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現在手による聖体拝領を拒むことは、進歩への跳躍と発展をも拒むことであるか?

2007年07月05日 | ミサ聖祭
アヴェ・マリア!

■ 現在手による聖体拝領を拒むことは、教会のもっている進歩への跳躍と発展をも拒むことであると言えないか?

【答え】「進歩」「発展」という言葉は、見方によっていかなる変化をも形容することができます。たとえばある生命体において無秩序に細胞が増殖してしまった場合、癌の病状が進展した、と言うことができます。ただし生命体の生命の進歩ではありません。御聖体拝領のやり方をはかる基準とは、私たちの主イエズス・キリストに対する信仰と尊敬です。その基準から見ると、手による聖体拝領は進歩ではなく退歩・後退です。更に言えることは、このやり方は教会の中に革命的で反乱的なやり方で導入されました。従って、そのように導入されたものを進歩と言うことはできません。

◆手による聖体拝領は教会の中に革命的で反乱的なやり方で導入されたと何故言うことができるのか?

【答え】何故なら、手による聖体拝領は、最初に許可無く実践されてしまったからです。聖なる教会の明確な規律と規則に反して、極めて「進歩」主義的なグループの中に導入されました。1969年5月29日教書『メモリアーレ・ドミニ』(パウロ六世の名前でグート枢機卿(Cardinal Gut)とアンニバル・ブニーニ(Annibal Bugnini)とによって書かれた)は、この不従順を注意し、口による聖体拝領の利点を詳細に説明しました(Documentation Catholique du 29 juillet 1969, p. 669-671)。教書『メモリアーレ・ドミニ』はラテン典礼様式の司教たちのもとでなされたアンケートによれば極めて大きな大多数の司教たちが手による聖体拝領の導入に反対していることを明らかにしています。それによれば、2115の有効な回答のうち、1233名の司教たちが手による聖体拝領の導入に絶対反対であり、567名のみが賛成でした。教書『メモリアーレ・ドミニ』は、聖伝に基づく口による聖体拝領を維持しなければならないと結論し、そして司教・司祭・平信徒らが注意深くこの規律を守るように勧告しています。


◆手による聖体拝領は、どうやって排斥されたにも関わらずその後で教会に広がったのか?

【答え】手による聖体拝領は、この教書『メモリアーレ・ドミニ』がリベラルな書き方をしていたので全教会に広がってしまいました。聖伝に基づく習慣をそのまま守らなければならないという全ての理由を列挙した後に、教皇様がこれを守ることを望んでおられると断言し、最後にその反対をする許可を与えていたからです。手による聖体拝領はいけないという理由を述べて、伝統的習慣を守れというところで全ての問題は解決されていたのに、教書は手による聖体拝領が既に導入されたところは(つまり、教会の規律に不従順であったところは)、もしも平信徒らがそれを望むのなら、司教評議会は、条件付きで、この新しいやり方を許可することができると付け加えたからです。


◆この教書『メモリアレ・ドミニ』の後はどうなったのか?

【答え】教書『メモリアーレ・ドミニ』は、手による聖体拝領を禁止するかのようなふりをしながら、事実上それを許可してしまいました。西欧と北米では、教書『メモリアーレ・ドミニ』の結果はすぐに実行されました。この新しいやり方は、教皇様が平信徒らからの執拗な要求のために、仕方なく容認しただけという意味で許可したに過ぎなかったものですが、「教皇様への従順」の名前によって、それを要求したことが全くない平信徒にまでもどこでも強制させられたのです。


■手による聖体拝領の結果は?

【答え】手による聖体拝領は、御聖体に対する涜聖を増長させるのみならず、立ったまま手で御聖体を摘んで食し、破片にも不注意であることにより、御聖体における私たちの主イエズス・キリストの現存に対する信仰を弱める機会になります。少なくとも多くの信徒の方々の御聖体に対する信仰を失わせてしまった責任の一つを担っています。何故なら、人間となった真の天主を御聖体拝領によって受けることを真剣に真面目に信じている信者は、愛の天主に対する崇敬と尊敬とを表明せずにこの秘蹟に近づくことはできないからです。従って、手による御聖体拝領は、まず信仰生活における冷淡と生ぬるさへと導き、次に無関心へ、そしてついには信仰の喪失へと導く責任を担っていると言えます。

◆御聖体における私たちの主イエズス・キリストの現存に対する信仰の喪失の責は手による聖体拝領の導入だと本当に言えるのか?

【答え】手による聖体拝領だけが信仰喪失の全ての原因だとは言いきれません。公教要理の不足、公教要理での間違いを教えられてしまうこと、主日のミサの説教の内容などにも責任があるでしょう。何故なら、御聖体の現存は単なるシンボルであるかのように説明されるからです。しかし、手による聖体拝領は、そのような説明を受け入れることができるように条件付け・信徒の方々を準備し、そしてその説明を再確認させるために役立っていると言えます。何故なら、聖別されたホスチアがキリストのシンボルでしかないのなら、聖像や清雅と同じくとりわけ崇敬を持って受け取らなくとも驚くべきことではないからです。

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