリック信仰を弱める方向に創りあげられています。

■新しいミサがプロテスタント化しているのは、故意なのか?

【答え】アカデミー・フランセーズの会員であったジャン・ギトン(Jean Guitton)は、パウロ六世が秘密を打ち明ける大の親友でありましたが、彼はパウロ六世がミサからプロテスタントを不快にさせていた全てのことを全て故意に取り除くことを望んだ、と発表しました。パウロ六世が六名のプロテスタントの牧師達とともに写っている有名な写真もあります。新しいミサは6人のプロテスタントの牧師らとともに作られたからです。



 このうちの一人であるテゼのマックス・チュリアンはこう言っています。
「この新しくなったミサにおいて、福音派のプロテスタントたちを困らせるようなものは全くない。」
"Dans cette messe renovee, il n'y a rien qui puisse vraiment gener les protestants evangeliques."
(Max Thurian dans La Croix du 30 mai 1969)
 マックス・チュリアンはその後1988年に、プロテスタント主義を否んで放棄することなく、そのまま司祭に叙階されました。

◆ジャン・ギトンはいつパウロ六世のこの意向のことに言及したのか。

【答え】1993年12月19日、パリのラジオ局 Radio-Courtoisie で放送されました。ジャン・ギトンはパウロ六世が何故新しいミサを作ったかその意図を次のように説明しています。
「パウロ六世とその名前を持つ新しい典礼の意向は、信徒らにミサに対するより大きな参加をもとめること、聖書にもっと大きな場所を与え、いわゆる『マジック』とか『同一実体の聖変化』とかいわれるもの、全実体変化これがカトリックの信仰ですが、の場所を少なくする、ことだといって間違いはないと思います。言い換えると、パウロ六世には、聖伝の意味においてあまりにも『カトリック』的なものをミサにおいて消し去る、或いは少なくとも訂正するか曲げる、そしてカトリックのミサを、繰り返して言いますが、カルヴィン派のミサに近づけるという意向がありました。」
Aide memoire sur la nouvelle Messe

◆新しいミサがエキュメニカルな傾向をもっていることを証言した人は他にはいるか?

【答え】 新しいミサを作った中心人物アンニバレ・ブニーニ神父は新しいミサについてこう言っています。彼はエキュメニカルな意向を隠そうとは決してしませんでした。
「教会は、霊魂への愛と別れた私たちの兄弟たちが一致の道へと至るように全てをしようと言う望みとに導かれ、躓きや気に入らないかもしれない危険の陰とでもなるかもしれないものは全ての石を取り除いた。」
(Annibale Bugnini, Documentation Catholique du 4 avril 1965)

オッセルバトーレ・ロマーノにも、同じことをこう言っています。
“We must strip from our Catholic prayers and from the Catholic liturgy everything which can be the shadow of a stumbling block for our separated brethren that is for the Protestants.” - Archbishop Annibale Bugnini, main author of the New Mass, L'Osservatore Romano, March 19, 1965
Annibale Bugnini The main author of the Novus Ordo

 もう一度彼の言葉を良く読んで下さい。
躓きや「気に入らない」「かもしれない」「危険」の「陰」とでも「なるかもしれない」ものは全ての石を取り除いた・・・。

◆プロテスタントは、パウロ六世の新しいミサを高く評価しているか?

【答え】聖伝のミサを明らかに拒否する多くのプロテスタントは、プロテスタントの聖餐式として新しいミサを使うことが問題なくできると言っています。特に、次のプロテスタント牧師たちは聖伝のミサを拒否するが、新しいミサは問題なく捧げることができると言っています。
マックス・テュリアン(La Croix, 30 mai 1969)
ジークバルト(Le Monde, 22 novembre 1969)
ロジェ・メール(Le Monde, 10 septembre 1970)
オットフリート・ヨルダン(conference at Maria Laach, 15 June 1975)。

 アルザス・ロレーヌ地方のアウクスブルク信仰告白派の1973年12月8日公式宣言でも新しいミサは問題なく捧げることができると宣言されました。

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